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武将歌姫伝  作者: 兵藤晴佳
3/3

見送られるアイドル、見送るファン

 かつて鬼が出たという険しい高賀山の麓に、板取いたどり川という渓流がある。現在の関市板取から洞戸ほらどを経て、長良川に合流する。その辺りが、今では郡上市美並(みなみ)と美濃市の境となっている。

 ハダレが同じ郡上の悪党、ヒギリ(氷霧)に常縁の馬の轡を渡したのも、その国境くにざかいだった。

 といっても、下総に向かう軍勢で、それに気付いた者はないようだった。常縁は知っていただろうが、敢えてそれを口にしなければならない理由もない。

 ヒギリは、ハダレよりも小柄である。ハダレと同じように笠を目深にかぶってはいるが、悪党の看板に似合わず、その手足は「しなやか」というよりも「たおやか」というのが似つかわしい。

 その歩みは、空を駆ける雲の上を行くかのように軽い。馬の蹄と後に続く軍勢のせいで分からないが、ヒギリは足音ひとつ立ててはいない。

 常縁がいたわりの声をかけた。 

「疲れてない?」

 名前は呼ばない。その必要はないからだ。人は違っても、役割は同じである。主として声をかける相手は配下であって、それぞれの人ではない。

「まだ一刻(2時間くらい)も歩いてないから」

 答えたヒギリは、常縁の馬の轡を受け取って、郡上の外の街道を行く。それはハダレよりも経験を積んだ忍びであることを意味していた。だが、その声は若いというよりも幼い。

 何やら気負うヒギリをなだめるように、常縁は遠い目をして言った。

「井ノ口に着く頃には日も暮れてるんじゃないかな」

 井ノ口とは、現在の岐阜市である。ただし、斎藤竜興を破った織田信長によって改名されるのは100年ほど先になる。

 そこまで待てというわけではないが、ヒギリは「ごゆるりと」と慇懃無礼に返して軽口を叩いた。

「着いたら私、お土産でも探しに行くから」

 井ノ口すなわち岐阜から何を持ち帰るといっても、この時代はまだたいしたものはない。織田信長の楽市楽座でここが栄える頃とは、西洋の数え方で1世紀違う。


 長良川沿いをやってくる軍勢も、百々(どど)ヶ峰の上から見ると芋虫が這っているくらいにしか見えない。

「思ったより少ないな」

 この井ノ口で最も高い山にわざわざ登った斎藤妙椿はスマホからつないだイヤホンを外して、足下に控えた津和野つわの三蔵に語りかけた。

 本人も分かりきっていることを敢えて尋ねるスキンヘッドの主に、屈強の従卒は大真面目に答えた。

「郡上ではこれが精一杯かもしれません……人も馬も兵糧も」

 郡上はほとんどが山である。耕地など、たいしてない。現在は安久田あくだの山肌で栽培されている南天は日本全国に知られているが、これも痩せた土地で人が生き抜くための知恵である。500年以上も昔では、そこにどれだけの人がどれだけの作物を育てて細々と暮らしていたことであろうか。

「東常縁の軍勢だろ? 来るって聞いた時は期待したんだけど……ハズレだったか」 

 そう言いながら斎藤妙椿がこんな山の上まで東常縁を眺めに来たのには、わけがある。

「ご期待は別のところにあったのでは?」

 三蔵のツッコミに、妙椿は振り向きもしない。

「うるさい」

 斎藤妙椿は美濃守護代であった斎藤宗円の子として生まれた。幼い頃に出家していたが、寺にいる間に世の中は随分と物騒になっていた。

 もともと室町幕府に反発していた鎌倉公方足利持氏が関東管領上杉憲実に対して兵を挙げたのである。憲実の求めに応じて幕府が援軍を差し向けたため、翌年、持氏は敗死した。

 因みに、その遺児が担ぎ出されたのが、かの曲亭馬琴による奇書『南総里見八犬伝』の発端となる結城合戦である。この戦に敗れて落ちのびた里見義実に娘があり、後に八犬士に仁義忠孝礼智悌信の8つの珠をもたらすのである。

 もっとも、八犬士と関わるのは足利持氏の遺児、成氏が古河公方となってからであるが……それはこの際どうでもいい。

 それはそうとしてこの津和野三蔵、剣や槍の腕は既に、兄である斎藤利永の家臣の中で一目置かれていた。兄がいらぬお節介で付けた護衛は冗談めかして言う。

「これで郡上はほとんど空ですね。……お獲りになりますか?」 

 妙椿は露骨に顔をしかめてみせる。

「バカ言え」

「そうですよねえ」

 後ろに控えていてしかめっ顔が見えない三蔵は、言いたい放題である。

「ファンですもんねえ……ヨリちゃんの」

「てめえバラしたら殺す!」

 百々ヶ峰の上に立つ妙椿の怒号に応えるかのように、天からの風がどっと吹き付ける。

 そうなのだ。

 妙椿の手にあるスマホには、「せんごく・net」で東常縁がさっきアップロードしたばかりの歌が流れている。

 寺で暮らす間に「せんごく・net」をこっそり見てハマったのが、京で開かれた常縁のライブ中継だった。部下には基本的に内緒だが、三蔵だけには知られている趣味である。これだけ言いたい放題言われても妙椿が許さざるを得ないのは、この秘密を握られているからであった。

 早い話が、わざわざ山登りをさせるほど、常縁のステージは僧形の身にも心躍らせるものであったわけである。もっと突っ込んで言えば、妙椿のやっていることはごくごく控え目な「出待ち」にすぎない。

 関東の動乱などどこ吹く風、妙椿は兄の威光を笠に着て京から高僧を迎え、常在寺なんてものを建てたりしているのだ。無論、これは常縁のアイドル活動支援ルートの隠れ蓑であったわけだが……。

 彼は寺の一画を占める持是院でひっそりと時を過ごしているが、三蔵さえも入れないその一室には、地下ルートで取り寄せた、妙に精巧な似せ絵だの人形だのが万屋よろずやの如く並べられ、異様な空間を構成している。

 この寺は後に、斎藤道三が美濃を支配するのに拠点とするのであるが、その頃にはもう、そんな痕跡はあるまい。もし、「美濃の毒マムシ」と言われた道三が知ったら、どんな顔をするであろうか。

 もっとも、今の妙椿にとって、そんな100年も先のことは知ったことではない。同じ時間を生きるアイドルの隠れファンとしてできることは、僧侶の姿で井ノ口で最も高い山に登るくらいのことしかない。

 その背中から、斎藤利永の放った三蔵は、政治向きの話を持ち出した。

「殿はこの戦、関東だけでは収まらないだろうと」

「まあ、そうだろうな」

 関わりたくないはずの話に事も無げに答えられるのは、それなりに修行を積んでいるからであろう。妙椿は日本のあちこちに広がると読んだ戦について、まず、その来し方を淡々と語り始める。

「もともと関東管領は鎌倉公方と仲が悪い。先の永享の戦で持氏が京の上様に逆らった時に、仲を取り持とうとしたのが裏目に出たんだな。味方に付かない奴は敵だってのもちっちぇえが、持氏が死んで成氏の代となったってのに、憲実の跡を継いだ憲忠と未だにガンの付け合いってのはもっとちっちぇえよ」

 百々ヶ峰の山頂は、風が強くなった。風は曇り空から、重さを孕んで吹き付けてくる。津和野は妙椿の話を遮った。

「雨になりましょう」

「悪い、もうちょっと、もうちょっと」

 妙椿はのろのろと近づいてくる東氏の軍勢を見つめながら、戦の現在を語った。

「持氏は鎌倉公方として、常縁ちゃんが加勢に向かう千葉家だけじゃなく、もともと相争っていた小山家と宇都宮家もまとめた。関東管領やってる憲忠は、そりゃ面白くないだろ」

 妙椿は不意に、長良川の向こうにある金華山に目を遣った。その先には、稲葉山城がある。廃墟と化していたのを、兄の斎藤利永が居城として立て直したものだ。無論、100年の後に井ノ口を岐阜と改めた織田信長がそこから天下を睥睨することになるのだが……。

 そんな時間の彼方を妙椿は想像する由もない。彼が眺めているのは、同じ時代のもっと遠くの方だ。

「関東管領は憲忠殿の上杉…つまり山内家が代々継いでる。そこを仕切る長尾景仲は、永享の戦で持氏が自ら降った相手だ。長尾も鎌倉公方に刃を向けたくはなかったろうが、知らんぷりをされてはな」

 妙椿は深い溜息をついた。持氏が重んじたのは結城氏、里見氏、小田氏といった関東八屋形の名家である。三蔵は皮肉っぽくつぶやいた。

「子供のケンカですね」

「男だからな、いくつになっても」

 ちらと振り向いた主人に、三蔵は顔を伏せて言った。

「じゃあ妙椿様も」

 弱みを握ってはいるが、そうでなくても長く仕えて、主君の弟にこのくらいの冗談を言える関係にはなっている。妙椿も子供のように、にかっと笑った。

「坊主は男じゃねえんだよ」

「失礼いたしました」

 頭を下げる三蔵に、妙椿は何やら考えるように背を向けた。

「上杉家にはもうひとつ、相模守護の扇谷おうぎがやつ上杉家がある。こっちを仕切る太田道真も、関東管領につかなくちゃな」

 妙椿は曇り空を仰いだ。彼が口にした太田道真の子が、江戸城を築いた太田道灌である。100年後、その江戸城に入った徳川家康は265年も続いた幕府を開くことになるのだが……今はまだ、室町幕府の時代である。

 三蔵はその背中を見つめて問いかける。

「この度の戦は、鎌倉公方が憲忠殿を騙し討ちにしたことが元だったとか」

「去年のことだな」

 妙椿はいささか呆れ気味に言った。

「元はといえば、長尾と太田の我慢が足りねえ。こないだの江ノ島の戦な、あれで成氏を攻めたけど、勝ち目なかったろ? 引き分けがいいとこだ。ま、和議は成ったが……。勝てなかったら、ほら、足利成氏は鎌倉公方だろ? いいようにされるなんて分かってたろう」

「その長尾殿の留守中に」

 三蔵が口にした関東管領の不幸な運命を遮るように、妙椿が言葉を引き継いだ。

「そうそう、鎌倉の御所に憲忠を招いてな」

 それが暗殺の場所だった。殺したの殺さないのという言葉は、口にするのも口に刺せるのも避けたかったらしい。

 三蔵は三蔵で、別に成氏を悪者扱いする気はなかったようである。

「幕府に告げたのは良い知恵だったんじゃないですか?」

 成氏は何度となく、幕府に憲忠暗殺について弁明する書状を書き送っている。シラを切るよりはまだマシだったろうが、そもそも憲忠にも上杉家にも非はない。いかにその家臣が暴発したからと言って、とても正当化できるようなことではなかった。当然のことながら幕府には無視されたが、妙椿にしてみれば別段、成氏の行動に不思議はなかったようである。

「大義名分ってヤツだ」

 早い話が、鎌倉公方として意地を張ったわけである。言い換えれば、幕府に対してのあてつけだった。

 とはいえ、実はこの頃、転戦の留守を幕府方に突かれて鎌倉に戻れなくなった足利成氏は、古河に逃れている。古河公方と呼ぶべきなのだが、2人ともまだ、それを知らない。

 下総から伝わってきたのは、古河公方の足利成氏に付いた千葉氏分家の馬加康胤と重臣の原胤房が、本家の胤直と胤宣の父子を倒して家督を奪ったこと……つまり、東常縁出陣の原因だけであった。

 それを思い出したのか、三蔵は更に問うた。

「もちろん、将軍様は放って置いたりなさらないのでは?」

 まるで他人の指す碁や将棋の局面を読んでみせるかのような、もっともらしい物言いが返ってきた。

「だ~か~ら、常縁ちゃんを差し向けたんでしょ、千葉本家を守れってと」

 そう答えた妙椿は目を細める。その先では、東常縁の軍勢が長良川沿いを日野の辺りまでやってきている。

「同行なさるのは酒井定隆殿とか」

 三蔵が誇らしげに言うのは、妙椿がどう応じるか予想がついていたからだろう。美濃守護代・斎藤利永の弟は、ゆっくりと頷いた。

「ああ、浜春利(はるとし)んとこのボーヤな」

 浜春利は美濃を守護する土岐氏に連なり、その守護代である斎藤家とは縁がある。その名を口にした妙椿には見えない背中から、三蔵はにやりと笑いかける。

「今夜の宴にはいらっしゃいますか?」

「宴?」

 妙椿は、濃い眉をしかめる。背後に控える三蔵に見えはしないが、空気は察したらしく、怪訝そうに尋ねた。

「将軍の命を受けて、名門土岐氏の縁者を副将に、下総まではるばる赴くんですよ?」

「だから?」

 本当に分からないのか、分かっていて敢えて考えないようにしているのか、そこは三蔵にも見当がつかないようである。答えは、遠回しであった。

「兄君だって、接待の1つや2つ」

「俺、知らないし、そんなの」

 妙椿の声が怒りに震えている。とっさに三蔵は言い訳した。

「利永様から聞いてらっしゃるかと」

「あのクソ兄貴!」

 常縁をねぎらう宴が、利永の屋敷で開かれることになっていた。弟であれば、招きのひとつもかかるのが当然である。

「お前しゃべったろ」

「いいえ、何にも」

 冷ややかな口調が、かえって真実を告げている。妙椿は妙椿で平静を装っているが、眉はひくひく動いている。

「じゃあ何で」

「いつも言ってるじゃありませんか、そんなの坊主の行くところじゃないって」

 実を言うと妙椿の夜は、常縁のアイドル活動の秘密支援に割かれている。だが、こうなっては事情が違う。

「そりゃそうだけどよ」

 言い捨てるなり、妙椿は常縁の軍勢を眺めるのをやめて、さっさと山を下り始めた。足は妙に速い。三蔵は慌てて追いかけたが、なかなか追いつけはしなかった。

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