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再会

 冬が近づいてくる。台風が通過するたびに、空気が冷たくなっていく。秋を楽しむ時間がない。日本人なら、誰もが感じている哀愁のようなものを、季節は無残に吹っ切っていく。


「今度、璃帆の部屋に行ってみたい」

 会社帰りのデートの際、藤崎が言い出した。

「えぇ〜」

「嫌?」

「意外と、近所のおばさんが見てるの……」

「俺しか行かないんだから、いいじゃない。男、取っ替え引っ替えしてるわけじゃないでしょ。……、してるの?」

 璃帆が、上目遣いに睨む。

「それとも誰か、突然来たりする? お母さんとか」

「それは、ないからいいんだけど……」

「じゃ、何? ちゃんと、帰るから。泊まらないよ」

「う……ん、それも、別にいいんだけど……」

 何かを吹っ切ったように、璃帆が答えた。

「あのね。建築士の目で、お部屋見ないでね。恥ずかしいから……」

 あぁ、なるほど、そういうことね。藤崎は、思いもよらないことを言われて、逆に楽しくなった。

「いやいや、この際、璃帆のセンスを、点検整備させていただきます」

「じゃ、絶対入れない!」

「うそだよ。璃帆と一緒にいられれば、いい」

「もう!」


 というわけで、その週末、夕食後、初めてのお宅訪問となった。

 駅から歩いて15分程の4階建てのアパートの2階。南東角の、日当たりがいい部屋だ。玄関とDKが一緒になっている。玄関といっても、靴脱ぎスペースがあるだけのものだ。もうここに、7年以上住んでいる割には、壁も床材も綺麗だった。

 居室スペースの引き戸を開けた途端、藤崎は一瞬目眩がする。そういえば、女の子の部屋に入るの、何年ぶりだったか……。女の子の香りが、充満していた。

 璃帆は香水をつけないし、化粧品もあまり香りが強いものは使っていないが、やはりこうなるんだな。これ、男にしか分からないんだよな、と思いつつ部屋に入ろうとして、一歩踏み出して止まった。

「どうぞ?」

 引き戸の前で立ち尽くしている藤崎を、不思議に思いつつ、璃帆は声を掛けた。

「この部屋、結界がある……」

「嘘っ。何? 何にもしてないよ。お守りも、神棚もないし……。いやだ、変なこと言わないで」

 藤崎は、本当に微かにある結界の源を、ゆっくり探る。部屋中を見渡して、1ヵ所に、小さなエネルギーの流れがあるのを見つけた。写真立てだ。

「璃帆、あの写真、誰?」

 璃帆は、瞠目する。その写真立てを、まだ部屋に入れない藤崎のもとまで持ってきた。

「お父さん……」

 藤崎は、納得した。きっと、彼女の父親がこの部屋を守っているのだろう。

「璃帆、お父さんに頼んでくれる? 俺、入ってもいいって」

「どうやるの?」

「簡単だよ。お父さんのことを思い出して、語りかければいい」

 璃帆は、戸惑いの表情を浮かべたまま、祈る様に目を伏せた。

 すると、フワッと結界が無くなった。

「ありがとう。璃帆は、愛されてるんだね。今でも」

 璃帆の父親は、亡くなっている。それでも、こうやってエネルギーを伝え続ける。

「嘘よ。そんなの……」

 てっきり、父親の愛情に喜ぶかと思っていた藤崎は、璃帆の意外な態度に驚いた。


「お父さん、いつ亡くなったの」

 璃帆の手をとって、座らせた。畳の6畳間が、2部屋続いている。間の襖を取り払って、1部屋として使っているらしい。奥に、ベッドが置いてあった。

「中学2年のとき。交通事故で……」

 璃帆の表情は硬い。初めて聞いた事柄を、藤崎はきちんと胸に収めていく。

「お兄さんがいるんだよね。歳、離れてるの?」

「同い年……」

 何? 藤崎は混乱する。双子? 聞く前に、璃帆が説明した。

「母は、再婚相手なの。兄は、その時の連れ子。それで、同い年……」

「再婚って、いくつの時?」

 璃帆の顔が、どんどん俯いていく。藤崎は、我に返った。

「ごめん……。話したくないなら、話さなくていいんだ」

 気持ちを急いだことを、後悔した。

「……コーヒー、淹れるね」

 璃帆は、席を立った。藤崎は、着ていたコートを脱ぎながら、改めて部屋を見渡す。


 居間の一角に、葦の壁を張りその際を桜の木で押えてある、少し変わったコーナーがあった。他の壁は、普通の白いクロスが貼ってあるだけで、途中ハンガーレールが壁一面取り付けてある。賃貸住宅は、壁に穴を空けないのが基本なので、よくある設計といえる。

 そこに、この角だけ、この壁材が施されているのは、明らかに後で手を入れているのだ。思わず立ち上がって、確認した。


 本来、この葦簀(よしず)は、日よけとして使われることが有名で、あまり建築資材のイメージはない。しかし、日本建築においては、天井材として使うことも多い。材料としては、天然葦を細い糸で編み、ベニヤ板に貼り付けてあるものが一般的に使われる。縦貼りではなく横貼りだ。これも、その素材を使っている。

 ベニヤを壁に打ち付けるわけにいかないので、それを押える役割として、桜の木を選んだのだろう。木の上下の断面にクッション材を貼り付け、ハンガーレールと床材の間に、挟みこむ形で収めてあった。見事なコントラストと工夫である。

 そのコーナーには、コーナー用のディスプレイ家具が置かれていた。3段ほどの棚には、小さくて可愛い置き物や焼き物が、バランスよく置いてある。どれ1つ欠けても、バランスが崩れるかと思われるほど、自然だが、整然と置いてあった。藤崎は、ちょっと感心して、ほぅと、ため息をついた。


「やだ、約束だったでしょ。建築士の目で見ないでって。素人のやることなんだから、恥ずかしい……」

 コーヒーのいい香りをさせながら、璃帆が部屋に戻ってきた。

「感心してたんだよ。こういうのは、感性で決まるから。もし璃帆が設計士になってたら、ライバルだったかなって」

 璃帆はあっけに取られて、小さく口まで開けている。

「藤崎君は、口も上手いのね……」

 藤崎は、思わず璃帆のおでこを指で押した。

「正直な感想! 彼氏としての。この桜と、葦材、どうしたの? ホームセンターで売ってないでしょ」

「この近くに、材木店があったの。そこでカットしてもらって、運んでもらった」

「このコーナー家具だって……、これ、何の木? 珍しい木目。ケヤキかな……」

「花梨のコブの端材で、作ってあるの。もう、何年も前にね、旅行先で見つけて。綺麗でしょ」

「花梨のコブって、今や絶滅素材だよ」

 璃帆は、真剣に見ている藤崎を、嬉しげに眺める。

「やっぱり、ちょっと嬉しいかも……。設計士さんの彼氏って」

「ん?」

「こんなに、木に興味示してくれる人、いないから……」

 藤崎は、覗き込んでいた姿勢を戻して、部屋全体を見渡しながら、言葉にする。

「畳なんて、今ほんとに減っててね。少し、驚いた。他の家具も全部和室に合うように、上手く選んでる。好きなんだね、和の空間」

 璃帆は、藤崎を座るよう促し、コーヒーを勧めた。

「全部、父の影響なの。実家は、在来工法の木造建築で、客間の和室には、欄間(らんま)長押(なげし)に書院棚。壁は聚楽壁(じゅらくかべ)で、床柱は黒檀(こくたん)。欄間は組み木細工で、広縁側の建具は、雪見障子。私、あの部屋が本当に大好きだったの」

「目に、浮かぶな……」

 藤崎がコーヒーを口にした。それを眺めながら、璃帆がぽつぽつと話し出した。


「再婚は、そんなに嫌じゃなかった。私を産んだ母とは、私が5歳のときに離婚したの。私は父に引き取られて。だから、小学校2年のときに「お母さん」ができたのは、うれしかった」

「そう」

「兄も、新しい友達か従兄弟みたいな感じで、本当によく遊んだし。母も、いい人で、よく面倒見てくれた」

 璃帆は、アルバムを本棚から引き出して、見せてくれる。

「可愛いな、璃帆……」

 写真を見ながら、藤崎がつぶやく。

「なのに、お父さんったら、仕事に車で向かう途中で、子供が飛び出したのを、避けて……」

 璃帆の声が、震える。

「私、1人残して、先に逝ってしまって……」

 俯いたまま、必死に泣くのを我慢しているのが、分かる。藤崎は、黙って聞いていた。


「本当に、すまない。って、お父さんが」

 璃帆は、藤崎の言葉を聞いて、思わず顔を上げた。

「今度こそは、ずっとお前を守りたかったのに、叶わなかった。って」

「どんなに、お前を大切に思っていたかを、伝えることもできなくて、すまなかった。って」

 藤崎は、優しい顔で璃帆を見つめ続ける。

「璃帆のお父さん、璃帆のソウルメイトの1人だよ。何度も、会ってる」

「どういう、こと……」

「ちょっと、待って。お父さんが、何か伝えようとしてる……」

 藤崎の視線が、璃帆から外れる。

「映像だな……。璃帆、手」

 といって、璃帆の両手を取る。

 瞬間、璃帆の意識に、刀の映像が流れてきた。どこかで、見た覚えがある。どこで……。

「これっ……、あの時の脇差!」

「あぁ、炎の中の、城か」


 璃帆が以前夢で見た、前世だ。藤崎の意識に、瞬時に大量の情報が流れ込んだ。

「それ、君の側近だった人のだろ。その側近の人が……、今生の璃帆のお父さんだよ」

 璃帆は、驚愕する。懐剣の隣に、置いてあった。それで、戦ったことを思い出す。そして、まざまざと、あの時の裏切られた気持ちを思い出した。

「あの時も、私を残して、行ってしまった!」

 誰もいなくなった無力感。一瞬の疑問と覚悟が、障子越しの炎の色と同時に、璃帆を瞬時に支配した。

「どうしようもなかったって……。あれは、家臣の裏切りによって、起こされた謀反だったから、手の打ち様がなかった。君のお父さんは、とにかく君を逃がすために、敵の中に身を投じたんだ。でも、敵が多すぎた。あの時、炎の中で、亡くなってる」

 璃帆は、ただじっと、藤崎の言葉を聞いている。

「璃帆が、輿入れする前からの、側近だったんだね。娘のように、ずっと育つのを見てきたって。どんなに慈しんできたか……。璃帆を守ることが、命に代えても守ることが、生きる証だったって……。どんなことがあっても、自害はさせないと、最後まで戦ったらしい……」

 璃帆の目から、滂沱(ぼうだ)のごとく、涙が溢れてきた。

「あの時、助けられなかったから、今生では必ず守りきろうと思っていたらしいけど……」

「飛び出した子供、お父さんと別の約束があったらしい。あの運命は、避けられなかった……」


 藤崎は、璃帆の手を一旦離した。

「ちょっと、待ってください。できるかどうか……」

 虚空と話していた藤崎が、再び璃帆の目を見る。

「直接、話したいっておっしゃってるんだけど、できるかどうか……。エネルギーの調節が難しい。璃帆、吐きそうになったら、手、離すんだぞ」

 璃帆はうなずいて、涙を拭う。そして、藤崎の手を握った。瞬時に、今までとは明らかに違うエネルギーが流れてきた。胸から、胃から、背中まで、あっという間に熱くなる。


「璃帆……」

「お父さん……?」

「ごめんなぁ、突然、いなくなって。話せて、よかったよ」

 この話し方は、お父さんだ。璃帆は、胸がいっぱいになる。

「お前は、これまで、1人でよく頑張った。ちゃんと、見てたよ。よく、頑張った」

「……」

 涙が、再び溢れる。もう、止めることはできない。

「もう、大丈夫だ。これからは、藤崎君が守ってくれる。1人じゃなく、2人で頑張ればいい。父さんも、これで安心だ」

「お前が娘で、父さんは本当に幸せだったんだ。どんなに可愛い娘だったか。可愛くて、可愛くて。誰にも渡さないつもりだったんだぞ。嫁なんぞ、行かなくていいって思ってたんだが……。もう、幸せになりなさい。これからも、ちゃんと見てるから。ちゃんと、そばにいるから……」

「お父さん! お父さん、お父さん……」

「愛してるよ、璃帆」

「うん……。お父さん……」


 藤崎が、そっと手を離した。璃帆は、そのまま気を失ってしまった。璃帆の周りから、金色の粒子が流れ出す。それは、ゆったりと渦を巻いて、上に上にと登っていった。


 藤崎の意識に、再び声が届く。

「璃帆を、頼みます。どうか、大切にしてやって下さい」

「はい」

 気を失った璃帆の頭を膝に抱え、藤崎は、小さく、しかし、しっかりとした声で答えた。


 璃帆が、目を覚ますと、藤崎が胡坐で、膝枕をしてくれていた。

「気が付いた?」

「お父さんは……?」

 璃帆は、体を起こしながら、周りを探す。

「うん。もう、行かれたよ。次に、行く場所へ」

「もう、二度と会えないの……」

「そんな、悲しそうな顔して……。大丈夫。璃帆が思い出せば、すぐそばまで来てくれる。今までずっと君が心配で、本来行くべき場所に行かずに、こっちに留まっていたらしいから。それは、お父さんの魂には、あんまりいいことじゃない。だから、もう、行ってもらったよ」

「ずっと、見てたって……」

「ああ」

「藤崎君、ありがとう……」

「……実はね、今日はお父さんに呼ばれたんだ」


 藤崎は、璃帆の部屋に行きたいと言い出した前日、声を聞いた。

「璃帆が怪我をした時ね、俺、璃帆のこと何にも知らないなって気が付いて、愕然としたんだ」

「あっ……」

 確かに、璃帆は自分のことを、ほとんど人に話さなくなっていた。藤崎にも、聞かれない限り、きっと話すことはなかったと思い至る。

「ごめんね……」

「いいよ。璃帆が謝ることじゃない。ただ、知るべきだって、あの時思った。そしたら、この間、突然声がしてね。男の人の声」

「お父さん……?」

「今思えばね。ただ『璃帆の部屋に行って欲しい』ってだけ、言われてね」

「それで急に来たいって、言ったの?」

「そう……。まあ、本当に璃帆の部屋も見たかったし」

 と、藤崎は笑って言う。璃帆の顔が、徐々に赤くなる。そのまま俯いてしまった。

「素敵な部屋だよ。俺の部屋は、掃除大変だから、合理主義的にあの通りだけど。この部屋は、あったかい。いると、ほっとする。璃帆、そのもの……」

「藤崎君……」

「また、来ていい?」

「うん」

 藤崎は、コートを手に、立ち上がった。

「もう、帰るの……?」

「さっきの、璃帆にはちょっと大きすぎるエネルギーだったから、今日はもう休んだほうがいい。璃帆のベッドは、また今度にする。残念だけど」

「もう!」


 外まで見送るという璃帆に、寒いからここでいいと玄関で靴を履いた。そのまま、璃帆を抱きしめて、キスをする。もう一度、と言う気持ちを抑えて、部屋を出た。

 部屋が見えなくなるかなと言うところで、振り返る。璃帆がベランダに立って、手を振っていた。

「風邪引くぞ」

 と呟きながら、小さく手を上げる。とても幸せな気持ちが藤崎を包み込み、そのまま帰途についた。


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