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World Ⅳ.痛みの花


人が笑うのはどんな時だろうか。

楽しい時。嬉しい時。愉快な時。幸せな時。

それだけ?

きっと悲しい時や、つらい時だって人は笑ってるんだ。

だってそうしなきゃ……



そこは山脈の麓にある王国だった。

澄んだ地下水が有名であり、国民の胸には色とりどりの美しい花が咲いている。

そして何よりも、笑顔に溢れる国だった。

第一印象としては最高なのだが、右を向いても左を向いても笑顔と花が見える。

暗い顔は一つとして見当たらない。

それはとても幸せなことなのかもしれないと、少女は思う。

土壁の家に飾られた植物も、花壇を彩る草花も活き活きとしている。

人の間に交わされる言葉も明るく、淀みがない。

この国に降り立ってから数時間、少女は歩きながらの散策に疲れ、周りを見渡しては飲食店を見つけて中へ入り、客席に座った。

黄色を基調とした明るい内装の店。

飾り気のない木材テーブルセットは使い古してあり、どこか温かみを感じる。

テーブルの細かな傷に目を走らせていると、店員の女性が水を手にやって来た。


「いらっしゃいませ。旅の方ですか?ご注文は何にしましょう?」


国民ではない証とは、胸に花が咲いていないことと、笑っていないこと。

余所者は一目瞭然なのだ。

かといって排他的なわけではなく、むしろ歓迎されているようだった。

道行く人に声をかけられては話をした。

どこから来たのか、旅をしてどれくらいなのか、つらい事や悲しいことはなかったか。

そんな話を至る所でしたおかげで、少女は疲弊してしまったのだ。

どんな話題でも笑顔を絶やさない国民は常に全力で会話をしているようだった。

しかしそんな会話の中で、この国は旅人に親切だと教えてもらった。


「えっと、この国のお金持ってなくて……これで支払えますか?」


少女は前回、からくりの店主からお土産にもらった小さな玩具をテーブルに乗せた。

カタコト音を立てながら動く小さな人形は、音の出ないラッパを吹きながら歩く。


「まあ、かわいらしい!よろしいですよ。これに見合ったお料理をお持ち致します。少々お待ちください」


玩具を持ち去っていく店員の後ろ姿は、長い三つ編みが猫の尻尾のように揺れている。

どんな料理が出てくるのか、少女は店内を見渡しながら待った。


「あんた、旅人さんなのかい。若いのにご苦労だな」


突然の声に視線を移すと、ひとりの男性が隣のテーブルから身を乗り出し、興味深そうにこちらを見ていた。

もじゃもじゃの髭を蓄えた、がっちりした体つきの中年だ。

髪も伸ばし放題でボサボサだったが、少しよれた服装は汚れていない。

ただ雰囲気はどこか悟りを開いたような、疲れたものだったが、しかしやはり口元には微笑みを絶やさない。

男性の出で立ちに、少女は一瞬硬直した。

この国では珍しいタイプに思えたからだ。


「いえ…、自分で望んだことなので」


狼狽しながらも答えると、隣の向かい側に座る男性は前髪から覗く瞳をキラリと輝かせた。

少女は、店員さん早く来ないかな…と心の中でそっと思う。


「あんた、この国に来て、この国を見て、どう思った」


「え?」


ここ数時間の間で、こんな質問をされたのは初めてだった。

他の人は皆、今までの旅のことだとか、体験談を聞きたがっていたのに、この男性はやはり見た目と同様、性格も他の人とは違うのかもしれない。


「えっと、笑顔の絶えない、明るくて良い国だと思いました」


たった数時間で得た情報で、人当たりの良さそうな、ありきたりの返答をする。

すると男性は少し眉毛をひそめ、硬い声色で言った。


「あんたのそれは本心か?」


「っ!」


瞬間、少女の身体に動揺が走る。

図星だからだ。

少女の目が動揺で揺れるのを確認した男性は少し満足そうに口角を上げると身を乗り出し、小さな声で囁く。


「俺はな、この国は狂っていると思うんだよ」


狂ってる。

少女は心の中で言葉を反芻した。

そしてその意味が頭に浸透した瞬間、恐怖が湧き起こり、身体から血の気が引くのを感じた。

この国では笑顔が絶えない。それをこの男性は狂っているという。

それを聞かれ知られたからか、何かしらの事情ができ、この出で立ちになったのでは…?

もしかしたら、男性の言う通りなのかもしれない。

少女の顔が青ざめていくのを見て、身を乗り出していた男性はきちんと椅子に座り直し、自分の席に置いてあった料理を手にして少女の席に移ってきた。

どうやら本格的に話をするつもりらしい。

少女は関わりたくない気持ちと、もっと知りたい気持ちとで複雑な心情になる。


「この国には昔、愚かな王がいた。優しくて、思いやりに溢れた、愚かな王だ」


男性は少女の思いも他所に静かな声音で、自分の頼んだミートスパゲティに見える料理を食べながら語り出す。

その言葉は乱暴だけれど、どこか寂しさを含んでいた。


「王はその優しさから、民が傷つくのを恐れ、それを防ぐため遠い森の魔女に願い事をした。“この国の水脈に悲しみを糧に咲く花の種を流してくれ”とな」


「悲しみを糧に咲く…?」


少女は黙って聞くつもりでいたのが、つい声に出してしまっていた。

人が傷つくのを恐れた王様は、悲しみを吸い取って成長する花を望んだ。

なぜ水脈に?


「この国の水脈は国民の生活水になっている。つまりは民の身体にその種を植え付けるため、水脈に流したんだ。王が望んだ通り国民には花の種が蒔かれ、その胸で花は成長していった。悲しみや痛み、涙を糧にしてな」


――そうして国民の胸には花が咲いた。綺麗で悲しい色の花が。

あまりに綺麗なそれは摘み取られ、国外に持ち出されては高値で取引される程だった。

摘み取られた国民は魂を抜かれたように感情を失くし、植物人間同様の症状になった。

王は己のせいだと自分を責め、悲しみに囚われてしまった。

悲しみ嘆き、涙を吸った花はやがて、王の胸にも咲いた。

それはとても美しく、大きな大きな花だった。

まるで王の悲しみをそのまま具現化したような大きさで、その花と共に自らの命をも散らしてしまった。

王の散らした花びらは、悲しみと慈しみを孕んで空と地に還り、養分となってこの国を豊かにした。

それを知った国民たちは王を偲び、互いを思いやることで笑顔の絶えない国にした。

やがて悲しみを糧に咲く花は喜びに咲く花へと変わっていった――


男性は話を終えるとコップを手に取り、一気に煽った。

中身はキツいアルコールの匂いがする飲み物で、男性の頬が僅かに赤らむ。

しかし少女は腑に落ちない。

聞いた限りでは、確かに王様は愚かだと言われるかもしれない。

けど、国民は王様の思いを知って互いを思いやるようになった。

それが狂っているだなんて。

納得のいかない少女の様子を見て、男性はふっとため息混じりに笑みをこぼした。


「この国はな、笑顔が絶えないんじゃない。笑顔を絶やせないんだ」


瞬間、少女は全身に鳥肌と悪寒が走るのを感じた。

ああ、そういうことなのか。

どんなことがあっても、悲しんではいけない。

誰か大切な人が死んでしまっても、泣いてはいけない。

笑っていなければ。


少女の脳裏に浮かぶ女性が何かを言う。

動かす口の動きから言葉を読めば、


「泣けば許されると思ってるんでしょ!」


「あんたさえ居なければ…!!」


泣いてはいけない日々だった。

無理矢理にでも、笑顔を作る毎日で。

笑ったまま、涙を流した日もあった。


「おい、料理が塩辛くなっちまうぞ」


「え…?」


男性の声に気が付けば、頬を伝う涙がいつの間にか運ばれてきた料理に数滴落ちたところだった。

慌てて拭おうとしたせいで、顎に溜まっていた雫も弾みで落ちる。

優しい色合いの皿に盛られた温かそうなスープは、大きめの野菜と角切りのお肉が入っていて美味しそうだった。

隠し味に自分の涙が入ってしまったけれど。


「あんたが何で泣いてんのか俺には分からねえけどよ、この国のためになんか泣くなよ。こんな状態でもそれが正しいと信じて生きてんだ」


悪口を言っているのか褒めているのか、男性は複雑な思想を少女にぶつける。

慌てた少女は弁明しようと手と頭を横に振った。


「そんなつもりじゃないんです。ただ、嫌なことを思い出してしまって…」


過去は、あの頃の自分は置いてきたはずなのに。

ふとした拍子に思い出しては自分を苦しめてくる。


「そうか。俺はな、この国を狂ってると思ってはいるが、いつか立て直してくれることも信じてんだ。悲しみの花を喜びに変えた国なんだからな。いつかきっと、正気に戻るはずだ。そのためなら俺は国中に嫌がられようと構いやしねえ」


この人は、この国を愛しているのだろう。

強い意志と決意を秘める瞳を眺めて、少女は思う。

絶望してもいい。失望してもいい。

弱さも愚かさも受け入れて、それでも信じて嫌われよう。

自分がそのきっかけになれるように。


「私も、信じます。変われることを」


それはこの国のために言ったのか、自分への言葉なのか。

きっと両方なのだと思いつつ、少女は少し冷めたスープを口に含む。

涙は溶け込んで、優しい味が体中に広がっていった。

男性は満足そうに微笑み、冷たくなったミートスパゲティに見える料理を、わずか数秒間で平らげたのだった。




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