初心者
そこは、通りに面して開放的なガラス張りがあり、その外にテラスがある、オープンカフェだった。
藤崎は、指定時間の15分前に到着したのだが、もうその人は、来ていた。
黒く豊かな髪を巻き、後ろで一部留めている。ふわふわした前髪を整える様子は、20代の女性のようだ。少しふっくらとした体型だが、何よりその豊満な胸が思わず男性の目を惹きつける。これで、50代だというのだから、藤崎は一瞬戸惑った。
「はじめまして。藤崎です。今日はお忙しい中、わざわざありがとうございました」
「こんにちは。あなたが美千代さん自慢の、龍一君ね。横川かおりです」
そういって、握手を交わす。祝日の、昼下がりだった。
「噂通りの、凄いオーラね。虹色だわ」
といって、藤崎を驚きの目で見ている。
「それでも、綺麗に整っているわけではないと、母には言われてますが」
「そうね。でも、それは調整の仕方を知らないからでしょう。まぁ、つい最近やっと自覚した強者らしいから、急激にいろんなことは、無理なのかしらね。一番の問題は、安定してないことね。コントロールもできていない。どうしたいの?」
「その、コントロールをするための方法が知りたいんです。横川さんが、1番適任だと母に聞きました」
「龍一君は、ビューイング? それとも、聞こえるだけ。他に、何か特徴はある?」
「基本的には、声です。後は、夢での映像ですね。白昼夢の時もありますが……。見る方は、オーラが最近見えるようになったくらいで……」
「ソウルメイトと出会ったって?」
「あぁ、はい。それが全ての始まりでした」
「写真ある?」
藤崎はスマホの、璃帆の写真を見せた。
「あら、酷いケガね。オーラが切れてる。この写真は、ケガの前? 後?」
「前です……。もう少しで、手が動かなくなるところでした。その時は、彼女の声を電話で聞いて、自分の感覚として、痛みを予兆として分かったんです。その瞬間に近づくまで、俺の動悸もどんどん酷くなって……。ただ、それ以上が分からず、結局、未然に防ぐことができなかった。守って、やりたいんです」
横川は、うふふと笑って、藤崎の顔を眺めた。
「愛してるのねぇ。まぁ、これだけのエネルギーの結びつきなら、当然か。彼女は、なんて?」
「俺と一緒にいると、時々俺の受けた心の痛みや、過去の場面とかが分かるって言ってます。あと、遠くにいても、俺が呼ぶ声は分かるって。一番は、お互いの前世が一致する映像を、共有しました」
「そう……。そうかもね。まぁ、龍一君の力が強いって言うのもあるけどね。彼女はエンパスだから。「共感能力」が高い人。「霊媒体質」って言った方が分かりやすいかしら。今までも結構知らないうちに、色んなもの引っ付けたりしてたと思うわよ。今は、龍一君が傍にいるから、そこは、安心ね。あら、生霊まで連れてる。モテるのね」
「そうですね……」
橘の顔が、よぎる。
「さっきの、怪我の件だけど、これ、どうやっても防げなかったわよ。これは、彼女が生まれる前から決めてきた、1つの約束だったから。何かの、誰かとのカルマを背負ってのことね」
藤崎は、話には聞いていたが、目の前の女性の力の凄さに、改めて胸を突かれた。
「横川さんは、最初からそんなに、はっきり色んな力がコントロールできていたのですか?」
「美千代さんから聞いてない?」
藤崎は黙って、頭を振った。
「私ね、小児がんだったの。脳腫瘍。それで、一度生死の境を彷徨ってね。目が覚めたら、一気に色んなものが見えるようになったのよ。だから、最初は何事かと思ったわ」
こういった能力は、ほとんどが遺伝と言われている。ただ稀に、大きな病気をした際に、その能力が開花する人もいると聞いたことがあった。
「そう、なんですね……。俺とは逆って、ことですね」
「確か、自分で封印したとか。すごいわね」
「それ、覚えてないんです。ただ、この間璃帆に言われて、あぁ、彼女の名前です。人の気持ちをまともに受けない方法だけは、小さい頃から知っていたと気が付きました。あまりにも人からの悪意を持った言葉が、本当に痛くて、それから逃れるために、身についていったんだと思うんです。今考えれば、ですが……」
藤崎は、小さいときの記憶を辿りつつ、続けた。
「その頃は、誰でも皆、そう感じてると思ってたんですけど、途中でそうではないことに気が付いて……」
「そうよね。子供の時なんて、みんな自分と同じだと思ってるものね……」
子供の力を侮ってはいけない。
藤崎のように、生まれ持って特別な能力を持っている子の場合、能力を持っていない大人とは、すべての世界が、違ったように見えている。
小学校の教室で、自分が後ろの席になったとき、前方の子供たちのオーラが眩し過ぎて、黒板が見えないという経験をした霊能者の話は、有名である。
もし自分の子が、大人には見えない存在のことを、見たと話したときは、頭から否定するのではなく、一度受け入れて、どんな様子か聞いてみて欲しい。そして、それは特別な能力だから、見える人と見えない人がいるんだよと、丁寧に説明してあげて欲しい。
もし自分の子の友達が、見えないものを見えると言っていて、自分の子がその子のことを変な奴だと思い込んでいるなら、そういうものが見える子もいて、決して変なことを言っているわけじゃないこと、嘘ばかりついているわけでもないことを、教えてあげて欲しい。
前世の記憶についても、子供には大人と違った能力が備わっていることがある。
本来、生まれ変わった時点で、前世の記憶はなくなっているはずなのだが、たまに記憶を持ったまま成長する子供がいる。世界中で確認されているし、その記憶に基づいて調査した結果、その記憶が事実であることが判明したりしている。
そこまで大げさなことではなくても、話ができるようになった子供に、
「お母さんのお腹の中はどうだった?」
と聞いてみると、多くの子供が
「すごく気持ちが良かった」
「お父さんと喧嘩してるの、聞こえてたよ」
「狭くて、よく蹴っ飛ばしてた」
などと答えているのだ。機会があれば、ぜひ試したいものである。
ただしこれは、3歳くらいまでの子供に限り、かなり有効な手段であり、しかも1回しか問うてはいけないとされている。
なぜなら、年齢が上がれば、自分で創作する能力が備わってくるし、1回目の返答の際、周りの大人の反応が楽しいものであれば、2回目からはどんどんその反応に添う形で、子供たちの言う事が変わっていってしまうかららしい。なるほどなと、思う。
改めて、横川は藤崎の霊視をはじめた。
「あなたの指導霊は、5代前のお祖母さん。若くして、亡くなってる。巫女としての力が強すぎて、迫害を受けて亡くなってるわ。何度か、あなたは声を聞いているはずよ」
「あの、女性の声ですか……。あれが、俺の5代前のお祖母さん……」
「そう。彼女が、言ってるわ。もっと、心を開きなさいと。そうしたら、もっと色んな声が聞こえるようになる。人を、助けなさいって」
「人を、助ける……」
――あなたには、あなたの使命がある
母が言っていた言葉が、甦った。そして、その瞬間、その人の声も聞こえた。
「愛を、実行しなさい」
「そういうこと」
横川にも、同じ声が聞こえたらしい。藤崎は、心臓を誰かに掴まれたみたいに、苦しくなった。息ができないかと、不安になるくらいに。
「抵抗しては、ダメ。頭で拒否するから、体が苦しくなるの。璃帆さんを思い出して御覧なさい。彼女のエネルギーを受け入れたように、その言葉のエネルギーも受け入れるのよ」
「璃帆のエネルギー……?」
それを思い出した瞬間、藤崎の周りの景色が、真っ白になる。自分がどこまでも上昇し続けているのが、分かる。あまりのスピードに一瞬恐怖を覚えて、止まりたいと思った。
「ダメ! もっと、上へ」
横川の声が、微かに聞こえた。
「うわっ……」
ポンッと、体が開放される。気が付いたときに目にしたのは、広い空間だった。どこまでも広がる、宇宙空間である。目の前には、TVで見たことがある、地球があった。そしてそれは、まるで1つの大きなエネルギー体のように、躍動している……。
霧のような光の帯が、常に地球を取り巻いて、動き続けている。まるで、薄いシルクの布を広げて、ダンスをしているかのように、生き生きと地球を取り巻いている。よく見れば、それは数多くの魂の群れだと気が付く。しかも、どれも愛に満ち溢れた、光の粒子。これが、本当の地球の姿……。ぼう然と、藤崎は眺めていた。
「よく、見ておいて。また、来ましょう。今回は、もう戻ります」
彼女の声は、本当に綺麗だ。凛として、抗うことなどできはしないと思う。綺麗なエネルギー。
気が付くと、藤崎はカフェの椅子に座っていた。
あまりの衝撃に、息をするのももどかしい。
「すごいわね……」
「今の景色を、横川さんも見たんですか……」
「いいえ、私が見たのは、光に包まれた瞬間まで。あとは、あなたにしか見られないものです。あなたに必要な、あなたが見るべきものなのよ」
「はい……」
「コンタクトの仕方は、分かったと思うから、これを何度も繰り返して。彼女が、導いてくれるわ。それと、璃帆さんもね」
「はい」
その後、横川は、とても満足げに席を立った。
「私の役目は、ここまで。ちょっと、休んでから動いた方がいいわね。エネルギーを元の大きさに戻すのよ。今のあなたは、かなり波動が高くなっているから、呼吸を整えて、周りの低い熱を、体の中に取り込むイメージよ。きっと、すぐに分かるわ」
「ありがとうございました。改めてお礼を……」
「何言ってるの。美千代さんにはお世話になってるんだから。それに、とてもいいエネルギーを見せてもらったから、十分よ」
と言って、先に帰った。
さすがに体がふらついて、すぐには動けなかった。少しカフェで休憩し、その間にエネルギーを小さくする。確かに、すぐ分かった。無性に、璃帆に会いたいと思った。
「デートのお誘いです。仕事終わったら、食事しよう」
璃帆の会社は、祝日も休みではない。その代わり、年末年始やゴールデンウィーク、お盆に、大型連休がある。藤崎からのLINEを見て、片方の眉を、少し上げた。
「あら、王子様は、どこに連れて行ってくれるのかしら?」
「どこでも。お姫様の行きたいところへ」
「パンケーキ食べたい♪」
「夕食だぞ」
「じゃ、場所は任せるので、馬車で迎えに来てね」
「御意」
昨日抜糸を終えて、少し楽になった璃帆は、自販機の前でスマホをしまった。コーヒーを飲んだら、あと一息で今日の業務は終わりである。頑張るか。
「おーい、橘。今枝さんから、メールが来てたぞ」
稲垣が、大きなため息をついた橘の後頭部を、書類でパコンと叩きながら、ひと声かけた。
「何、えらそーにため息なんかついてるんだよ。今枝女史をゲットしたって、羨望の的の奴が!」
「ゲットなんて、してませんよ。変な噂、やめてください。今枝さんには、立派な彼氏がいるんですから……」
「えっ、そーなの!? なに、この前の事故って、2人でデートした後じゃなかったの?」
「そーだと良かったんですけど! 稲垣先輩が年休取ったのが、元凶です!」
「いやいや、それをいうなら、禁煙デー作った会社が悪い。俺に罪はない」
「ああ、もう何でもいいですから、メールってなんですか?」
「これらのコマンド、教えとけってさ。こんなん、俺、使いだしたの、このCAD始めて、2年くらい経ってからだぞ。どんだけお前、見込まれてんの」
「……」
璃帆は、あの事故以来、橘との接触を極力避けていた。いやでも、会社で噂が立ったし、璃帆としては橘のキャリアに、少しの汚点も残したくないという配慮なのだが、橘としてはやはり寂しさの方が心を占めた。
「同期の女子社員に、誤解しない様に言っとくからね」
と言われた時には、心底落ち込んだ。助けたお礼を散々言われた後だったから、少しは自分の存在が、璃帆の片隅に残ったかと期待した後だったから……、余計にこたえた。
そこへ、この配慮である。諦めようと頑張っているのに、こうして心を掛けてもらっているかと思うと、また揺らいでしまう。まったく、ため息の1つや2つ、つかせてくれ……。
「稲垣先輩、ガッツリ教えてください。すぐ覚えますので」
「おぅ、任せとけ」
璃帆の両手を掴んで、藤崎が呼吸を整える。ぶわっと、エネルギーが伝わって来たかと思ったら、途端に映像が意識に流れ込んできた。
「誰? この綺麗な人」
藤崎が思わず手を離す。「あれ、それが行っちゃった?」といって、頭をポリポリしていた。
食事を終えて、藤崎の部屋に来ていた。藤崎は、ちゃんとパンケーキを食べられるお店に連れて行ってくれて、璃帆からお褒めの言葉を貰った後だったのに、減点10点である。
今日、藤崎は会った時から少し興奮していた。新しいエネルギーの使い方を、知ることができたとのことで、その成果を見せると言ったのだ。練習台に、璃帆は適任らしい。
「で、誰?」
思わず、腕を組んで藤崎を半眼で見下ろす。困った顔をした藤崎は、昼間の事をかいつまんで説明することになった。初心者とは、得てしてこういう失敗をするものである。
「あれで、50代だよ」
と言う藤崎に、璃帆は目を丸くする。
「えっ、嘘。藤崎君の練習台より、そっちの方が興味あるかも。秘訣が知りたい……」
思わず笑った藤崎が、また璃帆の手を取った。
「まぁ、そういわずに。璃帆はきっと60のおばさんになっても、綺麗だよ」
璃帆の反論の言葉を待たずに、藤崎はエネルギーを送る。
こんどは、璃帆が手を振りほどいた。
「ごめん、ちょっとクラクラして、気持ち悪い。藤崎君の背中の熱を取った時と、同じ。このまま続けると、吐く……」
「そうか……。ごめん。これだと、璃帆にはエネルギーが大きすぎるんだな」
璃帆は、ひとつ、大きく深呼吸をする。
「大丈夫。もう一回やってみて」
「解像度を下げればいいと思う。パソコンのデータと同じ。データ量を小さくする……」
突然、目の前に地球が現れる。それは、本当に目の前にあるようで……。何だろう、あのキラキラ光る帯みたいなものは。みんな、繋がっている。そして、それらは躍動し続ける。綺麗な音が聞こえてくる。まるで、ダンスの伴奏の様に。ああ、なんて、美しい……。
「璃帆、どう」
藤崎の声で、現実に戻る。
「すごい……。涙が、自然に……。すごく、美しい音もしてたね。心の波動と、共鳴する。あの音、心がスーとしていくのに、ドキドキして……」
「璃帆は……」
藤崎は、言葉が止まってしまう。俺に、音は聞こえなかった。璃帆は、本当にエンパスとして、完璧なんだなと、納得されられる。そしてそれは、俺のエネルギーを受けるからだと、自覚する。この一体感の幸福を、どう伝えたらいいんだろう。
「藤崎君、これから、変わっちゃうの?」
不安そうな顔に、どうやって伝えればいいのだろう。
「離すわけ、ないじゃないか」
藤崎は、そっと璃帆を抱きしめる。腕をかばいつつ、抱きしめる。璃帆の唇に、指でそっと触れた。
「腕、痛かったら、言って。すぐ、やめるから」
「うん……」
優しく愛撫していく。璃帆の体が、ゆっくり上気していくのを、藤崎は愛おしく眺めながら、求めていった。きっと、これからも君を求め続けると心で叫びながら、ひとつになっていく。