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回想 歴史に埋もれた不幸

 此別村は戦中から戦後の木材の需要に合わせて開拓された村だった。当時、東北地方は世界恐慌せかいきょうこうのあおりや、度重なる冷害れいがい凶作きょうさくで経済的にも困窮こんきゅうしていた。そんななかで行政機関の後押しも受け、最初は百人たらずの人が此別村に入植にゅうしょくし、山を切り拓いた。戦後、復興のために木材需要がさらに高まるにつれ村は発展し、人口は千人に達しようとしていた。

 そんなときに此別村に二つの不幸が襲った。一つは村の主産業である林業の経営状況が急激な下降線を辿りだしたことだった。原因は段階的な木材輸入の自由化がスタートしたことと、国土緑化計画に伴い林業への風当たりがきつくなったことだった。

 ここまでは歴史的な事実として、しっかりと記録は残されている。加世が話し始めたのは歴史の影に埋もれたもう一つの不幸の話だった。


 加世は此別村で生まれ、物心がついたころには住居も兼ねていた社務所には村の子供や大人が集まってきていた。神主で村の学校の臨時教師もやっていた父親の崇弘たかひろ、元看護婦で診療所がない此別村で知識を活かし簡単な傷の手当や看病をしていた母親の彩代さよ。加世にとっては自慢の両親だった。

 加世自身にも年の近い友達ができ、時折お互いの家に泊まりに行ったりするほど家族ぐるみで仲がよくなった女の子もいた。

 加世が九歳になった年の夏、村の雰囲気が急に悪くなった。少し前から村を離れる人が増えていたが、原因はそれではなく村に病気が流行はやりだしたことだった。以前は崇弘に勉強を習いに来たりする子供や、彩代と世間話やお茶を飲みに来る大人や年寄りが多かったのだが、今度は家に病気の人が来ることが増えてきたのだ。

 そんなとき、加世は彩代に言われ、一番仲良くしていた近所の女の子の家である矢倉やくら家に預けられることになった。加世は最初は少し長い日数のお泊り感覚で楽しんでいて、お世話になっている矢倉家の人にもよくしてもらっていた。しかし、両親に会えないのは寂しかった。

 そんなある日。なかなか寝付くことができずに夜遅くに布団から抜け出し、トイレに向かった。途中、灯りの点いていた居間の方から声が漏れてくることに気付いた。

「今日は特に夜は外を出歩かない方がいい」

「あなた、それって、もしかして……」

「ああ、結局俺も村長も止めることはできなかった……あれはもう人のなせる範疇はんちゅうを超えている。狂ってる! あいつらは鬼だ……」

「そんな……」

 聞こえてくるのはいつもは優しく穏やかな声で話す矢倉夫妻の焦りと不安、絶望と恐怖に満ちた声だった。加世は穏やかでない雰囲気を感じ取り、隠れて居間から漏れてくる声に息を殺して耳を傾ける。

「最悪、俺は加世ちゃんだけでも連れて村から逃げてもいいと思ってる」

「そうね……でも、加世ちゃんにはどう説明するの?」

 沈黙の重たい空気が加世さえも包み込む。

「分からない……でも、あいつらは今晩、隔離してる人ごと社務所を焼く気だ。あんな優しくて一生懸命看病までしていた石神さんまでも感染してる疑いが強いから一緒にやってしまおうだなんて……そんなことを考える人間が多い村からは逃げ出す方がいいんだ」

 加世は急に目の前が真っ白になる。そんな加世の耳にさらに会話の声が聞こえてくる。

「あなた、どこでそんな……?」

「今日の帰り。あいつらが家に集まって話しているのが道まで聞こえてきたんだ。こそこそ計画立ててたつもりなんだろうけど、興奮してたのか声がでかくなってたから丸聞こえだったんだ。だから、ちょっと隠れて聞いたんだ」

「そんな……嘘でしょ?」

「嘘じゃないんだ……残念ながら。だから、もしかしたら今頃は……」

 加世はいてもたってもいられず走り出した。その足音に気付いた矢倉夫妻が加世を止めようと声を掛けながら追いかけてきたが、加世にとってはそんなことはどうでもよく、止める言葉も手も振り払い矢倉家を飛び出した。

 外に出ると空は時間の割に妙に明るく感じた。特に神社の方の空が明るかった。加世は矢倉夫妻の会話から何があったかすぐに想像がついた。

 そして、両親の無事を祈りながら、そのことを確かめるためだけに神社に向かい走り続けた。


 神社に着くと、何人かの村人が燃える社務所に向かって、大声で何かわめいていたが、喧騒けんそうと建物が燃える音に混じり何を言っているのか全く分からなかった。そして、加世は燃えさかる炎の中ではっきりと社務所の窓や玄関に外から板が打ち付けられているのを見た。

 加世はその場に力なくへたり込み、大粒の涙が次から次へと溢れ出した。

「お母さん……お父さん……」

 加世は泣きながら小声でそう呼び続けることしかできなかった。小さな声で何度も何度も何度も何度も呼び続けた。届くことはないと悟りながらも呼ぶことしかできなかった。

 そして、加世の目の前で社務所は大きな音と共に崩れ落ちた。それを見た集まった村人からは雄たけびにも似た声が上がっていた。

「おい、ここにまだ一人残っているぞ!」

 怒号どごうを上げていた村人の一人が加世を見つけ声を上げる。加世は一瞬のうちに取り囲まれる。

「なあ、こいつどうする?」

という問題提起に、「殺せ!」、「今からでも、火の中に投げ込め!」と、何人かが口々に応える。加世はうらみに満ちた目を向ける。その視線に何人かはたじろぎ、息を呑む。

 しかし、次の瞬間、その一瞬感じた恐怖を消すために咄嗟に加世を一人の村人が張り倒していて、その音が鈍く響いた。

「やめろ!」

 この騒動起こしている村人達のリーダー格の男が声を上げる。そして、加世を囲っている人を掻き分けるように加世の前に姿を現す。

「どうして止めるんですか? 新津にいつさん」

 加世は新津と言う名前には聞き覚えがあった。此別村に住んでいる人なら絶対に知っている名前――村長の家の苗字だった。そして、目の前にいる男は村長の息子で若い村人を束ねる兄貴分のような存在の人間だった。

「お前らはやりすぎなんだよ。ボヤ騒ぎで村から病人を追い出すだけでよかったのに火をつける馬鹿がいるかよ。まあ、結果は同じだからいいんだけどな」

「そうは言っても、こうするしか……」

「お前らな、神社の施設を燃やしてただで済むと思ってんのか? たまたま社務所の周りに何もなかったからよかったけどな、近くに社殿があったらどうするつもりだったんだよ。それに、林にでも燃え移ったら俺らの飯の食い扶持ぶちすらなくなるところだったんだぞ!」

 新津の言葉に村人達は一様に顔をそむける。しかし、中には顔をそむけてないものも数人おり、そのうちの一人が、

「林に燃え移ったらというのは分かるけど、神社の社殿じゃないそれも神主用の家燃やしたくらいで何があるって言うんだよ」

と、新津に反論する。

「社務所だって立派な神社の施設の一つなんだ。馬鹿か、お前? それを燃やすってなるとたたりがあってもなんら不思議ではないだろう?」

「じゃあ、どうするって言うんだ? もうやっちまったからには後には退けねえぞ!」

「だから、そのガキを使うんだよ」

 新津の言葉の意味を理解できたものがおらず、沈黙が包み込む。そして、一人が真意を確かめるために、

「どういうことですか?」

と、尋ねる。新津は下卑げびた笑いを浮かべながらそれに答える。

「お前ら、本当に馬鹿だな。神様に粗相そそうをしたことを謝るために神につかえるこのガキを生贄いけにえに差し出して許してもらうのさ。神様ってのは、みんな生贄と女が好きだからな」

 新津は高笑いをしながら、言い放つ。最初、その新津の言葉と表情に驚きや恐怖の感情が広まるも、次第に集まっている村人は納得の表情に変わっていく。そして、新津に賛同し、あおり立てる声も上がり始める。

「新津さん、それで具体的にどうするんですか?」

「この石神神社にはな、地下に今は使われていない祭壇さいだんのある部屋があるんだ。そこに閉じ込めて人柱ひとばしらにするんだよ」

 新津の言葉にどよめきが広がるが、すぐに収束していく。

「おい、そこの二人。そのガキ連れて俺について来い」

「は……はい」

「残ったやつらは後で警察とかが火事の原因を調査しても怪しいものは出てこないように始末しとけよ」

 新津は指示を出し、社殿の裏手の方に向かって歩き出す。加世は脇を二人の村人に抱えられ引きづられるように運ばれる。

 しかし、加世には抵抗する気力もなかった。それどころか体を動かそうという力も残っていなかった。今、加世の中に占めているものは底知れぬ絶望と恨み、自分に対する嫌悪感しかなかった。

 加世の意識も視界も感情もどす黒いもので埋め尽くされていく。夜の闇に同化しそうなほど存在自体が黒くなっている気がした。

 そして、加世は途切れる意識の端で、新津のいやしい顔だけははっきりと脳裏に焼きついた。


 加世が次に意識を取り戻したときには見渡す限り真っ暗で自分がどこにいるのか、自分の体がどこにあるのかすら分からなかった。完全な闇の中にいた。

 加世は怖くなって叫んだ。今までに出したことがないくらい大声で何度も何度も叫んだ。時間の流れが分からなくなった世界で、恐怖で流れていた涙がいつの間にか枯れ、あげく声も枯れはてても叫んだ。のどからは何を言っているのか分からないうめき声のような音を発するだけになってもなお叫び続けた。

 その呻き声もついに出せなくなり、一番近くの目の前にある壁らしきものを叩いたり引っかき続ける。手や指先が痛いはずなのに、加世にはその痛いという感覚さえ麻痺していた。


 怖い 助かりたい 生きたい 死にたくない 死にたくない!! 死にたくない!!!!


 加世の中には、そんな感情が渦巻いていた。しばらくすると、壁を叩くことも引っかくことも体ができないと本能的にストップがかかる。それでも諦めたくない加世は今度は足でガンガン壁を蹴り続ける。何度も何度も蹴り続けた。そして、体の中から何かが折れるような音が聞こえると共に激痛が走り、加世は体中が痛いことにそのとき初めて気付いた。痛みに気付くと今度は痛みしか感じなくなった。


 喉が痛い 足が痛い 手が痛い 指が痛い 心が痛い 心が痛い 心が……


 加世は胸を押さえるように丸くなる。一番痛い心の痛みが次第に大きくなり苦しくなってくる。

「お母さん……お父さん……会いたいよ……」

 加世は擦り切れた声で搾り出すように言う。そして、母親と父親のことを思い浮かべる。優しい笑顔や温かかった日々……そして、最後に浮かんだのは目の前で崩れ落ちる社務所だった――。


「絶対に許さない。死んでも許さない。恨んでやる。呪ってやる。祟ってやる。許さない、許さない、許さない……」


 加世は最後は恨みの感情だけを抱え、短い生涯を閉じることになった。

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