回想 八倉都美の幼少期
川野辺の母である都美は此別村で産まれた。都美と加世は村の中では年の近い同性で、さらには比較的近いところに住んでいるということもあり姉妹のように育った。
都美は加世のことを姉のように慕い、後ろをよくついて回っていた。加世も都美を本当の妹のようにかわいがり、加世が学校に行くようになり花に興味を持つようになってからは、豊富な知識と雑学を披露して、都美を楽しませていた。
都美が学校に通いだすと、一緒にいる時間が増え、さらに仲がよくなった。
しかし、その年の夏前から村の中で病気が流行りだし、学校も対策として日程を繰り上げて例年より早く夏休みに入ることにして、外出も極力しないようにと注意をだした。都美は父の俊秀に特に強く言われたということもあり、外出をほとんどせず家の中で過ごしていた。それでも退屈しなかったのは毎日加世が家に遊びに来て、勉強を見てもらったり、色々話をしたりだとかしていたからだった。
夏休みに入って二週間が経とうとした頃、加世がしばらく都美の家に泊まる事になった。都美は加世と一緒にいられるということに喜び、都美の夏休みは一層楽しい日々に変化した。一緒にお風呂に入ったり、同じ布団で寝たりなんかもした。
そんな楽しい日々も突然終わりを迎えた。
ある日の朝、都美が目覚めると加世がいなくなっていたのだ。布団を畳んでいなかったことと荷物がそのままだったことから、家の中を探して回ったが姿はなかった。さらに、いつもなら台所で朝ご飯の準備をしながら、「おはよう」と、笑顔を向けてくれる母の千枝が、居間のテーブルに頭を抱えるようにして座り込んでいた。そんな千枝に、
「ねえ、お母さん。加世ちゃんがいないの。どこにいるか知らない?」
と、尋ねた。都美の声で顔を上げた千枝は憔悴しきっていて、都美にゆっくりと膝をついたまま近づき、都美を抱きしめ、
「ごめんね」
と、一言だけ呟いた。都美はそこで何かがあったことに気付き、千枝の手を優しく解き、玄関に向かった。
玄関まで行くと、加世の靴と俊秀の普段用の靴がなくなっていることに気付いた。そして、玄関で膝を抱えて座って待つことにした。
しばらく待っていたが、誰も帰って来る気配がなかったうえに、空腹に耐え切れず仕方なく居間にいる千枝の元に戻った。千枝はいつのまにか朝食を作り終えていて、テーブルの上にはおにぎりと漬物という料理好きでこだわりを持っている千枝らしくない品が並んでいた。
しかし、今日はきっといつもと違うのだから仕方ないと不思議なほどすんなりと受け入れることができた。
都美は具も塩も海苔もないおにぎりを一つ、漬物と一緒に食べる。喉が渇き、作り置きの麦茶を飲み、居間でテーブルを挟んで千枝の向かい側に座る。千枝は相変わらず心ここにあらずという感じで都美は気軽に話しかけることさえできなかった。
気まずい空気に都美は我慢しながら、座ってじっとしていると、玄関のドアがガラガラと開く音が聞こえた。都美は玄関の方に走っていく。玄関には険しい顔をした俊秀がいた。俊秀の顔は今までにないほど怖い顔をしており、体が強張った。
俊秀は都美に気付くと表情を無理に緩め、都美の頭を撫でて、
「都美は自分の部屋に行ってなさい。お父さんはこれからお母さんと大事な話をしなければいけないんだ」
と、言う。ただならぬ雰囲気を感じ取った都美は言われた通り自分の部屋に向かった。
しかし、やはり気になって部屋に戻る前に少しだけ話を聞いてみたくなり足音を立てないように居間に近づき、聞き耳を立てることにした。
居間からは、重たい空気が流れてくるのが都美にも感じられ、唾を思わず飲み込む。その唾を飲む音さえも響き渡ってしまうのでないかというほどの緊張感と静けさだった。そして、俊秀の声が聞こえだした。
「もうこの村は駄目だ。俺はできるだけ早く村を出た方がいいと思うんだ」
千枝は相槌も返事もせず、ただ沈黙が場を支配する。
「あなた……加世ちゃんはあの後どうなったの? 石神さんは? 社務所は?」
少しの間の後、千枝の泣き崩れる声が聞こえだした。
「ただ加世ちゃんはまだ見つかってないから、もしかしたらと思って、ずっと捜してはいたんだけど……」
千枝のむせび泣く声が家中に響き、耐え切れなくなった都美は自分の部屋に駆け込み、布団を頭まで被り、耳を塞いだ。
どれくらい布団の中で耳を塞いでいたかは分からないが、気が付くといつのまにか都美は眠ってしまっていて、目が覚めてしばらくすると無常にもまたお腹が空いてきてしまった。朝のことを思い出し、重たい足取りでゆっくりと居間に向かった。
都美はおそるおそる居間を覗き込む。居間には誰もおらず、奥の台所で千枝が料理しているのが見えた。居間に入ると、都美に気が付いた千枝が、
「どうしたの? お腹空いちゃった?」
と、料理をしている手を止めて普段通りに見える顔で声を掛けてくる。
「うん。朝あんまり食べてなかったから……」
「朝はごめんね。ちょっと色々あったから、ちゃんとしたもの用意できなかったのよねえ」
都美はそう微笑みながら言ってくる千枝に違和感を感じた。どこか笑顔が不自然な気がしたのだ。
「ねえ、お母さん。加世ちゃんは?」
千枝は表面上笑顔のまま表情が凍りつく。それだけでなく、場の空気も凍りつく。
「加世ちゃんはね……昨日の夜からいなくなっちゃたの」
「そう……なんだ」
都美はそれ以上は聞いてはいけない気がして、黙り込む。
「もうお昼だし、お父さんはちょっと用事で出かけてるから先に食べちゃおうか?」
「うん」
千枝は調理を再開し、都美は居間のテーブルに座った。
それからの日々は以前にも増して、外出しないようにと俊秀から言われたこともあり、家の中で窮屈で退屈な日々を過ごした。加世のことを話題に出すと、両親が辛そうな顔をするので聞かないことにした。実の姉のように慕っていて、一番仲のよかった友達の加世がいない生活は都美に大きな喪失感を与えた。
都美はこの夏以来、加世に会うことはなかった。
さらに八倉一家は夏の終わりに此別村を離れることになった。俊秀の実家のある二つ隣の市に引っ越すことになったのだ。都美ももちろん転校することになり、夏休み明けから新しい学校に通うことになった。




