27日目 迂遠な追撃
「あ、刹那、おはよう!」
「おはよ…相原1人?」
いつも通りの時間に行くと不安そうな顔の相原が駆け寄ってきた。早く来るメンバーは日向をはじめ、誰も来ていない。鬼頭は先程会ったが、細野は珍しく外に出ていないようだった。
「1人?」
「うん。……さっき部屋にも行ったんだけど出てこなくて。寝坊だったらいいんだけど。」
「……。」
昨晩の不穏な日向の様子からして、何か企んでいる可能性もある。はたまた、あの弱気な発言、意外にも男女関係に対してはナイーブなところもあるのだろうか。
「あらら、岸サンは相変わらず早いね。」
「お前いつもこんな時間からいんのかよ…。」
2人の声がして振り向くと珍しい組み合わせ。仲が悪いためあまり言葉を交わさない日向と永瀬。私も相原も意外な組み合わせに目を丸くした。
「寝坊?」
「相原サンじゃあるまいしそんなことするわけないじゃん。」
日向はけらけら笑いながらそちらへ行った。永瀬は居心地悪そうに私の隣に座った。
「珍しい組み合わせだね?」
「あー…新倉と加瀬こと、洗いざらい話せって。
アイツも新倉のことは元々知ってただろ?だからオレ達がまた新たに情報知ってんじゃねーかって。」
「なるほどね。それなら私に聞けばいいのに。わざわざ仲の悪い永瀬に聞くんだね。」
永瀬は一瞬眉をひそめたが、どちらともとれないリアクションだった。
「男同士の方が話しやすいこともあるだろ。」
「……何それ。」
「ちょっとゲスい話とか?」
「聞いて損した。というか、見損なった。」
「とんだとばっちりだろ!しかも聞いてきたのそっちだし!」
「おーす!何の話してんだ?」
少々汗を掻いた青島が食堂へやってきた。その後ろには鬼頭もだ。この2人の組み合わせもまた珍しい。
「……細野さんが珍しくいなかったんですけど食堂にも来てないんですね。」
「ああ、オレ朝見たけど顔色悪かったから今日はやめといたら?って話したよ〜。調子戻ったら出てくるんじゃない?」
日向の自然な嘘に青島も鬼頭も疑うことなく心配そうな顔をする。
「そうなのか…心配だな。出てこなかったら見舞いでも行くか。刹那、尚寛、付き合ってくれよ!」
「は?ダメだ!」
永瀬が青島に対して強く言う。どうも珍しいリアクションだった。
「何か用でもあるのか?」
「あー、ちょっとな。つーか、岸だって病み上がりだろ!もし細野が風邪で、またぶり返したりしたらどーすんだよ。」
「それもそうだな。」
「バカは風邪ひかないって言うから青島クンには分からない感覚だね!」
「確かにオレは風邪ひかな…、…?っておい!」
日向と鬼頭はけらけら笑っている。こういう時だけ手を組むのだからタチが悪い。
私も何となく気まずかったから永瀬の妙なリアクションは気になりつつも安息をついた。
「……岸、とりあえずこの後な。」
「……オッケー。」
暫くすると橘や加瀬、新倉も食堂へやって来た。
日向と橘は変わらずキッチンスペースで何やら話している。一方で、新倉は明らかに加瀬を敵視している。相原は、こういう時はポーカーフェイスをうまく装っている。
「刹那ちゃん、おはよ!」
「ああ、おはよ…。」
「何か空気が淀んでる気がするけど…ま、気のせいか!」
一ノ瀬はにっこりと笑う。一ノ瀬のこういうところは割と侮れない。私と永瀬はバレなかったこと、というか具体的に指摘が入らなかったことに安心しつつ、朝食を摂り始めた。
「でよ、どうする?」
「どうもこうもないけどね。」
「だよな…、つーか新倉が突飛なことしないければ当面は問題ねーのか…?」
今日は、新倉は野呂と相原、鬼頭と過ごしており、加瀬は神崎と過ごしている。一方で細野は辻村、青島と過ごしているらしい。青島は誘いを受けた、と驚いていたが、昨日のメンバーとは顔を合わせづらいだろう。それに辻村もいるし。
「……岸は、何ともないんだよな?」
「え、風邪の話?」
「んん…まぁ、そうだな。」
煮え切らない言い方だ。
「何か気になることでもあるの?」
「ああ…そうだな。お前、暫く青島とか女子と一緒にいた方がいいぞ。」
唐突に意味の分からない忠告をされ、自分の顔がしかめっ面になったのが、よくわかった。
「……どういうこと?」
「あー、…うん、気にしないでくれ。」
「……。」
今日の永瀬は何だかおかしい。疑いつつも、永瀬が不自然に話題転換してきたのでとりあえず乗っかっておいた。
「あ、刹那ちゃん。」
「新倉。」
あれ?と私は首を傾げた。
思ったよりも顔色がいいのだ。細野の件があったにも関わらず、案外ケロッとしている。永瀬もそれを感じたのか怪訝な表情をした。
新倉はちょうど新校舎から出たところらしく、何やら画材を抱えていた。
「それは?」
「ああ、これですか?私、結構絵を描くのが好きなので気分転換に、と思いまして。」
「へぇ、そうなんだ。」
永瀬と私は目を合わせる。お前が聞けよ、とお互いに。
「……あのさ、新倉は響いてないの?」
「…細野くんの件ですか?」
「うん…。」
緊張感の走る私と永瀬に比べ、笑顔を絶やさない新倉。日向や浦のような、寒気の走る笑顔だ。
「響いてない、と言ったら嘘になりますが。でも、私は私なりにちゃんと整理してます。これからどうすべきなのか。
…加瀬さんの暴走は私が止めます。細野くんのことも、私が助けます。」
その目は、橘のように何かを決意した目。彼女は様々な色を映す。
「……新倉、余計なお世話かもしれねーけど、あんまり1人で抱え込むなよ。」
永瀬の言葉に新倉は微笑みをこぼす。
「分かってます。2人のことは信頼してますから。」
そう言うと新倉は私たちの前からいなくなってしまった。
橘の時は、追いかけられた。しかし、今回の私達は追いかけられなかった。
新倉のこと、彼女の感情が分からなかったから。
食堂に着くと、永瀬は梶山に呼ばれ、どこかへ行ってしまった。残りのメンバーは青島と一ノ瀬と、野呂、鬼頭、そして細野だ。
「おっ、刹那!」
「岸。」
青島が犬のような尻尾を振っているように見えた。そんな彼の声の後ろで細野が私を呼ぶ。
「午後暇か?」
イエス、と返事をしそうになったが、ふと青島との予定を投げっぱなしなのを思い出す。
「……青島と約束ある。」
「そうか、ならいい。」
細野の後ろで青島が目を丸くしたが、私の意図に気づいたのかこちらにふらふらとやって来て満面の笑みを見せた。
「悪いな、光!刹那には埋め合わせして貰わねーといけねーんだわ!」
嫌そうな顔が出ていないだろうか。組まれそうになった手をぺいと振り払い、私も昼食に入った。
「ねぇ、千明ちゃん、真緒ちゃん。
ちょっと無遠慮かもしれないけど聞いていい?」
「いいよ。」
野呂も鬼頭も頷く。
「ペア、なってどう?やっぱりゲームの重荷は少し減る?」
「確かに、しんどいなら降りちまった方が楽だもんな。」
私はふと細野の顔色を伺うが、読めない。いつも通り固い表情だ。
「私は…正直降りちゃって楽かな。それに、開示したのが、橘くんだから気楽かな。試練にあまり関わらなくていいっていうのもあるけど…信頼できる人と開示するのは気が落ち着くかな。」
「後半は分かりかねますが、女子を守るのに集中できますからね!」
今の言葉を辻村が聞いていたら号泣だろう。清々しい顔をしているが、きっと照れ隠しだと信じたい。
「ふーん、そうなんだ。」
「聞く割にはする気ないですよね。」
「まぁね。あ、刹那ちゃんがしてくれるなら別だよ!」
「だから私はする気ないって…。」
「そっかぁ。残念。」
一ノ瀬は唇を尖らす。
「まぁしなきゃ大変なことになる、とかなら考えるけど。」
「大変なことって?」
「…校舎爆発とか?」
「何言ってんだよ刹那!」
青島は何が面白かったのかゲラゲラ笑っている。野呂や一ノ瀬もどこか面白そうに笑っていた。
正直なところ、野呂を始め試練の的になったメンバーは総崩れだったと思う。でも、立ち直ってまた笑顔で過ごせるのはいいことだ。
内心でほっと息をついていると、何やら細野から視線を感じ、そちらを振り向く。
「……何、細野。」
「いや、何でもない。」
「何ですか、不躾ですね!」
私達の間に鬼頭が入ってきた。昼間彼のこと心配していた心優しい彼女はどこへ行ってしまったのだろう。一ノ瀬がまぁまぁと宥めているのを私は他人事のように見つめた。
話が一通り終わると約束通りに青島と裏庭に出かける。
「何か刹那と2人で散歩すんの久しぶりだな!みんなで遊ぶのも好きだけど刹那は亮輔といるみたいな安心感があるわ!」
「そう。」
にこにこ笑う青島にそっけない返事をするが、青島は慣れたもので特に気にした様子はない。なんだか理解されている感じが、逆に違和感につながる。
「そういえばさ、永瀬に何か聞いてる?」
「何を?」
「……いや、聞いてないならいいけど。」
「なんだよ隠し事かよ〜。つれねーの。」
唇を尖らせているが全く可愛くない。にしても、永瀬はなぜ女子か青島といるように言ったんだろうか。しばらくはついて回ってみるか。
「まぁいいや。床下の調査、やってこうぜ!」
「最近雨が多かったから文字が消えてなければいいけど。」
「最初からほぼほぼ消えてるよーなもんだし気にしても仕方ねーだろ。」
それもそうかと納得し、私たちは体育館下の調査を始めた。
夕方くらいまで調べたが見つけたのは紙切れ1枚。
『音……く聴け。』
「音楽室か?」
「……野呂と橘に聞いてみようか。よく出入りしてるし。」
「そうだな。服着替えてから食堂で合流な。」
「わかった。」
幸い、帰り道は誰にも会わずに寮まで戻ることができた。汚れを軽く流し、食堂へ向かう。やはりどう転んでも青島の方が出てくるのが早く、青島はのんびりスマホをいじっている。
人がいないとはいえ、青島がスマホとにらめっこは珍しい。
「お待たせ。」
「おう。…何だ、変な顔して?」
「青島がスマホ弄ってるの珍しいと思って。」
「ああ、最近亮輔にスマホのこと色々教えてもらってさ。オレあんまりスマホとかゲームとかやらなかったから物珍しくて。」
「…私携帯持ってないけど。」
「マジか!ま、そっか。」
青島は電源を切り、立ち上がる。
「でも、皆意外なところあるよな。冬真はゲームとか色々詳しいし、逆に瑞樹とかはほとんど今までやり込んだことないんだって。」
「あれだけやってるのに?」
「そ、不思議なもんだよなー。」
何やかんやそれなりに2人とも会話をしている青島はさすがだと思う。青島があまり詳しくないため説明は分かりにくかったが、それなりに聞いたようだ。
今日は橘と野呂は一緒に過ごしていないらしい。橘は梶山と永瀬とゲームをしており、野呂は中庭で新倉と絵を描いていた。
野呂は風景画であるが、新倉は…何だこれは。
「人?」
「っきゃああああ!!!急に声かけないでください!」
「ごめん…。」
見られて恥ずかしいものだったのだろうか。それとも隠したい絵だったのだろうか。
野呂は苦笑いしつつこちらを見ている。
「何か用ですか?」
「ちょっと野呂に聞きたいことあって。」
「……なに?」
「音楽室で何か見つけたりしてねーか?」
新倉と野呂は顔を見合わせた。確かに青島の質問だとあまりにも簡略化されすぎている。
「具体的には?」
「……ネット環境とか。」
青島はこれ以上話したらボロが出そうだったので私がフォローを入れた。
その言葉に対して、察したらしい青島は何度か頷くのみ。
「ネットかぁ。確かにコンセントはいっぱいあるけど…でもケーブル挿す所はなかったと思うよ?
橘くんも一通り見てると思うし。」
「そっか。ネット環境探してるから見つけたら教えてもらってもいい?」
「分かった。」
野呂は素直に頷くが、新倉はどこか納得行かなそうな顔だ。
「なぜネット環境を?」
「橘くんとか相原さんがオンラインゲームやりたいんだって。」
「あと、こんな状況だからいつでも外と連絡取れる手段確保はしたくない?」
「……それもそうですね。」
間違ったことは言っていない。しかし、完全に新倉の問いに答えたわけではなかった。新倉はそのことに気づいておらず、お邪魔しましたとにこやかに言う。もちろん私もそこそこにお辞儀を返しておく。
青島なんかは余所余所しいなと笑っているが。
夜になると鬼頭と翌日の約束をし終えた私は食堂でのんびりと暖かい紅茶を飲んでいた。窓の外を見ていると、トレーニングに行っていたらしい青島や鬼頭、細野が慌てて戻ってくる様子が見える。今日は他にも新倉や野呂も遅かった。
絵の作製が捗ったのだろうか、私はのんびりそんなことを考える。
山の中なのか、8月にも関わらず、夜はだいぶ涼しい。
「あれ、岸サン1人?」
「日向。」
日向の手を見るとたくさんのファイルとルーズリーフを持っている。
「勉強?」
「バレた?いやー、オレ勤勉だからさ!」
ヘラヘラ笑う日向に説得力はない。
「オレはもう寝るけど岸サンも早く部屋に戻った方がいいよ〜。」
「……そういえばさ。」
ん?と日向が振り向く。
「何か、日向と話してからの永瀬がよそよそしいんだけど何か知ってる?」
「えー、知らないよー。
あ、ゲスい話振ったから初心な永瀬クンは態度に出ちゃったのかなー?聞きたい?聞きたい?」
「…別にいい。」
「ムッツリ?って弄ろうとしたのに本当に興味なさそうだね。」
日向が悪い顔をしながらにじり寄ってくるため鬱陶しくなってきた私は日向の言葉を背にしながら自室へ戻った。
何だか、日向にうまく誤魔化された気がしてやまないが仕方あるまい。自分の保身のためだ。
私は明日のために風呂の準備を始めた。
そのため、ドアの隙間から差し込まれたメモに気づくのはだいぶ後のことであった。




