貴婦人は愛に眠れ
「二人はその子を連れて先にダンジョンの外まで行っててくれないか?」
俺はケイウッドとベルナンディアの背中にそう申し出た。
「え、なんでだよ。シュージは帰んないの?」
「ちょっと調べてみたいことがあってさ。ほら、ダンジョンの主の広間といったら隠れたお宝があるかもしれないだろう?」
俺は親指と人差し指をくっつけて、わざとらしくにやけ顔をしてみせた。
「そういやシュージはアイテムマスターだもんな。アイテム探しが本業みたいなもんだよな」
「そういうことなら別に構わんが、まだ残ったゴブリンどもがおるかもしれんからの。気を付けるんじゃぞ」
二人は納得して、黒髪の子どもを連れて広間から出ていった。
誰もいなくなったのを確認してから俺は気を引き締めた。
この広間についたときからずっと気になっていた気配。
かすかではあるが広間の壁の奥から漏れ出てくる邪悪の鼓動。
俺は《無限の宝庫》から《探知逃れ》の指輪を取り出して指にはめた。
これでこの空間の魔力や光景は外部から完全にシャットアウトされた。
俺は「リミッター」を解除し、広間の壁に向き合って呪文を唱えた。
「《すり抜ける欲望》」
体に黄色い光が走り、俺は壁を透過して奥の空間へと歩みを進めた。
そこは先ほどの広間と同じくらいの広さの部屋だった。
部屋とよぶのはその空間には人が居住するために必要な家具などが一式そろっていたからだ。
まるで何者かが生活しているかのように。
だが、そこに人はいなかった。
正確には生者が存在しなかった。
「あら、お客人かしら。それにしてはノックもなしなんて、ずいぶん不躾ね」
奥のテーブルの上にはティーカップがならび、そのかたわらで瀟洒なイスに腰かけて本を読んでいる女がいた。
艶やかな金髪を腰まで伸ばし、刺繍の凝らされた純白のドレスを身にまとっている。
貴族という言葉がしっくりくる風体だった。
「なぜこんなところにアンデッドがいる?」
「失礼な方ね。ここは元々、わたくしの部屋だというのに」
女は本を閉じ、イスから立ち上がった。
「自己紹介が必要かしら?」
「名前なんてどうでもいい。なぜこんなところにアンデッドがいるのかと聞いている」
女はため息をついた。
「無粋な上に記憶力も悪いのね。ここは何百年も前からわたくしの部屋。屋敷が朽ち、迷宮の一部となってしまっても、ここは今でもわたくしの部屋。大事なあのお方が帰ってくる大切な場所……」
女は本をテーブルに置き、その表紙を指でなぞった。
その仕草は恋する少女が想い人をいとおしむかのように切なげだった。
アンデッドの女の待ち人などというとその相手もアンデッドか、あるいはそれに相当する魔族の者か。
「その誰かさんはいつ帰ってくるんだ?」
「さあ……わたくしが知りたいくらいだわ」
女はいかにもさびしそうに目をつむってゆっくり首を横にふった。
謎だ。
こんな初心者向けのダンジョンに隠し部屋があり、しかもそこにアンデッドが住みついているなんて「コレクターズ」にもなかった設定だ。
油断はできない、想定外の事態である。
「お前はその誰かを待ち続けているだけなのか?」
「女が待つのは愛する殿方の帰りと注文したパンケーキだけと相場は決まっていてよ」
「なら、この部屋を見つけた人間に危害を加えることはないと捉えていいんだな?」
「それこそ捉え方の問題ではなくて? わたくしはわたくしに仇なす野蛮な輩を許すほど愚鈍ではなくてよ」
つまり、万が一にも冒険者とまみえることがあれば敵対するということだ。
この女は、このアンデッドは人間の敵だ。
「……お前は危険だ」
「あら、あの方より危険な方はいないわ」
女はうっとりとした表情で昔をなつかしむように両腕をからめた。
「大海賊にして海の王、世界中の金銀財宝をその手中にした殿方の中の殿方……。あの方にならぶ者など、この世に存在しないわ」
女の言葉に俺はふと思い出した。
海賊、海の王、金銀財宝……。
そして、その大海賊が抱いた身分違いの恋心……。
「そうか、そういうことか……」
女は怪訝そうに俺を警戒した。
「コレクターズ」に、ある海洋ミッションがあった。
それは海の底に眠る大海賊の財宝を探せ、というものだった。
嵐に巻き込まれて海に消えた大海賊の財宝、それは権力の象徴としてでなく、彼が唯一愛した気高い貴族の女のためのものだった。
海賊は愛した女に財宝を届けることもできないまま、海の藻屑になったという話だった。
その身分違いの恋の相手、女の名前は……。
「シャンティーヌ」
「……あなた、なぜわたくしの名を」
こんなことがあるものなのか。
あっていいことなのか。
なぜ、俺なんだ。
どうして俺がこんなことに気付かなければいけなかったんだ。
「シャンティーヌ、残念だがグレゴリーは帰ってこない」
「あの方の名前まで! あなた、何か知っているのね!」
「ああ、もちろんだ。俺があの男を殺したんだからな」
「な、なんですって……!」
シャンティーヌはわなわなと体を震わせて俺を睨みつけた。
俺にできることはせめて、この悲しい貴婦人に……。
「せめてやつと同じ男の手にかかって眠るんだな」
「……許さない!」
俺はありったけの対アンデッド対策を重ねた。
「《聖獣の赫杖》、《神撃咆哮の腕輪》、《慈天主礼賛》、《不死者を討つ聖衣》、《天使の息吹》、《堕天使の裏切り》」
シャンティーヌは邪悪系の呪文を唱えはじめる。
薄黒い邪気が彼女の純白のドレスを覆う。
おそらくブロンズの7級、高位のイビルマジックだ。
「朽ちなさい! 《不死者の安寧》」
華奢な手先から吐き出された腐蝕の汚泥が俺にふりかかる。
だが、俺が身にまとったクリスタル級の神聖武具や対邪悪魔法はシルバー以下の邪悪魔法を完全に無効化する。
シャンティーヌの魔法は俺に直撃する寸前で見えない障壁にぶつかったかのように千々に散った。
「なんなの……あなたは、なぜあの人を……」
俺は唇を噛みしめ、
「財宝がほしかったからさ。やつの宝がほしかったから奪った、それだけのことだ」
シャンティーヌの顔が憎しみに染まる。
「悔しいか? だが喜べ。お前も俺の手にかかってあの世へ行くんだ。あの世でやつに会ったらよろしく言ってくれ」
「ふざけたことを!」
魔法が効かないとわかって直接、攻撃を仕掛けてきた。
しかし、「リミッター」を解除した今の俺には生半可な攻撃などではかすり傷一つ負わせることはできない。
シャンティーヌの打撃は胡蝶のはばたきのように俺の体をくすぐった。
「……安らかに眠れ。《天使の午睡》」
目前のシャンティーヌの体が指先からさらさらと砂のように崩れていく。
「ああ、ああっ、グレゴリー様……」
痛みはない。
天使の羽に抱かれるように安らかな心地で眠りにつけるはずだ。
「わたくしも、いま、あなた様のもとに……」
それだけ言うとシャンティーヌの体は崩れ去り、後には何も残らなかった。
俺は脳裏にチラつく《即応換金》をオフにする。
彼女の想いは金でその価値をはかるものではないだろう。
俺は貴婦人の部屋を後にした。
もしあの世というものがあるのならば、二人が再会できることを祈りながら。