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血の目覚め

 《欲深き混沌の覇者マッド・ア・マッドネス》は防御力の五割を失う代わりに攻撃力を三倍にまで高めるオーク族の秘法だ。

 なるほど、ワーウルフの俺を握りこぶし一発で戦闘不能にできるわけだ。

 参ったね、これは。


「ケイウッド、《薬草水》を飲ませてくれるか?」


「あ、ああ……」


 ケイウッドも怯えている。

 力の正体はわからずとも、いまのマドンがどれほど危険で狂暴な化け物であるかを肌で感じ取っているのだろう。

 それはこの場にいるすべての者にも言えることだった。

 さすがにベルナンディアやオルカもやつの破壊力を警戒しておいそれと近づけずにいる。

 戦意を喪失せず、恐怖していないだけでも立派だ。

 あるいは恐怖すらねじ伏せるだけの闘志が彼らにはあるのかもしれない。


「ぐぅるらるるるぅ……」


 マドンから狂獣の声が漏れ聞こえた。

 はじめから狂乱の性を備えていたが、秘儀を用いたことで完全に理性を失ってしまっている。

 もはや自他の見境すらなくなり、目に映る生ある者を壊し、殺し尽くすことのみを目的として行動する獣に成り果てたということだった。


 さて、どうするか。

 ケイウッドに《薬草水》を飲ませてもらったおかげで骨折も回復したが、どうやってやつを倒すかが問題だ。

 あまり悠長に考えている時間もない。

 マドンがゆっくりと、「深緑の森」の蔦による束縛すら無理やり引きちぎってこちらへ歩みはじめた。


 少なくとも防御を捨てて攻撃に特化することを選択したことから、やつもそれなりに追いつめられていたことがわかる。

 あのまま戦えばやがてジリ貧に陥って負けると判断したのだろう。

 ダメージも相当に与えていたから残りの体力も半分残っているかどうか、というところか。

 そして、やつは最後の手段により防御力が半減している。

 ダメージを与え続けられればこちらの勝ち。

 逆に一撃でもまともにもらえば即死もありえる。

 博打を打つには分が悪い。

 ここはやはり……、と考えているところで思わぬ横槍が入った。


「……ゅー……、……んね」


 座り込んでいる俺が視線を上げると、すぐそばにネムリがいた。

 目が虚ろでどこかボンヤリとしている。

 顔も火照っているのか熱っぽく見えた。


「ネムリ、いまは悪いがーー」


「シュー…………、ごめんね」


 すとん、と座り込み、俺に体を預けてきた。

 倒れ込んだ、といったほうが正しいか。

 ネムリの体を起こすため、肩をつかもうとして、俺は首すじにかすかな痛みを感じた。


「…………え?」


 噛まれていた。


 ネムリの腕が俺の獣毛にまみれた首にまわされ、抱きつかれ、首に顔をうずめて、ネムリが俺の首を、くびを、クビ、噛み、噛んで、かむ、んで…………?


 回復したばかりの体力、魔力、精気のいっさいが抜けていった。

 虚脱感に襲われ、思考もままならない。

 一方で首すじから淫猥な快楽が流れ込んできた。

 甘やかな果汁のように、痺れる劇薬のように。

 するりと、ちゅぽんと、すき間からじんわりと漏れ入り、溶け入るように。

 昇天するほどの絶対的快楽と多幸感の波に揺られ、俺の意識は落ちていった。


   ○


 気が付くとケイウッドが俺の顔をのぞき込んでいた。

 寝覚めに野郎の顔なんて見ても、ちっとも嬉しくない。

 しかもこの状況、既視感がある。


「シュージ! よかった!」


「ケイウッド……。俺はいったい……?」


「ネムリに抱きつかれて、急に気を失ったから《薬草水》を飲ませてみたんだ! 目が覚めてよかったよ〜!」


 気を失った? なぜ?

 ネムリに抱きつかれて……?


 …………思い出した。

 俺はネムリに首すじを噛まれ、脱力感と快楽に襲われ、失神したんだ。

 おそらく体力魔力その他もろもろをネムリに吸い上げられたのが原因と見ていいだろう。


 とっさに《薬草水》を飲ませてくれたケイウッドの判断に偶然にも助けられたことになる。

 素直に感謝の言葉を述べるのはなんとなく癪だったのでこれは借りにしておこう。

 また酒場で酔いつぶれていたら介抱くらいしてやろう。

 そんなことより今は、


「ネムリ、ネムリは……?」


「シュージ、あそこ……」


 たたずんでいる狂豚王のほうへ光の塊が動いていた。


「あれは……?」


「よくわからないけど、シュージに抱きついてからネムリの体が光りだして……」


 意味がわからない。

 だが、ケイウッドも混乱しているのだろう。

 何もかも理解不能だが、確かなのはネムリが俺の首を噛み、いや、血を吸い、光りだした、ということか。

 とりあえずマドンへ向かうネムリを止めなければ。

 いまのやつは尋常ではない。危険だ。


 ネムリを追いかけようと立ち上がると、視線の先で光がみるみる大きくなっていった。

 大人の人間ほどの大きさになると、今度は光がうっすらと輝きを失っていく。

 そして光が消えるとそこには少女ではなく、妙齢の女性が立っていた。

 フリルのあしらわれたゴシック調の白い清楚なドレス。

 ドレスに映える艶やかな長い黒髪。

 澄んだ空のように青かった瞳は噴き出した鮮血のように赤く。

 戦場には場違いに思えるほど優美な姿だった。


「シューをいじめるわるい人…………キライ」


 その呼び方はまさか、ネムリ、なのか……?

 とても信じられないが、ケイウッドの言葉を信じるならネムリは光りだし、その光が消えて現れたのがこの女性だということになる。


 ひとまず彼女をネムリと仮定する。

 ネムリの体からは肌でビリビリ感じられるほどの魔力があふれていた。

 神聖属性の白い魔素と邪悪属性の黒い魔素がネムリの体のまわりを螺旋状に駆けめぐった。

 信じられない。

 通常であれば反発しあう神聖と邪悪、二つの膨大な量の魔力が溶け合うように凝縮されていく。

 ゆっくりと持ち上げられたネムリの腕、指先。灯る光。

 指し示した先には、豚の王。


「……《聖邪混淆の御光イービルクロス・ホーリーメサイアアルティメイト》」


 マドンの足もとに何重もの魔法陣が次々に展開され、地面からキラキラした魔素の粒子が無数に湧き上がった。

 直後、白と黒の入り交じった巨大な光柱が天に向かってほとばしった。


「グオオオオオ…………ッ!」


 圧倒的な密度の奔流がマドンを閃光のなかに呑み込んだ。

 マドンの筋肉に包まれた巨躯が邪悪な闇に浸蝕され、同時に聖なる光条に浄化、滅却されていく。

 魔法には違いないが、こんな魔法は見たことも聞いたこともない。

 オリジナルの魔法、いや、ネムリの固有魔法とでも言うべきものか。


 人狼の血を吸って覚醒した、おそらくは特殊な吸血鬼の本領。

 そしてクラス適性として生まれ持った神官の才。

 常人では決して扱えない、相反する属性を束ねる特異な能力。

 膨大な量の魔力に裏打ちされた極限の極光は、強靭なる狂豚王といえど致命傷を負わずして受け止めることはできなかった。


「きさ、ま…………魔祖、の……吸血……な、ぜ…………」


 死に瀕して《欲深き混沌の覇者マッド・ア・マッドネス》の効果が切れたのか、マドンに理性がもどっていた。

 だが、それがやつの最期の言葉だった。

 天空を貫き雲をも消し飛ばす閃光は、狂える豚の王を跡形もなく消滅させた。

 しだいに光と闇が途切れてゆき、聖邪の巨柱は薄れて消えた。


「勝った、の……?」


 あたりを静寂が支配し、誰もが身動きできない中、ケイウッドがつぶやいた。

 やがて鬼人族の者たちから声が漏れ、声は喝采へと変わった。


 勝鬨の中心で立ち尽くすネムリが膝をつき、崩れるように倒れた。

 俺たちパーティはすぐに駆け寄り、俺が抱え起こした。

 よかった、気を失っているだけのようだ。

 そして俺の腕のなかでネムリの体は光り輝き、もとの子どもの姿形にもどった。


 マドンが最後に残した言葉が引っかかる。

 魔祖の吸血鬼……。

 やつはたしかにそう言った。

「コレクターズ」の世界では真祖の吸血鬼とその傍流である通常の吸血鬼しか存在しなかった。

 腕のなかで横たわるネムリのあどけない顔に視線を落とし、周囲の喧騒のさなか、俺はつばを飲み込んだ。

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