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2:Qui statuit aliquid parte inaudita altera, aequum licet statuerit.

後半注意かも…

 優しいシスターと一緒に出かけた街で、私と同じ年頃の子供達。その傍にいる大人を、父さんとか母さんとか呼んでいた。

 それはなぁに?私が尋ねれば、年老いたシスターは微笑んだ。あれはあの子達を守って愛してくれる大切な人よと。

 私には父さんも母さんもいないの?そう尋ねた日にシスターは、貴女にもいるわと優しく笑う。それは何処に?どんな人?私が聞けば空を指さした。

 私も貴女もあの子達も、みんな等しく神の子よ。神様はみんなを同じくらい大切にしていて守って愛してくれる。だから貴女は強く生きなさい。貴女は神様に愛されているんだもの、寂しくなんかないはずよ。シスターは私にそう言った。

 でも神様は私の傍にいてくれないよ。私は彼女に我が儘を言う。

 それは貴女に見えていないだけ。神様はいつだって貴女の傍にいてくれるわと彼女は笑う。

 どうすれば見えるの?会えるの?私は聞いた。

 彼女は目を閉じなさいと私に言った。おかしな話。だから私は何も見えないよとそう言った。すると彼女はこんな事を言うのだ。神様はね、静寂を好むのよ。だから騒がしくしていると逃げてしまうの。恥ずかしがり屋なのかもしれないわ。優しい声で彼女は言った。

 私は暫く黙っていたけれど、風の囁きしか聞こえない。目を開けそれを彼女に言ったなら、彼女はとても優しい顔で微笑んでいた。それこそが神様なのよと私に言った。


 *


「はじめまして皆さん、今日から此方に務めさせていただくことになったシオスです。まだまだ未熟者ですが、どうぞよろしく!」


 年老いた司祭が亡くなって、その後任として教会へやって来たのは1人の男。

 金髪に緑の瞳のカーネフェル人。目がやけにギラギラしてて気持ちが悪い。何あれ。

 信仰に狂った人間なら見たことはあるけれど、あんな目をした人間、これまで見たことがない。それでも何かが不気味。薄気味悪い。近寄りたくない。


「何、あの男……」


 寒気すら感じた私の、その傍で他の娘シスター達は黄色い悲鳴を上げている。


「え、ちょっと格好良くなかった?」

「はぁ?何処が?」


 いくらこの教会に、男が少ないというかいたとしてもこれまで老いぼれ爺しかいなかったわけで、若い男を目にして騒ぎたくなる気持ちは解らないでもない。それにしたって、限度という物がある。

 何あの男。あの演説も薄ら寒いったらないわ。声に真剣さも真実みも感じない。適当に並べただけの言葉だあんなの。俺ってイケてね?って感じの自分に酔ってるナルシスト臭がプンプン香る。こっちは演説中に鼻をつまみたいくらいだった。


 それでもカーネフェルの娘達にとって若い男というのは珍しい。だからあんな気味の悪い男でも格好いいなんて血迷った形容をしてしまうのだろう。


「あら、ごめんあそばせ。ルキフェルさんは悪魔の子……いや、混血でしたものね」

「混血じゃ仕方ありませんわ。混血は欠陥品ですもの。男を見る目というものが私達純血とはかけ離れたものなんですのね、おほほほほほ」


 純血だからって何よ。唯髪が金色で、目が青とか緑だってだけじゃない。それだけで何を偉そうに物を言うのか。馬っ鹿みたい。


「あんたらの男の好みなんて私には関係ないんだけど、ここがどこかくらいは考えて欲しいものだわ」


 私は物心着く前からここにいた。その頃の修道女は老婆ばかりだったけれど、みんな優しい人だった。私は宗教も神様も、大して好きではなかったけれど彼女たちが好きだったからこの教会も好きになった。それがいつ頃からだろう。カーネフェリーの女達がシスターとしてやって来るようになった。修道院で働いていたってことは婚活のステータスになるとかならないとかで、花嫁修業とかお淑やかな属性を求めてこれまたギラギラとして眼をした女達が私の家を土足で踏み荒らすようになったのだ。

 優しいシスター達は、若いのに娘盛りの時間を神に捧げるとは見所のある娘達だとこの女達を買い被り、騙されてばかりいる。

 私も神様を信じているわけではないが、この女達よりはまだ信心深いと自負している。私は神を貶されることじゃなく、この教会を食い散らかされるのが嫌だった。

 教会は、神の家。そこに仕えていながら、どうしてそんなに意地汚い心を持ち続けることが出来るのだろう。

 教会の備品を盗み売って金に換えたり。仕事をさぼって街に遊びに行ったりしている。そんな女達のせいで、教会の品位は貶められてしまっている。

 幼い私を可愛がってくれたシスターが、こんな教会を見たらきっと悲しい顔をするだろう。彼女のためにも私は、教会を美しいままでいさせたい。だから本当に、やる気のない女は教会から出て行って欲しいものだ。


「私達はシスター!神様に一生を捧げる立場なのよ?それを何をぺちゃくちゃと……男に現を抜かすなんて最っ低だわ!」

「まぁ!それでは貴女は一生こんなところで過ごすつもりですの?正気でいらして?」

「ご安心くださいな。ルキフェルさんみたいな化け物、どうせ嫁のもらい手もありませんわよ。行き遅れを信仰のせいにできて良かったですわね」


 ああ、下らない、下らないっ!何それ、何それ?

 同じ言葉を話しているとは思えない。言葉がまるで通じていない。何を言っているんだろうこの女達。何を考えているのか到底理解できない。解り合える気がしない。

 金、金、金のために。男を漁る守銭奴が愛を語るなんて。そんな奴らに語られる程度のものなのか。恋なんて。愛なんて。ああ、下らない!そんな下らない感情に私は縛られたりしない。するものか。

 神様なんか信じちゃいないけど、こうして存在していて公害まき散らす人間共より、いるかいないかわからない、そんなものの方が余程愛せるというものだ。一生神に仕える方が余程充実した一生だ。


「んだったらさっさと教会から出て行きなさいよ!大体昨日も仕事サボってたでしょ?働かざる者食うべからず。祈り働けこそが教会のモットー!遊び怠けろだったらどっかの金持ち捕まえて、玉の輿でもなってらっしゃいな!行けるものならね!」


 そう言ってやれば年増達は顔を真っ赤にして退却をする。礼拝堂を出……廊下に出れば、そこで待っていたのだろう。壁に背を預けていた友人が此方に駆け寄る。ふんと鼻息を鳴らした私の隣で小さな溜息を吐く少女。

 彼女も金髪のカーネフェル人。それでも彼女は同じ年と言うこともありいつの間にか親しくなった女の子。彼女の名前はローズマリー。私の理解者で、大好きだったシスターが死んでしまった今では……私にとって唯一の味方といえるのかもしれない。


「あー……苛々するっ。何あの婆達。行き遅れは自分らの方だろって話」

「もう、ルキったら。そんなに言ったらまた陰湿な嫌がらせとか受けるよ?」


 彼女は心配そうに私を見つめてくれる。私1人があの女達と渡り合う分には問題ないけれど、あの性悪達のことだ。私に口で勝てないとなればこの子にまで嫌がらせをやりかねない。悔しいが、負けるが価値という言葉もある。本当に腹立たしいけれど、そうしなければならないのだろう。


「とりあえず塩でも撒いてくるかな、これ以上うちの教会の敷居あんなちゃらい奴らにまたがれちゃ困るっての」

「あはは、元気なお嬢さんだね」


 私が舌打ちをしたその直後に、背後から聞こえた声。ぞわと鳥肌。振り向けばやはり奴。今日からここにやって来たあのキザ司祭。


「げっ……さっきの」

「うわぁ……」


 見るからに嫌そうな顔をする私の横で顔を赤らめる友人。そんな両者の温度差に、男は貼り付けたような人の良さそうな顔で苦笑い。どうにもこうにも胡散臭い。


「ご、ごめんなさい。ルキはあの、ずっとここで育った子なので男嫌いなところがあるんです」

「ロリーが謝る事じゃないわよ。ていうか勝手に謝らないでくれない?私別にそれが悪いと思ってないもの」


 男なんか大っ嫌い。街にいる男達はどいつもこいつも何なのかしら。そこら辺で屯していて、人を品定めするようにじろじろと見てくる。1人で買い出しに行くとしつこくうざったく言い寄ってくる。本当に邪魔。私の時間の一分一秒与える価値を見いだせない。仕事の邪魔をしないで欲しい。奴らは本当に薄気味悪い目をしてる。この男も同じ香りがする。気持ちが悪い。

 私は2人から距離を置く。それでも妙にねちこい視線が向けられてくるのは気のせいか?


「実は僕に宛がわれた部屋が何処にあるのかわからなくてね。こう見えて僕抜けているというかそそっかしいというか、方向音痴で」

「あ、わ、私もです」

「ははは、そうなのかい?それじゃあ困ったな。部屋まで案内して貰おうと思ったんだけど」


 嬉しそうに話を合わせるローズマリー。その言葉を聞いた男は「それじゃ、君じゃあ無理かな」、そう言って薄ら寒い微笑をこっちに向けてくる。


「ルキちゃんっていったっけ?君はここに来て長いんだろう?案内を頼めるかな?」

「ごめんなさいわたしこれからしごとがありますんでそれではしつれいごきげんよう(棒読み)」

「そんな事言わずにさぁ」

「その子、抜けてるけどしっかり者だから!一度覚えたことは忘れない子だから道案内はその子のが適任よ。私は掃除のサボリ魔達の尻拭いで忙しいんです!後気安く人の名前呼ばないで貰えます?名前が汚れるんで」

「る、ルキ……」


 狼狽えたような友人を残して私はさっさとその場を後にする。

 背後でごめんなさいと繰り返しているローズマリーの声がするが私の知った事じゃない。だって私は別に悪いとは思っていないもの。勝手に謝る彼女が悪い。そうされると私は何もやっていないのに、悪いことをしたみたいになるじゃない。ほんと、ああいうのだけは止めて欲しいと思う。


「あ、ルキフェルさん」


 窓ふきをしている私へ声を掛けてきたのは1人の姉さん。

 姉さんと言っても熟女というか中年以上老人未満。まぁそんなええと……うん、つまりは妙齢の女性だ。


「ミカ姉さん。ご機嫌よう」


 基本的に年上のシスターへの敬称は姉様とか姉さんとか。教会が一つの家。そこに暮らす修道士達は家族みたいなものだから。

 私も家族と認めている年上にはそんな敬称を用いる。使わないのはああいう遊び目的で教会にやって来た馬鹿女達相手。年上だからってそれだけで敬われると思ったら大間違い。尊敬すべき箇所が一つもないんだもの。仕方がないわ。


「東塔も掃除していてくれたの?気が利くわね貴女」

「こっちは兄さん達が多いですから。あんまり無理もさせられません」


 東は男修道院。西は女修道院。その間に教会の大聖堂があり、教会を抜けることで二つの塔の行き来が出来る。

 もっとも今私が暮らしているのは東塔。男女別に修道院が分かれているとはいえ、男が生まれなくなったカーネフェルでは殆ど女ばかり。修道院は二つとも女が暮らしているのが現状。男が何人かいるにはいるも、春の枯れた爺さんばかりだから別に問題もない。そこに現れたあの司祭。彼奴だけが問題だ。


「でも1人じゃ大変でしょ?それはまた今度大掃除の時にでも……」

「それにここは私達の家ですから。何時でも綺麗にしておきたいんです」


 目に付いたからやっているだけですと微笑めば、姉さんはそうと言って口を閉ざした。

 私だって自分1人の家ならば、片付けようとは思わない。それでもここには今まで過ごしてきた人達との思い出がある。思い出の中の教会はいつも綺麗だったから、そのまま今も同じにしておきたい。唯それだけ。

 それに付け加えることがあるとするなら、シスターから教えられた言葉の影響。ここは神様の家だから、綺麗にしておかないと悲しむだろうと彼女は言っていた。神様の家は、神様の子の家。つまりは全ての人の家。誰でも悔い改めるなら、教会はその人を受け入れる。そんな許しと祈りの場が薄汚い埃まみれで黴び臭い場所だったら嫌でしょう?彼女はそう言って笑っていた。

 神の家は天国に近い場所。それを感じられる場所。何時でも綺麗で清潔で、澄んだ空気と風の音。そんな心穏やかになれる場所。そうあるべきだと彼女が言ったから。私はそれを守りたいのだ。静寂の中にこそ神は住まう。

 騒がしい女達が来たせいで、神はどこかへ消えてしまった。掃除をしてもしてもすぐに土足で踏み荒らされる。街の掃除を任せられてもゴミを一つ拾う間にゴミを三つも四つも捨てるようなあの女達。本当に何しにここへ来たのだろう。何のために生きているのだろう。


「ルキちゃんやー……」

「あ、クル兄さん」


 ギィと戸を鳴らし現れる、杖をついた老人。彼は私の“兄さん”の1人だ。足腰が弱ってきたからああ、危ない。よろよろとした彼に近寄り支えてやった。


「ああ、すまんがのぅ……。それからもう一つすまんだがの、ちょいと街まで頼めるかい?」

「いいですよ?」


 この身体で街まで行けというのはあまりに非道。断る理由もない。私はそれを快く引き受ける。


「頼んでおいた儂の眼鏡がそろそろ仕上がっている頃だと思ってな。貰ってきて貰えるかの?」

「ああ、はいはい。通りの角のあそこのお店ですね?」

「あ、そうだわ。それじゃついでにこれも頼めるかしら?買い出しを頼んだ子がまだ帰ってきてなくてねぇ。頼み忘れがあったのを思いだしたんだけどどうしようか困ってたのよ」

「ああ、調味料切らしていたんですか?それじゃあ困りますね。わかりました行ってきます!」


 姉さんから買い出しメモを渡されて、私は掃除を中断。兄さんを部屋まで戻す手伝いをして、それから雑巾とバケツを片付け、街へと走り出す。

 毎日大体こんな感じだ。仕事の内容はその日によって変わるけれど、仕事仕事と忙しいのは変わらない。それでも忙しさは幸せだ。嫌なことを考える暇を私から奪ってくれるから。

 もっともっと忙しくなればいい。そんな風にさえ思っていた。


 *


 突然響いた破裂音。それにびくと身体が跳ねる。



「いー加減起きろっ!!」

「きゃあああ!!」


 その大声に目を開く。そこに映るのは鮮やかな赤。


「な……そ、ソフィア!?」

「全く。仕事しながら昼寝とは、随分器用なのねあんた」


 祈りのポーズでもなく合わせられた両手。今の音は彼女が両手を思いきり打った音のようだ。私の耳元で。


「あれ……私……」


 何時の間に眠ってしまっていたのだろうか。またベッドメイクをやり直さなければ。

 寝台の皺を直している私にソフィアが淡々と物を言う。


「仕事だって」

「誰が?」

「神子様の命令。私とあんたでやれって仕事」

「げっ……」

「それはこっちの台詞だから」

「私の台詞だし」

「あっそ。それじゃあ後で下の街の酒場で落ち合いましょう、あんたまだこっちで仕事あるんでしょ?」


 それだけ言い残してソフィアは部屋から出て行った。


「何、あいつ……」


 仕事の内容も詳細も言わないなんてなんて気が利かない奴なんだろう。全く呆れてしまう。

 それでも一つだけ感謝してやらないこともないことがある。


(最近見てなかったのにな)


 昔の夢。あんまり良い思い出ではない。嫌なことをいくつか思いだしてしまった。どうしてあんなものを見てしまったのか。


「……もしかして」


 嫌なこと。嫌なこと。

 大嫌いなソフィアに出会したから連鎖的に嫌なことを思いだしたのか。

 やっぱり撤回。何一つ感謝なんかしていないわ。あそこで起こされたことに感謝なんかするものですか!



 *



 「まったく……何処にもいないと思ったら」


 このクソ忙しい時期に悠々昼寝とは良いご身分だこと。舌打ちしても苛立ちが収まることはない。

 神子様のご命令とはいえ、あんな女と一緒に行動するなんて本当最悪。


 「あらソフィア、随分可愛げのない顔だこと」


 視線を上げる。視界に飛び込むそいつは薄く笑んで私を見ている……あの女と同じくらい、或いはそれ以上に会いたくなかった人間だ。


 「いつものきりっとした顔はどうしたの?私結構好きよ、貴女のその目」

 「……クラティラ、あんたも帰ってきてたわけ?」


 会いたくない奴二人目。雪のように真っ白な髪に珊瑚色の瞳の混血児。

 長身に無駄のない肉付き。ほどよくしまってほどよくあるのだ。くびれがはっきりわかるほど、胸とか太腿とかはむっちりしていて男でなくてもちょっと触ってみたくなるような柔らかさを感じさせるプロポーション。膝枕とかさせたら多分最高に良い感じ。それでもそんなことは絶対に嫌だ。この女の半径3メートルに入るくらいなら死んだ方がマシだ。


 「え、何?私のことが気になる的な?気になって仕方がないみたいな?」


 この女は運命の輪№3。数術使いの連中じゃ、それなりに上の部類に入るには入る。しかし私の嫌いな要素の三つを併せ持つのがこの女。一に身長。二に胸囲。そして三つは……


 「そう見える?」


 じりじりと此方に詰め寄ってくる同僚。それよりすばやく後退する私。


 「とりあえず死にたいわけ?」


 反射的に構えた銃口。それを向けられても女は脅えるような素振りも見せない。

 とりあえず普通の弾が入っているのを確認してから引き金を引く。

 クラティラは避ける仕草もせずにウインク一つ。飛び出した弾丸が何も出来ずに床へと落ちる。敗因は距離がありすぎたため。数術使いの弱点は接近戦。攻撃を防ぐ数術が発動する前ならば物理攻撃が有効。それでもガードされれば普通の人間には何も出来ない。数術弾なら話は別だけれど、こんな女相手に使ったら神子様に呆れられる。こんな女でもこれも神子様の部下なのだ。舌打ち一つで武器をしまった私にクラティラが近寄ってくる。


 「あらあら、強がっちゃって。可ぁ愛い。そんなにお姉さんが怖いのソフィアちゃん?」


 訂正だ。三つじゃない。四つだ。

 私はこの女の技も大嫌い。いつかのあいつを思い出す。この女は自身の体内数を弄るのが得意な数術使い。この女がまき散らすフェロモン。それが女の私に効くことはない。それでも私は動けない。私が動けなくなるのは別の理由。

 外的要因を弄ったならこのゴーグルで見ることも出来るが、身体の内側で引き起こされている数値変動を視覚するのは難しい。そういうのまで見ることが出来るのは余程腕の良い数術使いだけ。運命の輪メンバーで言えば№5までの4人くらいなものだろう。

 だから№3……クラティラには見えている。私の感情。その色が。

 私は恐れている。その理由までは知られていないも、彼女は私が恐れていることを知っている。


 「手、震えてるわよぉ?」


 耳元でそう囁かれてようやく気付く。後退できなかったわけ。いつの間に壁際まで来ていたんだろう。もう下がれる道はなかった。

 それに気付けば、震えているのは手だけではなくなる。散々強気な口調をほざいた癖に、この様だ。どうせこの女も私を嘲笑っているのだ。憎しみに歪んだ私の目。それを見て彼女は笑った。嘲笑ではない。穏やかな笑みだ。だけどそれすら私に恐怖を呼び起こす。

 目の前の女が全く別の人間に見えてくる。重なっていく。今が過去へと巻き戻る。叫び出したくなる衝動。そこから私を引き上げたのはこれまた不快な感触だ。ひやりとしたそれの正体。


 「ソフィアは可愛いわねぇ。食べちゃいたいくらい」


 首筋から耳の付け根まで、べろりとこいつに舐められた。その気持ち悪さから一瞬、耳をそぎ落としたい衝動に駆られる。そこで我に返って彼女を突き飛ばす。


 「いたたたた……何よ、本気で突き飛ばすことないじゃない。上位№はか弱いのよー」

 「変態っ……ここがどこだか解って」

 「わかってるわよぉ。ここは天下の聖教会。その総本山が第一、プロトス聖教会。そんでもってその地下秘密機関」


 尻餅をついていた女はのろのろと起き上がりへらへらと答える。でも、解っている。そんなことは私だって解っているのだ。


 「あんた、悪趣味にも程があるわ。教会の教えに……」

 「あら、それを言うのはナンセンスよ」


 だって私達は人殺しでしょ?と笑うクラティラ。元々教会の教えに背きながら、教会が所有する機関が運命の輪。


 「それにソフィアはタロック生まれで聖教なんかこれっぽっちも信じちゃいないじゃない」

 「それとこれとは別の話」

 「そう?でもソフィアは男嫌いの毛もあるじゃない。ルキちゃん程じゃないけども」

 「あんな小娘と一緒にしないで。同列に語られたくないわ。大体男嫌いとこれとは関係ないでしょ?」

 「大有りよ。消去法って知ってる?」


 指を鳴らしてクラティラがにやりと口をつり上げる。


 「ソフィアは男嫌い。男相手に貴女は恋なんか出来ない人間なのよ。私達って老い先短いわけでしょう?ここは素敵なお姉さんと華やかにそろそろ始まる終わりまでめくるめくラブでロマンスな世界に飛び込んでみても良いじゃない?」

 「……馬っ鹿じゃないの?」

 「女は度胸。案外一回やってみたらハマっちゃうかもよ?」

 「お断りっ!私は男嫌いでも女嫌いでもなくて、嫌いな人間が多いだけ。あんたもあの腐れシスターも軽い男も嫌いってだけ!」


 消去法で女好きの同性愛者にされて堪るか。私は唯、何もかもが気に入らないだけ。好きになれないだけ。心の底から嫌悪している。そう言う話は大嫌い。

 女と男。女と女。男と男。誰でも何でも2人揃えばそれでいい。そういう話に持っていこうとする下世話な奴ら。色恋沙汰と情欲でしか世界を人を測れない奴ら。嗚呼、気持ちが悪い。脳味噌に脳の代わりに毒ガスでも詰まってるんじゃないの?

 そんなにエロいことばっかやっていたいなら、1人で遊んでいなさいよ。家中の障子を指やら3本目の足やらで穴開けて走り回ればいいじゃない。それで自分でちゃんと張り直したりして人生の無駄な時間費やせばいいわ。失われた時間は戻らない。何やってんだろって後悔して馬鹿を見ればいいのよ。私に関わりのない遠いところで。

 そう。それなら何も文句は言わない。だから何人たりともそれに私を巻き込むな!

 嫌い、嫌い、大嫌いっ!男も女もみんなそう、薄汚れた奴らばかり。嗚呼、何も見たくない。何も聞きたくない。薄汚れた私を見たくないの。聞きたくないの。

 この声が全く別のものに変わったなら、そんな気持ちも和らぐかしら。そう思って声から感情を殺す。無機質に磨ぐ。嫌いな私をそこから捨てる。


 「私は聖教の教えも神も信じちゃいないけど、神子様は信じた。だからここにいる。……それだけよ」


 信仰は救いだ。もう何も悩まないで済む。信じればいい。この頭で考える必要が無くなる。

 どうすればいいかなんてわからない。考えても考えても後悔と絶望しか出てこない問いかけを、彼が背負って代わりに導き出してくれる。私は言われるがままに動けばいい。何も考えられなくなるほど忙しなく。それで死んでも後悔なんかしない。むしろお礼を言いたいくらい。その時まで生きる理由を与えて貰えたのだから。

 私は神子様のマリオネット。人形に心はあっても動力はない。それでもその通りに人形が踊るのは、糸繰るその人を信じているからだ。

 私は彼の人形。それは確か。それでも彼が悪人なら私が踊ることはなかっただろう。そのまま死んだように横たわり、そのまま誰にも気付かれずに死ぬことを選んだだろう。人形が立ち上がったのは、その手を信じたからだ。この人ならば、きっと全てを救ってくれると。


 「生き急いでも良いこと無いわよ、お嬢ちゃん」


 クラティラから距離を取り、そのままフェードアウトしようとした私に彼女が囁いた。


 「息抜きって言わないけどねぇ、心の安まる場所って大事よ。こんな仕事ばっかしてると尚更ね」

 「……どういう意味?」


 意味深な言葉。それに思わず足が止まった。

 この女にしては珍しくからかいや遊びのようには見えない真剣な……違う、暗く……深く、沈んだ目。この眼、私は知っている。これは、私だ。あの日の私だ。


 「私らはあれでしょ?いろいろ憎み、いろいろ絶望してあの方に救いを求めた。そしてそこに光を、希望を見た」


 基本的に今代運命の輪メンバーは……自分に、今の世界にもそこに暮らす人々にも絶望している。勿論まともな人間もいることは知っている。それでも私達に絶望を教えたのは神ではなく、人なのだ。だから人間という生き物を憎む。マシな人間、救うべき価値がある人間がいるであろうことも知っている。それでもその人も人間だから、嫌悪する。すべてを白と黒と割り切れるほど世の中は綺麗ではない。何かしら嫌悪する要因はある。


 人殺しという仕事。人を陥れる仕事。そこに本の一欠片も復讐の気持ちが宿っていないとは誰にも言えない。これでもかというクソ人間を処刑する時、何処か胸のすく思いがするのを否定できない。

 過去の亡霊を幾ら殺しても、自分の今は変わらない。 だから人を救うんだ。自分と同じ人間を作らないために人を殺すんだ。そうすることで、ほんのちょっと救われた気になって。人を殺すことでしか救われない、どうしようもなく罪深い人間。それが私達。

 いるんだ。罪を犯すことでしか自分を救えない人間は、確かに居るんだ。綺麗事、そんな言葉は私達を救わない。

 神子様は綺麗な人だけれど、唯の綺麗事は言わない。暗殺、処刑命令。天使のようなその姿で、とても残酷なことを歌うように口にする。 それでも私が疑わず彼に付いていくのは、……その言葉の後に必ず救える相手が居るから。理由のない残虐をイグニス様は口にはしない。彼の言葉は完璧な計算。見誤ることはない。それに従えば、積み重ねれば……罪重ねれば、大多数の幸福。平和な世界が訪れる。


 「そうよ。あの方は希望。……だから仕事をする。それの何がいけないのよ?」

 「勿論貴女が働き者なのはいいことよ。世界にとってはね」

 「それなら」

 「だけどそれは貴女の世界にとってはよくないことじゃなくて?」

 「私の、世界……?」


 この女は何を言っているんだろう。それは同じ事じゃないの?私はここに生きていて、ここが世界。この世界が私の世界。世界にとっていいことならば、それは私の世界にとってもいいことだ。だってそれはイコールで結びつけられるものだから。

 何かを理解していない私を、少し可哀想な物を見るようにクラティラは可愛いわねと微笑んだ。


 「殺しの意味、履き違えちゃうと厄介よ。人が数字に見えたらお終いよ。私達が殺しているのは数字じゃなくて人間なんだから」

 「そんなの、解ってるわよ」

 「今はそうでも、仕事ばっかりやってると忘れちゃうって言ってるのよ」


 だからあの息抜き、に話が戻るのだと彼女は言った。


 「恋も愛もいいわよ。一夜だけでもね。それは私が人で、私が愛したものが人間だって教えてくれる」


 私には解らない。そんなの、わからない。そんな方法で、解るはずがない。そんなものは愛じゃない。あれはそんなものじゃない。もっと……一方的な行為だ。それは対等なものではないのだ。唯自分の何もかもが奪われていくのを見ていることしか出来ない。目に映るモノ。聞こえる全てが嫌で嫌で堪らない。何もかも終わってしまえばいい。私もあいつも、こんな世界も。そんな風にさえ思っていたのだ。あの日の私は。


 「世の中どうしようもない奴も多いけど、そう言う奴にも愛すべき点ってのは一つや二つ見つかるもんなのよ」

 「無いわ、そんなの、絶対にあり得ないっ!!」

 「ソフィア?」

 「私!仕事だからっ」


 呼び止めるようなクラティラの声も無視して私は跳ねる。先天性じゃ後天性の私の早さには付いては来られない。本気を出せばあんな女、私には追いつけない。


(そんなの……絶対に、ないっ!)


 もうこれ以上あんな戯れ言、聞いていられなかった。

 私は2人知っている。愛すべき点が一つも見つからなかった相手のことを。今だって強く憎んでいる相手のことを。

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