約束の日
朝日が昇り始めてまだ薄暗い中、鳴きだしたセミの声を目覚まし代わりに松谷は目を覚ます。体を起こして、一度伸びをしてテントの中を見回す。しかし、中河原と大城の姿はなく、さらにはテントで寝た形跡すらなかった。
松谷はテントから出て、早朝のまだ涼しい空気を胸いっぱいに吸い込み、もう一度大きく伸びをする。その最中、簡易テーブルに突っ伏して眠る中河原と、その隣で地面に座ったまま眠っている大城が視界の端に映りこんだ。松谷はその二人の姿を見て、頭が下がる思いだった。本来なら、毛布なりをかけるのが普通なのだろうが、残念ながら、荷物の軽減のために寝袋のみしか持って来ていないので、それをすることができずにいた。毛布の代わりになるものとして、二人のザックの中から防寒用の薄手のジャンパーを取り出し、起こさないように静かにかけた。
それから、お湯を沸かし、先に自分用のコーヒーだけをいれ、頭をすっきりさせていく。コーヒーに口をつけながら、左手首の端末を操作して、スクリーンを表示させ、今日自分がすべきことを再度確認していく。途中、松谷はスクリーンを操作する指が震えていることに気付いた。指や手の方に意識をやると、自分の手の平や指が異常なほど冷たくなっているのを感じた。
松谷はコーヒーの入ったカップを包み込むように持ち、手を温めようとする。しかし、手や指は温まるどころか、伝染したかのように体まで小さく震えてきた。そこで、松谷は初めて自分が緊張でガチガチになっているのだと悟った。松谷はカップを置き深呼吸をして、右手首のミサンガに左手をあて、目を瞑り、今日のためにやってきたことを思い出す。
瞼の裏に加世の少し寂しそうな笑顔が浮かび消え、ゆっくりと目を開くと驚くほど落ち着いていた。手や体の震えは収まり、風が木々の間を吹き抜ける音や虫や鳥の鳴き声まで一つ一つが鮮明に聞こえた。いつも以上に視野も広く感じた。とても不思議な感覚だった。
それが一瞬だったのか数分のことだったか分からなかったが、
「やあ、松谷君。おはよう」
という、中河原の声でふと我に帰ったかのように元の感覚に戻される。
「あ、おはようございます。教授」
松谷は中河原にコーヒーをいれて渡す。
「教授は朝方までやられていたんですか?」
「そうだね。寝たのはついさっきだったかも」
中河原は欠伸交じりに返事をする。中河原は普段から研究室に泊り込んだりしているため、比較的不規則な生活リズムやなんかに体が慣れているようだった。
「大城さんはもう少し寝かせていた方がいいですかね?」
「そうだね。でも、もう少ししたら無理矢理にでも起こしてもらって構わないから」
中河原は大城をチラッと見る。大城は気持ちよさそうにいびきをかきながら眠っていて、時折、その音に腹を立てた中河原は一センチメートル角ほどの小さな小石を投げつけていた。
周囲はすっかり明るくなり丘陵線の向こう側から太陽が見え出す頃、中河原が大城を叩き起こした。大城は、眠気眼で呆けているようだった。そこに松谷はタイミングを見計らってコーヒーを持っていく。
今回の調査で大城の役目は単なるサポートや雑用以外に、もう一つあった。大城は中河原の研究室に所属している学生含め、中河原の研究しているHMDに対する適正とでも言い表すべきものが松谷ほどではないにしろ一番高く、かなりリアルなVRを体感できる存在だった。
大城はそのこともあり、松谷と同じようにHMDを装着し、少し離れたところから加世の存在を視認し、状況を報告する役目を担っていた。そのために、大城の装着するHMDには倍率こそそこまで高くないが望遠機能がついている。
そして、松谷にとっては一年越しの加世との約束の時間が近づいてきた。
昼のサイレンが鳴る頃に神社で会おうという約束の時間が――。
松谷と大城は正午少し前にHMDを装着する。何も見えない真っ暗な起動立ち上げ中の画面の後、フッと明るくなり、見覚えのある在りし日の此別村のすぐ外の光景が目に入ってくる。
大城が隣ではしゃいでいる姿が見えるが、松谷は落ち着いていて、これからすべきことがはっきりと見えていた。
「じゃあ、教授。行って来ますね」
松谷は先程まで教授が立っていた場所に向けて、言葉を発する。そして、同じ場所から、
「ああ。行って来なさい。大城君! 君は調子に乗りすぎないことと、松谷君達からは十分な距離を取ることを忘れては駄目だよ」
と、中河原の声が返ってくる。
「は、はい! 分かってます」
大城は見えていない中河原からの言葉に驚きつつも、反射的に返事をする。
松谷は此別村に入り、真っ直ぐ神社に向かう。途中、正午を知らせるサイレンが鳴り響いた。去年の調査では正午の時間にVR内にはいなかったこともあり、初めて聞いた此別村のサイレンに新鮮なものを感じた。
お昼時ということもあり、道を歩いている村人は見かけることはなかった。雑貨屋も横目で覗くも見える範囲では誰もいなかった。もう誰もいなくなってしまったのかと錯覚して不安になってしまうほどの静けさだった。
大城は松谷の後方を距離を取って付いていき、途中で違う道に入り、あらかじめ地図上で目星を付けておいた神社を遠くに見ることのできるポイントに向かった。




