7話『俺たちの朝』
6/14 改訂
――――――夢を、見た。
それは決していいものでもない。しかし、悪いものであると切って捨てることも出来ない。
曖昧な感情。分からない。判別できない。それが自分にとって有益なのか、無益なのか、その境界線さえも曖昧になって溶けてしまいそうになる、そんな世界。
ただ薄ぼんやりとした視界の中、視界を固定されたままある一点を見つめていた。
視界を動かそうにも、まるで今この視えている世界だけが切り取られ、他には無が広がっているようで、眼球はおろか頭ごと動かそうとするもとてつもない激痛が首に走ったことで動かすことをやめた。
本当にこの視界のみしかないのか、はたまた、この光景から《目を逸らさせない》ためなのか。
次第に抵抗を止める。およそ十メートル先には、二人の男女と思わしき二人が立っている。
片方は、大きな大剣をその手に、片方は、羽衣を纏い佇む。
雲の間から差し込む光と、吹く風にたなびく布や崩壊した建物はその音が幻想的な情景を生む、が本来生じる感慨というものが一切胸のうちからわいてこなかった。
この場において、自分は風景の一つ。考えの持たぬ瓦礫のひとつと考えれば、どうだろうか。
自分の視点が動かぬのも、理性的な考えがひとつも浮かばぬのも、全ては自分が人ではないから。
そう結論付け、諦めなければ、自分は答えを求めていずれ狂ってしまいそうだった。それを避けるための、ある意味での諦め。
石ころ。石ころだと念じ続けていると、ふと眼前の二人に動きがあった。
身の丈をゆうに越える大剣を手に膝をつく剣士らしき男に、羽衣を纏った少女は近づく。
歩いただけで、その大地からは緑が芽吹き、瓦礫で埋もれた本来ならば凄惨たる場所を浄化していく。
奇跡。そう呼ぶにふさわしいことを歩くだけでやってのけた少女は、男の頬に手を添える。
少女は、この世の誰よりも彼を案じる表情を浮かべ――――――
そして男は、そんな彼女の表情に、絶望した表情を浮かべた――――――
「――――――」
「! ――――――! ――――!!」
声は聞こえない。それは俺が、物言わぬそこらの石ころだからだ。
故に、何故彼がこんなにも苦しみ、彼の身を心配する少女へ向けて慟哭をあげるのか理解できないし、
何故、少女はそんなことをされても尚、男の頬に手を添え続け、子をあやす母のようになにかを言い聞かせているのかが理解できなかった。
「――――――。――――、――――――」
「――――――!!!」
男は引き下がらない。ように見える。
少女の言葉を否定するように俯いて叫ぶ。がその頬に添えられる手は外さないままだ。
むしろ、その手を両手でとって、額にもっていくと、両の手で握り締めて嗚咽を上げ始めた。
後悔しているのだろうか、それとも懺悔? いや、単純に泣きじゃくってるだけかもしれない。
感情と、視覚以外の五感がない今では、それがどんなやり取りであるのかはわからない。
繰り返される問答。その果てに、少女はずっと浮かべた困った顔を少しだけ強めて、
「あなたは、がんばったよ」
聞こえた。
聞こえた聞こえた聞こえた聞こえた。
声が、聞こえた。
滑るような聞こえのいい声。鈴の音のような凜とした声。ミントのような清涼とした声。
どれにも例えられない。例えられるという表現さえも、おこがましいとさえ感じた。
そんな自分にいらつくように歯軋りをしてみると、石ころのくせに鉄のような不味い味を感じた。
今自分がなっているのは石じゃなく、鉄だったのだろうか? いや、そんなことはどうでもいい。
彼女の声だ、今は彼女の声だけを考えていたい。
天使。いや、女神。と。聞く人皆がそういうだろう。
目の前に輝く圧倒的な輝きに、俺という石ころは自覚して初めてその存在の尊さを感じた。
ああ、それなのに何故。
「――――――」
何故、目の前の剣士は、全てが終わった。とでも言うように、膝を屈し、目を閉じ、そのまぶたから大粒の涙を大地へと垂らすのだろうか。
何度も拳を叩きつける。何度も、何度も、何度も。
よく視れば気づく。彼の剣士の左足は、出血した血と、焼け焦げたような匂いを感じる。
立って歩くことすらままならないからこそ、その手で、剣を取っていた手で大地を抉り、そしてその分だけ拳が抉れる。
皮がめくれ、肉が露出し、手の細い骨の白さが見えるほどの苦しみを止めるためだろうか。
少女は彼の肩を掴んで、微笑んだのだ。
「――――――?」
さっきまで聞こえた、あの美しすぎる声は、また届かなくなっている。
しかし、それがなにかに触れたのだろう。彼はもうなにも言うことは無い。
ただ、呆然とし、虚ろに灯った目と、ぶつぶつと小さく、そして早く呟かれる言葉が、聞こえはしないが見えた。
再び少女が彼の身を心から案じて、その顔を上げさせようとした時、
「ああ、魔が、満ちた」
地獄の底から這い出たような、ドス黒い瘴気を孕んだ声。
虚ろだったその目は深淵まで届くような黒へ染まり、傷だらけだった体中の傷からそれらに似た黒い煙が噴出す。
やがてそれらが密集し、固まり、何本もの腕となって湧き出たその邪悪なものたちが、
「――――――ぁぇ?」
初めて、自分の声が出た瞬間だった。
いや、これは自分の声じゃない。俺は、こんな声ではない。
ではこれは誰なのだろうか。そもそも、何故石ころが声なぞ出せるのか。
答えは、揺さぶられた視線の中、同じようにあの腕に掴まれている存在に、気づいたからだ。
「ぅぅぁ」
「っぎぎ、ぎぃ……」
「たすけ、たすけて……」
鎧が剥げ、その身で体の――――心臓を鷲づかみにされているのは、人だ。
ヒト。かつての自分と同じ、ヒトだ。
持ち上げられたことにより、視界が広がる。倒壊した建物、樹木、そして倒れるヒト。
この場所は、戦場だったのだ。争い、お互いの命を燃やしあい、そうして死んだ。兵士たちの屍が連なる場所。
そんな場所故に、既に反応がなく命のともし火が消えているものもいれば、こうして声をあげるものもいるのだ。
だが自分は石ころだ。なんの感情の持てない――――いや、待て。
俺はさっき、なにを感じた?
彼女の声を、美しいと感じた。
口内に広がる鉄の味を、不味いと感じた。
鼻腔の中に入り込む肉の焦げた匂いを、感じた。
そして今、俺はこの手に掴まれている、そう感じた。
最初からあった視覚以外の五感全てが、俺にはなかったはずなのに。
何故、答えを得るために、俺を掴む腕が俺を地面へと落とす。
耳障りな音が頭の中で響く。ころころと転がって転がった先で光る壁に当たった。
眩しさから目を細める、眩しい、これはなんなんだろうか。
細めた視界の先には、目があった。
そして合点がいく。これは鏡なのだ。光を反射し、細めた俺の目を映し出している。
今自分は一体なんなのか。答えを求めて無理やり開いた俺の目には――――――。
「…………ぁぁ」
腕がない。
足が捩じり切れている。
肩は転がったために、地面と擦れて摩り下ろされてしまっていた。
横倒しになっている胴体には、腹にあたる部分の中身がすっぽりなくなっていた。
二つあると思った目も、顔自体が左半分しか存在が確認できなくて、
「――――!? ――――!!!」
叫ぶ。声が出ない。ひゅー、ひゅーと喉が鳴る。
もぞもぞと動く手足のない胴体は、さながら芋虫で、現実味のない恐怖とともに自分の今おかれている惨状を伝えてくれる。
血が喉から溢れていた。切ったのだろうか、痛みは無い。なのに血は流れ続ける。
投げられた俺の背後から、ヒトの悲鳴が続いた。
耳障りな音が、また響く。ひとつ、ふたつ、みっつ。
地獄だ。魔だ。正真正銘の、魔による地獄絵図。
自覚してしまったが故の、半狂乱で芋虫のようにもぞもぞと動くからだの残った左側の耳に、
「ごめんなさい。私は、間違えたんですね」
鈴の音の懺悔が、よく焼きついて。
急速に力が抜けていく感覚をそのままに、意識が深く、深く底にまで、沈んでいった。
「――――ぁぁあっ」
欠伸をひとつ。噛み殺しながらぼんやりといた意識を覚醒へともっていく。
起きて、ばさばさする頭から無造作に干草を取り除いて、そんでもって体を起こす。
差し込む朝日は、俺の顔半分、右側に当てられて、どうにも熱くてしょうがない。
右半分が熱い。自覚したとき、脳裏によぎるのはあの惨劇。
自分ではない体に俺が宿り、そして――――――死んだ。
どっと汗が全身から噴き出して、たまらず干草のベッドから跳ね起きる。
「っそ、そうだ。右、顔!? 俺の、俺の手と足が――――――」
――――――――ある。手も、足も、いまだ朝日が照り付けてくる右半分の顔も。
ぺたぺたと全身くまなく触りまくって、俺は俺の体がきちんと健康体であることを確認して、思案する。
あの、現実と区別もつかなくなる。感覚さえもそこにあると自覚したほどの、あの場所はいったい何だったのか。
ただ、ひとつだけ覚えている。確かに残っている。あの声だけは、
「まちがっていた……。って、どういうことなんだよ。いや、そもそもなんで俺はあんなものを見た……?」
澄み渡るような鈴の音の、最後に耳に残していった後悔の念。
どんなにあの忘れたくなるような体験をしても、それだけが唯一俺の耳に、記憶にこびりついて離れてくれない。
声が震えて、ぐちゃぐちゃになった思考を纏め上げるのに精一杯で、
「意味、わかんねぇ……。なんだよ、なんなんだよ……!!」
少なくとも、俺の体に刻まれた震えが止まらない。
恐怖。それも限りなく実体験に近いものを見せ付けられて、ただの男子高校生が抗えるはずもない。
一面に広がる血の海が、その上から塗りつぶしにかかるどす黒い影が、そして、それらを束ねる――――あの化物が。
数十分、すくなくとも一時間で立ち直れたのは、それこそ奇跡だっただろう。
まだ視界にちらつく赤を振り払って、どうにかこうにか平常心を保つことに全力を傾ける。
唇をかみ締めて、いまだ震える声をあえて出すことで、己の身体が健康であると無理やり思い込みながら再び思案を開始。
まず気になったことは、あの女性だった。
「そっくりだった。ってことは、俺たちを飛ばした人が、あの女の子なのか? だったらこんなところに連れ込んだのも、理解まではできないけど理由はわかる」
まだこの世界に飛ばされることなどつゆほど思わない、あの始まりの日。石にユリィが触れたとき、確かに聞こえた声と、あの鈴の音は確かに似ていた。
そして、あの夢で生れ出た化け物。俺が見たあの剣士は、おぞましいなにかを身に宿し、辺りにいた倒れ伏している、いまだ息のあった者すべてを呑み込んだ。
あれが、この世界にいるとしたら。あれが、この世界を脅かすなにかだとしたら。
「――――――――世界を救え。そう言った理由は、わかる」
なぜそれが俺たちなのか。あの光景は、結局何だったのか。
肝心なことは何もわからない。だけど、俺たちがやるべきことはうすぼんやりとはっきりしてきて――――
「無理だろ。あんなの倒すとか…………」
俺は人間。いくら探索者、シーカーなんていう大仰な名前の存在になったところで、今できることいえば鳥につぶてを当てて麻痺らせるレベル。自覚してみればなんてちゃっちい存在だろうか。
これで眠っている能力が突如発現! なんていうイベントが起きてくれれば多少はやる気がでる気もするが、そんなものは丸めてヤギにでも食わせればいい。女神さまに体の中身見られるとかいう体験しているのだから、あるのならばその時点で秘めたる力系統はすべて出切っているだろう。まあ、出たのは視力回復とかいう微妙すぎるが生命線的にはありがたいものだったが。
ラスボスらしきものが最初に出てくるというRPGテンプレを踏襲してきたが、生憎とあんなものを見せられておいて、よっしゃ倒してやる! となるような勇者気質でもないのが俺という一人の男子高校生の結論だ。
そして最大の問題は――――――これを、彼女に話すかどうか。ということ。
「――――いや、言える訳ないか……。おいユリィ、お前いつまで覗いてんだ?」
「あ、あー……。ばれてた?」
「扉の前に立って入りずらそうに唸ってたらそりゃな。まあ盗み聞きしようとしないだけマシだけど、ほら入れよ」
決してさっきまでの雰囲気を悟らせてはならない。あの化物の恐怖を、彼女にも植え付けるわけにはいかない。意を決して弱る自分の心を内へ内へと追いやって、どうにかいつも通りの自分を装う。
お邪魔しまーす。と入ってくるユリィは、両手になにやら紙袋のようなものを抱えている。
夜にはそんなものを持ってはいなかったはずだし、とすれば俺が起きる前に一人で出かけたというわけだろうか?
「それ、買い物でもしてきたのか? 朝だからっていって、一人行動はあんまし関心しねえぞ」
「ごめんごめん。ほら、私もトーマも、まだ制服のままでしょ。だから服、買ってきたの」
「お、それは素直にありがたいな。日本からもってきた数少ない思い出……っていうほど思い入れもないけど、大事にするに越したことはないしな」
「うん。私も着替えるから、ちゃちゃっと着替えて今日するべきことを探そう。ここ置いておくね」
そういって、ユリィは俺の服だと思われる紙袋を床に置いて、そそくさと部屋を出ようとして、
「あ、あの……さ」
「うん?」
とっさに出てしまった、俺の声で足を止める。
――――決意が揺らいだ。揺らいでしまった。
何を言わんとしたのかはわかる。あの夢と、起きた惨劇。そして、俺たちがこんな世界に巻き込まれる切っ掛けとなるかもしれない事実かもしれないお話。
もちろん、あれは俺の夢の中で、起きたこともすべて夢だからと片付けることもできる。できるのだが、
あれを夢と言うには、耐え難いほどの恐怖と、狂気を感じてしまった。
一度呑まれた、植えつけられた恐怖は拭うのにはどれだけの時間がかかるのだろう。
日本という平和で、争いとは遠ざかった世界で育った俺には、まだそんなことがわかるはずもなく――――
「い、いや。なんでもない。服、さんきゅな」
「? うん……。街、探索するのと、今日もお金稼がなきゃいけないんだから、早くしてね」
――――――やはりそれは、彼女にも言えることだ。
この恐怖を伝えるべきか、伝えないべきか。そのはざまで揺れ動き、下した結論は、絶対にこれを口にしないこと。
少なくとも、不安が表面に浮き出るほど、このユリィという少女は参っているわけではない。
ならば、そこに追い打ちをかけるほどのことをするべきではない。少なくとも、それで心の均衡が保てるのなら、俺がこれを伝えるべき時まで抱えていればいいだけの話だ。
あまりの損すぎる役回りに、思わず深いため息をつく。
いつからこんな紳士的な男になったのやら、だが、不思議と心は満たされている。
なにより、あの少女が泣く姿は、何故だか見たくなかったのだ。
「おお! 似合ってるねー」
「そ、そうか? なんかこう、勇者勇者してるような恰好は嫌なんだが」
「もー、そんな謙遜しちゃって、見てくれは多少はいいんだから、もうちょっと着飾ってもいいくらいだよ」
「いや、これからモンスターとドンパチする生活するってのにごちゃごちゃした服装してどうすんだよ……あと、お前が昨日顔つきが悪いって言ったのは忘れてねえからな」
「あ、あはー……。許して?」
「ゆるさねえ。墓場まで持っていく」
そんなー。と口を尖らせるユリィに苦笑しながら、今よりもっと派手になった自分の服装を想像して身震いする。
じゃらじゃらした服装で魔物退治とか、貴族あたりが余興でやっていそうな世界観ではあるが。
生憎この身は目の前の茶化す少女含めて無一文に近い状態のうえ、身よりも血縁も頼れる人もゼロときたもんだ。
あのハンマーのおっちゃんやギルドの優男とは面識こそできたが、まだまだ知り合いレベル。
優男にはクエスト方面では助けてもらうことになりそうだが、そのほかではまだまだ俺たちは孤独に近い状態なのだ。
ともあれ、ユリィが見繕ってくれたこの世界の衣装――――青地を基本として、黒いラインで落ち着いた腰よりすこし長い外套に、同じく青地だが上着よりも少し深い色で彩られたズボンをベルトで止め、ブーツという冒険家業というよりはいいとこの騎士みたいな格好になってしまった格好を、少し客観的に見て恥ずかしさで頬を染める。これで腰に収納されているのが、腰の後ろに皮を縫い付けて固定されているトンファーでなく剣であったら田舎から来た騎士とでもいえば信じてもらえそうだ。
対してこの少女は白い修道服のようなデザインだが、肩出しルックのアニメにでもでてきそうな格好に、腰に巻いた布とゆるめの黒いズボンで白黒スタイルとなっている。
年頃の少女としての最後の抵抗であるのだろう肩出しルックについてはあえて追求しまい。
ただ、時々浮いた脇から胸が見えそうになってとても目に悪いので、当面その方向には目を向けないことも念頭において。だ。
「さて、これで俺たちの金も見ての通りすっからかんになった」
「うう……。い、一応、安いところをなるべく探して買ったんだよ? ほんとだよ?」
「わーってるって。一々疑うかよ。んで、そんな無一文の俺たちには今日中にすることが山ほどある」
不安げに目じりを下げて覗き込んでくるユリィに手を振って応え、この先の言葉を振るように指をビッシと決めてやる。
その仕草にワンテンポ置いて、納得する仕草をとると、指折り数えながらユリィも応えた。
「えっと、まずは街の探索。大きい市はもう朝一で私が見に行ったから、あとは全体をぐるっと回らないとね。それから……クエスト。かな」
「はい正解。まずは拠点の土地を理解して、昼ごろにはクエスト探して金をどうにかしないとボロ宿どころか野宿一択になるからな」
「ほっ。宿主を前にしてボロとは随分いってくれるの小童」
「うおっ!? じ、爺さん……いたなら声掛けてくれよ…………」
俺達が話していた宿の廊下、お互いが寝泊りした部屋の間で話しているところに、ぬっと現れた腰の曲がったジジイの登場で思わず飛びずさる。
その様子にムッときたのか、爺さんはしかめっ面でいかにも機嫌が悪いですと主張しながら、たくわえたひげをなぞりながら、
「なんで自分の家で寝床を貸してもらっている立場の小童に命令されなきゃならんのか……」
「う、わ、悪かったよ爺さん。ほら、鍵。俺たちもういくからさ」
「ふん。言われずともとりに行くところじゃったわ。まったく――――」
差し出した鍵をひったくって、機能と変わらず腰が曲がっていると思えないほど素早い動きでカウンターまで向かう爺さんの身体能力に驚きながらも、外からたてかけてあるだけの板をどかしながらもう一度振り返る。
「じゃあ、宿、通常値段で泊めてくれてありがとな。機会があればまた」
「お世話になりましたー」
「ほっほ。嬢ちゃんのほうはいつでもきてくれてもええわい。小童は――――そうじゃの、精々ぼったくられないよう目ざとくなっとけぃ」
ぶっきらぼうに、それでいてユリィのときとはまったく声色も冷め切ったもので言われた言葉だが、その裏には隠しきれない俺たちを案じている様がちょっとだけ見えてきて、思わず苦笑いを零す。
なんじゃ気持ち悪い。さっさといかんか。と怒鳴られたまらず板を倒して出て行こうとする俺たちに、
「生きていればあの子も――――――いや、考えても、もう遅いわい」
暗がりでうつむいて、どこか遠くを見る爺さんの言葉がどんな意味を持つのか、このときの俺たちはまだ知る由も無い。
「はい。板立てかけ終了」
「おう。そんじゃ、朝の散歩兼情報収集タイム、いってみよう!」
「ぉおー!」
照りつける太陽の温かみを全身で感じながら、厩舎との別れを告げ、歩き出す。
――――――異世界での、俺たちの二日目が幕をあけたのだ。




