山村と亡霊 その参
少なくとも二人。
そう言った坂祝は、中島に見せつけるように、気味の悪い笑みを顔面に刻みつけていた。
「あなたの隣にいる、村上さんと小茂井さんです」
中島は目をカッと開いて二人に視線を向けた。
「てめえいい加減にしろよ?」小茂井が坂祝に向かって荒々しい口調と態度を見せる。
小茂井が口を開くたびに酒の臭いがこちらに向かって撒布されているような感覚だった。
「別に俺らである必要はねえだろうが」
「必要があるかどうかではなく、あなた方が犯人である可能性が最も高い、という、あくまでも推論ですよ?」
「同僚が殺されて、今度は犯人扱いされて、ふざっけんじゃねえよ」
「まあまあ、そう怒りなさんな。もっと犯人扱いしますよ?」
「てめっ……」
「まず、死亡推定時刻が午後七時半以降、九時以前出会った場合、その時間、おそらくあなたか村上さんのどちらかは田中氏と一緒に過ごしていたはずだ。そうじゃありませんか、中島さん」
降られた中島は目線をうろつかせて、逡巡しながらうなずいた。
「ほらね」
「なんで分かったの?」巣南が訊ねる。
「キャンプ場からここまでは、車でなければ時間が掛かってしまう。つまり運転は必須なんだ。けれど、田中氏は昼から酒を飲んでいた。どういうことか分かるね」
「ああ、運転出来ないってことか」
「ご名答。ということは、誰かに送ってもらわなければならない。タクシーはこんな田舎にはないからね。バスはあるにはあるけれど、数時間に一本で、午後七時半なんて走っちゃいない。となれば、村上さんか小茂井さんに運転してもらう必要がある」
「小茂井さんだって飲んでるじゃない」
「九時頃から飲み始めたのだろう。さっき中島さんが言っていたじゃないか。昼から酒を飲んでいたのは自分と田中氏だと。田中氏をここに送り届ける時点で、小茂井さんは飲んでいない可能性が高い。そして、村上さんは今も飲んでいない。事件が起きて呼び出しを受けたとき、運転をしていたのは村上さんだからだ。だから、犯人はこのどちらかだと推測するね」
「送り届けたときに殺した、って言いたいわけだ」
「その通りだよ巣南。今日は冴えているじゃないか」
「うわ、腹立つ」
この発言には、さすがに中島も狼狽えた。何か心当たりでもあるのだろうかと思わざるを得ない。
「いいや、訂正しましょう。どちらかとは限らない。そもそも、あの家で田中氏が殺害されたとしたら、田中父がそれに気付いた可能性がある。電話や、それに類する何らかで『息子が家の中にいる』と認識した可能性のある田中父ならね。だがそうはならなかった。それはなぜだろう、という疑問は、おそらく、あの家が殺害現場ではない、との結論で解決できる気がしますな」
首を傾げる巣南は「どゆこと」と問う。
「いくら顔見知りとは言え、さすがに揉み合いにはなるからね。騒ぎにはなる、後もう一つ。あの現場は、殺人が起きたにしては綺麗すぎた。先程も言ったように、遺体とナイフが落ちていただけなのですよ。普通に考えて、そう何度も刺されれば、もっと……」
「そっか、血だ。血があるべきなんだ」
「その通り。血の海か、血痕だらけになって然るべきなんだ。だがそうじゃない。そう思えば、遺体発見現場と殺害現場は別であると考えてもなんらおかしくない。
となれば、遺体を運ぶ必要がある。ばらばら死体ならまだしも、死んだ人間の重みは相当なものであると聞きます。一人で運ぶのは困難だ。つまり、二人いれば、可能。どうですか中島さん。田中氏を実家に送り届けたのは、小茂井さんと村上さん、二人一緒ではなかったですか?」
中島は酒臭い息を何度も吐いて、二人を見た。
小茂井と、村上を見た。
「じ、自分はっ……」村上は泣きそうな顔で何度も頭を振る。
小茂井は、顎を振るわせていた。
「小茂井さん? 酔いが回りましたかな?」
なぜだか、坂祝は楽しそうに振る舞っている。
「九時頃、田中氏宅に連絡を入れたのはどちらですかな。通話履歴が残って……は、ないでしょうな。そりゃあ消しますよ。馬鹿ではないのですから。おっと申し訳ない。これでは馬鹿を馬鹿にしているようだ。どんな馬鹿も、殺人者よりはマシだ。
巣南、警官に伝えてきてくれ。二人が認めました、とね。だいたい反論できないということは論破されたと見るべきだ。おれは確信したよ。小茂井さんと村上さんが犯人と言うことで良いだろう」
「はいはい。こういうのは私の役目ね。じゃあ、梨里奈、一緒に行こ」
「あ、うん。分かった」
そう答えて、わたしは巣南と一緒に外に出た。すると、赤色灯を点けたパトカーが数台近づいてくるのが見えた。時間が時間だからか、サイレンは鳴っていない。
外にいた警官に声を掛けて、村上と小茂井が自白した、と伝えた。田舎の老人特有の訛りで「ほーか」と言った警官は、パトカーに手を振って車両を呼び寄せる。
「これで解決だね。やっと、ゆっくり寝られそうかな」
「そんなこと言って、梨里奈も楽しそうだったくせに」
「そうかな」
「そうだった。間違いなく」
わたしに自覚はない。坂祝のために出来るだけ口は挟まないようにしていたけれど、それが楽しそうに見えたのだろうか。まあ、実際楽しかったのは事実だ。
「でも、坂祝の推論には無理があるよね」
「どこが」
巣南は首を傾げる。
「わたしたちが犯人になり得ないという点、弱かったかな。別に、わたしと巣南と坂祝の三人に、プラス家主一人が加われば犯行は出来たし、どこかで殺害して遺体を運ぶのなら、わたしたち四人には普通に出来たよ。ばれる危険性を孕んでいるから心理的に不可能だ、なんて、正直どうとでもなる。わたしたちが事件を起こすかと言えばそれはあり得ないけれど、捨てきれない可能性だよ。それを坂祝は隠しながら話していた。というかうまくかわしてた。相手がそこを攻めてこないだけだけどね」
「何が言いたいのさ」
「うーん。面白いなあ、そういうところが。みたいな感じかな。坂祝はそういうところがうまいの。だから、楽しかった」
「楽しかったんだ」
「うん」
わたしは、ようは緩衝材だ。坂祝桜次郎と巣南真咲は時にぶつかる。坂祝は丸みを帯びた刺を持っていて、巣南はその刺に向かい討つ剣を持っている。わたしは、両者の刃が交わらない盾である。
同時に、傍観者でもある。
こんな出来事がたびたび起きるこの関係性の中にいて、坂祝桜次郎が連れてくる、もしくは招き入れる、いいや、招き入れられているのか、こんなちょっと不思議な毎日が、わたしは楽しくて仕方ない。
「ねえ、巣南」
「なに」
「そもそもわたしたち、ここに何しに来たか覚えてる?」
「心霊スポット巡り」
「でも、今日は行かなかったよね。夜は家主と宴会でさ。本当なら、今日はこの時間まで近くのトンネルに行く予定だったんだよ。でもそれを中止にして、家主と食事することになったのはなんでだった?」
巣南はため息をついて、「まあ、坂祝くんだけどさ」
「トンネルを見に行っていれば、騒ぎには巻き込まれなかったかもしれないんだよ。でも、坂祝が、『今日は家主と過ごそう』って言ったの、きっと気まぐれで。そしたら、こうなった。ほら、こういうのが良いよね、坂祝といると。今日は死体にも会えちゃった。最高の亡霊に会えたんだよ。幽霊よりもリアルな死が見られた」
「やっぱあんたって病んでるわ」
「うん。でも、楽しいよ。こういうのもね」
わたしは傍観者だ。そこに徹している。
「おう、なんだい。君ら」坂祝があくびをしながら外に出てきた。「せっかくだ。今からトンネルを見に行かないか」
「はあ? ふざけんな。眠いんだっての」
「今トンネルに行けば田中氏の幽霊がいるかもしれん」
「馬鹿言わないでよ。女の子には睡眠が……」
「いいね。行こうよ巣南。きっと最高の幽霊に会える」
「ああもう、不謹慎な奴しかいない」
茶色い髪を掻きながら、巣南は夜に叫んだ。近くにいた制服姿の警官に怒られたけれど、坂祝は笑顔だった。
そして、わたしたちは夜道を軽自動車で走った。
十数メートルおきに設置されている街灯が心許ないと思えてしまうのは、ここが四方を山に囲まれた、いわゆる山村であることに起因するのだろう。民家もなければ町明かりもない。
見る限り、本当に何もないけれど、心踊る事件はあった。
眠い目をこすりながら隣を見ると、唯一免許を持つ巣南が不服そうに運転していた。後部座席に座る坂祝が寝ているからだろう。
そんな状況に、わたしは楽しくなって、小さく笑った。
これにて、山村と亡霊は終わりです。ありがとうございました。




