二日目の此別村
松谷はHMDを起動させる。起動立ち上げの暗い画面から視界が開け明るくなる。
「それでは、教授。行ってきます」
松谷は姿は見えないが、近くにいる中河原に向かって言う。
「ああ、気をつけてね。それと何かあったらすぐに戻ってくるんだよ」
VR内の此別村は今日もよく晴れていて、パッと見た感じこれから何か起ころうとしている予感すら感じさせなかった。虫や鳥の声、風の吹きぬける音しか聞こえない長閑で何もない平和な村だった。
松谷は昨日と同様入り口に程近い民家の敷地内を覗き込む。昨日と同じように洗濯物が風になびいて揺らいでいた。それを確認し、松谷は雑貨屋に向かうことにした。
雑貨屋の前には昨日見た男の子達が軒先のベンチに座り、ジュースを飲みながら何やら楽しそうに話していた。会話を聞くと、ゲームの話やら、夏休みの宿題がどうやらとか、今年も親が旅行にもどこにも連れて行ってくれないという文句などを言っていたりしていた。
しばらく、雑貨屋の前にいると買い物や荷物を受け取りに来る村人が数人いて、店員と話し込んでいる様子も窺えた。男の子達が連れ立って雑貨屋から離れていったのを確認し、松谷は神社の方に向かう。
神社に着き、参道を通り手水舎を脇目に社殿に向かう。松谷は神社に来るまでに加世に出会えると根拠なく思っていた分、どこか気が抜けたような気分だった。
松谷は社殿に上がる石段に腰掛け、一息つく。そして、これからどうしようかとスクリーンを表示させようと端末に手を伸ばした瞬間、背中に衝撃を感じる。
「リョーーーッタ!!!」
満面の笑みを浮かべた加世が社殿の方から飛びついてきた。松谷はいきなりのことで驚いのたのに加えて不意の衝撃で軽く咳き込む。
「大丈夫? リョータ?」
加世が肩口から心配そうな顔で覗き込む。加世だと気付くと、中河原が注意していたことを思い出し、昨日と同じように、と松谷は自分に心の中で確認するように言い聞かせる。
「大丈夫。いきなりだったから少し驚いただけ」
「そう? でも、なんかごめんなさい」
加世は謝りながらシュンとする。松谷は加世の頭を撫でながら、
「謝らなくてもいいよ。僕は謝るよりしてほしいことがあるんだけどな」
と、優しく話しかける。加世は不思議そうに顔を上げる。
「加世に何してほしいの?」
松谷は加世の顔をまじまじと正面から見つめる。加世は緊張が顔に表れてくる。松谷は加世のそういう気持ちを感じながら、パッと笑顔を向け、
「まずはさ、笑ってほしいな」
加世は呆気にとられて、「あっ……えっ?」と、生返事をした後に言われたことを理解して笑い出す。それに合わせて松谷もつられるように声を出して笑う。
「ねえ、まずはってことはさ、他にも何かしてほしいことあるの? リョータのお願いなら聞いてあげるよ」
加世は松谷に眩しいほどの笑顔を向ける。
「じゃあ、今日も村を案内してもらってもいいかな?」
「もちろんだよ!!」
加世は嬉しそうに松谷の周りを回る。松谷が立ち上がると加世は松谷に絡みつくようにじゃれついてくる。
「ねえ、リョータ。今日はどこ見に行きたい? って、言っても何もない村なんだけどね」
「じゃあ、昨日と同じルートで案内してくれるかい?」
「わかった!」
加世は松谷の手を引きながら、探検隊の隊長にでもなったように背筋を伸ばし、胸を張り、楽しそうな表情で作業場の方に歩を進める。
作業場に着くと昨日と同じように敷地の外から二人で中を覗き込んだ。数人の作業員が何やら作業をしているのが見える。ダラダラ作業をしているようにも見えるが、今日も松谷の目には何をしているのかはよく分からなかった。しばらく見ていると、隣で一緒に眺めていた加世がそろそろ次の場所に行かなくてもいいのと言う無言の圧力をかけてくる。
「じゃあ、そろそろ次に行こうか? えっと、役場だったっけ?」
「うん! ついて来て!」
加世は笑顔でまた松谷の手を引き、歩き始める。そして、今日も途中で脇道に逸れた。脇道に入りしばらくすると、背の高い草が増え始め見通しが悪くなり始める。すると、また川を流れる水の音がどこからか聞こえてきた。松谷は目を落とすと道の脇には赤い彼岸花が咲き乱れていた。
松谷はここがどこなのか不思議に思い立ち止まる。加世は松谷が立ち止まったことで繋いだ手で引っ張られるように止まる。
「ねえ、加世ちゃん……ここって……?」
「ダメ! リョータはここで立ち止まったりしちゃあダメ!!」
加世は強い言葉で松谷に言いながら繋いだ手を強く引っ張る。松谷は加世が大きな声を出したことに驚いて、言われるがまま歩き出す。加世は先程より早足で、「ちょっと加世ちゃん?」と、松谷が何度か話しかけるが無視して歩き続けた。
視界が開けてきて、脇道から出てもそのまま引っ張るように歩き続け、役場に到着する。役場まで着くと、加世は手を離しプイっと顔を背けた。
松谷はどうしようかと困ってしまい、頬を掻いた。
「ねえ、加世ちゃん? さっきは急に立ち止まってごめんね」
加世は反応しない。
「今日は何でも加世ちゃんの言うこと聞くから」
加世はピクッと反応する。そして、ゆっくりと松谷の方に顔を向け、
「リョータは本当に悪いと思ってる?」
と、尋ねる。松谷は、「もちろん」と、頷いてみせる。
「じゃあ、加世と今日も明日もいっぱいお話してくれたら許してあげる」
加世は悪戯っぽい笑顔を浮かべる。
「分かった。それで許してくれるんならいっぱい話そう」
松谷は加世の頭を撫でながら笑顔を向ける。加世は撫でてる手に絡みつき、そのまま役場の敷地内に入り、昨日と同じ窓のところまで行く。そして、一緒に覗き込みむ。昨日、加世が話したボヤ騒ぎを起こしたという職員もいた。しかしながら、特に変わったところもなく、ただただ時間が過ぎていった。加世は飽きてきたのか、窓枠にいたてんとう虫を凝視し始める。てんとう虫が飛んでいった後は、壁にいた蟻の動きを目で追う。
松谷はその退屈を持て余している様子に気付き、
「じゃあ、そろそろ別のところに行こうか?」
と、提案する。
「うん! 次は学校だよね?」
と、加世はさっきまで退屈で難しそうな顔を浮かべていたのにパッと笑顔に変わる。大げさに繋いだ手を振りながら加世は楽しそうにスキップ混じりで歩く。松谷は引っ張られバタバタと、小走りになりながらついて行った。
学校に着くと今日は校庭には誰もいなかった。昨日は校門脇までしか入らなかったが、今日は二人で校庭の中にまで入る。加世は校庭に入ると嬉しそうに駆け出し、中央付近で松谷に呼びかける。松谷はゆっくりと加世のところまで歩いていくと、腕に絡みつかれ、ぶら下がってきた。そのまま加世を運ぶように朝礼台までたどり着く。
朝礼台に寄りかかり一息つく松谷の横で、足をブラブラさせながら加世は楽しそうにずっと声を出して笑っていた。
松谷はふと気になって、校舎に近づき、昨日、男の子達に帰るように促した女性が顔を出した窓を覗き込む。そこは手狭な職員室のようで、壁には予定を書くための黒板や掲示用のボードがあり、近くの机の上には教科書や資料などが並び、プリントやPCなどが置かれていた。
しかしながら、PCは電源が落ちており、部屋の電気もついておらず、人の気配はなかった。
「ねえ、リョータ。何かおもしろいものでもあった?」
「いや、特にはないけど、なんか子供の頃が懐かしいなあと思ったくらいかな」
「へえ。リョータはどんな子供だったの? というか、何歳?」
加世は興味津々という顔で聞いてくる。松谷は加世と朝礼台に並んで座り直してから答える。
「僕はね、今は二十四歳だよ」
「見た感じはそんな感じだよね。若い大人のお兄さんって感じだしね」
「ありがとう。で、子供のころか……小さい頃は引っ込み思案で友達が少なかったかなー」
「それは嘘でしょ? だって、リョータ、人と話すの慣れてるもん」
加世は騙されないぞとばかりに前のめりになりながら、鼻息混じりに言う。
「ほんとだよ。子供のころは友達と遊ぶことよりも、おばあちゃんの家に行って、よく話してたりしてたよ」
「へえー。おばあちゃんが好きだったんだ」
「そうだね。色んなこと話してもらったり教えてもらったりしたよ。このミサンガのこと教えてくれて作ってくれたのもおばあちゃんなんだ」
松谷は思い出しながら話す。加世はそれを真面目な表情で聞いていた。
「リョータは子供のころは何になりたかったの?」
「僕はおばあちゃんから昔の話とか聞くのが好きだったから、そういうことを調べたりする仕事につきたいなあと思ってたよ」
その後も、加世に聞かれるまま子供の頃に好きだった遊びや食べ物などの話題で盛り上がり、気が付けば日が傾きだし足元に伸びる影は長くなっていた。
そのことに気付いた松谷は、校舎の壁にかかっている時計を見上げる。
「そろそろ、暗くなってくるし、そろそろ帰った方がいいんじゃないかな?」
「うん……」
加世の顔色もうっすら暗くなる。
「どうしたの? 加世ちゃん」
「ねえ、リョータも帰るの?」
加世は松谷の服の裾を掴み、俯いたまま問いかける。
「僕は今日は事情あって神社辺りにこれから行く予定だけど、加世ちゃんはどうする?」
加世は驚いたような表情で顔を上げ、目を何度もぱちくりさせる。
「神社に……? 加世も一緒にいてもいい?」
「いいけど、夜遅くなったらちゃんと帰るなりするんだよ? そのときは送っていくからさ」
加世は首を横に振る。
「リョータとずっと一緒にいる! ダメ?」
「ダメってわけじゃないけど……お父さんやお母さんとか心配しない?」
加世はまた暗い顔をして俯く。松谷は何か言ってはいけないことを言ってしまったかなと思いつつ、何か言葉を続けなければと考えを巡らせる。
「でも、今日は加世ちゃんのお願いを聞くって約束したから、加世ちゃんのお願いならずっと一緒にいなければいけないのかな?」
松谷は加世にわざとらしく困ったというような仕草を見せながら言う。
「いいの?」
「もちろんだよ。それで怒られるような事になれば一緒に怒られてあげるよ」
加世は嬉しさとおかしさから笑い出す。
「大丈夫だよ。怒られないから」
そしてさらに、「だって、もう――――だから……」と、言っている加世にすら聞き取れないほど小さな声でぼそっと言う。
「何か言ったかい?」
「ううん。何も」
加世は松谷に笑顔を向ける。松谷は迂闊に何かこれ以上言うのは得策ではないと思い、深くは詮索しないことにした。松谷は立ち上がり、加世の手を取り、
「じゃあ、神社まで案内してくれる?」
と、笑顔で言う。加世は今まで見せた中でも一番の笑顔で「うんっ!」と頷いた。