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56話 牌をとりもどせ!!!

第56話 牌をとりもどせ!!!


 大羽・赤陽館における白虎組と秋津一家との抗争は、秋津一家の勝利で終わった。



「納得できません!」

 夜、赤陽館の広間で声を上げたのは秋津一家元若頭・米倉だった。

 館内はようやく後片付けが終わったところで、辛うじて生き残った椅子とテーブルがぽつりぽつりと並んでいる。

 その一つに腰かけている、秋津一家相談役・秋津ススムが額をトントンと叩いた。

「しょうがないだろ。5代目のお陰で、白虎組は尻尾を巻いて逃げ出した。どちらにも死人は出なかったし、俺たち秋津一家のメンツも守れた。大団円じゃないか」

「こんなの、ケンカじゃありません。俺たちは、5代目の金の力で守られたようなものだ」

 息巻く米倉に、ススムはふと笑みを引っ込めた。

「そうだ。お前の言う通り、俺たちは5代目の金で白虎組を潰した」

「相談役。分かっているなら、何故…」

「じゃあ、米倉。今日の白虎組とのケンカは、無駄骨だったって言うのか?」

 意外な方面から切り返され、米倉はすぐに返事ができない。

 経験で勝る白虎組を相手に、秋津一家の若者たちが全身全霊で闘う姿を、米倉自身が見ているからだ。

 ススムは言った。

「俺は、今日のケンカが無駄だったとは思わない。結果はどうあれ、白虎組に俺たち秋津一家の底力を見せつけることができたんだから」

「…だとしても、それでいいんでしょうか、俺たちは」

「いいんじゃないか?兄貴が…4代目が死んでも、俺たち秋津一家は変わらない。それを証明できたってことで」

 ススムが笑みを見せたところで、静かな声が割って入った。

「金で得た勝ちなど、勝ちとは言えん」

 シーン……。

 秋津一家総長・秋津タケルの言葉に、ススムも米倉も、言葉を失くしてしまった。

「おいタケル、人がせっかくいい感じにまとめようとしてたのに!」

 憤慨するススムをよそに、タケルは切れ長の瞳を開いた。

「何より、夏目さやかを5代目に奪われた。このままだと、4代目の死の真相は隠蔽されるだろう」

「おいおい、滅多なこと言うなよ。それじゃ、5代目が兄貴を殺したって言ってるようなものじゃないか」

 ススムが口にした深刻な話に、米倉も顔をこわばらせる。

 今年1月に、何者かによって殺された朱雀組4代目・秋津イサオ。その犯人は未だに分かっておらず、様々な憶測が週刊誌を賑わせている。

 朱雀組と敵対している青龍会の犯行か、はたまたイサオとは不仲だったと噂される朱雀組5代目・柘植雅嗣の下剋上か――。

 いずれにせよ、事件の鍵を握っているのは夏目さやかだ。さやかはイサオとも柘植とも昵懇であり、事件の夜、イサオが殺された雀荘にいたという。

 その夏目さやかを、柘植が連れ去った――これが意味することは、一体何なのか。

 場の緊張が高まったところで、優雅な紅茶の香りが漂ってきた。

 カチャリ、とカップを置いて、秋津一家最高顧問――秋津ミノルが口を開いた。

「総長、相談役。これはチャンスですよ」

「チャンスって、何がだよ。ミノル」

 ススムの問いに、ミノルはにこやかに答えた。

「5代目と夏目さやか……つまり、イサオお兄さんを殺した容疑者2人が合流したんです。事件が動き出しますよ」

「うーん。まあ、青龍会は放っとかないだろうな」

 タケルとは真っ向から対立するミノルの主張を、ススムは何とか受け流す。

「5代目の元へ行くよう、夏目さやかを唆したのはお前だろう。最高顧問」

 兄の努力も虚しく、タケルは真っ直ぐにミノルを睨み据えている。

「さあ、何のことだか。いたいけな19歳の女の子がヤクザの組長の電話番号を知っているなんて、それ自体がおかしなことじゃないかと」

 ミノルもまた、すぐ上の兄に屈する気はなさそうだった。

 火花を散らし合うタケルとミノルに、ススムは内心で溜息を吐いた。

 ――あーあ、うちの弟たちはどうしてこうも反りが合わないんだか。

 弟たちだけではない。ススムは、5代目・柘植雅嗣と秋津一家との板挟みにもなっている。

 ――5代目はきっと、さやかちゃんを返す気はないだろうなあ。さて、どうしたもんだか。

 白虎組にはもはや、夏目さやかを巡るパワーゲームに加わる力は残っていない。ここから先はタケルとミノル、5代目率いる朱雀組と、青龍会との4者で争う形になると思われた。



 翌日――。

 大羽から遠く離れた彩北では、一見、何事もなくいつも通りの日常が送られていた。

 正午を過ぎた街中は、お喋りに花を咲かせる昼休みのOLに、色とりどりの風船を手にする家族連れなど、平和な一日が過ごされている。

 緊急事態に陥っているのは、堅気ならざる者たちだけだった。

「冬枝。傷の具合はどうだ」

 そう聞く榊原も、急な事の成り行きに顔が引きつっている。

「………」

 誰とも口を利きたくない気分だったが、今、大変なのは自分だけではない。冬枝は、渋々口を開いた。

「平気です。それより、榊原さんのほうは」

「うちは大丈夫だ。淑恵は、瑞恵の家に泊まらせている」

 妊娠中の妻を抱える榊原にとって、これほどの痛手はないだろう。

 冬枝は、つくづく朱雀組――5代目組長・柘植雅嗣の陰険さに腹が立った。

 ――たった一晩でシマ中の土地と建物を買い占めるなんて、どうなってやがる!

 昨日、大羽・赤陽館で行なわれた秋津一家との抗争は、柘植の鶴の一声で中止となった。

 それというのも、白虎組が所有する利権、及び組員たちの自宅や店までもが、柘植の名義に書き換えられたという報せが入ったからだ。

 にわかには信じられない報せだったが、街に帰った冬枝たちが目にしたのは、重機で破壊される組事務所の姿だった。

 轟音と共にただの瓦礫の山へと姿を変えていく事務所を前に、冬枝を始めとする組員たちは呆然と立ち尽くすしかなかった。

「そんな……」

 だが、これはまだ序の口だった。

 帰宅した冬枝を待ち受けていたのは、『差し押さえ』の札が貼られ、鍵をかけられた自宅マンションだった。

「マジかよ……」

 弟分たちもアパートを追われ、冬枝に泣き付いてきた。結局、昨夜は冬枝のカローラで男3人仲良く車中泊した次第である。

 冬枝のみならず、組長や若頭である榊原までもが邸宅を奪われた。そのため、榊原は淑恵を娘夫婦の家へと避難させ、自身はホテルに泊まったという。

 ――家族のいる奴の家まで取り上げるなんて、えげつねえことしやがる。

 冬枝が経営する雀荘『こまち』も差し押さえの札が貼られ、出入り禁止となった。マスターの中尾には、しばらく休みをやる、と公衆電話から連絡した。

 事務所が破壊されたため、組員たちで話し合う場所もない。現在、冬枝たちが集合している場所は、キャンドルホテルのラウンジだった。

 上席にいるのは、榊原一人である。

 組長の欠席は、榊原の強い勧めで入院させられたためだが、若頭補佐である霜田の不在には理由があった。

「まさか、霜田が朱雀組に拉致されるなんてな……」

 榊原は、心配そうにタバコの煙を吐いた。

 秋津一家との抗争のどさくさに紛れて、霜田の身柄を朱雀組に連れ去られた。そのため、大羽からの即時撤退及び秋津一家に対する即時降伏、という屈辱的な要求にも、白虎組は従わざるを得なかった。

 柘植の圧倒的な資金力による土地の買い占め、そして幹部の人質。白虎組は、完全に朱雀組に首根っこを押さえられた状態だった。

 誰もが沈痛な面持ちで俯く中、冬枝はキッと顔を上げた。

「さやかは『ロリコン伯爵』に連れて行かれたんでしょう。取り返します」

 ロリコン伯爵、とは柘植のことだ。海外で少女たちを買い漁っている、という柘植の噂を知らぬ者はいない。

 すぐにも立ち上がろうとした冬枝の袖を、榊原が掴んだ。

「待て、冬枝。事を荒立てるな」

「榊原さん。事務所も家も取り上げられたっていうのに、何もするなって言うんですか」

 冬枝に言わせれば、事はもう十分に荒立ってしまっている。さやかを取り戻し、ついでにロリコン伯爵の顔に一発お見舞いしてやらないことには、この怒りは収まりそうにない。

 だが、榊原は切実な表情で冬枝を諭した。

「気持ちは分かるが、少し落ち着いてくれ。柘植だって、こんな北国の街を本気で買うつもりはないだろう。俺たちが大人しくしていれば、奪われた家や土地は返されるはずだ」

「はあ…」

「大羽からも撤退したし、秋津一家への敗北も認めた。俺たちは、柘植の要求には十分応じている」

 赤陽館でのケンカには不参加だった榊原だが、敗北を認め、今後は秋津一家に手を出さない旨の宣誓書を柘植によって書かされている。感じた屈辱は、大羽で闘った組員たちに劣らない。

 さらに、榊原は住まいを奪われた組員たちのため、ホテルや旅館など、当座の住まいを斡旋してやった。右腕である霜田が不在の中、榊原一人でこの緊急事態に対処しているのだ。

 それを思い出せば、冬枝とてここで榊原に食ってかかるのは本意ではない。だが、言わずにはいられなかった。

「さやかはどうするんですか。秋津の『魔法使い』ならともかく、朱雀組の5代目にさらわれたとあっちゃ、あいつが生きて戻って来る保証はどこにもありませんよ」

「冬枝……」

 榊原は苦渋を滲ませながら、小さく頭を下げた。

「すまない。耐えてくれ」

「そんな…。榊原さん!」

 思わず声を上げた冬枝に、榊原は真剣な面差しで言った。

「さやかを諦めろって言うわけじゃない。ただ、今はこれ以上、柘植を刺激するべきじゃねえ」

「それは、そうでしょうが…」

「相手は天下の朱雀組だ。その気になれば、俺たちの家や土地だけじゃなく、身内をさらって殺すことだってできる連中だ」

 榊原の言葉に、白虎組の組員たちが顔を蒼褪めさせる。ヤクザとはいえ、家族や恋人のいる者も少なくない。

「実際、霜田とさやかの生殺与奪は柘植に握られている。2人の無事のためにも、今はほとぼりが冷めるのを待とう」

 榊原の話は、理が通っている。納得はできなかったが、冬枝は引き下がるしかなかった。



 キャンドルホテルを出ると、出入口で片手を上げる男がいた。

「グッモーニン、ダンディ冬枝」

「嵐……」

 嵐は冬枝と弟分たちの顔を見て、苦笑いした。

「しったげくたびれた顔してますねえ。20歳ぐらい老けて見えますよ」

「ったりめえだろ。さやかはロリコン伯爵に連れ去られたし、家と『こまち』まで取られたんだ。こんだけ理不尽な目に遭えば、顔のシワが100本ぐらい増えるってもんだ」

 冬枝の人生で、貧乏がこれほど身に染みた瞬間もない。白虎組の街ごと買い上げてしまった柘植の資金力は、冬枝の鼻っ柱をへし折るのに十分だった。

 弟分たちに至っては、先行きへの不安でほとんど喋らなくなってしまった。赤陽館に乗り込む時はあんなに意気揚々としていたのに、たった一日で天と地ほどの差だ。

 冬枝は、思わずぼやいた。

「あーあ、秋津一家とのケンカなんか、完全に骨折り損のくたびれもうけだったぜ。こんなことなら、俺一人で何とかしてさやかを連れ戻せばよかった」

 白虎組が総出で秋津一家に襲いかかったから、秋津一家を傘下に抱える柘植を動かしてしまったのだ。

 どうしてこんなことに、と経緯を思い返した冬枝は、目の前でにやつくピンクの革ジャン男に思い至った。

「そうだ、元はといえば、てめえがおかしなニュースを流したりするから……」

「まあまあ、リラックス、リラーックス。骨折り損って言ったって、ゴリラ総長はさやかがダンディ冬枝の女だって認めてくれたわけでしょ?」

 嵐に言われ、冬枝は確かに、と気付いた。

「何考えてるのかよく分からねえオッサンだが……どうも、秋津の『魔法使い』とは考えが違うみたいだったな」

「そりゃそうでしょ。謹厳で知られる秋津タケルが、さやかをさらった上、朱雀組の5代目に明け渡しちまったジェントル秋津のご乱行に同意しているとは思えねえ」

 ――秋津タケルと秋津ミノルは、真っ向から考えが対立している。

 以前、青龍会の船で秋津ススムと出会った時にも、冬枝は同じことを感じた。やはり、秋津の三兄弟は一枚岩ではないようだ。

「じゃあ、あのゴリラ総長に協力してもらえば、さやかを取り戻せるかもしれねえってことか」

 冬枝がそうまとめると、嵐は「いやぁー」とにやにや笑った。

「もっと早い手があるんじゃない?ダンディ冬枝」

「あん?」

「ま、話はうちでゆっくりしましょうや。ダンディ冬枝と高根っちと土井ちゃん、今は家なき子になっちゃったんでしょ?」

 そこで、サングラスをかけた土井がガバッと顔を上げた。

「そうなんスよ~っ!家賃払ったばっかりだったのに~っ!」

「バカ土井、そんなこと言うなよ。余計悲しくなるだろ」

 まだ若い高根と土井にとって、住まいを追われたのは相当堪えたようだ。冬枝も、自分はともかく2人のことは何とかしてやりたいと思っていた。

 自動ドアをくぐりながら、嵐は首だけで振り返った。

「特別に、3人まとめて嵐クンのお宅に泊めてあげても良くってよ」

「ええっ!?」

「いいんですか!?」

 嵐からの思わぬ申し出に、冬枝も目を丸くした。

「いいのかよ。お前、家にかみさんがいるだろ」

 いつもはひょうきんな嵐も、妻・鈴子のこととなると途端にムキになるのを冬枝はよく知っている。あれだけ美人で胸のでかい嫁なら仕方ないか、と冬枝も納得してはいるが、その上ヤクザ嫌いの嵐が、妻と同じ屋根の下に冬枝たちを泊めるなんて信じられなかった。

 嵐は、ちょっと言葉を選ぶように頭をかいた。

「んー、まあ、何て言うか。さやかがジェントル秋津にさらわれちまって、鈴子の奴、落ち込んじまってるんですよ。男が3人も増えれば、あいつも気が紛れるかなーって」

「ああ…」

 鈴子がさやかと親しい、というかただならぬ関係であることは、冬枝も知っている。

 ――さやかの身が心配なのは、俺だけじゃねえんだな。

 だからこそ、さやかをさっさと取り戻し、これだけ心配させたことを叱らなければならない。

 ――首を洗って待ってろよ、さやか。

 焦る気持ちを押さえ、冬枝は弟分たちを連れて嵐の自宅に向かうことにした。



 白虎組若頭・榊原は、キャンドルホテルのラウンジで地元の建設業者と話し合いを続けていた。

「すみません。ここらへんで使えそうな土地はほとんど、朱雀組が買っちまったもんで」

 プレハブ小屋でもいいから仮設の組事務所を建てようと榊原は考えていたのだが、建設業者からは予想通りの生返事だった。

「だろうな。やはり、今は難しいか…」

 ――柘植は、ここらの地価を無視した法外な値段で土地を買い占めてる。所有者にしてみれば、断る理由がねえ。

 ましてや、天下の朱雀組に脅されて、拒み通せる者などいないだろう。榊原は、作業着姿の社長の肩をポンと叩いた。

「朱雀組から何言われても、俺たちに義理立てする必要はねえからな。自分の身を一番に考えてくれ」

「ありがとうございます、若頭」

 そこに、榊原つきの親衛隊が血相を変えて飛び込んできた。

「大変です、若頭!上で騒ぎが…」

「どうした。朱雀組か、『アクア・ドラゴン』か」

 敵襲か、と身構えた榊原に対し、組員の返事は全く別のものだった。

「奥様と響子さんが、5階のラウンジで口論になってます」

「なっ……」

 榊原の総身から、サーっと血の気が引いていった。

 ――どうして、淑恵がここに!?

 響子は、ここのホテルの5階に泊まらせていた。響子が暮らしているマンションは榊原の名義だったため、とばっちりで朱雀組に奪われてしまったのだ。

 娘夫婦の元にいるはずの淑恵と響子が鉢合わせするなんて、夢にも思っていなかったが――夢であって欲しいと、榊原は切に願った。

 エレベーターで慌てて5階まで上がると、榊原は現場のラウンジへと飛び込んだ。

 美貌の女2人は、窓辺の席に向かい合う形で座していた。

「あなたが今の白虎組にいても、いいことは一つもないでしょう。忍さんと別れて」

 ストレートに迫る淑恵に対し、響子もストレートに返した。

「嫌よ。そんなこと、あなたに指図されるいわれはないわ」

「響子さん。私は、あなたのためを思って言っているのよ。まだ若いあなたが、ヤクザの愛人を続けるなんて勿体ないわ」

 宥めすかそうとする淑恵を、響子は鼻で笑う。

「おためごかしはやめてちょうだい。何を言われようと、私は若頭のそばにいるわ。若頭を愛しているんですもの」

「そう…。じゃあ、私も本当のことを言うわ」

 淑恵は、キッと真剣な目つきになった。

「私、妊娠しているの。勿論、忍さんとの子供よ」

「何ですって…!?」

 響子は目を見開いたが、すぐに引きつった笑みを浮かべた。

「嘘よ、妊娠なんて。あなた、もうおばさんじゃない」

「おばっ…!」

 淑恵の柔和な目元が一瞬、つり上がったが、すぐに取り繕った。

「…事実よ。ちゃんと病院で診てもらったわ」

「そう。じゃあ、若頭の寵愛はますます私に向かうわね」

 響子は得意げに肩の髪を払うと、淑恵を見下すように踏ん反り返った。

「ご存知かしら。男の人が浮気するのって、奥さんの妊娠中が多いんですって。夜の相手も出来ない、お腹の大きなおばさん妻なんて、女だと思われないってことよ」

「あら。じゃあ、若くて綺麗な響子さんは、どうして忍さんから女性として扱われてないのかしら」

 淑恵が穏やかな声で放った核心を衝く一言に、響子の顔つきが変わった。

「灘家のお嬢様だったって聞いてたけど、案外、下世話なことを言うのね。夫の性生活まで支配しているつもり?」

「実家はもう捨てたわ。それより響子さん、私はあなたに同情しているの。このまま忍さんと一緒にいても、あなたが報われることはない」

 白虎組は朱雀組に買い上げられ、先行きが見えない状況だ。妻である自分はともかく、若い響子を白虎組の破滅に巻き込みたくない、というのが淑恵の本心だった。

 だが、聡明な響子はすぐに淑恵の心底を見抜く。

「ふうん。子供ができたからって、ずいぶん調子に乗ってるのね。要は、生まれてくる赤ちゃんとの幸せな家庭には、私のような女は邪魔ってことでしょう?」

「……それも、否定はしないわ。この子の母親として、いつまでもあなたと忍さんの関係を見て見ぬふりはできない」

 淑恵はもう、引き下がる気はない。響子から何を言われようと受けて立つのが、自分の責任だ。

 響子もまた、美しく身を引くつもりなどさらさらない。秋津タケルと全力で闘った源の姿を見た後で、自分の気持ちを誤魔化すのは卑怯に思えた。

 ――最後まで闘わなきゃ、源さんに失礼だわ。

 己の醜さを承知で、響子は自分の本心をさらけ出した。

「母親だからって、何でも許されると思わないでちょうだい。あなたはもう十分恵まれてるじゃない。お金もあって、若頭から愛されて、素敵なお子さんたちだっている」

 言えば言うほど惨めになっていくようで、響子の目に涙がこみ上げる。

 ――ここで泣いたら、負け犬だと認めるようなものよ。泣いちゃダメ…!

 高ぶる激情を押さえ、響子は言葉を紡いだ。

「私には、若頭しかいないの。私から若頭を奪う権利なんて、誰にもないわ!」

 そう叫ぶと、響子はテーブル上のコップを掴んだ。

「!」

 バシャッ!

 氷の入った冷たい水を被ったのは――淑恵と響子の間に滑り込んだ、榊原だった。

「あなた!」

「若頭…!」

 ハッとする女2人に挟まれ、榊原はようやく声を絞り出した。

「…よさねえか、淑恵、響子」

「………」

「淑恵。瑞恵たちのところにいろって言っただろ。どうしてここに来たんだ」

 パン!

 だ、と言い終わらないうちに、淑恵の平手打ちが榊原の頬に当たっていた。

「あなたのせいよ。あなたがいつまでもはっきりしないから、私がここに来るしかなかったんじゃない」

「淑恵……」

 榊原が呆然としたところに、響子も続く。

「そうよ、若頭はひどいわ。奥様が妊娠したなんて、私、知らなかったのに…」

「あ、いや、それはその…」

 パン!

 榊原が言い訳を思いつく前に、響子のビンタが榊原の頬を打った。

 やがて、淑恵が小さくため息を吐いた。

「…帰るわ。響子さん、お話の続きはまた今度にしましょう」

「…ええ。どうぞ、お身体に気を付けて、淑恵さん」

 2人の女は榊原のほうを振り向きもせず、それぞれにラウンジを去って行った。

「………」

 気まずそうな組員たちの視線を受けながら、榊原は一人、じんじんと痛む頬を押さえたのだった。



 ホテルの客室からかけた電話は、大文字の「NO」で返された。

「淑恵ちゃんと響子ちゃんの仲立ちをしてくれ、ですって?なーに言ってるのよ、榊原さん!」

 電話の向こうでキンキンと怒鳴り散らしているのはスナック『パオラ』のママ・美佐緒――霜田の元妻であり、榊原とも昵懇の間柄だ。

「そこを何とか頼むよ、美佐緒ちゃん」

 榊原は受話器を手に拝んだが、美佐緒の返事は変わらなかった。

「自分で蒔いた種でしょ?あたしに頼むぐらいなら、最初っから不倫なんかしなきゃいいじゃない!」

「そう言わないでくれよ。俺と美佐緒ちゃんの仲じゃないか」

「それよりも、パパが朱雀組にさらわれたんですって?どうなってるのよ、榊原さん!」

「そ、それは…」

 返事に詰まる榊原を、美佐緒が更に追い詰める。

「パパの身に何かあったら、許さないからね!榊原さんの大事なタマ、響子ちゃんと淑恵ちゃんが右と左からチョン切っちゃうんだから!」

「おっかないこと言うなよ。霜田のことは必ず取り戻すから、なっ?」

「自分のオンナ関係も何とかできない癖に、安請け合いするんじゃないわよ!お兄ちゃんも帰って来ないし、全くアッタマきちゃう!ゲホッ、ゲホゲホッ!」

 怒鳴り過ぎたせいか、美佐緒が受話器の向こうで咳き込んだ。

「大丈夫か、美佐緒ちゃん」

「ゲホッ、あたしは大丈夫よ。それより、榊原さんこそ男見せなさいよ。ピンチの時に頼りにならないんじゃ、若頭なんて名前負けって言われちゃうからね!」

 最後は、美佐緒なりの激励だったのかもしれない。ガチャン、と一方的に電話を切られても、榊原は美佐緒を恨む気にはなれなかった。

 ――夫婦揃って、耳の痛いことを言ってくれるよな。

 今になって、霜田の存在の大きさを痛感する。組員同士の細々としたトラブルから、シマのホステスたちの人間関係まで、霜田は日頃からまめに調整してくれていたのだ。

 ―—それに、さやかも。

 きっと、さやかがいたら今の淑恵と響子を仲裁してくれただろう。淑恵も響子もさやかのことを可愛がっていたし、女同士で、組の代打ちでもあるさやかの言なら素直に聞いてくれるはずだ。

 或いは、霜田とさやかがいなくなったことで、これまで押さえこんでいた淑恵と響子の不満が爆発したのかもしれない。

「俺は今まで、白虎組の看板ばかり気にしてきましたが…結局、組ってのは人なんですね」

 組長の入院先である病室で榊原がそんなことを言うと、組長が肩をパンパンと叩いた。

「なーに、気にするこたねえよ。所詮、霜田もさやかちゃんも組の歯車だ。いなくなったところで、代わりはいくらだっている」

「組長。なんてことを仰るんですか」

 榊原の所感とは正反対の言葉に驚いたが、組長にはもっと深い考えがあった。

「望む望まざるに関わらず、人ってのは移ろっていくもんだ。今の状況は、榊原がそんなツラするような深刻なモンじゃねえ」

「そうでしょうか」

「思い出してみろよ。昔、笑太郎のヘマのせいで、すっかりうちにシャブ屋のイメージが付いちまったことがあっただろ?」

 嘉納笑太郎は白虎組の元幹部で、組長の盟友でもあった男だ。組の法度である薬に手を出し、冬枝に斬られた。

 事件は街中に知れ渡り、笑太郎の娘であるエミコは大学を辞めて街を離れた。警察からも組はマークされ、事務所の周辺を常に私服の刑事が見張っている時期が続いた。

「だが、もう誰も当時のことを覚えちゃいねえ。今のこの状態だって、過ぎちまえば笑い話になるさ」

 笑太郎の事件で混乱に陥った白虎組を立て直した男こそ、組長――熊谷雷蔵だ。

 一番傍で組長を支えてきた榊原は、改めて組長の芯の強さを実感した。

 ――そうだ。俺が弱気になってたら、白虎組は本当にダメになっちまう。

 淑恵と響子がケンカになったのも、今の状況への不安があるせいだろう。2人のためにも、組員たちのためにも、榊原がしっかりしなければならない。

 榊原は、顔を上げた。

「親分。俺が必ず、今のこの状態を笑い話にしてみせます。柘植のおかげで街の景気が良くなった、って言ってやりますよ」

「ハハ、その意気だ」

 組長がタバコを1本取り出すと、すかさず榊原がライターで火をつけた。

「安心しな、榊原。可愛い可愛いお前さんのために、手は打ってある」

「と、言いますと」

 組長は、ふーっと煙草の煙を吐いた。

「まず、うちのシマを朱雀組の5代目に買われちまったのは、そう悪いことでもねえ。これで、『アクア・ドラゴン』や青龍会は、うちのシマで悪事はできなくなった」

「確かに…」

 今の街は事実上、朱雀組の縄張りになったようなものだ。青龍会が無駄なリスクを取らないことは、青龍会傘下・桃華組による少女たちの拉致事件が水面下で完璧に遂行された事実からも明らかだ。

 組長は、包帯が巻かれた自身の腕をさすった。

「そして、俺のこのケガだ」

「源にやられたものですね。親分に銃を向けるなんて、見下げ果てた野郎です」

 榊原は、苦々しそうに吐き捨てた。

 昔の仲間とはいえ、青龍会について組長を撃った源を許すつもりはない。榊原は源に報復したいと考えていたが、今の状況ではそれも難しい。

 榊原とは対照的に、組長の表情は飄々としていた。

「青龍会が、自分のシマでよその組長を撃ったんだ。秋津一家だって、こいつは面白くないだろうよ」

「つまり、青龍会を共通の仇として、秋津一家と手を組め、ということですか」

 榊原がまとめると、組長は指を鳴らした。

「その通り。よく分かってるじゃねえか、榊原」

「ですが、秋津一家が首を縦に振ってくれるでしょうか」

 榊原は赤陽館での決戦と、朱雀組に買われた今の白虎組の状況を懸念した。

「俺たちから秋津一家にケンカをふっかけた上、今はあっちのほうが有利な立場です。手を組むと言っても、俺たちが秋津一家に頭を垂れることになるんじゃ…」

 そこまで言いかけて、榊原はハッとした。

「まさか…、親分は、秋津一家ともども朱雀組から離脱するおつもりですか」

「そうさ」

 組長は、サングラスの奥の瞳をじっと細めた。

「朱雀組の5代目・柘植雅嗣と、秋津一家の総長・秋津タケルは犬猿の仲だ。少なくとも、柘植の金で勝ちを買った今の状況を、秋津タケルが喜んでるとは思えねえ」

 柘植は秋津タケルにとって、兄・秋津イサオを殺した容疑者でもある。そんな男に白虎組とのケンカや夏目さやかの身柄にまで介入されて、秋津タケルは内心、反発しているのではないか。それが、組長の見立てだった。

「秋津タケルは端っから、朱雀組を抜けたくてしょうがなかったはずだ。地元意識の強い愚連隊上がりで、朱雀組との唯一の繋がりだった4代目も死んだ。秋津タケルは、都会者の下から抜け出すチャンスを今か今かと伺ってるはずだ」

 青龍会は、地元の組である白虎組と秋津一家自身の力で締め出す。よそ者に過ぎない朱雀組の力はいらない――そう誘いをかければ、秋津タケルは頷くはずだ。

 組長の話を聞いて、榊原は思わず嘆息してしまった。

「親分は…、そこまで考えて、さやかのいる寺まで行ったんですね。さやかがいれば、必ず青龍会が来ると踏んで」

「そういうこった。榊原には、誰からも邪魔されねえ、榊原だけのシマを譲ってやりたいからな」

 組長の言葉に、榊原は改めて感じ入った。

「ありがとうございます。親分の策、俺が必ず実現させます」

「おっと、待ちな。話はまだ終わりじゃないぜ」

 組長は榊原を手で制すると、近くに寄るように命じた。

「……!」

 組長から耳打ちされた内容に、榊原は度肝を抜かれた。

「…そこまでする必要がありますか」

「なーに、大したことじゃねえさ。こっちが本気だってのを示さなきゃ、向こうも真剣になってくれねえだろ」

 組長は笑みを引っ込め、不意に目つきを鋭くした。

「今は、なりふり構ってる場合じゃねえ。使える手は全部使え」

「親分…」

「最後に勝つのは、榊原。お前さんだよ」

 組長のサングラスの奥の瞳は、力強い確信に満ちていた。

 ――親分…。

 あまりにも大胆な組長の策に、榊原は半信半疑だったが――やがて、コクリと頷いた。



 さやかは、ホテルの窓辺から眼下を見下ろした。

 四方を山に囲まれ、灰色のビル群が並ぶ。東京よりも広い空と、緑の濃さは、さやかに懐かしさをもたらした。

 ――ここの景色、彩北に似てる。

 それもそのはず、ここは玉榧だ。白虎組や秋津一家の隣県だから、土地柄も似ているのかもしれない。

 東京へ向かう途次、さやかはこのホテルで休息を取っていた。

 朱雀組の支所がある東京へ向かうとなれば、太平洋側を経由するのが普通だ。だが、さやかはこれから日本海側を迂回する予定になっている。

「太平洋側は、青龍会の力が強い地です。そんな危険な道を、私の娘に歩ませることはできません」

 革張りの椅子に深く腰掛け、そう告げたのは――朱雀組5代目組長・柘植雅嗣だった。

 さやかは、相変わらず陰気な柘植の大仰な物言いに苦笑した。

「…あんなことがあった後でも、僕のことをそう呼んでくれるんですね。柘植さん」

「4代目の死は、実に遺憾です。ですが、私とさやかの関係が変わることはありません」

 実際、柘植の言う通り、柘植はさやかに破格の厚情を示してくれた。秋津一家と白虎組の抗争を止めて欲しいというさやかの願いを叶えたのは、他ならぬ柘植だ。

「今回のケンカ、白虎組の負けで構いません。冬枝さんには手を出さないでください」

 さやかが電話でそう告げた時、柘植は条件を提示した。

「私は冬枝誠二を信用していません。無論、その背後にいる白虎組も。彼らが二度とさやかに手を出せないよう、彼らの財産を全て没収します。よろしいですか?さやか」

「……柘植さんがそうしたいなら、どうぞ」

 白虎組が無力になれば、冬枝が柘植や秋津一家から狙われることもなくなるだろう。組事務所や住まいを奪われるなんて、冬枝の怒る顔が見える気がしたが、さやかは柘植に任せた。

 柘植が東京から大羽に来た目的は、白虎組と秋津一家の抗争に介入することだけではなかった。

「私はさやかを迎えに来たのです。秋津一家にはさやかを任せておけません」

「…柘植さんは、秋津総長とは意見が違うということですか?」

 柘植は、物憂げに目を伏せた。

「……敬愛する4代目の御弟君であれば、私も意を一つにしたいところなのですが……どうも、相談役以外は私を信頼していないようです」

 さやかは、桃華組の船やキャンドルホテルで会った朱雀組相談役・秋津ススムの穏和な笑みを思い出した。

 事業家でもあり、何事もビジネスライクに対応するススムと違って、謹厳な総長・タケルと、独自の意見を持つ最高顧問・ミノルは柘植に反発しているのだろう。

 さやかがミノルによって秋津一家に連れて行かれた時点で、柘植は自ら大羽へ行くことを決意したのだという。

「潔癖な舎弟頭が私を疑うのは、やむをえません。ですが、最高顧問は……今の彼は、さやかにとって非常に危険な存在と呼べるでしょう」

「……そうですか?」

 とぼけるさやかに、柘植は濃色のマホガニーのテーブルから目線を上げた。

「4代目を目の前で討たれた最高顧問の無念は、察するに余りあります。その上、彼はさやかを仇だと思い込んでいる……。どんな手を使ってでも、さやかを葬ろうとするでしょう。実際、最高顧問は何度もさやかに接触した」

 ――ミノルさん…。

 彩北で会ったミノルの笑みが、言葉が、さやかの脳裏をよぎる。

 麻雀の天才で、聡明なミノルとは、もっと別の形で出会いたかった。きっと、いい麻雀仲間になれたのに。

 ――でも、僕とミノルさんが手を取り合うなんてあり得ない。

「当然じゃないですか。ミノルさんに殺されるなら仕方ないですよ」

 さやかが吐き捨てるように言うと、柘植がすっと立ち上がった。

「男勝りは変わりませんね。さやかの無謀を止めるのも、私が来た目的の一つです」

「柘植さん…」

「さやかと最高顧問の身に何かあれば、天の国で4代目がさぞお嘆きになるでしょう。4代目の死を無駄にしてはいけません」

 諫めるような柘植の言葉に、さやかは少し反省した。

 ――柘植さんは、イサオさんの死を背負ってる。僕やミノルさんのことも含めて、柘植さんは責任を負ってくれてるんだ。

 柘植は、さやかと並んで玉榧の街を見下ろした。

「青龍会の目的は、4代目の死を己の手柄にすること。組の中から適当な犯人を出頭させ、朱雀組を討った最強の暴力団として名乗りを上げるのが狙いです」

 東北から全国有数の暴力団組長に成り上がった秋津イサオは、任侠界の革命児だった。そのイサオを殺ったとなれば、新時代の最強軍団というイメージを確立できる。

 青龍会は、イサオ殺しを自分たちの歴史に燦然と輝く、栄光のトロフィーにするつもりなのだ。

 さやかは、青龍会の『アクア・ドラゴン』や源が、躍起になって自分をさらおうとした理由に納得した。

 ――事件に関わった僕の口を塞いでしまえば、イサオさんの死をいくらでも脚色できる。

 殺人事件の犯人になりたがるなんて、普通のヤクザだったら考えない。イサオ殺しを名誉と考えるところに、青龍会の傲慢が透けて見えた。

 柘植は、自らを鎮めるように胸元のロザリオを手繰り寄せた。

「4代目の死を穢すことなど、断じて許されません。青龍会とは、近々決着をつけるつもりです」

 既に話し合いを進めている、という柘植の発言に、さやかは驚いた。

「青龍会と決着をつける、って…一体、どうやって?」

「………」

 さやかの問いには答えず、柘植は別のことを口にした。

「白虎組には、私の手の者を数名、送り込んでいました」

「…朽木さんのことですか」

 さやかが言うと、柘植は静かに頷いた。

「さやかの状況を知るためには、白虎組の内部にも協力者が必要だと考えました。そこで私が選んだのが、朽木貴彦です」

 常に宿敵・青龍会と熾烈な情報戦を繰り広げている柘植には、田舎の白虎組の組員をスパイにするぐらい、造作もないだろう。

 それは分かるのだが、さやかは柘植の人選に疑問を持った。

 ――朽木さんを選ぶなんて、なんて悪趣味な…いや、見る目がない…いや……。

 紳士的な柘植と女に乱暴な朽木は、さやかにはあまりにもかけ離れて見える。たが、理由を聞いて納得した。

「きっかけは、白虎組の者と恋人関係にあるというホステスを見つけたことです。彼女を通して、朽木に接触しました」

「それって……」

 さやかの記憶に、鈴子にそっくりな容姿を持つ、蜂蜜のように甘い声の持ち主が蘇った。

 柘植の答えは、さやかの予想通りだった。

「風間鳴子。とても純粋な女性です」

「鳴子さんが…」

 鈴子の妹であり、朽木の内縁の妻だ。さやかは未だ、写真でしか鳴子の姿を見たことがない。

 さやかは、朽木が東京にいる鳴子に毎週のようにプレゼントを贈り、聴いているほうが呆れるような睦まじい電話をしていたことを思い出した。

 ――ただのアベックに見せかけて、あの2人、裏では朱雀組と通じてたんだよね。

 青龍会の源に加えて、朱雀組と通じている朽木が白虎組にいた。組とさやかの様子は、青龍会にも朱雀組にも筒抜けだったと言っていい。

 源はともかく、朽木と鳴子に関してはさやかはショックではなかった。朽木に裏切られたところで驚かないし、鳴子のピュアさは天性のものだ。そもそも柘植がさやかのために送り込んだ内通者なのだから、恨むのも筋違いといえる。

 そこで、柘植はとんでもないことを明らかにした。

「先日、鳴子が青龍会に拉致されました」

「……なんですって!?」

 さやかは思わず、柘植の臙脂色のスーツにしがみつくように前のめりになった。

「いつ!?鳴子さんは無事なんですか!?」

「……さやかには、自分のこともそのぐらい大事にして欲しいものですが」

 柘植の慨嘆をよそに、さやかの頭は鳴子の甘く優しい声でいっぱいになっていた。

「貴彦さんね、とってもかっこいいの。まるで、王子様みたいでしょう?メイコ、一目惚れしちゃった」

 さやかよりずっと年上の女性なのに、とても無垢で幼げで、優しかった鳴子。直接会ったことはないが、さやかにとっても大事な女性だ。

 ――鳴子さんの身に何かあったら嫌だ…!

 鈴子も、どれだけ心配することだろう。明るい笑顔の裏で、鈴子がいつも東京にいる妹の身を案じていることは、さやかも知っている。

 さやかの切羽詰まった表情を見て、柘植は嘆息した。

「…鳴子の、おおよその居所は突き止めています」

「どこですか!?」

 さやかの剣幕にも動じず、柘植は目を伏せた。

「それは言えません」

「どうして!?」

「言えば、すぐにでも助けに行くという顔をしています」

 呆れと心配の滲んだ柘植の顔を見て、さやかもようやくちょっと落ち着いた。

「朽木も、鳴子の身を非常に案じています」

「…そうでしょうね」

「朽木は赤陽館での決戦も参加せず、組には無断で東京へと飛び出してきました。唯一、霜田補佐にだけは伝えたようですが」

 朽木は朱雀組のスパイであることも洗いざらい霜田に打ち明け、鳴子を助けに行かせて欲しい、と懇願したらしい。

 その霜田もまた、柘植によって朱雀組の人質にされたが、どうやらそれは理由があったらしい。

「実のところ、霜田補佐をお呼び立てしたのは、朽木を止めてもらうためでもあります。目的が何であれ、今、青龍会との間に揉め事を起こすべきではない」

 柘植は窓に背を向けると、さやかの肩をポンと叩いた。

「鳴子のことは、必ず助け出します。さやかは、自分のことだけ考えなさい」

「……はい」

 実際、今のさやかに出来ることは何もない。さやか自身が青龍会の標的であり、屈強な男たちに対抗できる力も持たない。

 ――冬枝さんだったら、身体一つで闘えるのにな。

 大羽に行ったさやかを追いかけ、秋津タケルと死闘を演じた冬枝。例え負けても、己の意志を貫き通した冬枝は立派だった。

 ――いくら冬枝さんでも、ここまでは追いかけて来ないだろうけど。

 さやかはこれから、遠い東京へと向かう。故郷へ帰るはずなのに、さやかの胸を満たしているのは寂しさだった。



 その日、大羽のミノルの自宅には、珍しい客が訪れていた。

「お久しぶりです。ノボルさん」

「ご無沙汰しております。息子がいつもお世話になっています」

 グレーのシャツを着た痩身の男が顔を上げると、ミノルの隣にいる栗林が顔をしかめた。

「何の用だよ、親父」

「こらこら、栗林。僕の前だからって、照れることはありませんよ。存分に、父子水入らずの時間を過ごしてください」

「やめてくださいよ、ミノルさん」

 困惑気味の青年――栗林アキラと、今日の珍客――栗林ノボルとは、実の父子だった。

 父との再会を迷惑がる栗林の意志とは裏腹に、2人が並ぶと本当にそっくりだ。ミノルは、姉が遺した血縁をまじまじと目の当たりにする想いだった。

 ――ノボルさんは、アカネお姉さんの夫でもある。

 アカネが急死した時、栗林はまだ赤ん坊で、ノボルもまだ若かった。いくらでも再婚の話はあったはずだが、ノボルはずっとやもめ生活を続けている。

 栗林が紅茶を入れると、3人はダイニングテーブルに腰を下ろした。

「……今日は、息子の様子を見に来たんです。白虎組に襲われて、ケガをしたと聞いたものですから」

 ノボルは普段、大羽ではなく彩北に住んでいる。アカネが殺された大羽にいるのが辛いためだ。

 栗林は、首の包帯をぎこちなくさすった。

「かすり傷だよ。わざわざ来なくたっていいだろ」

 栗林のぶっきらぼうな物言いに、横で聞いているミノルのほうが恥ずかしくなった。

 ――栗林ときたら、いい年齢をして反抗期の子供のような口の利き方ですね…。

 死んだ母の記憶もなく、父と二人でぎこちない家族生活をしてきた栗林の気持ちは分からなくもない。

 分からなくもないのだが、栗林も30を過ぎているのだから、もう少し大人の対応をして欲しい。これでは、ミノルの教育が行き届いていないみたいではないか。

 ミノルはテーブルの下で軽く栗林の脚を蹴ると、にっこりとノボルに微笑みかけた。

「アキラ君は実に立派でしたよ。白虎組の恐ろしいオオカミのような組員に刀で斬られたにも関わらず、そのケガを押して白虎組の根城まで使者を務めたんです。総長の覚えもたいへんめでたくなったかと」

「お、大げさですよ、ミノルさん」

 栗林は照れ臭そうだったが、満更でもなさそうだ。

「………」

 一方、栗林の父――ノボルは、面差しを暗くした。

「…やはり、親子だから似るのでしょうか」

「はい?」

「妻も……アカネも、そうでした」

 それは、30年以上前――栗林がまだ、赤ん坊だった頃の話だ。

 アカネが店でヤクザ同士のケンカの流れ弾に当たった時、その場にノボルもいた。

 ――アカネが、銃で撃たれた…!

 突然のことに蒼白になるノボルをよそに、アカネはそのケガのまま、ケンカをしているヤクザ2人の間に割って入った。

「うるせえぞ、お前ら。オレたちデート中なんだから、邪魔すんなよ」

 アカネは背が高く、ヤクザ2人を見下ろすほどだった。彼らもまさか、目の前にいるのが子持ちの女だとは思わなかっただろう。

 アカネはその長い腕で、ヤクザたちを抱くようにポンポンと肩を叩いた。

「弾だって高いんだから、こんなところで無駄遣いすんなよ。勿体ねえぞ」

 そう言ってにっこりと笑ったが、アカネの顔からは冷や汗が流れていた。

「……!こいつ…」

「ば、バケモノだ」

 ヤクザ2人は、すぐに逃げるようにその場を後にした。アカネが撃たれた傷からだらだら血を流しているにも関わらず、平然と立っていることに恐れをなしたのだ。

「あ、アカネ」

 ノボルは、がたがたと震えながらアカネに縋り付いた。アカネの足元に広がる血の量から、既に尋常ではないケガだと分かってしまったのだ。

「…」

 アカネは一瞬、ノボルを安心させるように微笑みかけたが、すぐに顔を歪めてその場に膝をついた。

「いってえ」

「アカネ!今、今お医者さんが来るから」

「お前の顔見たら、ますます痛くなってきた。ああ、痛え」

 ノボルはアカネを腕に抱いたが、アカネの身体はびっくりするほど冷たかった。しかも、血が次から次へと流れ出ていく。

 ノボルはただ、泣きながらアカネを抱くことしかできなかった。

「アカネ。死なないでくれ」

「お前よ、縁起でもないこと言うなよ」

 アカネは平気そうに言ったが、その声も既に聞き取れないほどにか細い。

「オレが死んだら、誰がアキラにおっぱいやるんだよ。なあ」

「アカネ…」

「オレの夢はさ、ノボルとアキラと、家族ずっと幸せに…」

 それが、アカネの最期の言葉だった。

 静かになった妻を抱いて、ノボルはいつまでも慟哭し続けた。

「………」

 ノボルの話を聞き終えて、ミノルは亡き姉を想った。

 ――アカネお姉さんは……もしかしたら、ずっと、ただそれだけのために闘ってきたのかもしれませんね。

 豪放磊落で、大羽にいるチンピラやヤクザも寄せ付けぬほどの強さと自由を持っていたアカネ。金のためならあくどいことも平気でしたが、アカネの本当の目的は、ごく普通の家庭を持つことだったのかもしれない。

 ノボルが今でも深くアカネを想い続けているのは、それだけアカネがノボルを愛していたことの証だ。愛する夫と幼い息子を遺して逝かなければならなかった姉の無念を思えば、ミノルの胸もちぎれそうだった。

 しかし、アカネを覚えていない栗林は、狐につままれたような顔をしていた。

「また、母さんの話かよ」

「アキラ…」

「確かに母さんは気の毒だったかもしれないけど、俺は母さんとは違う」

 栗林は、苦々しそうにノボルの手元を見た。

 薬指に光る古い指輪――。

 いつまでも亡き母にこだわり、ここにいる自分よりも母の面影を追い続ける父が、栗林はどうしようもなく忌まわしかった。

「秋津一家は今が大事な時なんだ。俺が身体を張るのは当然だろ」

 ノボルは何か言いたげに息子を見たが、すぐに目を逸らした。

 代わりに、ミノルに向かってこう言った。

「……アキラには、ユタカさんのようになって欲しくないんです」

「親父!」

 ガタガタッと音を立てて、栗林が椅子から立ち上がった。

「この大羽じゃ、その名は禁句だぞ。親父だって知ってるだろ」

「………」

 ノボルは、息子と目を合わせようとしない。何かを訴えるように、無言でテーブルを見つめ続けている。

「………」

 ミノルは、内心で小さくため息を吐いた。

 ――最近、よくユタカの話題が出ますね…。

 栗林の言う通り、秋津ユタカの話題は大羽ではタブーだった。

 イサオが死んだ今、秋津一家の誰もがユタカの去就に注目しているはずだが、その名を軽々しく口にすることはない。

 アカネが秋津一家の結束のシンボルなら、ユタカはその逆だ。少なくとも、組員たちからはそう思われている。

 ――色々な意味で、栗林がユタカのようになることはないと思いますが。

 ミノルは、穏やかにノボルに微笑みかけた。

「大丈夫ですよ、ノボルさん。ご子息はとても真面目な青年です。ノボルさんや、亡くなったアカネお姉さんに恥じるような真似はしません」

「……」

「それに、僕も総長も、ご子息を大切に思っています」

 美辞麗句のようではあったが、これはミノルやタケルの偽らざるところでもあった。

「ご子息が、アカネお姉さんの忘れ形見だからではありません。僕たち秋津一家は、組員の命に責任を持ちます。たとえ相手が青龍会だろうと、組員の命を無駄にはしません」

「……」

 ミノルの言葉が、ノボルの胸に響いたかどうか。姉が愛した男は、愁いを帯びた眼差しのまま、ミノルの家を辞した。

 感動とは程遠かった父子の対面に、ミノルは肩身の狭い気持ちだった。

 ――栗林とノボルさんは、どこまでいっても平行線のようです。

 息子にはっきり主張できない父と、母の話ばかりする父がもどかしい息子。ミノルとしても、2人を無理に仲良くさせるつもりはない。

 ――栗林を親不孝者と呼ぶ資格は、僕にはありません。

 ミノルもまた、幼い頃に両親を亡くし、2人の顔も覚えていない。ミノルにとっての親は、姉であるアカネと、兄であるイサオだった。

「すみません、うちの親父がうるさくって。全く、何しにきたんだか」

 栗林は、ティーカップを片付けながらぼやいた。

「でも、安心してください、ミノルさん。親父が何を言おうと、俺は秋津一家をやめるつもりはないですから」

「栗林…」

「俺の今の家族は、秋津一家です。4代目の仇、必ず討ちます!」

 栗林は拳を握り、手早くティーカップを盆に乗せた。

「夏目さやかが5代目と合流したってことは、絶対に何かが起こります。親父になんか構ってられませんよ」

 そう言ってキッチンに向かう栗林の背中は、意気揚々としていた。

 ――ですが、これで本当にいいのでしょうか……。

 たった2人の家族なのに、父親そっちのけで、19歳の女の子を殺す話をする栗林。これが本当に栗林のやりたいことなのだろうか、とミノルですら心配になってしまう。

 ――アカネお姉さんだったら、今の栗林を見てなんて言うんでしょうね…。

 ミノルは、窓の外に広がる青空を見上げた。何故か、夏目さやかの顔がちらついて離れなかった。



 気が付けば、ミノルは単身、彩北へ――白虎組のシマを訪ねていた。

「……」

 愛車のモーリス・マイナーを降り、ミノルは賑やかな街並みを見渡した。

 ――夏目さやかは、この街で何を想っていたのでしょう…。

 人々が行き交う駅前から、オフィス街を通り過ぎる。緑なす公園では、お堀の噴水を見て子供たちがはしゃいでいる。

 きらびやかなキャンドルホテルの横を抜け、やがて、雀荘『こまち』の看板が見えてきた。

 ――ここで、夏目さやかは冬枝誠二の代打ちになった。

 夏目さやかが代打ちとして闘った彩北も、今は朱雀組の持ち物に成り下がった。人気のない『こまち』のビルは、抜け殻のようにミノルの目に映った。

 ――センチメンタルに浸るのは、当事者である白虎組だけでしょうが。

 好景気の今、青龍会や朱雀組のような大きな組はますます勢いをつけ、地方の組を次々に吸収している。白虎組が朱雀組に買われたのも、当然の時代の流れだろう。

 ――5代目も、こんな田舎の組のためによく大金をはたいたものです。

 さやかが柘植と合流するよう仕向けたのはミノル自身だが、柘植が白虎組を丸ごと買い上げたのは流石に予想外だった。

 柘植はそれだけ、さやかを抱え込んだ白虎組――冬枝誠二を危険視しているのだろう。

 ――まあ、5代目と違って財布の中身が軽い冬枝君は、今の状況に手も足も出ないでしょうね。

 そんな風に取り留めもないことを考えながら、ミノルが街をぶらついていた時だった。

「待ってたぜ、ジェントル秋津」

「君は……」

 商店街の一角から、ふらりと姿を現したのは――ピンクの革ジャンを着た男と、枯れ葉色の背広を着た男だった。

「………」

 冬枝は、仏頂面でミノルを睨んでいる。露骨なリアクションに、ミノルは苦笑した。

「これはこれは。真っ昼間から、お礼参りにでも来たんですか?」

「とんでもない。俺たち、ジェントル秋津とオヤツ食べに誘いに来たの」

「おやつ?」

 嵐の思わぬ発言に、ミノルは目をぱちくりさせた。



 嵐と冬枝は、本当にミノルを和菓子屋へと連れて行った。

 それも、銘菓を扱うような高級店ではない。いかにも庶民の味方といった風情の、大判焼きが売りの店だった。

「どうです?ジェントル秋津。美味そうでしょ」

「…出来たての大判焼きなんて、子供の時以来です」

 自身も無邪気に大判焼きを掲げる嵐に、ミノルも思わず正直に答えてしまった。

「………」

 冬枝は仏頂面のまま、独りむしゃむしゃと大判焼きを齧っている。

 ミノルと嵐と冬枝は、近くの公園のベンチに腰を下ろした。

「あー、んめっ!いっぱい買ったから、鈴子の奴、喜ぶぞぉ」

 そう言って、嵐はハンバーガーにかぶりつくかのように大判焼きを頬張った。

 ミノルも、手の中で熱い大判焼きをほったらかすのは罪に思えてきた。

 ――毒が入っている…ようにも見えませんね。

 ミノルは包みから白い大判焼きを出すと、おもむろに口に運んだ。

 ぱくっ、と食べた瞬間、ミノルは眼鏡の奥の瞳を見開いた。

「!?」

「おっ。どうしました、ジェントル秋津」

 嵐の質問に、ミノルはこれまた正直に答えた。

「……これ、『ミルク焼』という名前なのに、ミルクの味はしないんですね」

 生地が真っ白いから、てっきりクリーム系統の味がするのかと思いきや、食べ慣れた味だった。あんこがやけに美味しいことを除けば、普通の大判焼きだ。

「あんた、さやかとおんなじこと言うんだな」

 冬枝が、ぽつりと呟いた。

「さやかさんが…」

 ミノルの脳裏に、このミルク焼を頬張るさやかの姿が浮かんだ。

 想像の中のさやかは、にこにこと美味しそうにミルク焼を食べている。愛らしくて、微笑ましい、それは平和なイメージだった。

 冬枝は、続けて言った。

「さやかの奴、ミルク焼がしったげ気に入って、俺と一緒に10個も平らげたんだ」

「10個は食べ過ぎですよ…」

 と突っ込みを入れつつも、ミノルの目はミルク焼に釘付けになっていた。

 彩北にいた少女が――この街でミノルが出会った少女が、鮮やかに記憶に蘇る。

 裏社交場で出会った夜、2人でひとしきり麻雀談義で盛り上がったこと。

 春野家でビーフストロガノフを作ろうとして、2人で大失敗したこと。

 ミノルの自宅でオーダーメイドの雀卓を囲んで、死んだら麻雀牌になる話をしたこと。

 他愛ないことですら、克明に覚えている。さやかと過ごした時間に、本物の秋津ミノルがいた。

 最後に会ったさやかの言葉が、今になって響く。

「ミノルさんは、死なないでください。イサオさんの分まで、生きていてくださいね」

 そう言ったさやかの笑みは、ミノルの胸を掻きむしった。

 ――さやかさんに、イサオお兄さんの復讐をさせてはいけない。

 家族そっちのけでイサオの復讐を誓う栗林を見た時、ミノルを襲った違和感の正体はこれだったのだ。

 さやかを止めたい。さやかを行かせたくない。さやかにこそ、死んで欲しくない。

 夏目さやかは兄の仇だ、と頭の奥から響く声とは矛盾する、それがミノルの本心だった。

 ――きっと、アカネお姉さんならそうするはず。

 姉のことを思い出したのは、無意識になぞっていたのだろう。愛する人と共に、心のままに生き抜いたアカネの潔さを。

 ――今、僕がすべきことは…。

 ミノルは意を決すると、物凄い速度でミルク焼を口に押し込んだ。

「わお。ジェントル秋津、46歳で食べ盛り?」

「ふう。ごちそうさまです」

 ミノルは両手を合わせ、すっくと立ち上がった。

「さあ、お二人共。行きますよ」

 嵐も冬枝も、どこへ、とは問わなかった。

「そうこなくっちゃ。ねっ、ダンディ冬枝?」

「ああ」

 頷き合う2人を見て、ミノルは内心、苦笑いした。

 ――人をボコボコにするつもりだったくせに、どの口が言うんだか。

 実のところ、嵐と冬枝の魂胆はミノルには分かっていた。ミノルがミルク焼で油断したところを袋叩きにし、力尽くでさやかの居場所を吐かせる目論見だったのだろう。

 ――ケガ人になる前に、とっとと2人をご案内しましょう。

 元より、ミノルはもう、嵐と冬枝の思惑などどうでもよかった。さやかに会いたいのは、ミノル自身だった。



 駅前のパーキングに停めたモーリス・マイナーの傍には、栗林が立っていた。

「おや、栗林。よくここが分かりましたね」

「ひどいじゃないですか、ミノルさん。俺が親父と墓参りに行ってる間に、何も言わずに出て行くなんて」

 ミノルと車が自宅から消えているのを見て、栗林は慌てて汽車でここまで駆けつけたという。

「よっ、マロン林。あり?どったの、そのケガ」

「……」

 嵐に首の包帯を指差され、栗林は無言で冬枝を睨んだ。

「ミノルさん。これは一体、どういう状況なんですか」

「さやかさんを迎えに行きます。僕が運転しますから、栗林は嵐君と後ろに座ってください」

「えっ!?ミノルさんが運転…!?」

 栗林は血相を変えたが、ミノルと冬枝がさっさと車に乗り込んでしまったため、自身も慌てて後ろのシートに座った。

 隣に腰を下ろした嵐が、小声で栗林に尋ねた。

「マロン林。ジェントル秋津って、運転そんなに下手なの?」

「いえ、下手っていうか…」

 そう言いながら、栗林は蒼白な顔でシートベルトをしっかり握り締めている。

 ミノルが、ハンドルに手をかけながら冬枝を見た。

「冬枝君」

「何だ」

 てっきり、さやかに関する話でもするのかと冬枝は思ったが、ミノルが口にしたのは全く別のことだった。

「舌を噛まないように気を付けて」

「あ?」

 冬枝が意味を理解する前に、ミノルが車のエンジンをかけた。

 ブオオオン!!!

 その直後、冬枝の身体は思いっきりシートに押し付けられた。

「いいっ!?」

 背中が、強烈な力で助手席にめり込む。外の景色が、ただの流線になって飛んでいく。

 車がありえない猛スピードで走っているのだと理解したのは、少し後のことだった。

「おいっ!どうなってんだ、この車!」

 外車らしいとは思っていたが、ミノルの車はスポーツカーには見えなかった。むしろ、ノンビリ走るのがお似合いのお上品な車なのに、今、冬枝が乗っているのはジェットコースターの上だった。

 ハンドルを握るミノルは、平然と答えた。

「改造したんですよ。時速300kmは出ているでしょうか」

「300キロ!?」

 この辺りで、そんな高速で走る車は見たことがない。ミノルのモーリス・マイナーは、完全に法定速度を無視していた。

「ダンディ冬枝っ、シートベルト締めてっ!!」

 後部座席の元警官・嵐が、悲鳴のように叫んだ。ベルトを締めていたほうが、万が一の時に生存できる確率が上がるからだ。

「おっ、おうっ、おうっ…」

 感じたこともないような速度と重力に翻弄され、冬枝は手元も覚束ない。それでも、何とかシートベルトを装着した。

 ミノルは、片手でごそごそとスーツからタバコを取り出した。

「おやおや、君たちは随分ビビりですね。慣れればやみつきになりますよ」

「りょ、両手で運転しろ、バカヤローッ!!!」

 冬枝には、車が速過ぎて対向車の姿も見えない。クラッシュしていないのが不思議なぐらいだった。

 ――このままじゃ、さやかを取り返す前にくたばっちまう!

 ちらりとスピードメーターに目をやったが、200キロ前後でふらふらしている針を信用する気にはなれなかった。どのみち、警察にバレないよう、あちこち改造しているに違いない。

「バック・トゥ・ザ・フューチャーみたいっスね…」

 嵐の軽口も、うめき声に近い。尻の浮くような速度に、流石のお祭り男も肝を冷やしているようだ。

「………」

 栗林はただ、後部座席で祈るように目を閉じている。

 どんどん加速していく恐怖の中、冬枝はミノルを怒鳴りつけた。

「おいっ!こんなにスピード出す必要があんのか!?」

「さやかさんと5代目は、既に玉榧のホテルを出発して東京へと向かっています。2人が玉榧にいるうちに、何とか追いつきますよ」

 そう言うミノルには、眼鏡のレンズ越しにさやかと柘植の行き先が明確に見えているかのようだ。

 冬枝は、ミノルの意を測りかねた。

「…てめえ、何考えてるんだ?」

「と、言いますと?」

「さやかをロリコン伯爵のところに行かせたのは、てめえだろ。どうして、今になってさやかを連れ戻そうなんて考え直したんだ」

 ミノルの行動は、明らかに矛盾している。或いはこれも罠なのかと、冬枝は疑った。

 すると、ミノルはははっと高らかに笑った。

「そんなことも分からないんですか?バカですね、冬枝君は」

「ああ!?」

 いきなりバカにされ、冬枝は目を剥いた。

 ミノルは、銀髪をなびかせてにっこりと微笑んだ。

「僕も、好きなんですよ。夏目さやかさんが」



 ホテルを出発したさやかは、柘植の愛車であるサンタナの後部座席に座っていた。

 ――あとは、夜のうちに東京に着く。

 サンタナの周囲は、朱雀組の警護の車が物々しく固めている。サンタナも含めて、防弾ガラスや鋼鉄を仕込んだ特別車だ。

 さやかもまた、柘植の指示で事前に防弾チョッキを着せられていた。

「さやかには少し重いでしょうが、東京に着くまでの辛抱です」

「…ありがとうございます」

 慎重な柘植らしい配慮を、さやかは素直に受け入れた。ここで青龍会に撃たれて命を落とすのは、さやかの本意ではない。

 ――これから僕が向かうのは、死地だ。

 所詮、白虎組や秋津一家は田舎のヤクザだ。笑ってしまうぐらい牧歌的な彼らと違い、朱雀組や青龍会は、拳銃やライフル、盗撮に盗聴など、あらゆる手段を尽くして命を奪りにかかってくる。

 防弾チョッキを身に着けながら、さやかは改めて自分の置かれた立ち位置を思い知った。

 護衛の車に守られながら、サンタナは静かに出発した。

「………」

 車内は静かだった。後部座席には柘植とさやかが並んで座り、運転席との間は分厚いガラスで区切られている。会話を聞かれる心配はないが、柘植も口数の多いほうではない。或いは、さやかを気遣っているのかもしれなかった。

 さやかは、無意識のうちにポケットに隠した『百搭』の牌に触れていた。

 ――もうすぐだ。もうすぐ、イサオさんの仇が討てる……。

 いや、イサオの仇討ち、というのは少し違うかもしれない。さやかは朱雀組の組員ではないし、イサオの愛人でもない。

 さやかが晴らしたいのは、自分自身の無念だった。

 ――あの1月の夜から、僕はずっと悔しさを抱いて生きてきた。

 イサオが殺されてしまったことだけではない。みすみす犯人を信じ、犯人に利用されてしまった己の愚かさを、さやかはずっと悔いてきた。

 麻雀を打っていても、冬枝と一緒にいても、いつでも心のどこかにトゲのように刺さり続けた後悔。それは、イサオを殺した犯人を討たない限り、消えることはない。

 さやかは、いつだって自分自身でいたい。自分のことを『僕』と呼び、麻雀の『解』を探し続ける。どんな時でも、そんな自分自身に誇りを持っていたいのだ。

 ――自分に自信のない人間は、麻雀で勝てないから。

 だから、さやかはイサオの仇――『百搭』を討つ。これはさやかの人生を賭けた闘いであり、さやか自身が決着をつけなければならない戦だ。

 そのためなら、命を捨てることも厭わない。屈辱を抱えて生き続けるぐらいなら、命がけで闘いたい。

 車中で、さやかはそのための算段を立てていた。

 ――恐らく、これから僕は柘植さんが用意した隠れ家に連れて行かれる。

 資産家の柘植ならば、外部との連絡を徹底的に遮断できる場所を買い付けることも可能だろう。草深い山奥か、はたまた無人島か。

 もしかすると、さやか自身も目隠しをされ、自分の居場所が分からない形で連れて行かれるのかもしれない。

 そこでさやかは、柘植の庇護の下、柘植率いる朱雀組が青龍会と決着をつけるのを、平和に大人しく待つことになる。

 ――柘植さんには悪いけど、僕はそんなの真っ平御免だ。

 籠の鳥になっていては、イサオの仇を討てない。さやかは、柘植の隠れ家へ護送された後のことをイメージした。

 まずは隠れ家の警備のシフトを探り、ガードが緩くなった隙をついて脱走する。そこからはヒッチハイクでもして東京へ向かい、青龍会の動向を探りながら、『百搭』の行方を探す。その間に、青龍会にさらわれた鳴子の救出も狙いたい。

 頭の中で思い描くほど簡単な道のりではないことは、分かっている。それでも、さやかはやらなければならないのだ。

 ――僕ならできる。きっと、やり遂げてみせる。

 もし、全てを解決した後で、自分がまだ生きていたら――冬枝の顔を思い浮かべそうになって、さやかは首を横に振った。

 ――死ぬ気でやるんだ。生きていたらなんて、甘いことは考えちゃいけない。

 スカートの上でぎゅっと拳を握り締めたところで、さやかの耳に柘植の陰気な声が届いた。

「…やか。さやか、聞こえていますか」

「えっ?ど、どうかしましたか」

 どうやら、敵討ちの『解』を考えるのに夢中になるあまり、柘植が話しかけていることに気付かなかったらしい。さやかは、ちょっぴりうろたえた。

 ――ただでさえ警戒されてるのに、柘植さんに僕の計画がバレたらまずい。

 そんなさやかの考えなど知る由もなく、柘植は陰気な表情のまま、窓の外を指した。

「『あれ』を射殺していいか、と尋ねていたのですが……返事がないということは、肯定と捉えていいのでしょうか」

「あれ?」

 柘植の指差す先を見たさやかは、目玉が飛び出るほどに驚いた。

「……冬枝さんっ!?」

 アリ一匹這い出る隙間もないような柘植の護衛車を、どうやってくぐり抜けたのか。サンタナの隣に、冬枝の乗るモーリス・マイナーがぴったりとくっついていた。

「………」

 冬枝は助手席からこちらを見つめ、間合いをうかがっている。その視線の強さに、さやかはさっきまで考えていた全てを忘れそうになった。

 ――冬枝さんが……どうして……。

 冬枝の姿を見た途端、さやかは冬枝から目を離せなくなってしまった。

「さやか?」

「………」

「では、あの狼藉者を片付けます」

 柘植が無線を手にしたのを見て、さやかはハッと我に返った。

 外をよく見れば、柘植の護衛車から、今か今かと柘植のGOサインを待つ組員が、拳銃を構えて冬枝を狙っている。

 ――まずいっ!

 さやかは、慌てて柘植の腕にしがみついた。

「ま、待ってください!冬枝さんを撃っちゃダメです!」

「…そうですか」

 しかし、柘植は組員たちに撤退の指示も出さない。車窓から飛び出た無数の銃口は、冬枝に向けられたままだ。

 そうこうしている間に、サンタナとの距離を詰めたモーリス・マイナーの窓が開き、冬枝が身を乗り出した。

 バン!

「わっ!」

「……」

 窓ガラスを叩かれ、思わず身をすくめる。朱雀組の組員たちが、銃を持つ肩を怒らせた。

 ――冬枝さん、この状況が見えてないの!?

 焦るさやかとは裏腹に、冬枝はバンバンと窓を叩いて、何かを叫んでいる。

 ――どうしよう…。

 さやかは迷ったが、パワーウインドウを下ろすことにした。

「何やってるんですか、冬枝さん!」

「さやか!てめえこそ何やってるんだ!」

 そう言って、冬枝はさやかの身体を引っ張った。

「きゃっ!」

 隣の車の助手席から身を乗り出しているのだから、冬枝だって相当、無理な体勢をとっているはずだが――とてもそうとは思えないほど強い力で引き上げられ、さやかは悲鳴を上げた。

 ――冬枝さん、どんな腕力してるんだっ…!?

「えっ!?」

 さやかの上半身を抱えた冬枝が、ぎょっとして声を上げた。

「さやか、お前、しばらく見ねえ間に胸どこにやったんだ!?本当に麻雀牌みたいに固くて平たいじゃねえか!」

「ば、バカっ!これは防弾チョッキを着てるせいです!」

 さやかは、真っ赤になって叫んだ。

「とにかく、こっちに来い!」

 そのまま、サンタナから引きずり降ろされそうになったさやかの脚を、柘植が後ろから掴んだ。

「さやか。あと5秒以内に、私は冬枝誠二を射殺しなければなりません。構いませんか?」

「か、か、構います!冬枝さんっ、放してください!」

 さやかの訴えをよそに、冬枝は奥の柘植を睨み据えた。

「そこにいるのはロリコン伯爵か。てめえ、さやかとどういう関係だ」

 冬枝の視線をものともせず、柘植は陰気な調子で答えた。

「さやかは私の娘です」

「はあ?おい、どういうことだ、さやか!」

「その前にっ、車を止めてください!」

 このままでは、さやかは上半身を冬枝に、下半身を柘植に引っ張られて、真っ二つになってしまう。こんなおかしな状況で交通事故が起こったら、目も当てられない。

 柘植の率いる朱雀組と、冬枝の乗るモーリス・マイナーは、近くのパーキングエリアで車を停めた。



 駐車場に、ずらりと護衛を従えた柘植とさやか、そして、冬枝が対峙する。

 モーリス・マイナーからミノルと嵐が降りてきたのを見て、さやかは驚いた。

「ミノルさん…」

「ごきげんよう。さやかさん」

 平然と微笑むミノルを、柘植が陰鬱に見つめる。

「最高顧問。これはどういうつもりですか」

「無礼はお詫びします、5代目。しかし、どうしても5代目にお伝えしなければならないことがありまして」

「それは?」

 追及の手を緩めない柘植に対し、ミノルもいささかも怯まない。

「秋津一家と白虎組は、朱雀組からの離脱を検討し始めています。じきに、秋津総長と榊原君が会合を開くでしょう」

「………!?」

 白虎組が秋津一家と共に朱雀組から離脱するなんて、冬枝は聞いていない。

 ハッタリかとも思ったが、ミノルの表情は確信に満ちていた。

「青龍会の脅威が迫る今、秋津一家と白虎組に離反されるのは得策ではありません。それとも、5代目はいつまでも、可愛い娘を巡って取り合いを続けるおつもりですか?」

 ミノルにさやかのことを言われ、柘植は物憂げに目を伏せた。

「……最高顧問。何が言いたいのですか」

「どうでしょう。ここは朱雀組と秋津一家と白虎組、三者が対等な形で手を組み、青龍会と雌雄を決するというのは」

 ミノルのとんでもない提案に、さやかも冬枝も耳を疑った。

 ――天下の朱雀組と田舎の組が、対等な形で同盟を組む…!?

 柘植は陰気な表情のまま、眉一つ動かさない。

「その場合、さやかの身柄はどうするつもりですか」

「そこは、彼女の意志に委ねるべきでしょう。いくら5代目が非常に紳士的な方とはいえ、女性をいずこかへ幽閉するのは外聞が悪いかと」

 かなり遠回しな言い方だが、要するにミノルはさやかを返せと柘植に迫っている。

 こんな郊外の駐車場でやるにはあまりにも大胆なやり取りに、嵐や栗林でさえ固唾を呑んだ。

 柘植は、視線をさやかに向けた。

「…さやかは、どうしたいですか?」

「僕は……」

 いきなり返答を迫られ、さやかは言葉に詰まった。

 ――『百搭』…イサオさん……。

 車の中で考えていたはずの解が、今は散り散りになってまとまらない。

 そこで、柘植が初めて、陰気な表情に笑みを浮かべた。

「…やはり、迷っているのですね」

「えっ?」

「良かった」

 柘植は温かい声で呟くと、さやかに微笑みかけた。

「さやかに4代目の仇討ちを躊躇う理由があるのなら、私はそれを歓迎します。それは、さやかの希望なのですから」

「柘植さん……」

 柘植はやはり、分かっていたのだ。さやかがどんな手を使ってでも、イサオの仇討ちをしようとしていることを。

 柘植は、さやかの肩を優しく叩いた。

「4代目が殺された日から、さやかはずっとあの事件に囚われてきました。これからは、私がさやかと、さやかの守りたいものを全力で守ります。だから、さやかは好きなように生きていいのですよ」

「でも…」

 まだ逡巡するさやかに、冬枝が「おい」と声をかけた。

「一緒に闘う、って言っただろ」

「冬枝さん…」

「さやかが朱雀組の死んだ4代目の仇を討ちてえって言うなら、俺も力を貸してやる。一人より、2人でやったほうがきっとうまくいくだろ」

「ちょっとダンディ冬枝、さやかに仇討ちを勧めないでくれます?」

 嵐が小声で小突いたが、冬枝は無視した。

「さやか!俺と来い!」

「冬枝さん…!」

 固く結ばれていたさやかの拳から、力が抜けた。

 ――勝てっこないや、冬枝さんには。

 さやかがぐるぐる考えても出せない答えに、冬枝はひとっ飛びで届いてしまう。どんな理屈よりも強引で確かなものが、冬枝の中にあった。

「…ごめんなさい、柘植さん」

 小さく謝って、さやかは顔を上げた。

 そして、一直線に――冬枝の元へと駆け出した。

 懐かしい匂いと温もりが、目の前にある。

 さやかが冬枝の腕に飛び込むと、しっかりと抱き返された。

 瞬間、この世の何もかもがどうでもよくなるような抱擁だった。

 抗い難い引力の中で、さやかの脳裏を怒涛のように様々な感情が駆け抜けた。

 ――それでも、この手を離せない。

 閉ざした瞼の裏が、熱い。さやかはただ、吐き捨てるように言った。

「…後悔しますよ。冬枝さん」

 すると、さやかの髪を冬枝がぐしゃぐしゃと撫でた。

「うるせえ。もっと可愛げのあること言えねえのか、てめえは」

 ――ったく、ぶっ飛ばす気がなくなっちまったぜ。

 ここまで振り回されたお返しに、さやかを一発ぐらいひっぱたいてやろうと思っていたのだが――真っ直ぐに抱き付かれてしまったら、それだけでもう満足してしまった。

 ――やっと取り返したぞ、さやか。

 麻雀牌みたいに薄くて硬くて小さくて、小生意気な女。

 抱き合う冬枝とさやかのシルエットに、秋の風がそっと吹き抜けていった。

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