響鈴と桜花
木の葉は散り去り、木々は春を待ち冬眠に入る。
空は青く、雲はない。
そんな季節柄、そろそろ真剣に考える頃なのだ。
「進路ォ?」
驚きに声を上げる。当の相談者は、困ったように目を細めている。
「そっか、もうそんな時期なんだねー。で、どこ行くの?」
声を上げた玲は放っておいて、ミルクティー箱タイプを片手にしのぶが返す。
「いや、やっぱある程度な進学校がいいんすけど……頭が足りないんすよねぇ」
同じく箱タイプのミルクを持った圭介が苦笑を浮かべる。
先日の一件から、圭介は二人の前によく顔を出すようになった。香坂学園の制服を纏った不良と問えば二人に一人は『笹川 玲』と答えるのだから、探し出すのも容易だっただろう。
「手前みてぇにヤンチャやってた野郎がなんで進学校志望してんだ?」
いつの間にか完全に進路相談会になっている、香坂学園に程近い公園のベンチ。質問したのは、ストレートティー箱タイプを飲んでいる玲。ちなみにベンチに座っているのは玲としのぶで、圭介はベンチの前にヤンキー座りをしている。
「イヤ、ね? ちょっと前までは気にしてなかったんすけど、俺親に見捨てられてんすよ。明らかに」
さらっと発せられた重い言葉に、思わず二人は固まる。
「実な俺、小学校は奏浜行ってました。鈴ノ瀬には中学からで」
奏浜学園とは、香坂学園に次ぐ有名校。財閥関係者で溢れ、外部入学者で偏差値を引き上げているという噂の学園だ。
「義務教育が終了するまでは面倒見てもらえると思うんすけど、終われば多分勘当です」
淡々と話し続ける圭介。遊具ではしゃぐ子供の声がやけに大きく聞こえる。
「両親は、フランスで永住権持ってんす。向こうで弟も生まれたらしくて……」
重い話だと圭介も気付いているのか、その表情には影がある。
「ちゃんとしたトコ行けば、マジで縁切りされずに済むかもなんす」
何ともいえない表情で聞いたしのぶと、かなり涙ぐんでいる玲。不良は涙脆いのだ。
「……だから『ある程度の進学校』か……」
圭介の話が終わったのを確認して、しのぶが切り出す。
「アンタ『頭足りない』って言ったけど、具体的にどんな感じなの」
隣にミルクティー箱タイプを置き、真剣な表情で問うた。
「んー……小五でチーム入りました」
あっけらかんと、しかし致って真面目に圭介は答えた。
「……つまりその辺りから学校行ってないと」
「ヤだなぁしのぶさん。学校は行ってますってぇ」
屈託のない笑みに、脱力するしのぶ。本人に悪気はない。
「要するにサボり通したわけだろ?」
鼻をかみ、大分落ち着いたらしい玲が口を出す。
「イエース!」
「んな自身満々に言うこっちゃねぇよ?」
落ち着いたが故の冷静なツッ込みが入った。
「結構ひどいな……でも何とかしてやりたい?」
ズズッとストレートティー箱タイプを飲み干す。それを、近くのゴミ箱に投げ捨てる。
「これじゃあ……香坂は望めないしな?」
「えー……じゃあやっぱ奏浜かなぁ……」
続いて圭介もミルク箱タイプを飲み干す。同じように投げ捨てて、立ち上がる。
「次は何にします?」
「レモンティー?」
進んでパシられる圭介。玲も使うことに違和感を抱いていないらしい。
「……奏浜は無理だよなぁ……」
遠ざかる背中を眺めながら、ポツリと呟く。
「奏浜の外部生は偏差値病的に高いもんね」
それでなくとも、進学校の入試は小学校中退レベルで対応出来るものではない。
「無力だねぇ……俺達は」
零れたため息は、玲自身が何もしてやれないことへの落胆。知り合ったのは最近とはいえ、自分に懐いている人物の問題なのだから。
「なんとかできない? 香坂学園創設者一族分家序列第三位『桜乃』ご当主サマ?」
「なーに言ってんの。我が樹の一族は後ろめたいことはしないわ。そうじゃなきゃ、色々規格外の香坂学園を経営していくなんてできないもの」
呆れたようすのしのぶに、玲は肩をすくめる。元から本気で言っていたわけではないのだ。
「あたしにできるのは……そうだな」
目を閉じて考える。それは、玲にとって意外な所作だった。
まさか、しのぶがしっかりと考えてくれるとは思っていなかった。彼女にとって圭介がそうする価値のある人間だとは、思っていなかった。
如何に自分に懐いていて、如何に自分がかわいがっていても、しのぶにとってはただの他人。そう信じて、疑っていなかった。
「玲さーん、レモンティーっすー」
圭介が最寄りのコンビニから帰還する。それを合図に、しのぶが顔を上げた。
「ねぇ、圭介」
「なんスか? しのぶさん」
レモンティー箱タイプが玲の手に渡る。玲は慣れた手付きでストローを刺した。
「香坂、入りたい?」
にっこり、という音がよく似合う笑みが、圭介に向けられる。
当の圭介は一瞬それにきょとんとしたが、すぐに答えた。
「入りたいです」
ある種の諦めを垣間見せて。
知っていたのだ。もう為す術はないということを。
中学もまともに授業を受けていないのだから。季節はもう、冬なのだから。
「よし、わかった。脳みそから血ィ出る覚悟で付いて来な」
圭介が隠し持っていた一つの疑問が解決した。なぜ玲の隣に、しのぶがいるのか。
理由は一つ。
並大抵の人間では戦闘狂の隣にいられないからだ。
目の前には、『旧家』という表現がピッタリなお屋敷。表札は、『桜乃』。
「……えっと……」
言葉を失った。圭介の家も大きい方であるが、これはまた桁が違う。世の中ナメてるとしか思えないサイズだった。
「玲さん……これから何が起こるんですか」
「知らないよ?」
極自然なことのように返した玲。相方のことでも知らないことはあるらしい。
引き戸を引き、ただいまの一言もなくしのぶは上がっていく。玲もそれに続いたので、圭介も遠慮がちにではあるが続いた。
長い廊下を無言で進む。圭介は非常に居心地が悪かったが、しのぶも玲も気にしていない様子。何も言えずに何度か廊下を曲がった。
「……『桜』?」
行き着いたのは、道場だった。板張りの間は、『桜』と名がついている。
「入って」
促されるままに道場に足を踏み入れる。玲は特に何をするでもなくずかずかと入っていったが、なんとなく気が咎めた圭介は少し頭を下げた。しのぶが少し微笑んだのは、二人とも見ていなかった。
「え、なに? 稽古でもするの? 俺喧嘩しかできないんだけど?」
物珍しい、と声で語る玲はきょろきょろと道場を観察する。初めて入る、それがありありと伝わった。
「わかりやすく言うと、困ったときの神頼み、ってやつよ」
かしゃん。
その音のあとに、しのぶが入ってきた戸を開けた。
「何してるの、行くわよ」
当たり前のように出て行くしのぶのあとを、ぎょっとしながらも追う。
「何してるの、はこっちの台詞だよね?」
ひそ、と玲は圭介に同意を求めた。圭介は激しく首肯した。二人からすれば、しのぶの行動は理解しがたい。入ってすぐの部屋を、何をするでもなく出てしまったのだから。
直接問う勇気もなく、また無言でしのぶに続く。長い廊下を何度か曲がる内、圭介は気づいた。
――同じ道。
入って来た廊下を逆に辿っていた。これではただ玄関に辿り着くだけで、案の定玄関に行き着いた。入ったときと違ったのは、そこに人が待っていたことだ。
「梓じゃん。久々ー?」
玲の声に、その人が振り返る。背が高く、線が細い。明るい茶色をした髪に、ピンクのヘアピン。呼び名も合わさって一瞬女かと思ったが、発せられた声は男のものだった。
「その呼び名をするな」
「えー? かわいーじゃん梓ちゃん」
ぷぷ、と笑う玲を睨み付けるその目は、完全に瞳孔が開いている。生者である以上その実はわからないが、実際圭介にはそう見えた。
非常に怖い。そう、心の中で叫んだ。
「泪、準備は?」
「……万事おっけー」
言い合いに発展する間を持たせずに、しのぶが問うた。不満げに泪は頷いた。
「じゃあ、早速」
たん、と土間に下りたしのぶはその場にあった突っかけを履いた。
そこで、圭介も玲も気づいた。自分たちの靴がない。見てみれば、開け放たれた玄関からの光景も違う。
「……しのぶちゃん。ここ、どこ」
戸惑った声は、玲のもの。上がらない語尾が、真剣さを伺わせた。
「樹の一族分家序列第一位『梓沼』本邸。所在地は九州」
「あっれーおっかしいなー香坂学園って関東だったはずなんだけど」
真剣に頭を抱える玲に向かって、泪が鼻を鳴らした。
「香坂通って何年目だ、戦闘狂。その脳みそはただのミソか?」
「どりあえずお前は常識ってヤツ拾ってこいよ」
まさに、一触即発。合わない性格をしているらしい二人に圭介はただ、動揺した。
「常識なんざ、俺たちは持ち合わせてねーんだ残念ながらな。そんなものを持てるほど、俺たちは普通じゃなかった」
吐き捨てる、泪。それに押し黙った玲を見上げた、圭介は何も言えなかった。
状況がまだ飲み込めないでいるからだ。わかっているのは、自分がファンタジーの中に放り込まれているということだけ。
「樹の一族の分家は全国に点在しているわ。それの行き来ができるよう、術式が組んであるの。本来一族の者しか使っちゃだめなんだけど、今回は特例ってことで」
「レアな体験したな」
ピリピリしていた泪の雰囲気が、しのぶの声に霧散する。出て行くしのぶに続いて、玄関を出た。少し渋った玲も、二人に続いた。圭介もそれを追う。
「ようこそ、陰之太宰府へ」
どこか、ひんやりとした場所だった。
圭介は知らなかったけれど、それはかの有名な太宰府天満宮と酷似した場所。大樟があって、皇后の梅があって飛梅があって、御本殿がある。振り返れば、社務所から出てきたことがわかったかもしれない。
「太宰府であって太宰府でないところだ。誰も俺たちを認識しないし、俺たちも誰も認識しない。俺たちだけの太宰府、って考えればいい」
「……大したことしてるねぇ、樹の一門は」
嫌味のこもった玲の発言に、泪は黙って玲を見た。
無言の圧力が、痛い。
「まぁ、怖がるなよ、凡人」
「同じ人間を、どう怖がれってんだよ、天才」
ようやく声を発したかと思えば、即座に玲が切り返す。どこまでも合わない二人に、圭介は最早傍観を決めた。
「泪」
しのぶの呼び声に、泪の視線が玲から外れる。
目で交わされた会話に、玲が少しだけ眉を顰めた。
「二人はここで」
待っていて、そういったジェスチャーの許、泪を伴ってしのぶは本殿へ消える。
それを見送った後、圭介は玲を見上げた。
「……仲が悪いわけじゃあないんだけどね?」
「そうなんですか?」
圭介が戸惑い通しなのに気づいていた玲が弁解する。しかし弁解はその一言だけで、玲はまた黙ってしまった。
いつも賑やかな玲を見ている圭介にとって、こうして黙っている玲は新鮮だった。らしくない、と言えるほど知り合った仲でもないため、特に追求はできなかった。
「出てきた」
立ちこめてきた霧に、目を細める。玲の言った方向を見つめれば、二つの人影。
羽織る衣は、水浅葱色。
しゃん、しゃんと鳴るのは鈴の音色と衣が擦れる音。
足音さえも融けきった、流れるような二人の舞は。
時間を忘れるほどの衝撃を圭介にもたらした。
何も言わない玲でさえも、見惚れたのは確かで。
「困ったときの神頼みって、言ったでしょう?」
動きを止めたしのぶがそう言っても、さほど反応はできなかった。
「天神さまは、俺たちに応えてくださった。お前の力になってくださるそうだ」
泪が水浅葱の羽織を圭介に投げつける。反射的に受け取った圭介が泪を見れば、ほんの少しだけ泪は笑った。
「香坂――落ちたらどうなるだろうな」
それは、明確な脅しだった。
そして始まった香坂への道。
根気と根性と気合いと体力と精神力が要求される生活となったが、圭介はなんとか耐え抜いた。
香坂の特殊性を学び、無しに等しかった霊力を磨き、小学生レベルだった頭を鍛えた。
それだけの努力もあり、圭介は見事に香坂学園に合格した。
「圭介、B組ってどういうことよ」
「え、もうクラス決まってんすか?」
「入試の結果で決まるんだよ?」
「あたしと泪が舞ったのよ? なのにB組って!」
「え、ダメなんすか? B組って」
「俺たちがV組だし? それだけ異端で異常なクラスがV組で、B組はいたって普通のクラスだね?」
「霧ノ井の立花くんはちゃんとV組入ったわよ? 悔しくないの?」
「えええ悔しーっす! 俺どうすればいいっすか!」
「とりあえず霊力伸ばせ?」
「ハイィ! 立花には負けないっすぁぁぁ!」
見事、V組に決まった圭介だった。