第八話 初陣
オークは、魔物の中でも上位に当たる種族である。その剛力は他の種族も恐れ、腕力だけならトップクラスだろう。
単独で相手をするのは得策ではない。しかし、前後を挟まれた状態でそれは難しい。おそらくウィルは魔物相手に戦ったことはないだろう。ここはセリーナが引き受けるべきだ。
しかし、ウィルは真っ先に飛び出した。
「ちょっとっ」
制止する間もなく突っ込んだウィルはオークと正面から打ち合った。だがオークの腕力に敵うわけもない。鍔迫り合いに持っていく前に吹き飛ばされてしまった。セリーナが転がってきたウィルを受け止める。
「流石に真っ向からは厳しいですね」
「当たり前よ」
受け身の取り方が上手かったようで、ウィルに大きな怪我はないようだ。ひとまず安堵する。
「ウィー君は後ろの兵士をお願い。あれは私が倒すわ」
「すみません。もう一度やらせて下さい」
こういうことに慣れているのか、ウィルは落ち着いている。静かに相手を見据え、その目に怯えはない。
「分かった。けど、無理はしないで」
「はい」
ゆっくりと立ち上がると、またもやウィルは真っ直ぐ駆けだした。
あれではさっきの二の舞だ。思わず目を閉じようとしたその時、突然ウィルが急停止した。そのまま来ると思ったのか、オークは早いタイミングで斧を振り下ろしてしまい、ウィルの前髪を数本散らすだけだった。
振り終わりの隙を見逃さず、ウィルは黒刀でオークの上半身を下から斬り上げる。
「ギャアアア」
苦悶の声を上げるオーク。ウィルが間髪入れず上段斬りを放ったが受け止められてしまう。致命傷にはなってないようだ。
チャンスではある。セリーナは加勢に向かおうとする。しかし、後ろから殺到してきた兵士に足止めをくらう。通路が狭く何人も同時に相手にしなくて済むため、戦いやすいのだが如何せん人数が多い。これでは二人でオークと戦うことができない。
一度距離を取ったウィルは、再度突撃した。そして、急停止する素振りを見せる。オークの腕が止まった。狙い通りだ。素振りはブラフでウィルは一瞬も足を止めていない。隙を突いて懐に入ると黒刀を振り下ろした。
さっきよりも手応えがある。かなり深く斬ったはずだ。しかし、オークは咄嗟に上半身を後ろに倒し致命傷を避けていた。
人間なら反応できないはずの攻撃だ。仕留めたと思っていたウィルはその隙を突かれた。
オークは斧を持ってない方の手でウィルを殴り飛ばした。凄まじい速度で壁に叩きつけられる。
「かはっ」
口から空気が漏れ、体中の骨がきしむ。肋の何本かにひびが入ったかもしれない。やはり、人間の攻撃とは桁違いだ。
距離を取らなければならないのに、体が重い。
「ぐっ」
何とかして体を起こすが、オークは目前で斧を振り上げている。かわせる距離ではない。ウィルは素早く防御の体勢を取った。
「グアアアア!」
狂ったように叫びオークが斧を振り下ろす。しかし、それがウィルを捉えることはなかった。
セリーナが投げた短刀がオークの目に刺さり、狙いがはずれたのだ。血の流れる右目を押さえオークが暴れる。短刀は抜いたもののかなり深く刺さったようだ。
「早く離れてっ」
セリーナは兵士を足止めするのに手一杯で、加勢できる状況ではない。普通なら一旦離脱し、その後攻勢に出るところだろう。
しかし、ウィルはそうしない。
これはチャンスだと『人狩り』としての本能が言っている。
痛みで我を忘れているオークにウィルは襲い掛かった。
セリーナはオークに向かっていくウィルを見て、正気を失ったのかと思った。単体で魔物に敵わない人間は、基本的に一人で戦わない。どうしても戦わなければならない事態になった場合、一撃を入れては離脱することを繰り返すヒットアンドアウェイを主体として戦う。
『魔物狩り』ではないウィルはそんなこと知らないかもしれない。それでも、零番隊に名を連ねるほどの実力を持つウィルなら相手との戦力差を間違えないはずだ。
しかし、ウィルは逃げることなくオークを攻め立てた。
「信じられない」
それ以上にセリーナを驚かせたのは、目の前にある戦いだった。
明らかにウィルが押しているのである。ウィルはオークに纏わり付くようにして苛烈に攻撃し、オークの体に次々と傷を付けていく。
「嘘です。こんなの……何なんだお前は!」
クーデルはそう叫ぶと腰を抜かしその場にへたり込んだ。セリーナの前に立つ兵士達も呆然として手を止めている。
追い詰められたとき、普段以上の力を発揮するようなタイプの人間は確かにいる。しかし、ウィルのそれはその類いではないように見えた。
先程一撃くらったウィルは本来の姿ではなく、今のウィルこそが真の姿ではないか。死の瀬戸際にきて初めて実力を垣間見せたのではないかとセリーナは思った。
集中できている。
世界には自分と敵しかいないような、それでいて周りの状況も俯瞰できている不思議な感覚。それはウィルにとって久し振りの感覚だった。
剣をとったばかりの頃は時折この感覚を覚えることがあった。しかしいつからか戦況に対処することに捕らわれ、命のやり取りをしている、自分も死ぬかもしれないという危機感が薄れていたのかもしれない。
目前に迫る拳をかいくぐり、一撃を見舞う。オークは数歩たたらを踏んだ。
次で決まる。
不意に脳裏に浮かんだ予感。漠然としているが、今までこれが外れたことはない。
苦し紛れに繰り出してきた斧をウィルは黒刀で受け止め、いなす。前のめりになった首元を体をひねって一文字に斬り裂いた。右手に命を絶った手応えがする。
斬られたオークは一度ビクッと痙攣すると、叫び声も上げずにゆっくり倒れた。そして、二度と動くことはなかった。