兄
「美しい波動同士は、浸食されることはない。そこには、共鳴が存在するのみだ」
朝、目覚める少し前、声が届いた。いつもの女性の声ではなく、1度だけ聞いた男性の声から始まった。彼の言葉は、詩人の様で、理解するのが難しい……。
「心を開くことに、恐怖を覚えてはいけません。開いたからといって、相手に入り込まれるわけではないのです。お互いの心を保ちながら、同調した新たな領域を作るだけなのです。恐れずに、学びなさい」
「心を開く……。璃帆も俺も、1番難しいところだな……」
目が覚めた藤崎は、窓の外で会話をするかのように鳴き合っている、鳥たちのさえずりを聞いていた。
「急なんだけど、今晩、飲みに行けませんか?」
璃帆から、天然記念物張りの珍しいLINEが来た。
「19時には、行けそうだよ。どした?」
「兄が、東京に出てきたらしくて。一緒に飲もうって」
「お兄さんなら、俺がいなくても、飲んでヨシ!」
「紹介できたらなって……」
「お邪魔じゃないなら、喜んで」
「ありがとう!!」
今日の大阪行き最終新幹線に乗るとのことで、上野駅の近くのお店で待ち合わせた。
「龍一さん、兄の将俊です」
「マサにい、こちらが藤崎龍一さんです」
お互いに名刺交換となる。そんな2人を見て、目をパチパチさせながら、「名刺いる?」と璃帆が笑っていた。
藤崎は、将俊の名刺が少し気になったが、後で璃帆に聞けばいいかと思い、席に座った。
「いや〜、璃帆に彼氏紹介されるの、始めてかもなぁ。お前、今年幾つ」
「失礼な。同じ歳でしょ」
「あっそっか。忘れてたわ。こちとら、2児のパパなもんで、毎日戦争でねぇ。年齢どころじゃないし」
将俊は朗らかな営業マンである。血が繋がっていないのだから当然だが、見た目も璃帆とは全く違い、クマのプーさん系。身長も璃帆と同じぐらいで、お腹がポッコリしだした、ぽっちゃり体型だ。
「あれ、じゃあ璃帆は『おばさん』?」
「バレたか……」
「この間、人のこと『おじさん』扱いしてたよな〜」
と、藤崎が笑う。それを聞いていた将俊は、少し寂しそうな顔をしてビールを飲んだ。
「藤崎さんは、ご兄弟は?」
「ああ、俺、一人っ子なんです。兄妹がいるの、羨ましいですよ」
「まあね。こんなんでもね……」
と、璃帆がつまみをつつきながら呟く。
「お前、本人前に『こんなん』言うな〜」
「へへっ。そういえばマサにい、東京珍しいね。仕事?」
「ふふん。うち、今度東京に、支社を出すかもなんだぜ。そうなったら、璃帆にあれこれ教えてもらおうと思ってさ。こうやってアポイント取った訳よ」
「うわっ、ムリムリ。私は、技術職人ですからね。人脈、ありません」
「そう言わずにさぁ、土地勘あるだけでも、違うでしょ」
「マサにいの好きな、スィーツ巡りなら、付き合ってあげてもいい」
「おっ、なんて魅力的な提案。即、採用致しましょう!」
「スイーツですか……?」
藤崎が、目を丸くする。
「インスタやってるのよ。これがまた、結構フォロワーがいるの。まぁ、私もフォロしてますが……」
「サンキュ! お陰で、健康診断、引っ掛かりまくりでさ。『パパのお腹、プヨンプヨンで、気持ちいい〜』って言ってくれるのは、娘だけ」
「よい娘に育ったね〜」
と、璃帆がハンカチを目に当てて、泣いてみせる。
「藤崎さん、身長いくつ?」
「183です」
「大っきいねぇ。肩幅もあるし、なにかスポーツでも?」
「大学のとき、水泳を。肩を壊して、やめましたが」
「なるほどね。璃帆の父さんに、なんとなく似てるかな……」
「えっ。そんな風に、考えたことなかった」
「なんとなくだよ……。どこがって、いうんじゃなくてさ。こいつ、ファザコンなんですよ」
と、前のめりに藤崎に説明する。
「やだ、マサにい!」
璃帆が慌てるが
「知ってます」
といって、藤崎は優しく璃帆を見つめた。
「えぇ!? 龍一さんまで……、恥ずかしい」
とほんのり赤くなって、俯く。それを見て、将俊は少し安心したように、もうひと口ビールを飲んだ。
「そっか。知ってましたか。それは、何より」
ここで、璃帆のスマホが鳴った。珍しく会社からだと言う。「ごめんね」と藤崎に了解を取って、店の外に出た。
「藤崎さん。璃帆、まだうちの母のこと、話してないみたいですね」
「ご両親が、再婚だというのは、聞いてますが……」
「そこまで、でしょ」
「……」
「あいつ、よっぽど藤崎さんに惚れてるんだな。負担かけないようにって、思ってるんですよ」
「何でしょう?」
「璃帆が話すの待ってたら、おばあちゃんになっちゃいますからね。元兄として、責任持って話します」
もと兄? 名刺のことを思い出し、藤崎は、少し緊張する。
「璃帆が就職したのを機に、うちの母親、再婚したんですよ」
「……」
現在の結婚相手の籍に入る際、璃帆の希望で、璃帆は今枝籍に留まったというのだ。つまり璃帆は、戸籍上、天涯孤独ということになる。もちろん、生んだ母親は存命だが、彼女にも新しい家族がいると聞いていた。
「重いでしょ。結婚前の話としては……。相手にプレッシャーを掛ける」
「それで、将俊さんと姓が違うんですね……」
「気が付いてましたか……。今日会うの、本当に久し振りなんです。大学の卒業式の時、璃帆が父さんの仏壇に挨拶しに来た時会ったきりで、8年振りですか……。俺たち親子の迷惑にならないようにって、考えてるみたいで。東京行ってから、ほとんど連絡してこなくなりました。これでも14年家族だったんですけどねぇ……」
「……」
どれだけ、1人で頑張ってきたのだろう。誰にも頼らず、知らない土地で……。
「だから、うちの子供にも会ったことないですし、もう他人だから『おばさん』でもなくて」
「ああ……」
確かに、あの大けがをした時も、結局誰も病院には来なかった。自分で連絡をすると言ったので、藤崎から連絡はしなかったのだが、璃帆も2人には、連絡をしなかったのだろう。
「じゃあ、将俊さんは、今どちらにお住まいなんですか?」
「俺は名古屋。母親は、岐阜に」
「璃帆のお父さんの家は、まだあるんですか?」
「いや、再婚するときに、土地と一緒に処分してね。父さん、交通事故だったから、保険金も貰ってたし、併せて、財産分与して、皆で分けたんです。それで、璃帆も東京に出られた」
――私、あの部屋が本当に大好きだったの
実家の家の話をした時の、璃帆の言葉を思い出した。もう、ないのか……。
「だから璃帆は、帰る家がないんです……。ね、重いでしょ」
「いえ……」
「ま、昔みたいに『マサにい』って呼ばれて、安心しました。それに、彼氏まで合わせてくれて、帰ったら母親に報告しますよ。喜ぶと思います」
「はい」
「璃帆のこと、よろしくお願いします。あ、将来的にとかいうんじゃなくて、近くにいる知人として。ほんとに藤崎さんのプレッシャーになっちゃったら、璃帆が隠してた意味、なくなりますもんね。恨まれます」
「はい。大丈夫です。ちゃんと、知るべきだと思ってましたので……」
「LINE交換しましょ。璃帆に何かあったら、連絡下さい。それだけでも、ほんとに助かります。本人からは、可能性ゼロなんで。あいつ、頑固でしょ」
「う〜ん、頑固というより、人に頼るのに慣れてないっていうか……。今のお話聞いて、納得しました」
「それに、あいつモテるでしょ。だから、藤崎さんの苦労、分かります」
「はい……。どっちかっていうと、そっちの方が大変かな……。昔からですか?」
「そうそう。俺達同じ学年でしょ。で、高校も同じだったの。あいつは頭いいから、俺は勉強相当がんばってね。母子家庭だから、近くの公立が良かったわけで」
璃帆のお父さんが亡くなったのは、中2の時だったと、思い出す。
「まぁ、次から次と、寄ってくる寄ってくる。璃帆、綺麗だから、なんか近寄りがたいみたいでね。みーんな直接告らずに、俺のキャラクターにつけ込んで、話を全部こっちに持って来るんですよ。あいつ見た目と違って、ちょっと天然だから、危なっかしいったらなくて。俺は、璃帆のマネージャー兼SPって感じ? もう、夏休みなんて、最悪でしたよ〜。海に行くんですよ、海! 水着!」
藤崎は、笑ってしまった。確かに、あの「うるんだ瞳」は罪だなと、同情する。
「高3の時なんか、ヤンキーに惚れられて」
「へぇ、接点ないでしょう」
「何だか知らないけど、隣町のヤンキーに一目惚れされて、囲まれてるところを、うちの町のヤンキーが救い出したとかで。璃帆、相手がヤンキーでも全く気にせず、「ありがとうございます」って、ニッコリ笑ったらしく、更に「ケガはありませんでしたか」とまでやらかして。これまた、こちらのヤンキーにも惚れられて。結局、俺は2つのヤンキーグループに校門前で待ち伏せされて……。あれは、人生最大にビビったなぁ。」
修道女気質、炸裂だなと、藤崎は笑いが止まらない。
「あぁ、高校ん時の、ミスコンの写真見ます? 俺、賞品に釣られて勝手に申し込んで、璃帆に怒られたなぁ……。これ」
といって、スマホを見せてくれる。確かに、もう完成している。今より少し寂しそうな笑顔ではあるが。
「それ、LINEで送ってもらえませんか」
「いいですよ。ついでにこれも」
といって送られてきたのは、かわいい女の子と男の子の写真だ。
「俺の天使達です。かわいいでしょ。差し上げます」
「どうも……」
璃帆が戻った時には、何故だか2人は意気投合していて、戦友の様な雰囲気になっていた。
藤崎の願いにより、母親の件は、聞かなかったことにしてもらった。璃帆が話してくれるのを待つので、と。
「何か、私がいない間に、友好条約が結ばれてる……」
「モテる妹を持った俺の苦労を、藤崎さんにグチってたわけよ」
「ええー、私モテなかったよ。なんかいっつもマサにい、側にいたし。さゆちゃんや昌美達の方がモテてたもん。羨ましかったなぁ」
と、遠い目をする。
「ほら、これですから……」
藤崎は、大笑いする。
「うん。これは璃帆の方が悪い。お兄さんに、感謝しろよ」
「何、龍一さんまで。マサにいに、丸め込まれてない!? 気をつけてよ。マサにいは、天性の『人たらし』なんだから」
「ああ、それも当たってるな。……大事にしなきゃな、お兄さん」
と顔を見て言われ、璃帆は勢いが無くなった。
「……うん。分かってる……」
「藤崎さ〜ん、神〜!」
と将俊が叫び、藤崎に抱き付く。久し振りに飲んで騒いで、楽しい夜になった。
2人で将俊を新幹線ホームで見送り、帰路に就く。
「龍一さん、ありがとね。……楽しかった」
「ああ」
「実は、マサにいに会うの、久し振りで……。ちょっと、緊張してたの。龍一さんいてくれて、助かった……」
「璃帆はさ、もっと頼っていいよ。俺にはもちろんだけど、他の人にも。璃帆が思ってる以上に、璃帆はいろんな人に愛されてるよ」
「藤崎君……」
気が抜けると、まだまだ「藤崎君」に戻ってしまうことに、本人は気づいているのだろうか。やっぱり、可愛いな……。
「今日、うちに泊まってかない。もう少し、一緒にいたい」
「うん……。私も、一緒にいたい」
普通に繋いでいた手を、恋人繋ぎにし直して、歩き出す。
「そういえば、将俊さんに、いいもの貰った」
といって、スマホの画面を見せる。
「なに、これっ! ヤダ! なんでこんな写真持ってるの、マサにい! 龍一さん削除して! ダメだってば〜」
と、スマホを取り上げにかかるが、183cmに届く筈もない。
「ダメだよ。俺の宝物なんだから」
と言って、手を伸ばして頑張っている璃帆の体を、片手で抱え込む。
「ほんとに、俺の宝物だから」
と、耳元で囁かれ、璃帆は大人しくなる。
「龍一さんも、宝物だよ」
と、小さく答えると、藤崎はゆっくりと笑顔になった。
「早く、帰ろう!」
と藤崎に引っ張られ、2人で笑いながら駆け出した。




