38日目 誤算
朝起きてみると、青島が険しい顔をしながら日向の部屋をノックしていた。
正直朝からかなり迷惑なのではないかと思ってしまう。
「何してんの?」
「お、はよー。刹那!外出したいからって呼び出されたんだよ。
単独でブラブラさせるよりかは安心だし、オレならコイツより足速いからまぁいいかなって思ってよ。」
「また撒かれないでよ?」
「今度は手を繋いで外出するから大丈夫だ!」
青島と日向が仲良く手を繋ぐ姿を想像して笑いそうになったが、青島は間違いなく真剣に言っているから笑ってはいけない。
なんとか理性が打ち勝ち、頑張ってね、と言い残した。
朝食会にいたメンバーに進捗を伝えると浦は特にリアクションがないものの、なぜか神崎に執拗に日向に会わせろと迫られた。
かなりしつこかったので、部屋を訪ねてみたが青島も日向もすでにいなくなっていた。
そのまま神崎は自力で探すと言い残し、どこかへ行ってしまった。
私と鬼頭は鉢合わせしないように相原を食堂に誘導した。彼女は真っ先にみんなに心配をかけたことを謝り、いつものように、というよりいつもより元気に食事をとる姿を見せていた。
野呂や新倉は空元気じゃないかと心配していたが、加瀬は大丈夫でしょ、と呑気に構えていた。
その後、鬼頭と私と橘でゲーム室に向かい、そこで過ごした。
特に不審な様子もなく、相原が新たにメモを貼るということはなかった。
「相原さ、聞きたいことあるんだけどいい?」
「嫌だって言っても聞くんだよね?」
「よく分かってるじゃん。…相原の騎士がいるわけだから下手なことは聞けないけどね。」
警戒する鬼頭を横目に橘は話を続けた。少し肩を竦めて参ったような様子ではあるが。
「何か、企んでない?」
「企んでないけど…。」
「橘さん!変なこと聞くのやめてください!投げますよ?!」
「オレ、受け身取れないから勘弁してよ…。」
橘は一体何をもって相原を警戒しているのだろうか。そんな話をしながら相原がトランプで上がっている。
ひとしきりゲームが終わり、私達は食堂に向かうことになった。
ロビーを通ると、日向の部屋の前には細野と辻村がいた。どうやら日向は戻ってきているらしい。
食堂に入ると右手をじっと見つめ微動だにしない青島がいた。もしやその右手で手を繋いで歩いていたのだろうか。部屋の隅で浦が珍しく楽しそうにしているものだから様子を聞くと、2人が手を繋いで歩く写真を見せてくれた。
みんなが青島を慰めているが、うんともすんとも言わないようだ。
今のうちに、と思い、橘に小声で話しかける。
「あのさ、橘。」
「ん?」
「なんでそんなに相原のこと疑ってるの?」
「別に疑ってないよ。むしろ信じてるよ。」
「信じてる?」
橘は頷く。彼の言っている意味が全くわからず、首を傾げると橘がやれやれと言ったように面倒そうに話し始めた。
「相原は…オレと似てるんだよ。ある種、野呂よりもね。」
「似てる…?」
そこで、前に野呂から聞いた橘と相原のやり取りを思い出した。
『相原はオレと同類。だから、大切なもののためなら全てを投げ打つことができる。』
彼女の大切なもの。
それは?
前なら日向だったかもしれない。でも、今は何だ?
「やっと思い出した?」
「うん。大切なもののためなら全てを投げうつことができる、でしょ?」
「そう。オレの場合は野呂だったけど。
相原にとっての大切なものって何だろうね?…オレはずっと日向との、あの、朝の平穏な時間だと思ってたんだ。
でも違うのかもしれないって最近思ってるんだ。」
「違う?」
橘の中でも明確な答えが出ていないのかもしれない。何やら考えているような、しかし答えが出ずもやもやとしているような、珍しく困惑している表情だった。
「そう。別のものなんじゃないかなって。
でも、分からないんだよ。あんまりしっくりこなくて。…岸なら分かるかなって思って言ってみたけど、どう?」
「うーん…。」
「つまりは考えるのが面倒になったからよろしくってこと。オレは中庭に行くから。」
「は?」
最近日向に振り回されていたせいで1人の時間を取らなかったことがフラストレーションになっていたらしく、橘は逃げるように食堂から去っていった。
橘は相変わらず、良くも悪くもマイペースだ。
「ちょっとー、刹那さーんこっち来てくださーい。」
新倉に呼ばれハッとして顔を上げた。何やらみんなで青島の周りに集まっているようだ。
「放っておいてくれ…。」
「まったく…日向くんとのこと聞きたいのにずつとこの調子なんですよ。だから刹那ちゃん、手を握ってあげてください!」
「え?は?なんで?!」
「いいから〜握ってあげなよ〜。」
加瀬と新倉に無理矢理手を引っ張られ、正面から握手をする形で手を握った。
「ほお………?!」
パッと振り払い、青島は椅子から転げ落ちた。
何やら真っ赤な顔でパクパクさせているが、急に金魚のマネなどし始めて何をしたいんだろう。
「青島さ、日向とどこ行ったの?」
「どこ行ったのって…いや、本当、校舎の色んなところぶらぶらしただけだぜ。それこそ…うん…。」
「デートみたいに?」
「やめて仁奈さん!」
青島の顔が一気に青くなった。図星であったらしい。
「どんな話したの?」
「いや…何かビックリするくらい平和な世間話。
何か、前と本当変わらない感じで正直普通に楽しんじまった…。」
「デートをぉ?」
「優月さん!」
青島の周りでドッと笑いが起こる。それに反応し、キッチンから相原と鬼頭も出て来た。
その後は時折交代しつつも、食堂でのんびりと過ごすことになった。
私も途中青島と一緒に日向の部屋の見張りになったが、特に動きはなかった。何やら部屋でゴタゴタやっている音はしていたが、それ以上の音はなかった。
その晩は、相原は鬼頭の部屋で過ごすことになったらしく、久しぶりに自分の部屋で1人で過ごすことになった。
23時も回るとさすがに眠くなるはずなのだが、何だか嫌な予感がしてどうも眠りにつけなかった。
私はそわそわしながら部屋を出るともう日向の部屋の見張りはいなくなっているらしかった。
代わりに食堂のドアが開けっぴろになっており、延長線上に永瀬が座って一応部屋の方を見ていた。
食堂の中には他に永瀬と細野、青島、野呂だった。
「あれ?刹那ちゃんもまだ眠れないの?」
「ここのメンバーも?」
「まあね…。」
野呂が苦笑しつつ答えてくれた。
みんなでお茶を飲みつつ話していると、何やら走ってくる音がした。
半開きだったドアが勢いよく開いた。
ドアに注視していた永瀬が明らかにびっくりしてうおっと声を漏らした。細野や野呂も明らかに肩を震わせて驚いた。
ドアから顔を出したのは鬼頭で髪もビショビショであった。
彼女がなぜ1人でいるのか。
その場にいた全員に共通して嫌な予感がした。
「……鬼頭さん、相原さんは?」
野呂が恐る恐る尋ねた。
「いなく、なったんです…。」
「は?なんで?」
青島がポツリと尋ねた。
「分からないんです!私が風呂に入っていたらいつの間にか!でも、部屋は、争った形跡なんてなくて、もう分からなくて…私っ…!」
鬼頭は崩れ落ち、涙をぽろぽろ流す。
それを野呂が受け止め、背中を叩く。嗚咽で、説明できる状態ではない。
私は開けっ放しになっている鬼頭の部屋に飛び込む。ベッドの下、トイレの中、タンスの中、どこにもいないところか相原の痕跡すらない。
「オイ、瑞樹開けろ!」
ふと上を見ると、青島が必死に日向の部屋の扉を叩いている。その騒ぎが相当なものだったのか、橘や梶山が顔を出した。
「何事?」
「ちょっと部屋見せろ!」
「わ、何ちょっと!やめてよ!」
私も思わず、日向の部屋に駆け込む。
他の永瀬と細野も男子の部屋を叩き、中を覗いていく。野呂も小さい声ながらも、次々と女子の部屋を覗く。
日向の部屋は色々とファイルが積み重なっていたが、特に誰かが隠れていることもない。
青島が日向に押し出され、部屋から出てくる。
「ちょっと!勝手に押しかけて来て説明なしって何なの?岸サンも説明してよ。」
「美沙子がいなくなったんだよ!」
青島が怒鳴った声は、日向の部屋どころかロビー全体に響く。その言葉に日向も目を丸くした。
「相原サンが…?何で…?」
「日向…?」
目の前の彼は明らかに動揺しているように見えた。違和感を覚えつつも、一ノ瀬の声に3人でそちらを注目した。
「美沙子ちゃんの部屋の鍵が開かない!日向くん開けて!」
「今行く!」
日向が血相を変えて走って行く。私と青島も弾かれてそちらへ向かった。
日向は何回か深呼吸すると冷静に鍵を開けてみせた。少々震えているものの、さすがの手つきだ。
しかし、空いた部屋はもぬけの殻で一ノ瀬と私で部屋を一通り見たが、誰もいなかった。
「美沙子さん…私が、目を離さなければ…。日向さん!美沙子さんを、どこにやったんですか!どこに…!」
「ちょっ、落ち着け!オレは日向の部屋見てたけどこの時間は一切ドアが開かなかったぞ!」
永瀬が日向の胸ぐらを掴んだ鬼頭の手を振り払う。肝心の日向は何やら考えており、返す言葉が出なかったようだ。
「うるさいよお前ら。」
浦が溜息をつきながら遅れて部屋から出てきた。
橘と細野が部屋を覗くが誰もいなかったようで大人しく出てきた。
浦は嫌そうな顔をしていたが、抵抗する方が面倒だと理解しているようで拒否はしなかった。
「鬼頭さん、どこに行くんすか?!」
「美沙子さんを…探しに行きます。」
「バカだな。…もう外出禁止時間だが?」
浦はスマホをかざしながら23:58を示す画面を見せた。それを見た神崎が頷く。
「全員の部屋は見たんだろう?なら、とりあえずは安全じゃねーか?外出禁止時間に出る奴なんてゲームマスターがルール違反をしない限りはいないだろうし、相原以外全員ここにいる。…共用トイレ見て誰もいなければ翌日からの捜索が無難だと思うがな。」
「そうですね…心配だけど、寝不足で探す方が冷静さを欠きますし、非効率的です。」
新倉も渋い顔で同意した。私もその言葉を聞いて頷く。
一ノ瀬を呼んで2人でトイレを確認したが相原の形跡はどこにもなかった。同様に、細野と橘が男子トイレを見たが同様らしい。
他に加瀬と梶山がランドリーを確認してくれたが、誰もいなかったそうだ。
「鬼頭さんとは、私が一緒にいるよ…戻ろう、鬼頭さん。」
鬼頭は野呂の言葉に頷くと部屋に戻って行った。
「瑞樹。」
「何?」
青島に声を掛けられた日向は無感情であった。
何やら不気味だ。
「今回のこと、お前は関与してないんだよな?」
「さぁ…どうだろうね。じゃあね、おやすみ。」
そう言うと日向も部屋に戻って行った。それを皮切りに浦が、神崎が、皆部屋に戻って行った。
その場に残ったのは、私と青島、一ノ瀬だった。
「……。」
一ノ瀬は何かを考えているような顔だったが、急に私たちの方を見やると笑顔で話しかけてきた。
「2人は仲直りしたんだね。」
「ん、ああ…ごめん。話してなかったよね。」
「ううん!いいよ。
美沙子ちゃんと、日向くんのことあったもんね。2人もしっかり休まないと自分たちが潰れちゃうよ! しっかり休んでね、おやすみ。」
「ありがとう、一ノ瀬。」
私が礼を言うと彼女は変わらない笑顔を私に見せ、部屋に戻って行った。
「青島?」
「あ、ああ…。クソ。悪い、心配かけて。おやすみな!」
「うん、おやすみ。」
青島も日向の隣の部屋に駆け込み、閉じこもってしまった。
私もここにいても仕方ない。明日は5時に起きて、少しでも早くから相原を探さないと。
私は扉を閉じ、さっさとベッドに潜った。
「………。」
その後、とある部屋の扉が開き、その影は寮の外へと駆け出して行った。




