WorldⅢ.カラクリ
どこまでも、どこまでも続いているような荒野を、少女は歩いていた。
仄暗い空は太陽が見えず、曇っているわけでもない。
薄い膜が空を覆い隠し、太陽光を遮っているようだった。
地面に生える小さな草は乾燥していて、生きているのか分からない。
歩くごとに砂埃が舞い上がる、寂しい世界にいた。
「誰もいないの?」
少しの息切れと喉の渇きを感じつつ、ひとり呟く。
すると前方に、ほんのり明るい光が見えた。
優しく照らす光の下には一軒の小さな建物。
どんなに小さくとも、光は心を安らげてくれる。
少女はほっと一息つき、建物へと向かって行った。
小さい建物を照らしていたのは細い街灯だった。
上に伸びるほど緩やかに曲線を描き、先端からランタンが下がっている。
ロウソクのように揺らめく光が、建物の形を浮かび上がらせていた。
ドアの上には看板があり、少女には読めない文字で何かが書いてある。
小さな小間物屋サイズの建物だが、果たして店なのだろうか。
少女は丸みを帯びた木のドアに付いている、鉄製の細い蔦のような取っ手を引いた。
中は埃っぽく、四方の壁には棚が何段も取り付けられていた。
故に窓らしきものはなく、天井に付けられた明り取りがあるだけだ。
そこから差し込むランタンの光が、かろうじて中を照らしている。
4、5歩先にカウンターがあり、やはりここは店のようだった。
だがしかし、何を売っているのか、検討もつかない。
少女が見渡す限り、棚に置かれているものは細長いスチール缶だ。
そこにもまた、読めない文字で何かが書いてある。
正体の分からないものに対する恐怖が芽生え始めた頃、カウンターから物音が聞こえた。
「おやあ、なんとめずらしい。人間のおきゃくさんだ」
「わっ」
余りにも静かで誰もいないのかと思っていた少女は、驚きに声を上げてしまう。
薄明かりに照らし出されたのは痩身の男だった。
どこか温かみを感じる、口ひげの立派な眼鏡をかけた人。
だが、ふと少女は疑問に思う。
人間のお客が珍しいということは、ここには人間じゃないものばかりが来るのか、と。
「あの、ここは何のお店なんですか?」
人間じゃないものに売っているスチール缶の正体が気になった。
「ふむ、それに答えるには、こちらの問いかけに応えてもらいたい」
「え?」
質問に質問で返すなんておかしな人だ。
普段なら怒られるであろうことも、不思議と嫌ではなかった。
疲れも喉の渇きも忘れて、少女は男の問いかけを待った。
「人間はなにによって動かされているとおもう?」
「何によって…?」
質問の意図がうまく掴めずに迷っていると、男は補足を付け加える。
「それはものではなく、心の蔵でもない」
なんだかなぞなぞみたいだ。
頭をひねらなければならない。
少女は思い当たるものを思い浮かべていく。
物でなく、心臓でもない、人を動かすもの…
「意欲、衝動、感情…?」
「ほかには?」
少女は悩み、思いついた言葉を躊躇いながらも小声で答える。
「……愛情」
「それらのなまえは何かね」
名前。
意欲や感情などに名前があっただろうか、少し考えて思い返してみる。
どんな時に衝動が湧くのか、なぜ意欲が湧いてきたのか、どうして涙が溢れたのか。
すると、こみ上げる思いが口から溢れ出ていく。
「外に…出たかったから。あの場所に居たくなかった。
だから“勇気”を出して飛び出したの。
だって私は“生きたい”から。もっともっと色んなものを、世界を“知りたい”から。
もう、あんな…“悔し”くて“惨め”な思いはしたくない。だから!!……っ!」
少女はひとり夢中で喋っていたことに気付いた。
しかし、目の前の男は動じていないようだ。
「そうだ。人間をうごかすものはたくさんある。ここはね、それを売る店なんだよ」
「…え?」
少女はいよいよ本当に理解ができなくなった。
男が何を言っているのか、言葉は知っているのに解らない。
男はカウンターの奥にある棚から、スチール缶を1つ手に取った。
そしてそれに書かれている文字を優しく撫でる。
「これは“会いたい”だ。だれかを恋い慕い、あいたくなるおもいが詰まっている」
あのスチール缶の中身が、会いたい想い?
それはいったい、どんな形なのだろうか。
「中身はどうなっているんですか?」
少女は未だぼんやりする頭で質問を投げかける。
男は少し微笑んだように見えた。
「せいぶんは企業ひみつだ。形状はえきたいだがな」
“会いたい想い”という名の、謎の液体を売っているわけだ。
そんな怪しい液体を、いったい誰が買うのだろうか。
「お客さんは誰ですか?」
「この店にくるのはカラクリだ。みな人間のまねをしたがり、人間をしりたがっている」
カラクリ。
動物でも、ロボットでもない、人形のようなもの。
ずっと歩いてきた荒野を思い出し、そこに生命を感じられなかった風景が、少女の胸に空っぽな空間を生み出した。
ここには生き物がいない。
だから人間が珍しかったのだ。
虚しさか、侘しさなのか分からない感情が、少女の心を襲っていた。
「どうして、カラクリは人間の真似をしたがるんですか」
なんとなく、人間を求めているから、寂しくて生き物の真似をしたがるのではないか、と考えて問いかける。
男は少し真剣な声色で言った。
「それは、人間にとっての“なぜ自分はいきているのか”とおなじ質問だよ。
カラクリたちもそうやって答えをさがしているんだ。なぜ作られたのか、なんのために、ここに在るのか。
……きみは答えをもっているかい?」
予想と違う応えに少女は戸惑い、同時に動揺した。
生きている意味なんて、散々悩み続けたが、答えなんて出なかった。
だから、探そうと思った。
自分自身のこの足で、目で、皮膚で、心で、実感したかった。
「……うん。私は、私のために生きてる。今はまだ見つからないけど、いつか、理由を見つけるために」
少女の目は薄暗い部屋の中でも眩しく思える程、輝きに満ちていた。
強い意思を宿した、未来を見つめる目だった。
「やはり人間はおもしろいな。おれはもっともっと人間に近づきたくなったよ」
「おじさんは十分人間らしいです」
興味深げと言わんばかりに、男はカウンターに肘をついて少女に言う。
そして少女はそれに応えた。
「ははは。うれしいね、人間にそういってもらえるのは。どれ、おれの胸のおと、聞いてみな」
カラクリに心臓があるのだろうか。
少女は不思議に思いながらも、カウンターに近づき、男の胸に耳を当てた。
布越しに感じるのは木の温もりと、小さく鳴る“からころからころ”という音だった。
それを聞いた少女の心はなんだかくすぐったくなる。
「ふふ。かわいい心音ですね」
「だろう?おれも気にいってるんだ」
男の顔は木で出来ていて、少女には今度こそしっかり、笑って見えたのだった。
了