魔族の事情
「待たれよ!」
今にも弾けそうだった緊張感に、しわがれた鋭いひと声が割って入った。
リッチは俺とワイルドベアの間に入ると手をかざした。
「小僧、あの魔侯爵を倒したと言うたか?」
「ああ、なかなか手強かったが俺たちの敵ではなかったな」
張れるだけの虚勢を張る。
この連中は魔侯爵のことを知っている。
仲間を倒されたと知れば、怒りに駆られるか、恐れをなすか……。
「ふむ……。小僧、名を何という?」
「シュウジだ。だが、そんなことを聞いて何になる?」
リッチの顔色は読めないが、何か考えたかのようで俺に向けてかざした手を下ろした。
「シュージとやら、状況が変わった。貴様の要求を呑む代わりに剣を収めよ」
今度は俺たちが驚く番だった。
やはり魔侯爵を倒したという言葉に恐れをなしたか?
「お前たちも異論はなかろう?」
リッチが他の魔族たちにたずねると、
「……まかせるクマ」
「私も構わんぞ」
ワイルドは当惑ぎみに、仮面の男は楽しげに答えた。
「状況が変わったとはどういうことか、くわしい説明を願いたいね」
リッチはあごに手をやり、言葉を選んで簡潔に述べた。
「まず、はっきりさせておきたいのは人身売買も麻薬の密売も、我々の本意ではないということだ」
本意ではない……好きでやっていたわけではないということか?
「先に我々にも事情があると告げたな。その事情というのが貴様らが倒したという魔侯爵、エンネイ侯に関わるものだったのだよ」
リッチの話によると、魔侯爵はその魔力の強大さにものを言わせて彼らに裏の商売を取り仕切らせていたという。
理由はハッキリしないが、魔侯爵の退屈そうなそぶりから興味半分だったのではないかとのことだ。
つまり、彼ら三魔族にその気がないのなら魔侯爵亡き今、無理に裏商売に手を染める必要はないというわけだ。
「その言葉を信じろと?」
「信じなくとも我々はあんな行いを止める。それが証明になるだろう」
リッチの話は一応の筋が通っている。
裏商売をやめなければ今度こそ討伐すればいいだけの話だ。
「一つ聞きたい。その話が本当ならお前たちの本意とは何だ?」
リッチは空洞の鼻腔から空気を漏らし、鼻で笑った。
「我が望みは明快よ。エンネイめに奪われていたボルゲン丘陵の西の沼地、そこから湧き出る我が同輩どもを支配下に置くことだ」
あー、なるほど。
王国騎士団長ガルドによる魔侯爵討伐の話で、沼地からわき出るアンデッドが問題視されていなかったのは魔侯爵がすべて支配下に置いていたからか。
たしかに魔侯爵の居城ではアンデッドもたくさん配置されていたな。
そことつながるわけか。
「あやつめが奪いおってから、我は麻薬の中毒で死んだ死体を利用することしかできなんだ。元より麻薬の売買に興味なぞないわ」
「ふむ……。じゃあ、そっちのお二人さんは本当はどうしたいんだ?」
俺が水を向けると、仮面の男は口もとを愉悦に歪ませて答えた。
「私も強要されてはいたが、娼館経営そのものは嫌いではないぞ。私は人間どもの欲望が大好物なのだ。あの肉欲にまみれた堕落の苗床、誠に美味である」
「じゃあお前は娼館の経営を放棄しないと?」
仮面の男は頭に指をつき、俺にもう片方の手をかざしてパチン、と指を鳴らした。
こいつ、やたらアクションが大げさだな……。
「貴様も先ほど言っていたであろう。不当な運営を改めろと。運営を続けられるなら私はそれで一向に構わん。貴様は人間の根源が何たるかを多少なりとも理解しているようだからな。人間の欲は生命の本質。欲があるから生き、あがき、堕するのだ。これほど甘美で美しいものは他になかろう?」
よくわからんが、うむ、わかった。
とりあえずこちらの要求どおり、本人の意に沿わない娼館での労働をなくせるなら問題ない。
そして最後、残るは巨体の獣、ワイルドだ。




