望まれていないお約束
「今日も一日ご苦労だったな。きゅーちゃん」
王子の寝室、ふかふかベッドの上にて、私は相変わらずほっぺたの辺りを思う存分モフられています。
顔は狐に似ていると言われた私ですが、ほっぺたの辺りはもちもちしているのでなかなか触り心地の良いスポットの一つらしく、王子は日課が終了したときや私を褒めたくなったときに、この部分をぐにぐにしたがるのです。
近頃の私の寝床は王子の枕の隣に備え付けてある私専用クッション。
さすがに掛け布団の中に潜り込むことは自重とお断り申し上げていますが、目覚めの挨拶に顔に優しくタッチングすることはもはや私の職務の一貫になっていました。
それにしても、お会いした当初は本当に整ったご容貌ながら、たとえるなら研ぎ澄まされ触れれば切れる刃物みたいなお方で、デレ声を上げられる度に密かに鳥肌を立てていたぐらいでしたが、近頃はそんな王子もとんと雰囲気が丸くなりまして、赤い目も怖いと思う事が少なくなってきたこと。
モフり方も当初のような余裕のない、獲物逃がさぬというばかりの強引なものでなく、相手を思いやりながらほどよく圧力をかけたるその様はまさに愛撫と描写するのが最適かと。
私もなんかテンションがおかしいですが、王子のモフテクニックが日増しに向上している副作用であると思われますので気にしないでください。
尻尾も翼もぱたぱた動かして全身で喜びと感謝を表現いたします。
ありがとう、ご主人様! ありがとう、ぐうたら生活!
と、不意にご主人様は私を撫でている手を止めて、顔をのぞき込んで参ります。
「この感動がわかるか? 私はお前と会えて、本当によかったと思っているんだ。今まではどんなに尽くしてもこの目だ、逃げられ続けてきた。……聞いてくれるか」
あら、これはひょっとして感慨深いご自分語りとやらでしょうか。先ほどお酒も飲まれてらっしゃいましたし、今日はそういうご気分で?
ペットはご主人様が他の誰にも言えない独り言を受け止めることも職務。私はご主人様に合わせてシリアスモードにチェンジすると、お行儀よく彼のあぐらをかいた膝の上にお座りして続きをうながします。
「きゅうん!」
さあ、お話しなさってご主人様! 私人語しゃべれませんから、秘密のぶちまけ相手にはもってこいですよ! 洗いざらい吐いていってね!
……でもできればこう、私が受け止め切れそうな、軽めの話題でお願いしたいな。なまじっか頭が人並みに回りますから、こう、あんまアレなこと言われると、秘密の遵守は保証するとしてその場のリアクションに困るかと。
ちょっぴり危惧しつつも、さあこい! と翼を広げた私に、クリス王子は赤い瞳を瞬かせ、黒髪をかきあげるようにしてから、ポツリポツリとようやく打ち明け話を始めます。
「私はな。元々臆病で引っ込み思案な子だったんだ。身体も弱くて、幼い頃はぜんそくもあってほとんど寝たきりで。特に視力が悪くてね、昔は眼鏡だったんだ。目を凝らして物を見る癖はそのとき染みついたものだから、今でもなんだか治せなくて。言われているから気をつけようとは思うんだが、こう、つい」
眼力の理由がここに来て明らかになるとは。
私はぶんぶん尻尾を振って続けて続けてと催促します。
「唯一いやしてくれたのが、家族からプレゼントされた犬のジャックだった。あまり長い間はいられなかったが、温かくて柔らかいものが側にいて自分を包み込んでくれると、痛さも苦しさも不安もすべてが溶けていくようで……」
なるほど、ご主人様がモフリストに目覚めたのは、ご幼少の経験からだったのですね。文武両道のわりにコミュ障気味だったのもなんとなく察しました。小さい頃から人と距離を置く癖がついてしまっていたんでしょうね。
私が興味深く聞いておりますと、彼は深く悩ましげに息を吐き出します。
おう、油断してる美形の横顔は心臓に悪いね! 思わず「きゅいっ」とか声出ちゃったけど相づちとしか思われてないみたいだ、よかったね!
「ジャックは本当にいい奴だった。だが、私が12歳の冬に、ついに……年だったからな、仕方なかったんだ。私は泣きながら、何人かに手伝ってもらって庭に彼を埋めた。お前も一緒に行っただろう? あの、木のところだ」
私は言われてふむふむと思い出します。
そういえば、王子はたびたび私を伴って、裏庭の一つの木に行っては手を合わせていることが何度かありました。
もしかして誰かのお墓なのかな、となんとなく感じてはいましたが、やはりそういうことでしたか。
うんうんとうなずいている私をなんとなく撫でながら、王子は続けます。
「最後のお別れだからと、皆私たちを二人きりにしてくれた。私は散々泣いたが、そうしてばかりもいられないのはわかっていた。これからはちゃんとしなければと、顔を上げ――そんなときだった。魔女が私の前に現れたのは」
はいはいはい、そこで魔女が……。
うん?
魔女?
あれっ?
揺らしていた尻尾がぴんと立ち上がりますが、王子は思い出に浸っているためか、私の些細な変化に気がつきません。
「私も本物に会ったのは初めてだったが、噂通りだったよ。黒い山高帽子に、黒いローブ、白い髪、赤い目の……見た目は妙齢の女性ぐらい、このあたりに泣きぼくろがあって。ああ、それと大きな木の杖を持っていた」
おや、雲行きが穏やかじゃなくなってきたぞ? 主に私にとって。
だってその外見、とても聞き覚えがありますからね。もっと言うと一人ぐらいしか思い当たりませんからね。
うわーいったいだれなんだろうなー知っている気がするけど気のせいだよねー外れているといいなあーうわー。
私はすっかり挙動不審に身体を揺らしながら目を泳がせていますが、王子は止まりません。
「魔女は私の話を聞いて、何故か私のことも大層気に入ってくれて。それで、この目をくれたんだ。黒髪なのに赤目なのは珍しいだろう? これは魔女がくれたもので、私の本来の目は黒色なんだ。魔女はすごかったぞ。ついでに一瞬で病弱な私の身体も治してくれて――どうしたきゅーちゃん。落ち着けきゅーちゃん」
ふっ。
ふふっ。
ふふふふふっ。
やばい、笑うしかない。あまりの動揺に心中の口調とキャラさえぶれている。
もうこんだけ揃えば嫌でも特定できるじゃない、馬鹿!
王子、あなたが会った魔女はですね。たぶんその、非常に申し上げにくいのですが……ええまあ、無類の男好きであり、また生粋のショタコンでございまして。
どうして拠点離れたこの城に約10年前に現れたのかは不明ですが――推測するにどうせ男がらみの何かがあったんでしょうが――その際出会った薄幸の美少年にズギュンと来て過剰サービスしていったことは間違いないです。そのお相手があなたです。
そしてあなたの目が妙に鋭くて人避けさせるもので、それでいて私が惹かれるところがあった理由にも得心がいきました。
あの女本当によけいなことしかしないですね、それでいて絶対今は自分のしたこと忘れてますよ、覚えてたらこんな収穫時の美青年を放っておく奴じゃないもの!
「まったく、仕方のない奴だ。私の秘めている心の高ぶりが移ってしまったのかな?」
と、真相がおおむねわかった私は大フィーバーしているのですが、悲しいかな小動物、ご主人様には昔話を聞いてるせいでテンション上がってるとしか思われてないようです。しかもなんかすげえやかましいこと言ってる、クール系の美形が言っていい台詞じゃない。
「よしよしきゅーちゃん、どうどう……」
この節穴め! 違うの! そうじゃないの! モフッてなだめないで、しかもそこはセクハラよ、どさくさに紛れてどこ触ってるの、脇はやめろって言ってるでしょ、おのれモフリストめ許さない、いやああああ絶妙な手つきいやああああ……。
強制的に沈静化させられてしくしく泣いている私の上で、王子は静かに勝手に話の結びに入っています。
「ともかく、それから私は12年の遅れを取り戻そうと人並み以上に励んできたが、12年分染みついた癖はなかなか治せなかった。これではいけないと思いながらも、どう治せば良いかわからなくて……。それを、お前が全部変えてくれたんだ。お前が来てから私は変わった。城の皆も。私はお前を私に遣わしてくれたものに感謝する。生まれてきてくれてありがとう、きゅーちゃん」
なんかいい話っぽくまとめられてるけど、たとえ背筋が凍るほどのイケメンが心込めて言ってようが名前で全部台無しだし、私はそもそも納得していませんよ!
主に元凶に対して色々物申したいよ!
今すぐ走って行って右ストレートでぶっ飛ばしたいよ!
でも、もう一回天国と地獄が一度にやってくるモフリストの本気の揉み手術を受けたくはないから、大人しくクッションの上に丸まってきゅーきゅー言ってるだけで済ましますよ。力の暴力怖い。
私がしょんぼりしていると、王子がふと今までにないほど近づいて参ります。
な、何をするつもりだこれ以上私を辱めるつもりかお嫁に行けなくなったらどうするまあ今更だけど。
にわかに接近する王子に私が丸まったまま緊張して「きゅっ」と軽く警告の声を上げると、彼は見たこともないほど穏やかな微笑みを浮かべ――。
「おやすみ、きゅーちゃん」
そして私が、なんだそんな顔もできるんですか、とぽーっとしている間に、素早くキスをしたのでした。
それはこう、ちょっとペットに対する愛が深すぎる飼い主様がテンション上がり過ぎちゃったときにやらかすような行動でして、けして他意はないものではあったのでしょうけど。
偶然にせよ、かすった程度にせよ、口と口が触れあったのは事実。
ザ・マウス・トゥ・マウス。
それは古来よりロマンティックな奇跡を起こすお約束。
王子がキスをした瞬間、可愛いファードラゴンのきゅーちゃんはどろんと煙に包まれ消え去ります。
代わりに彼の前、彼のすぐそば、彼にまたがるように煙の中から現れましたのは、全裸の女。
銀色に見えるほど薄い色の金髪、プラチナブロンドはさらさらと背中に流れ、緑の目が状況を把握せんと何度も瞬きして動きます。
「……あら、元に戻ってしまいましたか。解呪方法がキスとはまた古風なことですね」
私が唇を動かしますと、そこから出たるは念願の声、希望の言葉!
ひとまずのしかかっていた殿下の前からよっこいせとどいて――どこうとして、私は小声でお願いすることになりました。
「あ、殿下。誠に申し訳ないのですが、その、服をなんとかするまであちらを向いていていただけませんか? 私は痴女ではありませんので」
彼の赤い目が揺れに揺れ、変わらぬ顔色が赤くなったり青くなったりを繰り返し、動かぬ表情はくるくるとかわり――。
最終的に、クリス王子は一瞬前に気配を悟って素早く耳を塞いだ私に向かって、力の限り絶叫しました。
「な、なにー!?」
さりげなく、全裸を凝視したまま。