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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

______

はつこい

作者:


ねぇ、先生。

私は貴方の強さが好きでした…。








1.


 私の好きな人は、自分の通う女子高の国語科教師で、黒縁眼鏡が特徴のひょろりとした28歳男性です。友だちは先生のことを、陰湿だとか、きもいだとか陰口を言っているので、憂いを秘めたその瞳が素敵とはなかなか言えません。これは私の心だけに秘めた、秘密の恋なのです。


 今日のように一時間目から先生の授業があると、自然と身支度にも力が入ります。卵形の輪郭と不厚めの唇は、自分の顔を野暮ったく見せるからあまり好きではありません。でも化粧なんてしたら、それこそ先生の眉を顰めてしまいますから、自慢の黒髪を何度も梳きました。甘い木苺の薫りがするリップクリームを控えめに塗り、学校指定丈のスカートを履きます。外靴は昇降口で脱ぐけれど、昨晩のうちに丹念に磨いておきました。


 家に一声掛けてから外へ出ると、地面にうっすらと雪が積もっていて、『わぁ…』と呟いた声はすぐさま白い霞に変わります。鼻腔を刺激する空気はキンッとして痛いくらいです。

 きしりきしり、と歩く度に、細かい氷の擦れる音が聞こえます。その音を少し愉快に思いながら、新聞配達のバイク跡だけが残るその白い絨毯を辿り、学校へ向かいました。









2.


 少し肌寒いくらいの教室は締め切っているせいで空気があまり良くありません。タライを乗せたストーブは、ごぉっと音を立てて頑張っているのですが、今ひとつ効率が悪いようでした。


 私は紺色のセーターの袖を引っ張り、先程から一定のリズムを刻むチョークを眺めます。先生は黒板にチョークを滑らせ、黙々と板書をしていました。スーツを着た背中は少し猫背で、肉付きが悪く、ひょろりとしています。でも、小さなチョークを掴むその手はゴツゴツとした男の人のそれで、人知れず胸が高鳴り、小さく吐息を零しました。

 板書を終え、こちらを振り返った先生は、ぼそぼそと話し始めました。俯いて話すため、長すぎる前髪が目元に掛かり、濃い影を作ります。

 そんな姿に、教室のそこかしこから、『なにあれ』『ほんときもい』なんて声が聞こえてきて、私は胸が締め付けられるような気持ちになりました。私にはそんな姿でさえ、悩まし気で儚く映るのに…。



「…次の段落から、読みます。『わたしは恋をした。』」



 先生は教室のざわつきが聞こえないかのように、淡々と授業を進めます。教科書を朗読する声はそれまでの暗いものとは違い、朗々と謳うような声です。実は、私は先生の朗読がとびきり好きでした。甘いテノールは癖がなく、文の区切りにある呼吸音を聞くだけで、どうしようもない気持ちにさせられるのです。



「『嗚呼、確かにあれは恋だったのだ。わたしは春の日差しのような恋をし、真夏の太陽のような愛を知った。激しく、彼女という魂を愛していた。』」



 『愛』という言葉を聞いて、どきりとしました。

 私は先生が何を愛しているか知っているのです。いえ、知ってしまったと言った方が宜しいでしょうか。でもそれは自然なことでした。私は先生のことを、もしかしたら本人以上に見つめているのですから。











3.


「あー、今日も怠かったね。朝からアイツの授業だったし。」


「『わたしは恋をした。』でしょ?!いや~キツいわ、」



 待ちに待ったお昼休みは、仲の良いお友だちと机をくっつけて食べます。教室では同じように、何組かの島が出来上がっていました。家から持ってきたお弁当や、購買の焼きそばパン、人気のミートスパゲッティなど様々な匂いが溢れかえります。私はそっとお母さんが作ってくれたお弁当を開けました。プラスチックの蓋には、ご飯の隅に乗っていたおかかが少し張り付いています。

 向かえに座ったNちゃんは、漆黒の絹のような髪と陶器のような肌が美しい女子生徒でした。気だるそうに今日の授業を振り返りながら、パックのイチゴ牛乳を啜っています。彼女はご両親が共働きなため、コンビニでご飯を買ってくることが殆どでした。

 Nちゃんの愚痴を聞き、先生の真似をして顰めっ面をしたのは、私の右隣に座った目元の黒子が印象的な友達でした。純朴な素顔を隠す濃い化粧は、隈取りのように目を強調し、その表情をより一層険しく見せます。私はいつも、その顔と鈴のような美しい声がアンバランスに感じてしまいます。彼女はお弁当派ですが、毎朝自分で作ってきているようでした。


 なんだかどうしようもない気持ちになって、私は彼女たちを眺めました。これは嫉妬に近い憧れのような感情で、あの硝子の奥に隠れた瞳に浮かんだ彼女たちが、羨ましくて仕方ないのです。ああ、どうして私ではないのでしょうか。



「あっ!そうだった…今日、日直だった。国語科の課題出しに行かなきゃ…。」



 Nちゃんが心底厭そうに立ち上がるのを見て咄嗟に出た言葉は、思わず虚言で塗り固めたものでした。




「あ。私行こうか?丁度隣の社会科準備室に用事があったし…。」










4. 本の匂い


「…先生、1Bの課題を提出に来ました。」


「ああ。有り難う。」



 国語科準備室は古い本の匂いがしました。鼻に篭もるお香のような薫りは、なんだか気持ちを落ち着かせます。ふと、複雑で奥深い本の香りは、先生に似ていると感じました。此処には先生の他にあともう一人、国語科の先生が席を置いているはずでしたが、今は姿が見えません。

 先生の机の上は煩雑で、沢山の書類が積み上げられていました。その後ろには聳え立つような大きな本棚があって、綺麗に本が整列しています。背表紙に並ぶのは見たことのないタイトルばかりでしたが、きっと先生の私物小説なのでしょう。

 窓際にある自席に座った先生は、私をちらりとも見ずに、手にした文庫本を読んでいました。【あおいそら】と書かれたそれは、私も知っている本でした。確か、深窓のご令嬢と庭師の純愛を描いた恋愛小説です。物語の内容を思い出しながら、私は先生の輪郭を辿りました。薄く開いたかさついた唇やしっかりとした鼻筋、そして、意外に彫りの深い目元。厚い硝子に隠されたその瞳が、文字を追うように私を熱く映してくれたら、と、願ってしまったのです。



「ねぇ…せんせ?わたし、知ってるんです。」



 自然に、唇から言葉が零れていました。

 小さな音を立てて課題を机上に置くと、訝しげな先生と視線が絡まります。口の中がやけに乾いて、まるで灼けているようでした。



「先生が、…」



(自分の中で女の子をたくさんころしてること。)

 笑みと共に吐き出した台詞は、最後まで声になりませんでした。何故なら、先生ががばりと立ち上がって、私の頸に両手を掛けたからです。夢にまで見た先生の武骨な手が、私の首を締め付けています。私は何だか可笑しくなって、息だけで笑いました。



「お前に何が分かる!お前に何が分かる!!お前に何が分かるんだ!!!」



 髪を振り乱し、先生は恐ろしいほどの力で私を押し倒しました。倒れた際に強かに腰を打ち、その上へ容赦なく跨がられます。爪がめり込む程首を絞められ、私の口からひゅっと息が漏れました。

 かしゃんと音を立てて落ちた眼鏡は、その弾みでフレームが歪んだかもしれません。私はぼんやりとそんな事を考えながら、想像よりも大きかった先生の瞳を見上げました。



「くそっ!お前は、もう、女なんだな……厭らしく、穢らわしい、」



「(………嗚呼、)」



 もう、声は出ません。何だか嬉しくて、涙が零れました。息が苦しいはずなのに、口角は上がったままです。これが先生の愛するということならば、私はこのまま終わってしまっても良いと本気で思いました。



「(………………ぃ、 ぃ、 ょ)」


「あぁぁあああぁああああぁ……っ!!」



 先生の手に両手を添えると、先生は瞳孔を開いてうねり声を上げ、そのまま準備室の外に飛び出していきました。私は大きく咳き込みながらも微笑みを浮かべ、未だ熱の残る頸元を辿ります。



「………べつに…よ、かったのに。」



 手が触れたとき、先生の瞳が泣きそうに陰るのを、私は見逃しませんでした。
















【はつこい】


















ねぇ、先生。

自分にとって生きにくい世界を、それでも真面目に生きる貴方の強さが、私は好ましくもあり、また、危うかったのです。


ねぇ、先生……、





ご閲覧有り難うございました。


やっとこの話を書けて良かったです。

この話を書きたいが故のこのシリーズでした。




1【絞】

『先生』の妄想


2【ふるさと】

『先生』の里帰りと生い立ち


3【虚言癖】

『先生』の日常


4【はつこい】

ーーーーーー




一応シリーズは上記のような構成です。

シリーズを通して、陰鬱としたどこかおかしい愛情とそれに反する情景を描けていればと思います。






次作は普通の楽しいお話が描きたいです(笑)



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