お嬢様が寝取られて嬉しいと思うのは変態ですか?
梅雨も明け、早くも遠くにセミの音が聞こえる季節となった。湖畔を取り囲むように立ち並ぶ別荘地の一件を、心理カウンセラーの中村が訪ねていた。診察が終わると、付き人の宮入がグラスを用意していた。
「今年、庭で取れた梅で作りましたので、良かったらお召し上がりください」
テーブルの上には、氷の入った梅ジュースのグラスが、白が眩しいテーブルクロスの上に光を落としていた。
青年の薄い笑みは、社交辞令という化粧に縁どられている。内裏人形を思わせる整った顔が、日常の疲れや心配などに侵されて陰鬱な印象を与えた。規則正しい仕草は、作法こそ正しいが機械的でどこか上の空な危うさがある。
「ありがとうございます」と礼を述べながら、中村は先ほど診た宮入の主人の彩子の事を思い返した。発育が遅いのか小柄な体つきなのか、思春期後期の少女特有の瑞々しい色香よりも、子供らしいあどけなさの方が勝っていた。その綾子の頼りなさは絢爛たる雛人形よりは、庇護を必要とする市松人形の方が近い。
中村が彩子の調子のことを切り出す前に、宮入は「彩子様のご様子はいかがでしたでしょうか?」と神妙そうに切り出してきた。中村はグラスに口を付け、「そうですね…」と一呼吸置いた。宮入を刺激させずにどう伝えたものかと思案する。
「ご本人は早く復学したいと焦っておられますが、この時期は学校も夏休みに入っていますからね。落ち着くまでは、読書や趣味など好きなことや気晴らしに時間をかけて、ここで休まれるのが一番でしょうね」
「やっぱり、そうですよね。僕もそれが一番良いと思うんです」
そう口では言いながらも、神託を聞くようにしていた顔からは気が抜けて、明らかに落胆が漂っていた。宮入はただ水滴の滴るグラスを握って伏し目がちに視線を泳がせている。
中村としては、彩子の診察をするよりも忠実な僕に主人の様子を伝える方がよっぽど気を使う時間なのだった。「今回もか」と思いつつも一応は宮入を気遣う。
「ずっと付いておられたお嬢さんにあんなことがあっては、貴方もお辛いでしょう。私でよろしければ、愚痴でも何でも聞きましょう」
そうは言っても宮入が中村に弱音や愚痴をこぼしたことは、去年の11月から診療を初めてから一度もなかった。しかし今回は「でも」と、短くつぶやいて頭を煩わし気に掻いたりして、落ち着かない素振りを見せていた。
「何でも良いのです。誰にも話しませんから」
宮入の目には縋り付いて助けを求めたいという光が宿る一方で、どこか迷っているのだった。
「何もかも抱え込んでしまって貴方が倒れてしまっては、それが一番大変ですから」と中村が言うと、観念したように「どこから話して良いものか悩むのですが」と口を開いた。
信じてもらえるかは解りませんが、僕と彩子様には従妹程度の血の繋がりがございます。彩子様の伯父の妾の子が僕なのです。僕を持て余した父は、彩子様のお相手として、彩子様が6歳、僕が12歳の時にこの家に連れてきました。そのときから、ぼんやりと彩子様との血縁関係があるとは知ってはいました。しかし、立ち振る舞い、もしくは生まれついての気品などが違うような気がしたものです。彩子様はまだ6歳でしたから事情も解らず、僕を本当の兄のように慕って下さいました。小さなときは「レンちゃん」と呼んで遠くからでも駆け寄って来てくださいましたし、今でも二人のときにはそう呼んで下さいます。
僕が高校を卒業してから、彩子様の付き人としての生活が始まりました。最初の方は、彩子様にもご迷惑をおかけしましたが、それでも優しく接してくださりました。仕事に慣れ、彩子様の為にお役に立てることが増えていくのを日々嬉しく感じるという毎日の繰り返しです。
彩子様が高校にご入学されるのと同時に車での送り迎えを任されるまでになりました。彩子様のご学友を一緒に車に乗せる機会も多くございました。やはり年頃の女の子ですから、お喋りだのなんだので車の中が華やかになります。ご学友の方も初めは遠慮して「宮入さん」と呼んでいたのですが、その内、彩子様に釣られて「レンちゃん」と呼んで下さるようになりました。週末や暇のある際には、彩子様とご学友をカフェまで送ることもございました。きっと年が近いこともあって僕には色々と頼みやすかったのだと思います。普段は聞き分けが良い彩子様もご学友の方々とはしゃがれて「レンちゃんにしか頼めないお願いなの!一生のお願いよ!」とねだることもございました。そうなると、可愛らしくて「駄目です」と言えなくなり、つい都合を付けてしまうのです。彩子様も僕が無理をして都合を付けたことなどは解っていて、皆様が帰られた後「レンちゃん、今日はお願いを聞いてくれてありがとうね」と仰ってカフェで売っていたお土産のお菓子などをくださいました。または、小さい頃のように、感謝の気持ちを込めたキスを頬に下さることもありました。そのときの天にも昇るような浮かれた気持ちを押し殺し、付き人らしい品の良い笑みで「ありがとうございます」と言うときの嬉しい苦労は思い出しても頬が緩みます。その喜びを考えたら、時間の都合をつける苦労など大した問題ではありませんでした。
ある日、ご学友の一人が「レンちゃんと園田先生どっちが美男子かしらね」と言い出しました。皆様が口々に「レンちゃんのが目の形が綺麗」だの「園田先生のが背が高い」などと好きなことを仰られました。彩子様も楽し気に園田とかいう教師の事を話されるので、僕も少々好奇心がわきました。園田は彩子様の担任で、若い男の教師です。しかし、皆様にはスポーツができるとか独身であるとかといった情報の方が重要なようでした。
園田に初めて会ったのは、彩子様が体調を崩されて学校を早退なさったときです。園田が迎えの車まで付き添いでやってきました。確かに、年頃の女の子には受けの良さそうな引き締まった顔立ちをしています。それでいて、男らしさを程よく感じさせる爽やかな雰囲気を感じました。彩子様を車に乗せると「姫野さんは同い年の子に比べて、性格も優しくて、線も細いですから、気にはかけているのですが」と心配そうにしていました。人当たりの良い気さくさから、女生徒からの人気もうかがえます。
何か入用で学校内に入ることが多かったので、園田とはすぐに顔見知り程度の仲になりました。彩子様やほかの生徒への接し方などを考えてみても、教育熱心な先生という印象が残っています。
しばらくすると、彩子様は本をよくお読みになるようになりました。よく一緒に遊ばれている図書委員のご学友から、少人数で開かれる文学の勉強会に誘われたのです。その勉強会の中心が園田でした。彩子様の勉強会の様子を話される楽しそうなご様子や、勉強への熱心さから、園田に少なからず憧れを抱いているのだろうというのが察せられました。園田の事を話すときの年頃の娘によく似合う表情も、黙っているときの少し物憂げなご様子も、全てが僕を苦しませたのです。女々しい事ですが、彩子様が幼いころ「レンちゃん大好き。いつかお嫁さんになってあげても良いわ」と仰ってくれた遠い日の思い出が、胸を締め付けます。
園田の勉強会が習い事などの時間と重なりそうになると、教室や図書館などにお迎えに上がることがよくございました。しかし、その日は勉強会とかご学友との約束などもなく、妙にお帰りが遅いのです。この後に習い事がある日でしたので、お迎えに上がりましたが、心当たりの場所を探しても、彩子様は見つかりませんでした。少し焦りを感じ始めたとき、例の勉強会に誘われたご学友が通りかかったのです。彼女は「彩ちゃんなら、園田先生のお手伝いで準備室に行ったわよ」と教えてくれたのです。親切な彼女は、準備室の道を示すおまけに「準備室のカギがかかっていたら、少し強く引くだけで簡単に開くのよ」と図書委員の生徒のみ受け継がれる技を教えてくれました。彼女の方も何か用があり「連れていけなくて、ごめんなさいね」と言って足早にその場を後にしたのです。今思えば、そのご学友が何かのように追われていたのは、不幸中の幸いのように思えます。
準備室は図書館の貸し出しカウンターの扉を抜けて、更に奥にある部屋でした。扉は鍵の向きからして、施錠されています。普段ならそのようなことはしないのですが、周囲の静けさもあり、どうせ誰も居ないだろうという考えに至りました。すると、好奇心が頭をもたげ、先程教えてもらった技を試してみたくなったのです。少し強く扉を引くと、思いのほか大きな音を立てて開きました。僕は「うわっ」と間抜けな声を上げて、準備室の中に足を踏み入れたのでした。準備室の埃っぽい饐えた臭いよりも先に、私の意識に飛び込んできたのは二人の男女です。古びて煤っぽい机の上に寝かされた彩子様と、それに多い被さる園田がいました。僕には、何が起きているのか解りませんでした。何故そうしたのかも解らずに、気が付いたら、園田を突き飛ばしていました。そのあと、園田は正気に戻ったみたいに、青ざめて、どこかに走り抜けて消えたのです。彩子様は机に横たわったまま「レンちゃん、私、大丈夫だよね」と天井に向かって呟かれました。あまりの痛々しさに、幼子を庇うように抱きしめると、彩子様は震えて泣き出したのです。
彩子様は誰にも言わないで欲しいと、縋り付きました。僕もそうするつもりです
した。彩子様の将来に関わりかねることでありますから、旦那様と奥様には報告するにしても、秘密裏にすませてしまうのが一番です。とにかく、翌日から彩子様は表向き急病人ということで、家の者の意見は一致しました。しかし、園田が翌日から行方不明で騒ぎになり、数日後に園田が自殺に失敗したのが発見され大騒ぎです。
死に損ねた園田は罪の意識から、自分のやったことを自白しました。彩子様も僕も、園田の罪の意識の尻拭いに追われる日々でした。
僕は悲しみなどといった意識が持てず、供述を行いました。どこか、清々しさすら感じたほどです。血の繋がりがありながら、彩子様として生きるあの少女はようやく、僕と同じ世間から憚られる存在になったのです。いくらお慕いしているといっても、血縁上はただの従妹に過ぎません。それでも、片やお嬢様、片や召使です。彩子様と自分とでは生まれ持った物が違う、と解っていても納得しきれない心情があって当然でしょう。そう考えると、僕は園田に礼を言いたい気分にもなりましたし、はたまた殺してやりたいと憎む心持にもなりました。僕のどす黒い心の部分は「彩子様を貶めてくれてありがとう」と園田に礼を言いながらも「本当は彩子様を僕が貶めてやりたかった」と園田に憎まれ口を叩いています。けれど、その反面で「出来ることならなんでもしてあげたい」だの「彩子様を貶めてなぜ園田は平気で生きていられるのだ」と僕の心は叫ぶのです。
警察からの取り調べ、旦那様と奥様の嘆き、世間の好奇心による不躾な噂話、何もかもが僕を苛みます。耳と目を塞げば、それらからは逃れられるでしょう。けれど、眠りにつく間際も、夢の中でさえも、僕の心だけは反対の事を叫んで僕を消耗させました。
全てがひと段落すると、彩子様は療養の為なのか、それともまた世間の目を避けるためなのか、この別荘で暫く療養という運びになったのです。このとき、彩子様もすっかり消耗させられて、人間不信に近い状態にまで追い込まれておりました。彩子様は「レンちゃんが一緒なら、行ってもいいわ」と僕の服の裾を掴みながら、僕の様子を伺っていました。僕はこのとき、得も言われぬ優越感がこみ上げました。僕が行かないと言えば、彩子様はこのまま消耗し続けていくのでしょう。僕が行くと言えば、助かる命です。僕は彩子様の生殺与奪を握ったとき、晴れやかに「どこへでもご一緒いたします」と申し上げました。彩子様を慕う僕も、憎む僕も、これにより邂逅を果たしたのです。そのお陰で、なんとか今日まで僕は彩子様にお仕えできたのだと思います。
ここでの生活は理想郷そのものでした。彩子様は僕だけを頼りにしてくださり、僕だけを慕って下さる。けれど、もう僕は以前のようにはお世話はできません。彩子様を慕う気持ちに、以前のような神聖性は抱けなくなりました。それにも関わらず、彩子様が今は幼い日と同じように「レンちゃん、大好きよ」と仰ってくださいます。そんな言葉をかけてくださるのは、彩子様が特別弱ってらっしゃるからです。甘えているだけなのだと、本当はどこかで理解しています。僕は、いつか自分が園田と同じ過ちを犯したとき、彩子様が「レンちゃんなら、良いわ」と言って下さるような甘い夢を見ているのです。僕は、いつか自分が園田と同じ間違いを犯すでしょう。その日がやってくるのがとても怖いのです。
長い独白の後、宮入の頬はほんのりと色づき、瞳は潤み、若者らしい肉欲を発していた。宮入は自分の肉欲に気が付くとテーブルクロスの上に雫を数的落とした。
「僕は一体どうすれば良いのでしょうか?」
中村は落ち着くために、グラスの中のジュースをまた一口含んだ。グラスは空になり、氷のみがカランと音を立てる。中村はグラスをコースターに置くまでに若者にかける言葉を選ばなければならなかった。
初めて投稿するので、ご感想やご批判やご指摘などくだされば幸いです。
読了いただきありがとうございました。
18禁版で「天罰」というタイトルで二人の話を、ムーンライトノベルスに投稿しています。
よろしければ、そちらもお願いいたします。
性描写自体はありますが、そこまでハードではないので、女性向けの投稿です。
男性の方にも、アドバイスいただければ嬉しいです。