28日目 糸は切れた
私は起きて、鬼頭とトレーニングに向かう。そのポケットには今朝、ドアの前で見つけた謎のメモがある。
『20:00に、テニスコート横で待つ。』
内心で果たし状か、と思いつつ頭の隅に留めておくことにしたのだ。しかしながら、この手書きらしいメモに記された文字は見覚えのないものだった。
勉強会では相原と一ノ瀬、青島の文字は見たので違うことがわかる。また、以前情報交換した時に神崎と日向の文字は見たことがあったからそれもまた違うことがわかる。加瀬も呼び出しのメモを見せてくれたので違うことがわかる。
この力強い筆跡、おそらく男子だと思うが、これが野呂とかだったら膝から倒れる自信があった。
「どうしたんですか?上の空で。」
「いや、別に。」
「……そうですか。悩み事なら聞きますけど、話せない悩みなら怪我に繋がるのでとりあえず捨て置きましょう!」
「そうだね。」
鬼頭の言葉はごもっともだ。私は休憩を終え、再びトレーニングに加わった。
汗を流しつつ食堂へ、鬼頭と行くと、途中トレーニング帰りらしい細野と青島と出くわす。
雑談しつつ食堂へ行くと、なぜか殺伐とした雰囲気が漂っていた。
その場にいるのは日向と浦を除く全員。
一部の者は気づいているがおそらく半分くらいは気づいていないだろう。
「あ、刹那ちゃん、真緒ちゃんおはよー!!」
「ああ…どうしたのこの感じ。」
うーん、と一ノ瀬は首を傾げた。
「私が来た時にはもうこんな感じだよ?朝一からいたらしい美沙子ちゃんに聞いたら?」
ポーカーフェイスながらも明らかに青い顔で震えている。怖いとか、寒気がするとかそういう者ではなくて、何となく震えているだけのように見える。
「私は何も知らないよ……。」
そう言うと相原は脱兎のごとく、去って行ってしまった。鬼頭は朝食もまだだというのに相原を追いかけて去って行く。
周囲の者は不思議そうにしつつも、この妙な空気の中、食堂を後にしていく。誰も口にはしないが、気まずいのだろう。
私は気にせず、食事をとっていると一ノ瀬が席を外したタイミングで橘が寄ってきた。
「何?」
「ちょっと話があって。本当は永瀬と日向にも言いたかったんだけど、日向は見当たらないし永瀬も早々にいなくなっちゃったし。だめ?」
「……いいよ。」
「ありがと、じゃあハンモックのところで。」
そう言うと橘は一ノ瀬が近づいてくる前に私の元から離れて行った。
まぁ橘だし問題ないだろうと呑気に考えていると一ノ瀬が目を輝かせてこちらを見てくる。
「ねぇねぇ、今日は遊んでくれる?私もゲームルーム行ってみたかったんだよね!一緒に行かない?」
「あーうん。午後行こうか。…行ったことないの?」
一ノ瀬の言葉に疑問が浮上し尋ねると、一ノ瀬は何てことないような顔で頷いた。
「だってあそこ美沙子ちゃんとか橘くんの城でしょ?多分あの2人私のこと苦手だからやめといたほうがいいかなーって!」
「そう。」
「うん。」
一ノ瀬は、本当に人の機微に敏感だ。もしかしたらすでに新倉や加瀬のゴタゴタにも気づいているのではないかと疑ってしまう。
朝食を終えると一度、一ノ瀬と別れ、中庭に向かう。
途中宿舎の方にも顔を出したが、鬼頭がいないあたり、部屋で話しているか別の場所に移動したのだろう、とりあえず相原のことは置いておくことにした。
「ちゃんと1人できたんだ。」
「そういう悪役みたいなセリフやめて。」
ごめんごめんとこちらに顔を向けることなく、心にも無い謝罪をしてくる。
さて、とハンモックから降り、私の横のブランコに乗り換え、漕ぎ始める。何とも呑気なものだ。
「本題だけど、今朝の話。」
「あの妙な雰囲気?」
「そ。朝一、相原がゲーム持って日向を食堂で待ってたわけ。…来なかったみたいだけど。
で、たまたまオレと野呂が行ったから仕方ないってことでゲームの片付けに行ってたんだよ。その時、旧校舎の視聴覚室で、見ちゃったんだよね。」
視聴覚室、というといいイメージがない。その不快感が顔に出たのか、橘は一瞬話を止めた。しかし、気づいたか気づいていないのか、しれっと話を再開した。
「たぶん、岸が想像してるのとは少し違うよ。」
「細野じゃなくて?」
橘が頷く。
「そ、今日いたのは加瀬と新倉。
オレたちも初めてはっきりと聞いたんだけど、新倉って細野のこと好きなんだってね。それで、2人が細野の件について話してた。」
「具体的には?」
「細野のことで決着をつけようって話。スマホ掲げてたし、ペアになった方が勝ち的な話なんじゃないの?」
詳しいことは聞けなかったらしく、橘は己の解釈を交えつつ話す。
「つまりは、ペアになれなかった方は細野に近づくのをやめよう、みたいな話だよね?」
「まぁ。オレは関係ないからいいけど…チャレンジ権持ってる人たちからしたら、いい話だよね。
自分たちはチャレンジ権を失わず、試練に挑めるんだからさ。それを止める人はほぼいないって思って間違いじゃないと思うけど。
岸はどう思う?」
私は少し悩む。
ギスギスするのは嫌だけど、そこで三角関係に終止符が打てるならそれ以上のことはない。しかも自分がペアになるリスクはない。
「決着がつくなら止めはしないけどね。」
「そうだよね、オレもその立場ならそうする。
相原はそれを聞いて動揺してたけど、案外ウブなのかもね。」
「野呂は?」
「意味が分からないって顔してた。この前の晩のこと、知らないわけだからそうなって当然だよね。」
ブランコから降り、私を一瞥する。
「……大丈夫だよ。
野呂は、岸たちのおかげで変わったから、自分なりにちゃんと考えて、まとめてる。心配しなくても歩けるよ。」
私が心配してたのが分かったのか背を向けたまま話す。バレてしまったことは癪だが、実の兄が言うのだから間違いないだろう。
「そうね。」
「…そう、じゃあオレはハンモックで一眠りしてから戻るから。一ノ瀬のところ行ってあげれば?」
「分かった。」
私たちはその場で別れ、食堂への帰路についた。
「岸。」
「うおっ、細野。」
旧校舎の前を歩いているところでたまたま出くわす。
あまり眠れていないのかクマができている。最近まではよく動いてよく食べてよく寝て、まるで健康優良児のような生活をしていた彼からは想像もできないような顔色だ。
「岸、今から10分だけ時間くれないか。」
「いいけど…何の用?」
「長くはかからない。少しだけ移動してもいいか?」
「どこに?」
「…裏庭。」
「……まぁいいけど。」
早く一ノ瀬のところに行きたかったが10分くらいならいいか、と呑気についていく。
後から己の記憶力の悪さを呪うことになるのだが、永瀬の忠告はすっぽりと抜けていた。
裏庭に着いた私たちは体育館横の、コンクリートの階段に腰を掛ける。
私は無意識に人一人分空けて同じように腰をかけた。
「で、話って?」
細野は覚悟を決めたように、深く、息を吸う。そして、吐く。彼は真剣な目でこちらに向いた。
その瞬間、私の中の警鐘が大きな音を立て始めた。
でも、動けない。逃げられない。
「岸。」
後悔は、後先立たずってやつだ。
「オレと、ゲームを降りてくれないか?…それで、全部終わった後でいい。オレと付き合ってくれないか。」
私は目を丸くする。でも、答えは決まっていた。
「ごめん、無理だ。私はゲームを降りる気もないし、細野と付き合う気もない。」
細野は傷ついた顔をしたが、諦めたような、それでいて往生際の悪い言葉を放った。
「告白は…ダメ元だ。だが、ペアになってほしいっていうのは諦められない。」
かなり強い力で肩を掴まれる。変な汗が額に滲むが、なぜか内心は冷静だった。というか思考がまとまらなすぎて、取り乱すことができなかった。
「どうして私なの?」
「あの2人が、敵わないからだ。」
おそらく、細野は2人が私たちに相談していることを知っていたか、または予想できていたのだろう。
なるほど、と私は納得した。
そして言い返そうとした時だった。
「オイ!細野、手を離せ!」
永瀬の怒鳴り声が聞こえた。
細野は背後から聞こえたため反応が遅れたらしい。彼の姿を認めた時には、永瀬がすでに細野の肩を捉えていた。
私は手が緩んだ隙を見て細野から距離を取る。
それで、自らの手が緩んだことに気づいたのか、細野はわずかに表情を歪めた。
「予想通りかよ…クッソ。」
永瀬はため息を吐いた。
予想通り?どういうことだ?
「…細野、お前何してんだよ。」
「告白と、ペアの提案だが。」
「嘘つけ、後半は聞いてたからな。」
細野の手首をぎりっと握りあげる。お互い表情は変えない。
「ペアは諦められないって言ってたよな。場合によっては、脅迫だぞ?それ。」
細野はその言葉でハッとしたように私を見た。そこで私も、細野も、現状を把握した。
永瀬は2人がよく分かっていなかったことをそのリアクションで初めて理解したらしく、呆れたような顔をした。しかし、すぐに細野を睨みつけた。
「疑い深いお前なら、分かってると思うけどよオレはお前のこと、信じられねーからな。
あと、しばらく岸に近づけさせねぇ。…あと、あの時食堂にいたメンバーには言わせてもらうぞ。ちゃんと、お前のゴタゴタは自分で決着つけて、それからコイツにちゃんと謝れ。」
「………。」
「話はそれからだ。岸、行くぞ。」
「へ、あ?うん。」
次は永瀬に手を引かれ、食堂へ向かって行く。
今日は自分のペースで歩けない日だ。
宿舎近くまで行くとやっと手を離してくれた。
しかし、永瀬はこめかみに血管を浮き上がらせており、今にもキレそうな顔をしていた。
「岸!お前の耳は飾りかよ!」
「ご、ごめん!」
忠告を無視したことを咎められていることはすぐに分かった。私が悪いことは明らかであったため、すぐに謝った。
「……もしかして、日向に聞いたことって。」
永瀬はうっと言葉に詰まったが、観念したように話し始めた。
「そうだよ。お前は気づいてなかったみてーだけど、いつぞやの朝にお前と細野が2人きりで話してたとこ、日向が出くわしたらしーじゃねーか?」
「ああ…そんなこともあったね。」
「鈍すぎかよ…。いいか、それ、告白されかけてたんだからな!」
マジか。私は驚いて言葉が出てこなかった。
さっきまでの覇気はどこにいったのか、彼は肩をすくめてみせた。
「…それを見た日向がオレに教えてくれたんだよ。自分が岸にべったりするのはおかしいからって。」
「なるほどね。」
私は頷いた。それなら私に言えなかったのも納得だし、2人で話すのもおかしくない。
「いいな。お前はしばらく、青島か一ノ瀬といろ!いいな!アイツらはマジでバカなくらいお前のこと大好きだから!」
「ああ…うん…。」
永瀬の剣幕に押され、私は頷くしかできなかった。
私は永瀬に勧められた通り、食堂で一ノ瀬と合流した。永瀬はこの前、食堂にいたメンバーを揃え、今夜もう一度作戦会議をしようという話になった。
ちなみに永瀬に貰ったメモを見せたら細野の筆跡だと教えてくれた。
その待ち合わせまで待てなかったほどに、追い詰められていたということだ。決して私には応じることはできないが、少しだけ、同情した。
午後は一ノ瀬とゲームをして過ごし、夕食を摂ったあと部屋に戻る。
永瀬とは22時に約束をしているため、それまでは風呂に入ったりしていたが、ほかは暇を持て余していた。
あまり早く行って怒られるのも気に障るため、私は時間ギリギリに行った。
食堂に行くと、橘、相原、そして永瀬がいた。
「あれ?日向は?」
「声はかけたけど全然反応なくてよ。部屋にいる様子もねーし…まぁ仕方ねー…後でオレが伝えとく。」
「……この集合は朝のことについて?」
相原が朝とは打って変わって落ち着いていた。
こっそり橘に尋ねると、どうやら朝に加瀬と新倉が話しているのを聞いており、それを見て、もしや修羅場が生じるのではないかと懸念してとったリアクションだったそうだ。
「ああ、それと、情報のすり合わせだ。橘からは朝のことについて聞いたけど、相原の口からは聞いてないし…それにオレと岸からも話さなきゃいけねーことがあるしな。」
そうも言いつつも、永瀬はあまり私に話させる気はなさそうだ。
まず、橘の話は私も聞いた通りの話だった。次に相原だ。
「私も、大体は橘が言ったのと同じだよ。
ただ…私はその提案が、どうしても細野とペアになった方が付き合うとか、付き合わないとか、それだけじゃないと思うんだよね。」
「どういうこと?」
橘が理解ができないというように首を傾げた。
「勘だけどさ。あの2人が、そんな安直な考えしか話さないと思う?ゲームには最低限ルールが必要。
何も取り決めをしなかったら周りからの妨害だって入るかもしれないし、逆にお互いが常識外れなことをするかもしれないんだよ?」
「………。」
心当たりのある橘は何も返さない。
「…ただ、そのこと明かしちゃえばさ、他の人はほとんど邪魔しないはずだよね?自分と関係のないところでペアができるわけだからさ。」
相原と私の思考は同じらしい。永瀬も頭をかく。
「まぁ、当事者になりかけたのが、岸なんだけどな。」
「どういうこと?」
「……細野にペアの申し出をされたんだよ。私が新倉と加瀬を抑える力があるってね。」
「物理的に押し倒されてなかったっけ?」
橘が首をかしげる。ごもっともな意見だが、そういうことではない。
「新倉と加瀬が、私たちに相談をしていたことを知ってたの。ある種、私が恩を売ったってことになるし、細野的には2人が私に弱味を見せたってことになってるんじゃないかな。」
「…オレも同じ条件だけど、細野は岸のこと、割と好意的に見てたからな。辻村や梶山同様、無害なやつ認定していたんだろ。」
永瀬は細野が悪者にならないよう、かつ私への告白を伏せてフォローしてくれた。
「しかも事情を知ってるから同情して、ペアを組んでくれるって思ったんじゃねーかな?」
「確かに刹那、お人好しだもんね。…でも、あれ?何か…。」
相原が不思議そうに首を傾げる。何かが引っかかっているようで首をぐんぐん傾げている。
「どうしたの?」
「いや…なんか、今穴があったような…。」
「穴?」
「やっほー!遅れてごめんねー!」
「うおっ!」
絶妙なタイミングで扉を派手に開けて日向が入ってきた。
「ひどくない?見知ったメンバーなのに、オレを呼んでくれないなんてさ!」
「呼ぼうと思ってもお前がどこにもいなかったんだろ!むしろどこにいたんだよ!こっちは大変な目に遭ってたんだぞ!」
「えー?別に?浦クンにかまってもらってただけだけど?」
なんとも確認しにくいアリバイだ。
「それよりどう?そろそろ細野クンも動いた?」
「お前の読み通りだよ。」
やっぱりね、と笑顔のまま呟き肩をすくめる。
「分かってたのに何もしなかったの?」
「そうだよ。オレね、これだけは嘘偽りない言葉だけど、人の恋愛にはなるべく首突っ込みたくないんだよね。おおよそ拗れるじゃん…。」
「分かる。日向と同じなのは癪だけど。」
「ゲーム掻き回す分にはぜひ首を突っ込みたいんだけどね。」
「最低だな。」
永瀬が頭を抱えた。しかし、相原は納得いかなそうな顔だ。
「もし、この件に関して相原サンが何かしたいなら、オレは手を貸さないよ。だって君に手を貸しても局面は変わらないからね。これに関しては君は無力なんだよ。」
相原は言い返さない、というより言い返せないが正しいだろう。
「分かった…日向が考えを変えないまでゲーム会しないから。」
「「え?!」」
ちなみに声をあげたのは永瀬と私だ。橘も目を見開いているあたり、驚いたのだろう。
しかし、日向は一瞬眉を顰めるに留まり、驚くべき発言をした。
「別にいいよ。というか、元々オレがしようって言ってたことじゃないんだけど?何で君がやってくれてるみたいな感じになってるわけ?」
「えっ、お前楽しんでたよな?」
永瀬も、つい言葉に出してからハッとしたようだ。決して口を出すつもりはなかったようで気まずそうに視線を逸らした。
日向は私たちの様子に呆れたようなリアクションをしながら無表情で話し始めた。
「もういいよ、教えてあげる。
最初は楽しんでたよ?でも、だんだんしつこくなってきてさぁ、日中まで付き合うとかやってられるわけないじゃん!オレはリアルゲームをしに来てるんだからさぁ!」
「は?」
その相原の声もまた無機質で、感情が読み取れない。
「君は、もう少し自分勝手だっていうことを自覚するべきじゃない?」
「ちょっと、日向。確かに相原は少し子供っぽいけど、相原が決定的に選択を間違ったことはないし、助けられてる人もいる。決めつけるのはおかしいよ。」
相原のいい所。
間違ってはいないはずだ。そこを、殺しちゃいけない。
しかし、日向は私の言葉に聞く耳を持たなかった。
「へぇ、そこで岸サンが出しゃばるんだ。…分かった、はっきり言うよ。
オレは相原サンのこと、嫌いだよ。」
場が凍る。その様子を見て、日向は冷たい笑顔で、おやすみと言い放つとその場から去っていった。
そんな静かな水面を揺らすような言葉に衝撃を受けつつも、冷静な頭の隅で、何をしに来たんだろう、こんな残酷なことを伝えに来ただけなのかと疑う自分もいた。
ふと相原を見やると驚いた。
無表情ながらに、涙をぼろぼろ零していた。永瀬も同じようで慌ててティッシュを持って来た。
「相原、涙拭けよ。」
「へ?!あ、私、何で、泣いてるの…?」
自覚していなかったのか。
「あんな言い方ねーよな!」
永瀬が肩を叩くと呆然としながら首を横に振る。
「嫌い、なんて言われ慣れてるのに、何で?ゲームオーバーしたわけじゃないのに…分からない。分かんないよ…。」
「…今日は解散にしようか。」
橘の言葉に私も永瀬も頷いた。もちろん他の者もそれ以上かける言葉を持ち合わせていなかった。日向の言葉が、嘘か本当か、定かではないまま、夜の会議は終幕を迎えた。




