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覚悟

 隣で璃帆がまだ寝ている。藤崎は、ふと目が覚めてから、ずっと見ていた。

 本当は、この無防備な顔に触れたくてしょうがないのだが、起こすとかわいそうなので、ずっと我慢している。

「終電でちゃんと、帰るから。じゃないと、明日藤崎君仕事でしょ」

 という璃帆を、無理やり泊まらせて、結局夜中まで眠らせなかったんだから、我ながら反省中である。

「ダメだ。この顔見てると、抱きしめたくなる!」

 もう、誘惑に抗らえず、璃帆の顔に触れようとした時、璃帆の顔が、苦痛に歪んだ。


 瞼が動いているから、夢を見ていると分かる。夢の途中で起こすのは、そのまま記憶に残りやすくなるので、あまりしたくないのだが、最近オーラがしっかり見えるようになってきた藤崎は、起こそうと決めた。

「ちょっと、これは、エネルギーを使い過ぎだ」

 どんどんオーラが強くなる。寝ているときのものとは、明らかに違う。どんな夢見ると、こうなるんだ!


 璃帆の頬に手を当てた瞬間、藤崎の視界が一変した。

 炎に包まれている。

 黒光りする太い大黒柱。2尺はある。住居のための家屋ではないと、瞬時に藤崎は思う。辺りを見渡す。ここは、「城」の中だ。城が炎に包まれている。


 璃帆は、白い絹の着物を着て、寝具の上で半身を起こし、周りの状況に唖然としている。髪は黒く長い。

(たれ)か、ある!」

 毅然とした声で、家臣を呼ぶ。本来来るべき者たちが、1人もいない。そのことに、彼女は驚くとともに、覚悟を決めた顔になる。

 一人、障子越しに家臣が現れた。彼は璃帆を最後まで守り、守り切れないと判断した場合、自害を助太刀する介錯人の役割を担うはずの、側近の男であるが、璃帆を残して、何も言わずに立ち去ってしまう。その裏切られた感はすさまじく、璃帆の心に植えつけられる。と、同時に、自分のことは自分で守らなければならないと、深く胸に刻んだ

 敵が来る。璃帆は懐剣ではなく、脇差を手に取った。どうして、脇差がここにあるのか。今となっては、どうでも良いことか……。この(こしら)えは、あの側近の脇差だ! あの者が置いていったのか……。

 炎の中から、1人の侍が飛び出してきた。見覚えのない顔だった。誰だ? 名乗ることもなく、無言で刀を上段に構えると、璃帆めがけて振り下ろす。

 その懐に向かって、璃帆は体重をかけて入り込む。手に、イヤな抵抗感を感じる。そのまま、刀を捻る……。


 そこで、小さなうめき声と共に、目が覚めた。しばし息を整えていた璃帆だが、藤崎が璃帆の顔に手を添えていることに気づき、ゆっくりと微笑んだ。

「璃帆……」

「おはよ、藤崎君。もう起きる時間?」

 藤崎は、どう説明したものか、逡巡し、やめた。

「まだ、あと1時間くらい寝てていいよ。起こしちゃったね」

「う〜ん……、いやな夢みてたから、ちょうどよかった」

 藤崎は、普通に話す璃帆をそっと抱き締めた。璃帆は、藤崎の胸の中で少し驚く。

「璃帆は、どうしてそうやって、なんでも抱え込んじゃうんだ?」

「なに……?」

「今、すごくダメージ受けてるよね。いいよ、ちゃんと気持ち、吐き出して……」

「……夢のこと、いってるの?」

「うん……、ゴメン。君に触れたら、見えちゃって……」

「そうなんだ……」

 璃帆は、大きくひとつため息をつく。

「藤崎君、人を傷つけたこと、ある?」

「……」

「なんでもない。ちょっと、あの感触が手に残ってて……。映画か、TVの見過ぎだね」

 小さく笑う璃帆の背中を、藤崎は何度も擦る。

「大丈夫。あれは、璃帆じゃない。大丈夫……」

 璃帆は、安心したのか、また、まどろんでいった。

「そう、今の、璃帆じゃない。あれは、前世の璃帆だ……」

 藤崎は、そっと抱き締めていた璃帆の体を、解いた。


 璃帆の実家は、名古屋にある。名古屋と言っても、私鉄に乗り換えて更に20分ほど移動するので、正確には名古屋市を外れる。半島の付け根にあたる、低い峰が連なった地域で、濃尾平野とはちがった景色の中で育った。高校を卒業後、実家を出ていた。


「今枝さん、今日の歓迎会、出るんですね。珍しい」

 会社の同じ課の派遣の冴木さんだ。璃帆は設備設計の補助をしている。彼女はCADを担当して、璃帆の雑務もこなしてくれている。年齢は2歳若いが、既に1児の母である。

「この間、新人教育担当した子達なのよね。全ての教育終わって、やっとの配属だから、最初だけね。名古屋出身がいるのよ。きっと、色々苦労してるだろうから……。冴木さんは、やっぱり出られないよね。娘さん、今日はママのお迎えの日だもんね」

「すみません。たまには、パーッと飲みたいんですけどねぇ」

 璃帆は、会社の飲み会には、ほとんど出席しない。謎の私生活と揶揄されたこともあったが、単に群れるのが苦手なだけだと理解され、今は滅多にお誘いもかからない。楽になった。


「今枝さん、名古屋のどちらですか?」

 新人の、橘涼(たちばな りょう)である。新人と言っても、中途採用なので年齢は4歳下だったか。と思いつつ、璃帆は橘のグラスにビールを注ぐ。

「大学出てすぐ東京出てきたから、それまでは、瑞穂区に住んでた」

「うわ、都会。僕なんて、岐阜に近いですからね。名古屋出身っていうと、怒られます」

「東京の人にしたら、一緒よ。愛知県っていうより、分かりやすいと思うよ」

 橘は製品設計の部門に配属になっている。大きいくくりでは同じ部署だが、今後仕事での絡みは、薄いと思われた。ただ、CADや、社内設計ルールの教育担当だったので、質問は結構、課を超えてあるだろう。

「大学が、こっちなんだよね、橘君て」

「はい。でも、一旦名古屋で就職したので、まだ色々慣れなくて。今枝さんに教えていただけるの、助かってます」

「それは、よかった」

 そろそろ、1次会は終わりかなと、璃帆が考えていた時、橘がスマホをフリフリしながら話した。

「LINE、交換させてもらえませんか」

「いいけど、返信遅くても文句言わないでね。スマホ、携帯してない事、割と多くて」

「えぇ!? 不安じゃありませんか? スマホ近くにないと」

 仕事の人には、あんまり頻繁に連絡しないっていう、いい訳なんだけどな、と思いつつ、笑顔で交換しておいた。


「やっと、終わった」

 橘にさんざんゴネられたが、やはり2次会には参加せず、璃帆は皆と別れて藤崎にLINEする。

「お疲れさん」

「まだ、仕事?」

「あと少し」

「明日から、また出張だったっけ」

「2日だよ」

「気を付けてね。あと少し、頑張ってね」バイバイスタンプを付けた。

 電話が鳴る。藤崎だ。

「璃帆、こういうときは、電話にするの!」

「でも、藤崎君、まだお仕事中……。えっと、こういう時って?」

「声だけでも、聞きたいって思った時」

 璃帆は、ビックリする。

「藤崎君、LINEだけで、そんなことまで分かるようになったの?」

 少し笑った声がした。

「違うよ。俺も、そう思ったの。璃帆の声、聞きたいって」

「藤崎君……」

 璃帆の胸が、ポンっと温かくなる。そのまま、その温かさが、ゆっくり広がっていく。

「でも、声聞くと会いたくなるから、ダメだよねぇ」

「うん……」

 璃帆も、会いたいと思ってしまう。

「やっぱり、ちょっと、疲れてるね。今日、会いに行こうか?」

「藤崎君、過保護だよ……。でも、ありがと。すごーく、元気になった」

「無理、するなよ」

「うん。ほんとに、ありがとう」

 電話を終えた藤崎は、少し眉を寄せる。やはり、声を聞くと、璃帆の波動が分かる。ここのところ、少し歪んでいる場所があるのだ。

「今度、お袋に聞いてみるか……」

 今度、と思ったことを、藤崎は後悔することになる。


 今日は、水曜日で「ノー残業デー+禁煙デー」である。他の曜日でも、残業するためには、申請をしなければならない。以前の様に、「納期調整のため」と称して、個々の裁量に任せて、残業することはできなくなった。

 ましてや、今日残業しようものなら、部長が直々に見回りに来て、大変お叱りを受ける。かといって、納期調整や、受注調整をしてくれるわけではないのだから、全ての歪を、係長以下の組合加入社員が担うことになるのだ。

 などとうそぶいていても、仕事が勝手に終わることはないので、休憩もランチタイムも全て棚上げで仕事をし続ける「水曜日」なのである。これの、何がどう「働き方改革」なのか、誰か説明してほしい……。


「今枝さん、助けてください〜!」

 と、情けない声で3Fフロアに駆け込んできたのは、橘である。

「何、どうしたの?」

「CAD、履歴壊れちゃって……」

「稲垣さんには、聞いたの?」

 稲垣は、橘の同じ課の先輩にあたる。彼ならば、履歴エラーくらい難なく直せる。

「今日、年休なんです」

「水曜年休か……」

 月に1日の割合で始まった「禁煙デー」。会社では、一切喫煙できない。その苦痛に耐えられない人が、次々と年休を取るようになったのだ。有給消化も推進されているので、会社側も文句は言えない。


 時間を確認すると、15時を過ぎている。

「今日中の、納期なの?」

「はい。下請けに、今日データを送らないと、来週の次工程に間に合いません」

 璃帆は、まずデータ管理課に連絡を入れ、今日のデータ送信の最終時間の確認をする。そして、ギリギリ16時45分まで待ってもらう様、依頼をする。


 橘の5Fフロアに移動し、画面を確認する。「あぁ、やはり」と、独りごちる。

「この履歴、教育ではやらなかったけど、どうしたの?」

「多分、いけるだろうと使ってみたんです。前の会社のソフトと、よく似たコマンドでしたので……」

「橘君は、優秀だし、間違ってないわ。それは認めるけれど、これね、実はソフトのバグなの。随分前から、メーカーには打診してあるんだけど、当分バージョンUPには、組み込まれないとの返答でね……。だから、教育でも教えなかったの。まさか、この使い方するとは、想定外だったから、使うなと言わなかった私が悪いわ。ごめんなさい」

「いえ、とんでもないです。勝手に、新しい方法を使って、すみませんでした」

「とにかく、これなら回避方法は確立してるから。なんとか、なる」

 璃帆は、橘に教えつつ、1つずつエラーを修正していく。手間暇掛ければ、直るエラーだ。後は、時間との闘いである。


 残り10分と言うところで、ギリギリデータ保存が完了した。データ管理課に送信を依頼し、完了である。

「今枝さん、本当にご迷惑お掛けしました」

 橘は、深々と頭を下げる。

「大丈夫。間に合ったから。これからも、どんどん新しいコマンド試してね。そうやっていくことが、技術を上げる1番の早道だから。言われたことだけをやってる人より、よっぽど好きだわ。また、困ったときは、連絡くださいね」

 璃帆は、自分の仕事が止まったことを、上司に報告し、明日以降のリカバリー予定を提出した。配属直後の期間はよくあることなので、特にお咎めはない。とにかく、定時退社の方が、今日は肝心なのである。


 階段を下りていくと、橘が待っていた。

「今枝さん、今日のお詫びさせて下さい」

「いいよ、いいよ。気にしないで。間に合ったんだから、結果オーライじゃない」

「でも、2時間も今枝さんの仕事、止めてしまって……」

「大丈夫。よくあることだし、理由もハッキリしてるから、上司も怒らないし。ポカミスじゃないから、更に「不問に処す」ってとこね」

「それでは、僕の気が済みません。今日は、定時なんですから、1杯だけ付き合ってください」

 といって、また深々と頭を下げる。

 こういう熱血社員は、近年少ない。これは、懐かれてしまったのかと、璃帆は内心頭を抱えた。今日は、藤崎が出張から帰ってくる日である。19時には、会える予定なのだ。

「今日ね、19時に予定があるの。それまでよ」

「えぇー、今枝さんデートですか? ショックです……」

「よく言うわ、おばさん相手に。同期の新人女子から、かなりモテてるって、内密な連絡回ってきてたわよ」

 と、事実でイジッてやる。今日奢られて、後腐れなくしておいた方が、このタイプは扱いやすい。

「そんな連絡、回るんですか……。それも、ショックです」

「組織ですからね。よくよく、間違いのないように、よろしくお願いしますよ」

 新人ネタでよく使われる手法で、軽くいなしながら、立ち飲みのお店に入った。

「ここで、今日の貸しは終わりよ。ごちそうになります」

「ありがとうございます」


「お袋? ちょっと確かめたいことがあって」

 藤崎は、出張の帰りである。新幹線の中で、どうしても璃帆のオーラが気になって、母に電話を入れた。

「珍しいわね、何?」

「オーラで、変な切れ目が見えるんだけど、何かある?」

「色は?」

「腕なんだ。1か所、切れたように黒くて、周りが灰色になってる」

「う〜ん。よくあるのが、ケガね……。ちなみに、生霊とか見える? 手とか……」

「そこまでは、分からない……。変なモヤみたいのが、掛かってて……」

「ちょっと、気を付けた方がいいわね。そのままだと、大きなケガになる恐れがあるわね」


 電話を切った藤崎は、璃帆の夢を思い出していた。

 あの日、璃帆が前世を夢で見た時、璃帆はどこまで見たのだろう。

 1人目の敵に対し、体当たりに近い形で、璃帆は相手の腹を脇差で貫いた。多分、そこまでは感触のことを言っていたので、分かっていると思う。

 しかし、その後璃帆は、次に来た敵により、背中を袈裟懸けにされ、絶命したのだ。そこまで、彼女には記憶があるのだろうか。あのすさまじい前世が、今の璃帆に何らかの影響を与えていることは、間違いないのだ。

「声で、確認した方がいいな」

 藤崎は、璃帆に電話をした。璃帆が出る。

「もしもし、どうしたの? 予定より早かったね。今、どこ?」

 璃帆の声を聞いた途端、藤崎の腕に人の手がまとわりついた! かのような感覚に襲われた。それは、決して気持ちのいいエネルギーではなく、禍々しく重い感触なのだ。藤崎も、思わずゾッとする。

「璃帆、まだ着いてないんだけど、今、腕おかしくないよね?」

「腕? う……ん、なんともないけど。どうかした?」

 こうやって、話しているうちにも、どんどん感触が強くなっていく。藤崎には、見切れない。くそっ!

「あと、30分くらいしたら、着くから。今、どこにいる? 迎えに行く」

「えっ、いいよ。今、会社の後輩に1杯だけ、奢られてるの。だから、この後ちゃんと、いつもの居酒屋に行くから、待ってて」

「ダメだ。迎えに行く。どこ?」


 なんだかいつもと様子が違う藤崎に圧されて、この店の場所を教えた。駅まで、出迎えに行こうと考える。

「彼氏さんですか?」

「ごめん。ちょっと予定が早まって……。あと、30分位しか、いられないや」

 璃帆の気づかないところで、橘は奥歯を噛み締めた。


 新人教育の講師として初めて見たときから、綺麗な人だと心に残った。1ヶ月程、実務レベルの教育を受け、その聡明さに舌を巻いた。個人の技量に合わせて、丁寧に的確に指導していく。橘は、前職の経験から、かなり自由に実習をさせてもらっていたのだが、それがもどかしいと感じるほど、本当はもっと教育を理由に、話したかったのだ。

 今日も、自分の失敗を、綺麗にフォローし、納得できる様に釘も刺す。「言われたことだけをやってる人より、よっぽど好きだわ」と言われたときは、完全に心を掴まれた。

 先日歓迎会で、同郷を理由に、やっとLINEも交換できて、喜んでいた矢先の彼氏発覚である。折角、こうやって、初めて2人で飲めたのに。

「うれしそうですね……」

「やだ、からかわないの!」

 本当に、心臓が痛い。ほんのり頬を赤らめているのは、このビールのせいだけではないだろう。

 立ち飲みの小さなテーブル越しに見る璃帆は、綺麗な髪で、伏せた睫毛まで美しい。この髪に触れられたら、どんなに幸せな気持ちになるのだろう。

「僕、諦められるかな……」

 橘は、自分の気持ちを悟られないよう、細心の注意を払いながら、残り30分を精一杯楽しい時間にしていった。


「今日は、ごちそうさま。これからも、頑張ってね」

「是非、また今度、機会があったらご一緒させてください」

 そういって、橘は頭を下げながら、手を差し出した。璃帆は、笑いながら、その手を取る。

「まるで、接待されてる気分でした。ありがとう」

 璃帆の手のぬくもりを、橘は心に刻み付ける。当分、諦めるのは無理だろうなと思いながら……。

 駅まで送ると言ったのだが、彼氏さんと待ち合わせると言ったので、さすがに今、その人のことは見たくないと思い、店の前で後ろ姿をずっと見送っていた。


 ギギィー、と強烈な音がする。何事かと、その辺りにいた大勢が、音の発生源を自然に探していた。今、この通りには、工事中のビルがある。そちらの方向だ。

 橘が、璃帆の後を追いながら、凄い勢いで走り出していた。

 

「今枝さん!」

 璃帆は、橘に呼ばれた気がして、立ち止まった。どこかで、女性の高い悲鳴がしている。金属が擦れる音がして、耳が痛いほどの轟音がしたかと思ったら、いきなり凄い力で体ごと後ろに引き倒された。瞬間、左腕に焼きゴテを当てられたような熱さが走る。同時に、トラックでも突っ込んだかのような、衝撃と突風を、体のすぐ真近で感じる。土埃が、辺りを包み込んでいた。

 全ての音が止まったかと思ったら、橘の声が璃帆を呼んでいた。

「今枝さん! 大丈夫ですか! 今枝さん!」


 藤崎は、電車の中でとてつもない不安に苛まれていた。

「何だか知らないが、何なんだ、この動悸は!」

 どんなに落ち着かせようとしても、心臓の鼓動が収まらない。一刻も早く、璃帆の元へ行かなければならないと、気持ちばかりが焦っていた。

 電車が、璃帆から聞いた駅に入る。人を掻き分けて、改札まで急いだ。さっき、LINEで駅まで迎えに来ると連絡があったから、改札を出たところで璃帆を探す。が、いない……。

 到着したことを告げるべく、スマホに手を伸ばしたところで、駅の外で、凄い轟音がした。金属の剥がれる嫌な音がし、悲鳴が聞こえている。音のするほうを見ると、土埃が舞い上がり、全ての景色を掻き消していた。

「璃帆!」

 藤崎は、駆け出した。


「橘君……。大丈夫? 頭、血が出てるよ!」

 璃帆は、隣で座り込んでいる橘を助けようと、身を動かそうとした。とたん、左腕に激痛が走る。

「動かないで! 今、救急車呼びましたから。腕以外に、痛いところ、ありませんか!」

「腕、痛いかな」

「分かってます! お願いですから、動かないで下さい」

 璃帆は、意識がぼぉっとしてきた。眠いかも……。

「璃帆!」

 その時、藤崎の声がした。あぁ、やっぱり安心するなぁ。藤崎君の声は……などと思いながら、声を掛けた。

「お帰り。待ってたよ……」

 そのまま、意識が途切れた。


 その事故は、大きなニュースになった。解体工事中の養生壁の一部が、剥がれ落ちたのだ。先月の台風の際に、固定していたボルトが、何本か緩んでいたところへ、その日の強風が鉄板を煽り、剥がしていった。運悪く、それが歩道側に落下したため、負傷者が多数出た。幸いなことに、剥がれた範囲が狭かったため、死亡者は出なかった。


 璃帆が目を覚ますと、藤崎が傍らにいた。

「璃帆……」

 疲れ切った顔が、璃帆を覗き込む。そっと、頭を撫でられた。心地よい……。

「事故があってね。ちょっと、璃帆は巻き込まれた」

「私、酷い?」

「腕をね、縫ったよ。10針程。神経を切断してないから、多分動くだろうって」

 といいながら、ナースコールのボタンを押していた。

「はい、どうされました?」

 看護師の声がスピーカーから、流れる。

「目を覚ましました」

「分かりました。今、行きますね」

「そういえば、橘君は? 一緒にいたと思うんだけど、大丈夫だった?」

「ああ。彼のお陰で、璃帆は助かったんだ。彼がいなかったら、まともに下敷きになってた」

「別の部屋にいるの?」

「いや、軽症だったから、帰ってもらったよ。ずっと、いるって言ってたんだけどね。打撲もあったから、早く休んだほうがいいと思ってね」

「よかった。頭から血出てたから、心配しちゃった」

「うん……」

 医師と看護師が部屋に入ってきて、一旦藤崎は外に出た。


 藤崎は、何時間か前の光景を思い出していた。崩れた鉄壁の際のところに、璃帆は倒れていた。璃帆の腕には、50cm四方の鉄板の切れ端が刺さっていた。

 隣に男性がいて、必死に璃帆に呼びかけていた。その目を見て、衝撃が走る。走馬灯のように璃帆の夢が甦った……。彼は、あの前世で、璃帆を最後に斬った侍だったのだ。


 璃帆を必死に呼び、自らも怪我をしている姿を見て、すぐに彼に助けられたのだと分かった。そして、彼の璃帆に対する気持ちも、痛いほど伝わってきた。

 璃帆の意識がなくなって、藤崎は脈と呼吸を確認する。大学の水泳部で、緊急時の訓練は受けていた。両方しっかりしている。あとは、出血だけだが、鉄板を外さなければ、大量の出血にはならないと思えた。何より、オーラが確認できたので、痛みのことを考えると、このまま意識がないほうが、璃帆には楽だろうと、判断した。

 それからすぐに、彼に声を掛けた。

「あなたは、大丈夫なんですか? どこか、苦しいところは?」

「あぁ、今枝さんの彼氏さんですね。すみません、すみません。僕が無理に誘わなければ、こんなことにならなかったのに……」

 取り乱した橘を、藤崎は落ち着かせた。

「とにかく、璃帆のことは、任せて下さい。君も、手当てをしないと」

 すごい喧騒の中、救急車が到着した。


「指先も動くようですので、神経は大丈夫だと思われます。本当に、よかったですね。1cmズレてたら、完全に切れてました。3日程の入院になります。ご家族の方ですか?」

 医師に説明を受け、入院手続きを済ます。藤崎の、泊りでの付き添い申請も済ます。明日、あらためて警察の事情聴取もあるらしい。色々説明を聞いた後、病室に戻ったのは、20分程たっていた。

 璃帆は、また眠りに落ちていた。痛み止めの点滴が効いているらしい。そっと、顔にかかった髪を避けてやる。痛みが酷くならなければいいが……。傷は残るらしいから、それも伝えないとな……。悲しむかな……。色んな思いが次から次と沸いてくる。

 璃帆の家族に連絡をしたいが、藤崎は知らなかった。次、目を覚ましたときに確認しようと、椅子に座った。


「結局、助けられなかった……」

 藤崎は大きく1つ、ため息をついた。あれ程前兆があったのに、なにもできなかった無力感が藤崎を襲う。橘との会話を思い出す。


 橘は自分の手当てが済むと、璃帆の元にやってきて、開口一番、藤崎に詫びた。

「本当に、申し訳ありませんでした。僕が誘わなければ、こんな事故に巻き込まれることはなかった」

「君の…」

「橘です。橘涼です」

「藤崎龍一です。橘君のせいでは、ありません。それをいうなら、俺だって同じだ。迎えに行くと言ったから、璃帆は早めに駅に向かったんだろうし……。誰のせいでも、ありませんよ」

 2人の間に沈黙が落ちる。

「……、橘君は、いつから璃帆のことが好きなんですか?」

 橘が固まる。思わず藤崎を見て、言葉が出せなかった。

 藤崎も橘の目を見て、視線を外さない。

 意を決して、橘は言葉にした。

「初めて見たときからです。新人教育で、今枝さんが講師でした。でも、自分の気持ちを伝えたわけでは、ありません」

「分かってます。聞いていてそのままなんて、璃帆はそんな中途半端なことは、しない」

「手を、出すなと……」

 橘は、藤崎を毅然と見つめた。

「あぁ、すまない。そういうことを、言いたいんじゃないんだ。もちろん、その気持ちもあるが、それは璃帆が選択することだ。ただ……、お礼が言いたかった」

 橘は、驚く。

「本当に、君がいなければ、璃帆はどうなっていたか、わかりません。ありがとうございました」

 と言って立ち上がると、改めて橘の正面に立ち、頭を下げた。そこに、他の思惑があるとは、思えなかった。橘も気持ちを緩める。

「いえ、当然のことをしたまでですから……」

「いや、あれは、誰にでもできることじゃない。想いがあるからこそ、できたことだ……」


 それ以上、お互いの気持ちは語らずに、そのまま、藤崎は橘を帰した。彼も、休むべき状態だと、誰が見ても分かるほどだったのだ。


「俺は、璃帆のことを何も知らないんだな」

 藤崎はその事実に、愕然とする。彼女の育ってきた家や、家族、職場のこと、友達のこと、そういえば、本当に何も知らない。何やってたんだろう……。

 橘と璃帆も、ソウルメイトなのだろう。何度も出会う魂。きっと、藤崎にも璃帆以外のソウルメイトは沢山いるはずだ。人と人は、そうやって結びついている……。

 もちろん、それぞれ違うカルマがあり、結びつきがある。橘は、璃帆を死に至らせるカルマを持っていたのだろう。今生、璃帆の命を助けたことで、彼のカルマは解消されたと考えていい。もう、同じことは繰り返さなくていいのだ。


「藤崎君……」

 璃帆の小さい声で、現実に戻った。

「どうした? 痛い?」

 璃帆は右手を出してくる。藤崎がその手を取ると、自分の顔のところまで持って行き、そのまま抱え込んだ。

「大事……」

 たまらない。藤崎は、璃帆の手を両手で握り締める。守るためには、このままじゃ足らない、と心に誓う。小さな覚悟が、藤崎の奥深くに灯った。

「愛してる……」

「う〜ん、痛くないとき、また言って」

 と、笑いながら顔を歪める。呼吸も荒くなってきたし、熱も高くなってきている。前回の痛み止めから2時間はたっているから、かなり痛いのだろう。ナースコールを押した。

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