夜の石神神社
神社に着くころには日は山の陰に沈み、あたりは薄暗くなってきていた。松谷と加世は社殿に上がる石段に並んで腰を下ろした。
「そういえば加世ちゃんは昨日神社の方に帰ってたけど、神社に関係ある子なの?」
「そうだよ。加世は神社の子だよ。名前で気付かなかったの? リョータ」
加世は松谷に察しが悪いなあと言わんばかりの視線を送る。
「名前? 名前って言われても、僕は加世って名前は聞いたけど苗字は聞いてないから知らないよ」
「あれ? そうだった? 加世はね、石神加世って言うんだよ。この石神神社の石神に加える世の中って書いて加世って言うんだよ」
「ああ、なるほどね。それにしても、壮大な名前だね」
「そうでしょー。加世はね、すごいんだよ」
加世は胸を張り自慢げだが、松谷にはどこから来る自慢か分からず話を合わせて相槌を打った。
「そんなすごい加世ちゃんは将来何になりたいのかな?」
「加世はねー、お花屋さんになりたかったの」
「へえー。じゃあ、加世ちゃんはお花に詳しかったりするのかな?」
加世は松谷が興味を持ったことが嬉しいらしく目を輝かせ始める。
「うん! 図鑑とかね色々調べたりして、加世はね、お花博士なんだよ」
「じゃあ、今の季節の花とかだと何があるかな? ヒマワリとか?」
「ヒマワリは夏の花だね。加世はねー。花言葉にも詳しいんだよ。ヒマワリの花言葉は昨日今日の加世がしてたみたいな意味なんだよ」
加世はニヤニヤしながら話す。松谷はどういう意味か分からず首を捻る。
「ヒマワリの花言葉ってなんなの?」
「『私はあなただけを見つめる』、だよ」
松谷はビクッとする。そして、ヒマワリがなんでそんな花言葉なのか考える。
「ああ、そういうことか。太陽の方に向く習性があるから、そういう花言葉なんだ」
一人で松谷は納得していると、横で加世がふくれっ面で松谷を睨んでいる。松谷はその刺さるような視線に気付き、
「えっと、加世ちゃんは何でそんなふくれてるのかな?」
と、恐る恐る尋ねる。しかし、加世はふくれっ面のまま、
「もういいもん」
と、答えるだけだった。松谷はなんとなく察しがつき、ふくれっ面のままの加世の頭を撫でながら、
「それなら僕もヒマワリの花言葉は加世ちゃんにしてたことになるのかもね」
と、微笑みながら言う。加世は相変わらず口を尖らせている。
「他にも色んな花のこと聞かせてくれないかな?」
松谷がそう提案すると加世はまた目を輝かせ始める。
「リョータがそこまで言うなら仕方ないなー。じゃあ、何が聞きたい?」
「じゃあ、ヒマワリの他に有名な夏の花って何があるのかな?」
「うーんとね、分かりやすいところだと朝顔じゃないかな」
「朝顔か。言われてみればそうだね」
松谷は自分の子供の頃の思い出しながら頷く。
「朝顔に何か思い出あるの?」
「いや、特に深い思い出ってわけじゃないけど、小学校低学年のときに夏休みの自由研究で朝顔の観察日記やったなー、って思い出したんだ」
「じゃあ、朝顔の花言葉って、なんだと思う?」
松谷は考え込む。しかし、いくら考えても何も思いつかない。
「わからないな。降参」
加世は少し楽しそうな顔を浮かべる。松谷は加世のその顔を見て。自分の知っていることを人に話したい気持ちでいっぱいなんだろうなとなんとなく気持ちがわかる気がした。
「朝顔ってね、花言葉は二つあるんだ。一つは『はかない恋』で、もう一つは『固い絆』なんだよ。なんでだと思う? 観察日記やったことのあるリョータなら分かるかもね」
加世はヒマワリの花言葉のことで根に持っているのか今度は最初からクイズ形式で松谷に話す。松谷は子供の頃の記憶を頼りに思案する。しかし、何も思い当たることがなく加世にお手上げというジェスチャーをする。それを見て、加世は嬉しそうな顔を浮かべる。
「ねえ、リョータは朝顔って、一度咲いた花は二度は咲かないっていうの知ってる?」
「いや、知らなかった。何回も咲くものだと思ってたよ」
「朝顔は一度しか咲かない一日花って種類で、だから、『はかない恋』って花言葉なんだよ」
「へえ。じゃあ、『固い絆』ってのはなんで?」
「それはねー……」
加世は座ってる松谷に絡みつく。松谷は突然のことで驚き、
「えっ? どういうこと?」
と、困惑の声を上げるばかりだった。
「朝顔ってこんな感じに支柱にツルをしっかり巻きつけるでしょ?」
「だから、『固い絆』なの?」
加世は「そうだよー」と、笑いながら絡める手に力を込める。松谷は「もう分かったから」と笑顔でゆっくりと絡みついた加世の手足を順に外していく。加世はひとしきり笑った後、松谷の膝の上にちょこんと座る。
「加世ちゃんは本当に物知りで花博士なんだね」
「そうでしょー」
松谷は素直に感心する。そして、少しだけ意地悪な質問を思いつく。
「じゃあ、そんな花博士の加世ちゃんに質問なのだけれども、加世ちゃんから見て僕にピッタリの花言葉の花って、なんになるのかな?」
「うー……なかなかに難しい質問だなあ……」
加世はうんうん唸り始める。そして、「あっ」と、何かを思いついたような声を上げる。松谷は答えが出たのかなと加世に期待と好奇心に満ちた視線を送る。
「リョータはね……」
加世がいいところで間を取るので、松谷はごくりと生唾を飲む。
「ラベンダー……かな」
「ラベンダー? あのいい匂いのする花だよね? どうしてラベンダーなのかな?」
「えへへ……それは秘密」
松谷は加世の少し不自然な笑いに引っ掛かりを覚える。
「それはいい意味でだよね?」
「そうでもあるし、そうでないかもしれないねー」
加世は曖昧に誤魔化す。松谷はもどかしさを感じながらもそれ以上は何も答えてくれないだろうなと感じ、次の話題を考える。
「じゃあ、加世ちゃん自身にぴったりな花言葉の花は何になる?」
「千日草と赤い彼岸花」
松谷は加世の即答にびっくりする。
「どんな花言葉なの? それは答えてもらえるのかな?」
「本当に知りたいの?」
松谷は膝に座っている加世の顔は見えないが冷たさを感じる声に身を固まらせる。
「リョータだから教えてあげる。千日草の花言葉は『不朽』、赤い彼岸花は『悲しい思い出』だよ」
松谷はどちらも不穏な意味に取れることで、迂闊なことも言えないのでどう返していいわからずにいた。加世と触れている場所はこんなにも温かいのに、今の言葉と感情はとてつもなく冷たいものなのかもしれない。松谷の腕には鳥肌が立ち、背中を夏の暑さからくるものとは違う冷たい汗が流れる。
しばらく沈黙が続き、神社にはどこからか聞こえてくる虫の声と風で揺れる木や草の音が響く。
その沈黙を破ったのは加世だった。膝に座ったまま後ろに倒れこむように松谷に体重をかけてくる。
「リョータは加世といっぱい話してくれるし、こうやって触れてるところはあったかいし……なんかこうしてると、落ち着くなあ」
加世は感触を確かめているのか頭の場所を決めかねているのか、松谷の胸辺りで頭をぐりぐりとさせる。
しかし、その感触が松谷にはくすぐったくて、笑い出しそうになるのを必死にこらえる。そして、我慢の限界を迎え、小さく声を殺して笑い出す。
「ねえ、なんで笑うの? リョータ」
加世は少しばかり不満の混じった声を上げる。
「ごめん。なんだか加世ちゃんの頭がくすぐったくてさ」
加世は今度はわざと頭をぐりぐりして、松谷が笑うと一緒に笑い出す。
「まじでやめて、本当にくすぐったいから」
松谷はついさっきまでの重い空気がなんだったかのかというぐらい声を出して笑う。松谷も加世の脇をくすぐって反撃を始める。加世も体をねじりながら一緒になって声を出して笑い始める。
しばらくして、笑い疲れて悪ふざけも落ち着き、二人して一息ついた。
「僕もね、加世ちゃんとこうしてふざけたり、話したりするの楽しいし、好きだよ」
「うん。加世もそうだよ。ねえ、明日も加世に会いに来てくれる?」
「もちろんだよ」
「じゃあ、お昼のサイレンが鳴る頃にまた神社に来てくれる?」
「わかった」
加世は自分の体を支えるように回されていた松谷の右手を掴んで、軽く持ち上げる。そして、自分の左手と松谷の右手の小指を引っ掛ける。
「約束だからね、リョータ」
「うん、約束」
「じゃあ、ゆーび切った!」
加世は嬉しそうに笑う。しばらく加世は松谷の手で遊んでいたがだんだん動きが鈍くなってくる。
「ごめん、リョータ。そろそろ眠いかも……」
加世は松谷の膝から滑るように降りて、今度は膝を枕代わりに横になる。
「ちょっと……石段だと寝にくいでしょ? せめて、社殿の木の所で横になろ?」
松谷は加世に呼びかける。寝ぼけ眼で加世は「そうする」と、言い、松谷にも社殿に上がって座るように社殿の床を軽くパンパンと叩いて暗に強制する。松谷は石段から腰を浮かせ社殿に腰掛ける。それを確認すると加世はすぐさま松谷の膝を枕に横になる。小さく、「おやふみ、リョータ」と、言い静かに寝息を立てはじめる。
松谷はどうしようかと考えつつ、加世の髪をゆっくり優しく撫でる。松谷は加世を起こさないように端末でスクリーンを表示させずに時間を確認する。もうすぐ日付が変わりそうな時間だった。思った以上に時間が経っていることに驚きつつ、加世がいるので動くわけにもいかず、村がどうなっているのか気がかりになってくる。
しかし、なんとなく松谷には何も起こってないだろうという確信めいたものもあった。だからか、不思議と焦りはなく落ち着いていた。