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壊滅的ネーミングセンス

 温かいお湯が勢いよくザバアと上からかけられました。私はぺたんと耳を伏せた後、思わず首を振って水気を飛ばそうとしてしまいます。

 水飛沫の被害をこうむった方が、「うわあ」とも「うはあ」ともつかない声を上げた気がしますが、このぐらいは想定の範囲内、ご愛敬ということで許していただきたいです。耳に入るかと思いましたよ、まったく。


 さて、浴槽のたらいの中で身を清めていただいている間に、私の近況を整理しておくことにしましょうか。



 私がまんまとはまった罠の仕掛け人であり、お城に連れ帰ったお方は、名をクリスチャン――通称クリス王子、殿下と呼ばれる方のようです。お年は21歳。

 まあ、身なりや立ち居振る舞いから予想はしてましたけど、やっぱり面白みもなく順当に――げふんげふん何も言ってません何も私情を交えたコメントなんて差し挟んでいません――お国の王子様でしたか、といったところ。

 評判は容姿端麗、品行方正、文武両道、欠点がなさ過ぎてつまらない――かと思いきや、どうやらあの鋭い眼光と不動の表情筋、やっぱり普通の人にとってもかなり威圧感を与える要素らしく、「なんかものすごいんだけど近寄りがたい人」というのがクリス王子の一般的な印象だとか。端的に申し上げてコミュニケーション下手というやつでしょうね。



 ごしごしごし。

 濡れた毛がへばりつくのはちょっと気にくわないですが、身体をこする手はなんとも絶妙な力加減。

 ああそこ、羽の下、そう、優しさが嬉しいです、もっと……ちょっとだから脇の下は駄目なんですって、羽の下がいいの、脇はやだ!



 おっと、洗われている心地よさやらプチアクシデントやらに思わず気がそれてしまいました。王子のことに話を戻さねば。

 考えてもみてください。仏頂面の人ってそれだけで近づきがたいじゃないですか。それが引くレベルの美形だったらどうしますか。

 そりゃあ、遠巻きに見守りたくなりますって。無理無理。

 私を助けてくださったことといい、根は悪いヒトではないのでしょうが、あの目に慣れるのには比較的図太い方だという自覚がある私でも、もう少し時間がかかりそうです。どきどきしちゃんですよ、心臓に悪い。


 ちなみにこのクリス王子、上にしっかりしたお兄様がいらっしゃるので、王太子ではないとのこと。

 ご兄弟は非常に仲むつまじく、温厚でスルースキルの高いお兄様は弟の眼光もひょいひょい受け流せる貴重人物だとか。ありがちな跡目を巡って家族でドロドロ展開がないのは、連れてこられた身としては平穏無事身の安泰、ありがたい限りでございますね。

 お国が栄えすぎず衰えすぎず、外交も内政も安定しているのも良いポイント。


 安心して穀潰しになれますね!

 間違えました、つい本音が。

 安心してコミュ障殿下の癒やし担当をつとめることができますね! お任せください、お給料分はきっちり働かせていただきますよ、ふふふん。



 ああ、それにしても泡が気持ちいいー!

 すみずみまでぱふぱふと花の香りに包まれて、うっとりと私は目を閉じます。思わず満足で「きゅー……」と口から声が。あら失礼あそばせ、快いとどうしても気が緩んでしまいますもので。


「そうかそうか、気持ちいいか」

「きゅー」


 はい、とても。


「ここか? この辺りがいいのか?」

「きゅー……きゅっ!? きゅううううう、シャー、キシャー!」


 そこです、そこそこ……ってだから、脇と腹は駄目だって言ってんでしょうが、わざとか、わざとなのかその手は! そんなことする人なら、もう触らせませんからね! 逃げてやる!


「あっすまない、悪かった私が悪かった――もう少しだから、腹の方も洗い流させてくれ」

「きゅうううううう……」


 あー耳の後ろを指圧されると身体がとろけるー……。

 まったく、仕方ないですね。今回は許しますけど、次やったら本当に怒りますからね!


「よし、どうだ。綺麗になったぞ!」


 上質なシャンプーに包まれた私を丁寧に洗い流して綺麗にした王子は、額をぬぐって満足そうにおっしゃいます。



 あ、そうです、実は今までお風呂で私を洗ってくださっていたの、クリス王子その人だったんですの。


 まあ私も野生にて数日間身一つでサバイバルしてましたから、そりゃあ清潔にしてもらった方が嬉しいですけど、っていうか連れてこられた私が泥だらけすぎて「まずは洗え、話はそれからだ」状態になってそれはもう仕方ないとは思ったんですけど、正直この人選はどうかと思いましたよ、ええ。

 周りだって散々「いやそれは召使いが」「いやもうちょっと動物慣れしてる人が」とか止めようとなさりましたし、私なりにこう、「いや、やめた方がいいと思います、侍女さんなりメイドさんなりがいいです」って一緒になって控えめに主張したんですよ。

「きゅーん、きゅきゅきゅきゅ、きゅきゅーきゅ、きゅうーん」って……。

 おのれ非言語生物の身体! 深刻な言語不足という致命的欠陥! 母上本当許さん! 私をこんな目に遭わせて、もうあんな人二度と親愛込めてマッマなんて呼んであげないからね!



 でも周囲の抵抗むなしく、クリス王子がどうしてもとやりたがるものですから、最終的に全員眼光に負けましたよね。私が非常に無害そうだった(いや実際人間害する気力なんかないですから無力そのものなんですけど)のもあって、監視と言う名のティティーことトリスタンが端っこで様子見てることを条件に丸洗い許可が出まして。


 ……思うにクリス王子とは筋金入りのモフリストの模様。私の毛並みをずーっと撫でてますし、眼光は鋭いですがたぶんそれで癒やされてます。今までこういう機会を手ぐすね引いて待ち続けていたのではないでしょうか。

 そして今まではターゲットたる愛くるしい小動物を拾ってきても、その鋭い威圧的眼光で逃げられていたのではないでしょうか。


 なんか私の世話をすることに並々ならぬ情熱というか、執念を感じるのです。微妙に身の危険を感じるレベルで。


 いや、その、罠にかけられた点は恨みに思わないでもないのですが、総合的に申し上げて仮にも命の恩人ですし、私も相応のご恩返しをしようとは思っていて、それゆえに現状全力でペットプレイに甘んじているわけですが、もうちょっとゆるめてくださってもいいと思うのです。主に眼光をですね。本当あの赤い目の眼力強すぎるの、肌が焼けそうな錯覚を覚えるほどなの。

 ソフトタッチからは思いやりが伝わってくるのに、目からは殺意しか伝わってこない謎です。ギャップで変な汗が出そうになります。



 ふかふかのタオルで水分をぬぐってくださるのも王子、そのあと魔法による温風で毛を乾かしてくださるのも王子。


 本当に不思議です。

 この間、口元ゆるんでるのに目はギラッギラなところが。

 心根が優しい方だというのは端々から伝わって参りますのに、どうして彼の目力はこうなるまで放っておかれてしまったのでしょうか。


 それにしても本当に印象的な赤いお目め。見られていると緊張しますが、その一方でこちらも目が離せなくなるというか、やっぱりこれ前にどこかで見たような、うーんこの感覚ってつまりデジャビュー……。


「いやー野生動物って普通身体洗われるのすっごい嫌がるものだと思うんですけどねー、あっさり済んでよかったです」


 私が泥だらけのモフモフ(汚)からどこに出しても恥ずかしくない清潔な真白いモフモフに無事進化したのを見届けたところで、苦労人のお供トリスタンが王子に話しかけてきます。


 とんでもございません!

 清潔に身を保つことは乙女のたしなみです。私元から大好きでしたのよ。ただの畜生と一緒にしないでくださいまし。

 実はこれで少々深刻な訳ありなんです。こうなったのには話せば長い事情が。

 伝えたくても私の口から出る言葉は「きゅーきゅーきゅーきゅー」の音のみ、感情程度は根性で込められてもとても意味までは届きません。


「やはり前に飼い主がいたのではなかろうか」

「まあここまで慣れてる様子を見ると、その方が可能性としては高くなりそうですけど。ファードラゴンって奴らしいですね」

「ファードラゴン?」

「ドラゴンなんですが、毛が生えてる個体なんですって」

「するとやはり子どもかな。ドラゴンとしては小さすぎる」

「うーん、一口にドラゴンと言っても大型から小型まで幅広くいますからねえ。超小型種という可能性も……」


 なので王子達は私の心知らず、自分たちで勝手に会話を進めます。私は仕方ないのでされるがままなすがままに任せます。


 洗われたり拭かれたりモフられたり手当されたりモフられたりブラッシングされたりモフられたり部屋というかケージを与えられたりモフられたり王子が差し出してきた猫じゃらしにつきあったりモフられたり……。


 ねえ気のせいかなって流してたけどちょっと突っ込みたくなってきた、モフる頻度高くない!? これ普通の魔獣だったら嫌がって逃げるか怒って攻撃するレベルですって、どんだけ私の毛皮に魅了されてんですか王子! 確かに極上の羽毛ですけどね、それにしたって触りすぎです。


「ティティー、こいつ、超可愛い」

「落ち着きましょうか、殿下。あなたが気持ち悪いです」


 真顔で友人兼部下に感動を訴えかけている美貌の王子の図と、肩ぽんしている友人兼苦労人の図。なんだか常識人ティティーに味方したくなってきました。

 まあ私の飼い主や直接の恩人や都合がいい相手は王子なので、全力で王子に媚び売っていきますけどね! これも処世術ですよ!


「そういえば殿下、名前はどうするんです?」


 一通り私のお世話が終わり、お城の皆様に見せびらかして落ち着いたらしい王子に向かって、トリスタン氏がふと尋ねます。

 あら、そういえばペットの重要イベント名つけがまだでしたね。一体どのようなお名前をいただけるのでしょう?

 私はケージの中(推定本来犬用。ケージに入れるなんて! と王子はゴネかけましたが、周囲の優しい説得によって最終的には折れました。まあ妥当なところなんじゃないかなと私本人も納得しています)から期待をこめて王子を見上げます。


 完成された美貌の持ち主の、濡れた烏の羽のような黒い前髪がさらりと揺れ、深紅の瞳が私を射ぬきます。

 相変わらず攻撃力が高い。でもやっぱりこの感覚、前にどこかであった気がするんですよね。

 王子は形の良い唇を動かし、ゆっくり息を吸い、甘い睦言をはき出すかのように言いました。


「きゅーちゃん」


 …………。

 ん? 今なんて?

 そう思ったのは私だけではなかったらしく、ティティーが首をかしげたあと、爽やかな笑顔で王子に聞き返しました。


「殿下、うっかり聞き逃してしまいました。今なんて言いました?」

「きゅーちゃん」

「は?」

「きゅーちゃん」

「は?」

「きゅーちゃん」

「は?」

「きゅーちゃん!」


 うん、何度聞いても何度威圧まみれに聞き返されても、王子はくっきりはっきり同じ言葉を紡いでいますね。言い間違いではなくて至極真面目に喋っているようでした、これは驚きましたね!

 私は動揺を沈めるべく猛烈な毛繕いを始めることにしました。

 一方、まともに王子の攻撃(無自覚)を喰らったトリスタン氏は、数歩後ろによろめき、がつんとしこたま後頭部を壁にぶつけてさすっています。

 しっかりなさってティティー、私は基本的に事なかれの流し主義ですし口なし状態ですから、あなたが諦めたら王子に忠言する人がこの場からいなくなります。


「……おかしいな、何度聞き直しても同じ音が返ってくる」

「名前はきゅーちゃんだ。鳴くから」

「殿下。せめてもうちょいマシな名前をつけましょう。これ絶対呼ばれる方も心外ですし、何より聞いている俺が割と嫌です」

「そんなことはない。な、きゅーちゃん」


 おっとここでまさかの変化球、こっちに話題がふられたと来ましたか。

 私はケージの中から王子を見上げます。うーんなんて邪気のないつぶらな瞳。壊滅的なネーミングセンスですが悪気はないんですよね。


 さてどうしましょう。世間の厳しさや現実を教えて差し上げても良いんですが、忘れてはならないのがこれでもこの人が私の命の恩人だってことと、たぶん今まで散々モフモフに自らを否定されてきた可哀想な片想い常習犯であるということと、あと私が今現在言葉を返せる状況にないってことですのよね。

 ということで私は、


「……きゅー?」


 と首をひねり、いやそれどうなのかと思うよ、という態度は示しつつも明確に拒絶はしないという中間な態度を取る事にしました。


「ほらっ」


 すると肯定と受け取ったらしい王子は歓喜に目をかっぴらいたまま臣下に感動を訴え、臣下はつかつかケージまで歩み寄ってきてがっと格子をつかみます。


「たとえ畜生でもさすがに自分の名前ぐらいは選ぶ権利があると俺は思う、だからお前も真剣に考え直せ、ここで抵抗しないと本当に決まるぞ……!」


 ティティーの目は澄んだ青空のように美しいですね。

 でも知ってますか、世の中には逆らっても無駄な理不尽というものがいくつも存在するのです。

 安直ではありますが、不名誉だったり下品だったりする名前を与えられるよりは私よっぽど満足しておりますのよ。


 私がのんびりあくびをすると、味方を失ったティティーが力なく膝から崩れ落ちて行くのが見えました。



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