55話 激突!白虎組VS秋津一家
第55話 激突!白虎組vs秋津一家
「白虎組から果たし状が届いた」
総長・秋津タケル直々の報せに、秋津一家本部・赤陽館にざわめきが走った。
「いよいよ、白虎組と全面衝突か」
「こうなったら、奴らとはここで白黒つけてやる」
板張りの広間で正座する若い組員たちは、血気盛んだ。朝早くに緊急招集がかかった時点で、察しがついていたのだろう。
タケルの傍らに控える秋津一家相談役・秋津ススムが溜息を吐いた。
「米倉の奴、まーたやってくれたな」
「仕方がありません。先に仕掛けたのは白虎組……いえ、春野嵐君ですから」
最高顧問・秋津ミノルは、つい先ほどの顛末を思い出していた。
白虎組からの果たし状は、白虎組若頭・榊原が自ら、赤陽館まで持参した。
「これは、俺たち白虎組の総意だ。決戦は午前8時。そちらの本部である、赤陽館で決着をつける」
「………」
「邪魔者は、俺たちのシマから消えてもらう。これは、親分からの言伝てだ」
榊原の捨て台詞に、タケルは無言で頷いた。
もはや、秋津一家と白虎組の間に、話し合いの余地は一切なかった。
榊原の見送りが済んだ後、その場にいたミノルとススムは、ちらりと傍らに座す男を見下ろした。
「………」
秋津一家元若頭・米倉と、秋津一家元組員の若者・穂積である。
2人は夏の熊谷雷蔵・夏目さやか拉致事件に関わり、共に秋津一家を破門された身だ。今は、ミノルの紹介で秋津一家傘下・鵯組に身を寄せている。
「申し訳ありません。今度の責任は、全て俺にあります」
「かっ、頭…!俺だって、家の輪転機使ってビラ作っちゃいましたから!」
嵐によってジャックされた地元ニュースに激昂した米倉は、実家が印刷所を営んでいる穂積に命じて、白虎組――というか、冬枝誠二――を中傷するビラを白虎組の縄張りにばらまいた。
――総長を崇拝する米倉君と穂積君に、嵐君のあの珍妙なニュースを笑い飛ばす余裕なんてなかったでしょうね。
栗林がわざわざニュースを録画しておいてくれたため、ミノルも後で観たのだが、怒りを通り越して笑ってしまった。
中身は子供じみた冗談のようなものだとしても、地元のテレビ局を動かしたのは白虎組だ。青龍会の脅威が迫る今、代打ちである夏目さやかを連れ去られたぐらいで、わざわざ秋津一家を挑発するような真似はするまい。
「総長。今度の一件、恐らく白虎組の熊谷組長が裏で糸を引いています」
顔面蒼白の米倉と穂積はとりあえず放っておき、ミノルはそう告げた。
同じく傍らにいたススムが、ミノルの言に頷いた。
「白虎組の狙いは、あのバカげたニュースで挑発して、俺たち秋津一家に先に手を出させること。宣戦布告は、あくまで秋津一家から身を護るためですよ、という理屈にするためか」
「ええ。この状況だと、5代目に応援を頼むのは厳しいでしょう」
朱雀組5代目・柘植雅嗣は、秩序を非常に重んじる。秋津一家から先に手を出してしまった以上、白虎組との抗争に柘植が手を貸してくれる可能性は低い。
「なるほど。白虎組はそこまで計算して、あのニュースを流したわけか。どうする?タケル」
ススムが視線を向けると、タケルはしばらく腕を組んで考えた後、厳かに告げた。
「受けて立つ」
「おおっ。やる気だな、総長」
ぱちぱちと手を叩くススムに、タケルがすっと立ち上がった。
「この機に乗じて、青龍会が再びシマに侵入する恐れがある。街境の防衛を強化する」
「街境の防衛って…赤陽館はどうするんだよ。白虎組との喧嘩は、ここが戦場だろ?朱雀組は応援をよこしてくれないんだぞ」
白虎組の組員がおよそ100数十名いるのに対し、秋津一家の組員は100にも満たない。その上、街境に人員を割いてしまえば、赤陽館で闘える人数はかなり減ってしまう。
「元より、愚にもつかない悪ふざけから始まった喧嘩だ。正面から応じることはない」
正攻法を是とするタケルにしては珍しい発言に、ミノルとススムはおっと声を上げた。
「たとえあちらに道理のある喧嘩だったとしても、俺の首を獲ってしまえば5代目も黙っていない」
「そうだな。5代目は兄貴を崇拝、っていうか……うん、だからな…」
灘議員にイサオを愚弄された時の柘植の壊れっぷりを思い出し、ススムは言葉を濁した。
敬愛するイサオの弟であるタケルが率いる秋津一家が潰されれば、柘植とて白虎組に対抗せざるを得なくなる。白虎組が、そこまでのリスクを冒すとは思えない。
「白虎組の真の狙いは、夏目さやかの奪還だ。最高顧問」
タケルに視線を向けられ、ミノルはしたり顔で頷いた。
「策は既に用意してあります。せっかくご招待したさやかさんを、あっさりお家に帰してしまうのはもったいないですからね」
弟のちょっとキザなフレーズに、ススムがぼそっと「こいつ、本当にロリコンなんじゃないか?」と呟いた。
そして現在、秋津一家と傘下の組の総員が赤陽館に集結し、白虎組を迎え撃つ支度が始まった。
「出入口を固めろ。物置や倉庫、押し入れは出入りができないように、棒を噛ませておけ」
若い組員たちの指揮を執るのは、米倉だ。
米倉は夏の事件で制裁、破門と指詰めを食らった身だ。今度の失態では恐らく死も覚悟しただろうが、タケルは米倉を不問に処した。
「よろしいのですか?総長」
冷や汗をかきながら確認した米倉に、タケルは静かに言った。
「……処分を降す値打ちもない。それより、よそ者からシマを守れ。いいな」
「はい!」
10代の頃からタケル一筋の米倉は、部下の穂積と共に喜び勇んで参加した。秋津一家の組員たちもまた、元若頭の米倉の指示にテキパキと従っている。
「張り切ってるわね、米倉君」
台所の暖簾をまくり、エプロン姿のアズサが顔を出した。
「みんなの分のおにぎり、作っておいたわ。後で食べてちょうだい」
アズサも早朝から起きて、組員たちへの差し入れを用意していたらしい。台所には、たくさんのおにぎりが白く輝いていた。
「そっちの支度は出来たか」
タケルの言う『そっち』の意を察したアズサが「ええ」と頷いた。
「お弁当もできたし、そろそろ行くわ。頑張ってね、タケル」
「ああ」
タケルの肩を小さく叩いて去ろうとしたアズサを、ミノルが呼び止めた。
「アズサお義姉さん。朝から精が出ますね」
「おはよう、ミノル君。そうだわ、例のもの、準備ができてるわよ」
「ありがとうございます。急なお願いだったのに、よく揃いましたね」
ミノルの言に、アズサは苦笑した。
「兄弟揃って、人使いが荒いんだから。お店にまとめてあるから、好きなようにして」
「分かりました。お義姉さんも、お気をつけて」
アズサの背中を見送るミノルに、ススムがぼやいた。
「何が『お気をつけて』だよ。さやかちゃんをさらってきた張本人に言われても、ぞっとしないぞ」
「おやおや。では、相談役は、夏目さやかさんが白虎組に囚われていたほうがよろしいと仰るのですか?」
にこやかに切り返したミノルに、ススムが眼鏡の奥の瞳を嫌そうに細めた。
「屁理屈のチャンピオンだな、うちの最高顧問は。そうだ、俺もお前に頼まれてたモノを用意しておいたぞ」
ススムが顎で示した先には、部下たちのものものしい警備の下、ジュラルミンケースが積まれていた。
ミノルは、満足そうに微笑んだ。
「流石、この国屈指の大企業、秋進コーポレーション。僕は良い兄を持ちました」
「まあな。お前こそ、よくもまあ次から次へと思いつくよな、こんなこと」
「それだけ、僕も必死なんですよ。ここで僕ら秋津一家が白虎組に敗れてしまったら、泉下の4代目に合わせる顔がありません」
必死の勝負だからこそ、燃えるのだ。ミノルは、いずれここにやって来るであろう冬枝の顔を思い浮かべた。
――さぁ、どうやってさやかさんを取り戻しますか?冬枝君……。
同じく大羽の街にある旅館『姑獲鳥屋』では、玄関で盛大な見送りが行なわれていた。
黒のプレリュードから顔を覗かせているのは、白虎組若頭・榊原だ。
「霜田、冬枝。親分を頼んだぞ」
「はい」
霜田と冬枝は、並んで頷いた。
秋津一家との抗争にあたり、榊原は縄張りの防衛のため、いったん組事務所に戻ることになった。
榊原自身は共に戦うことを望んだが、組長――熊谷雷蔵が許さなかった。
「榊原に万が一のことがあったら、白虎組はおしまいだ。お前さんがいりゃ、うちの組は何があっても立て直せる」
「ですが、俺だけ退くなんて、他の組員に示しがつきません。俺も闘います」
街の顔役として、普段は高級スーツに身を包むエリートヤクザでありながら、榊原の根は実直だ。ライフルの腕前も確かだし、榊原がいれば頼もしい戦力になるだろう。
しかし、組長は首を縦には振らなかった。
「つまんねえ意地張りなさんな。淑恵ちゃんがおめでただって分かって、あんなに喜んでたじゃねえか」
「それは……」
「俺たちの敵は、こんな山猿たちじゃねえ。今は自分の身を第一に考えな、榊原」
「……はい」
神妙に頷く榊原を見ながら、冬枝はふと疑問を抱いた。
――親分は、秋津一家と本気でやり合うつもりはねえのか?
思えば榊原といい、秋津一家との抗争に踏み切るのがやけに早かった。これまでは秋津一家との協調路線を保っていたことを思えば、不自然な成り行きではあった。
かねてから、白虎組への不信感を表明していた秋津タケル。さやかの身柄を巡り、夏から対立していた秋津タケルと熊谷雷蔵。
青龍会による少女たちの拉致事件で、朱雀組と秋津一家が青龍会を追わなかった事実。秋津ミノルの独断によるさやかの誘拐事件。
嵐と米倉による、子供のイタズラのようなネガティブキャンペーン合戦――。
様々な情報が脳裏を交錯したが、冬枝は深く考えるのをやめた。
――腹黒親父のことだから、また何か悪だくみしてるんだろうが、俺には関係ねえ。
冬枝は、秋津一家にさらわれたさやかを取り戻すだけだ。他人の思惑など、今は斟酌している場合じゃない。
榊原を乗せたプレリュードを見送ると、組員たちは整然と『姑獲鳥屋』へと戻った。
サングラスをかけた土井が、両手を落ち着きなくこすり合わせた。
「いよいよ秋津一家とのケンカが始まるんスね。うー、緊張してきた」
「バカ、土井。こんな状況でリラックスしてる奴のほうがおかしいだろ」
「そ、そうだよな、高根。よしっ、深呼吸でもするか!」
何故かラジオ体操を始めた弟分2人に、冬枝は「おい」と声をかけた。
「秋津一家はガキの集まりだが、油断するなよ」
「はい!」
「特に、ガタイのいい、オールバックのおっさんには絶対に近付くんじゃねえぞ。お前らが勝てる相手じゃねえ」
秋津一家総長・秋津タケルの強さは、冬枝が長い極道生活の中で出会った男の中でも最強クラスだ。
――あのバケモノとまたケンカするのかと思うと、眩暈がしそうだぜ。
正直、秋津タケルと再びやり合って、勝てる自信はない。だが、やるしかない。
覚悟を決める冬枝の横で、土井が呑気な声を上げた。
「それって、兄貴をタコ殴りにした秋津の総長っスか?」
「バカ、土井!あんな完膚なきまでに叩きのめされたら、流石の兄貴だって相当堪えたはずだろ!デリカシーのないこと言うなよ!」
「デリカシーがねえのはてめえだ、高根っ!」
冬枝が頭を押さえつけて肘をぐりぐりと回すと、高根が「すみませんっ、兄貴!」と悲鳴を上げた。
「ノータリンはいいですね。何の不安もなさそうで」
皮肉たっぷりに言ったのは、灰色のスーツに身を包んだ若頭補佐・霜田である。
「ほ、補佐!」
慌てて姿勢を正す高根と土井を横目に、冬枝は「どうも」とだけ言った。
霜田の眼鏡のレンズが、きらりと光って冬枝を見た。
「冬枝。怖気づいたなら、街に逃げ帰ってもいいのですよ」
「怖気づく?俺が?そんな風に見えますか」
「あ、兄貴…」
組幹部相手に食ってかかるような冬枝の物言いに、弟分たちのほうがうろたえた。
霜田は、フンと鼻から息を抜いた。
「くたびれた中年とはいえ、その心意気だけは買ってやってもいいでしょう」
「そりゃどうも」
お得意の嫌味かと思いきや、霜田は意外な話をした。
「お前が単身、麻雀小町を取り戻しに行き、結果、秋津総長相手に玉砕したことで、却って我が組員の結束は強まりました」
「はあ?」
「くたびれた中年の心意気に、感動した者も多々いるということです。やれやれ、物好きもいるものです」
面食らう冬枝の後ろで、高根と土井がヒソヒソと囁きを交わした。
「ていうか、兄貴が気絶してる間に、補佐が勝手に話を誇張したんだよね」
「『愛する女を拉致した秋津一家相手に、冬枝は果敢にもたった一人で闘ったのです!冬枝は極道の鑑です!冬枝の犠牲を無駄にしてはいけません!』って、完全に兄貴が死んだものとして扱ってたもんな、補佐」
とはいえ、『女をさらった卑劣な秋津一家と、それに立ち向かった気高い冬枝』の美談は、大いに白虎組組員の士気を高揚した。
霜田はふと、遠い目をして呟いた。
「冬枝なら、本当に白虎組の守り刀になれるかもしれませんね」
「は?守り刀がなんですって?」
霜田の言葉に全く関心がなさそうな冬枝をちょっと睨んでから、霜田は肩をすくめた。
「…我が組に代々伝わる守り刀を折った秋津総長を、許すわけにはいきません。必ず仇を討ちなさい、冬枝」
「へーい」
「へーい、じゃありません!何度言ったら分かるのですかッ!」
霜田の金切り声に耳を塞いでから、冬枝はようやく、霜田の隣に馴染みのアルマーニ姿がないことに思い至った。
「そういや、朽木の野郎はどこです?あいつこそ、怖気づいて逃げ帰ったんじゃないですか」
「朽木は……」
朽木の不在については、霜田は既に連絡を受けていた。
白虎組と秋津一家の抗争、という組きっての一大事にも関わらず、朽木の留守を霜田は黙認せざるを得なかった。それだけ、朽木はのっぴきならない事態になっているのだ。
――などという話を、くたびれた中年にする必要はありません。少なくとも、今は…。
「朽木なら、風邪を引いたので早退しました!」
そう言って足早に踵を返す霜田の背に、冬枝は「へー」とだけ返した。
ぎしぎし軋む板張りの床の上で、アズサが手際よくさやかの身支度を整えていく。
「さやかさん、帯はきつくない?」
「はいにゃぁ」
朝3時に起こされ、車で移動させられたさやかは、未だに夢うつつの状態だ。両脇でモミジとカエデがきゃっきゃとはしゃいでいるのも、半分寝ながら聞いている。
「さやかちゃん、似合うね!」
「大河ドラマに出てきそう!」
「ありがとにゃぁ」
赤ちゃんさやかの着替えを終わらせると、アズサは「さぁ、朝ごはんにしましょうか」と言って、持参したお弁当を広げた。
「わーい、おばあちゃんのおにぎりだ」
「おっきい卵焼き!わぁ、お味噌汁もあるの?」
「ええ。持ってきたお鍋を今、温めたところよ。ここにも台所があって良かったわ」
さやかさんも召し上がって、とアズサから促され、さやかはふにゃふにゃと箸をつけた。
「いただきますにゃ…」
広いお堂に3人分の座布団を敷き、質素な卓袱台の上での朝食だ。漂う線香の匂いが、どことなく親戚の法事を連想させた。
――こんな早い時間に朝ご飯を食べるなんて、久しぶり……。
熱い味噌汁を飲む頃には、ようやくさやかの意識がはっきりしだした。
「……ここって、お寺ですか?」
「さやかちゃん、今起きたの?」
「おっはよー!」
モミジとカエデにからかうように手を振られ、さやかはちょっと赤面した。
「…すみません。朝は弱くて…」
「いいのよ。疲れてるところに朝から色々させちゃって、ごめんなさいね」
アズサは、ここは秋津一家の縄張りにあるお寺だと説明した。
「今は住職さんが一人でやってらっしゃる小さなお寺だけど、静かでいいところよ。ちゃんと寝るところもあるから、安心してね」
アズサも双子の孫たちも明るく振る舞ってはいるが、さやかはすぐに事態を察した。
――秋津一家と白虎組の抗争が始まった!
だから、アズサたちはこの寺まで避難してきたのだ。寺院であれば、白虎組も手は出さない。
――僕のせいで……。
もしもアズサや、まだ若いモミジとカエデの身に何かあったら、さやかは耐えられない。今すぐこの場を離れるべきではないか、と思えてならなかった。
「……ん?」
――なんか動きづらいような…。
そこで、さやかはやっと自分がいつもと違う格好をしていることに気が付いた。
「あの、アズサさん。僕が着てるこれって…」
「あぁ、それ?尼僧さんが着る法衣よ。特別に貸していただいたの」
黒の着物に白頭巾、首には数珠までぶら下がっている。鏡で見なくても、さやかは自分の着こなしを想像できた。
――僕が着ると、尼さんっていうより、一休さんの世界って感じ……。
変装の理由は、アズサに聞くまでもない。万が一、ここに白虎組や青龍会が来た時に備え、『夏目さやか』が見つからないようにするためだ。
「ねぇねぇ、さやかちゃん、このおりん持ってみてよ」
「わぁ、ぴったり!ねえ、木魚叩いてみて」
左右から尼さんさやかで遊ぶモミジとカエデを、アズサが「こらっ」とたしなめた。
「お寺のものに勝手に触っちゃダメよ。それより、お部屋で勉強してなさい」
「えーっ。つまんなーい」
「おばあちゃんまでママみたいなこと言う~」
口を尖らせながらも、モミジとカエデは素直に部屋へと下がっていった。
お堂に2人きりになると、アズサがにっこりと微笑んだ。
「片付けが終わったら、お部屋にご案内するわね。テレビもあるから、退屈しないわよ」
「あの……」
さやかの意を察したのだろう。アズサは、日の光が差す障子の向こうに目をやった。
「外は、うちの若い子たちが守ってくれているわ。あなたは何も心配しないで」
「ですが、こうなったのは僕の責任です。何もしないわけにはいきません」
すると、アズサはこんなことを聞いた。
「さやかさんは、白虎組に戻りたいの?」
「えっ」
「悪いけど、私もタケルも、白虎組のことは信用していないわ。東京から来た女の子に代打ちをさせていたなんて、白虎組は卑劣よ」
どうやら、アズサとタケルは『白虎組の怖いおじさんたちに脅され、泣く泣く働かされるさやか』をイメージしているらしい。
さやかは、慌てて否定した。
「違います。代打ちになったのは、僕自身の意志です」
「さやかさん。お金をもらっているからって、白虎組に義理立てすることはないのよ」
それとも、と言って、アズサは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「さやかさんは、白虎組に好きな人でもいるのかしら?」
「ええっ!?」
「もしかして、ミノル君の家に襲撃に来た、冬枝って人だったりして」
「………!」
顔を真っ赤にするさやかを見て、アズサが「あら」と目を丸くした。
「冗談のつもりだったんだけど……まさか、本当にそうなの?」
「…………」
アズサたちに、いつまでも『白虎組にこき使われる、可哀想な少女』と思われるのも不本意だ。さやかは、正直に答えた。
「…そうです。僕は、自分の意志で冬枝さんについていました」
「そうだったの。やだ、冬枝さんって、タケルがノックアウトしちゃったんでしょう?ごめんなさいね、うちの主人が」
アズサに謝られ、さやかもちょっと慌てた。
「と、とんでもないです。悪いのは、ミノルさんの家に押し掛けた冬枝さんのほうですから…」
やがて、アズサがクスッと笑った。
「お互い、男の趣味が悪いわね」
「はは…」
「さやかさんが自分の意志で白虎組の代打ちをやっていた…というのは、一応信じるわ。白虎組の下で、あなたに自由があったとは思えないけれど」
「いえ、僕は…」
再び否定しようとしたさやかを、アズサの腕が包み込んだ。
オーキッドの香りがする胸の中に抱かれ、さやかは言葉を失った。
――あったかい…。
「お願いだから、意地を張らないで。あなたは、普通の女の子になっていいのよ」
「アズサ…さん…」
「あなたを見てると、私、怖いの。あなたまで、アカネさんのようにいなくなってしまうんじゃないかって……」
心なしか、さやかの髪を撫でるアズサの手は震えている。さやかは、きゅっと胸が締め付けられた。
――僕には、アズサさんに優しくしてもらう資格なんてないのに……。
さやかが無理をすることで、悲しむ人がいる。さやかは、アズサの温もりを振り払う気にはなれなかった。
午前8時。
大時計の鐘が鳴るのと同時に、赤陽館の扉が開け放たれた。
「覚悟しろ、秋津一家!」
「大羽を血で染めてやる!」
刀や鉄パイプを手にした白虎組の組員たちが、雄叫びを上げて赤陽館になだれ込んだ。
「来たな、白虎組!」
「返り討ちにしてやるぜ!」
迎え討つのは、柄ものの開襟シャツ姿もどこか幼さの残る、若々しい秋津一家の組員たちだ。
この県を二分する組同士が、ついに正面衝突――したわけなのだが。
「なんか、迫力不足じゃない?どっちも人数少ないっていうか……」
先輩組員たちの背中を見送った土井は、思わずそんな感想を洩らした。
何せ、白虎組は土井と高根を入れても10数人、秋津一家のほうも同じぐらいの組員しか出て来ていないのだ。映画やドラマの大乱闘というよりも、サッカーか野球の試合でも始まりそうな雰囲気である。
拍子抜けする土井の肩を、高根がポンと叩いた。
「バカ、土井。自分たちも秋津一家も、ここに総力を集中させるわけにいかないんだからしょうがないだろ」
白虎組は青龍会への守りのため、榊原が精鋭を率いてシマに帰還した。一方、秋津一家も青龍会対策のために、街境に人員を割いたとの情報が入っている。
「秋津一家とやり合うって聞いた時にはこりゃーおおごとだってビビっちゃったけど、これならイケそうじゃない?」
想像よりも小さい規模でのケンカに安心しかけた土井だったが、早くも赤陽館の居間で始まった乱闘を見て「ウッ」と息を呑んだ。
「何、あれ。あいつら、全員黒帯?」
「みたいだな。只者じゃないぞ、あの動き」
秋津一家の組員は皆、見た目は垢抜けない田舎の若者といった風情ながら、パンチもキックもとにかく速い。しかも、一打一打がパン、と音が響くようなキレの良さだ。
そこで、高根と土井の背後にいた人物が説明を加えた。
「秋津一家は総長・秋津タケルの指導の下、皆が空手を修めているといいますからね。ヤクザだというのにナイフも持たず、素手で闘うことを良しとしているそうです」
「へー、そうなんだ」
「でも、チャカを持った青龍会相手に素手で立ち向かえるのか?」
と言って背後を振り返った高根は、説明してくれた人物の顔を見て飛び上がった。
「ほ、補佐!」
「ゲッ!?うわっ、ホントだ、本物の補佐だ!」
「どこに偽物の補佐がいると言うのです」
シルバーグレーのスーツ姿の若頭補佐――霜田は、ゴホンと咳払いを挟んだ。
「お前たち。こんなところで高みの見物とは、いいご身分ですね」
「す、すみません!」
「すぐに加勢します!」
慌てて退散しようとした高根と土井の襟首を、霜田が「ちょっと待ちなさい」と掴んだ。
「あれはどこに行ったのです」
「あれ?」
「ああ、兄貴ですか。兄貴でしたら、たぶんその辺にいるかと」
高根の返事に、霜田が眼鏡の奥の瞳をパチパチさせた。
「その辺?」
「その辺」
高根と土井は声を揃えて復唱すると「じゃ、失礼します!」と言って、木刀を携えて乱闘へと加わっていった。
「その辺……」
一人残された霜田は、忌々しげに首を横に振った。
――冬枝が冬枝なら、弟分たちも弟分たちです!まったく、若い者の教育がなっていないんだから…!
若頭・榊原が縄張りに戻った今、この抗争の現場責任者は補佐・霜田である。
組員の配置ぐらいは把握しておきたいというのに、早くも迷子が一名出た。霜田は、頭痛がしそうになるのを堪えた。
大羽の街にある古いモーテルで、店員がロビーの電話を長身の男に渡した。
「電話ですよ、お客さん」
「ああ」
その男――源は、「もしもし」と言って受話器を取った。
電話の向こうからは、若い男のヒステリックな怒鳴り声が返ってきた。
「源ッ!貴様、女一人捕まえるのにいつまでかかっている!」
「面目ありません」
言葉とは裏腹に、源はふてぶてしいほどの鉄面皮だ。
一方、電話の相手――青龍会四天王・桃華組組長は、七三分けにした前髪をイライラと手で撫でつけながら言った。
「キサマがグズグズしている間に、まずいことになったぞ。今しがた、朱雀組の5代目がそちらに向かったという情報が入った」
「あの『ロリコン伯爵』が?」
朱雀組5代目・柘植雅嗣については、当然、源も知っている。
柘植は神戸を拠点とし、不動産ビジネスで莫大な富を築いた経済ヤクザだ。一方で、週刊誌では裏の面も取り沙汰されている。
1月の朱雀組4代目・秋津イサオ殺害疑惑だけではない。いわく、足しげく海外に通っては、いとけない少女たちを買い漁っているとかいないとか――。
挙句、ついた渾名が『ロリコン伯爵』である。青龍会では、敵対する柘植への悪意も込めて、この渾名を採用していた。
受話器の向こうで、桃華組組長が吐き捨てるように言った。
「柘植め。あの男は、虫が好かん」
「同感です」
「とにかく、柘植に夏目さやかを横取りされたら、あの女の口は永遠に塞がれる。急げ、源!」
「承知しました」
電話を切ると、源はおもむろにタバコに火を点けた。
――これから、白虎組と秋津一家のケンカが始まる。さやかは恐らく、赤陽館から離れた場所に移されるはず……。
さやかの居所は、見当がついた。チェックアウトを済ませ、源は颯爽と青のスカイラインに乗った。
赤陽館での乱闘は、早くも膠着状態に陥っていた。
「なんつーか、泥仕合だな」
2階の吹き抜け部分から見物していた秋津一家相談役・秋津ススムがそんなことを言ったので、現場の指揮を執っている秋津一家元若頭・米倉が眉をひそめた。
「相談役。うちの連中は皆、必死で闘っています」
「分かってるよ。ただ、うちも白虎組も、決定打がない」
ススムの言葉に、流石の米倉も頷かざるを得なかった。
――そもそも、大義の薄いケンカだ。
同郷の白虎組とやり合ったところで、こうなることは始めから読めていた。これなら、青龍会に目を光らせる街境の防備のほうが、まだやり甲斐があるぐらいだ。
秋津一家の組員は皆、血気盛んだが、白虎組は場慣れしている。若い秋津一家の勢いを、経験豊富な白虎組がいなす、という形が続いていた。
「こりゃ、白虎組は本気じゃないな。恐らく、適当なところで手打ちにしようって肚だろう」
ススムの分析に、米倉が目を剥いた。
「組員の士気が下がるようなことをおっしゃらないでください、相談役!」
「まあまあ、そう怒るなって。こういう時こそ、経営者の出番なんだから」
ススムはスーツ姿の部下たちに指示すると、一斉にジュラルミンケースを開封させた。
「そーら、受け取れ、白虎組!秋進コーポレーションからのプレゼントだ!」
瞬間、天から白い羽根のように降って来たのは――金の雨だった。
「金だ!」
「すげえ、いくらでも降って来るぞ!」
頭上から舞い落ちる万札に、白虎組の組員たちは我を忘れて手を伸ばした。中には帯つきのままで落ちてくる札束もあり、組員同士で取り合いまで始めている。
高根と土井も、視界を覆い尽くさんばかりの紙幣の雨に呆気に取られた。
「すごい…」
「あっ、ここにもみーっけ!もらっとこっと」
「ば、バカッ、土井!そんなもの拾ったら、相手の思う壺だぞ!」
高根は慌てて土井を制したが、土井はしれっとしてサングラスの前に紙幣を広げた。
「でもこれ、偽札じゃなくて本物みたいだよ。ほら」
「た、確かに…」
白虎組を攪乱するためだけに、秋津一家はこんな大金を用意したというのか。両手から零れ落ちるほどの札束が一体全部でいくらあるのか、高根たちには想像もつかなかった。
白虎組の組員たちがヨダレを垂らして金を拾い集めようとしたところを、秋津一家の拳や蹴りが容赦なく襲う。
「コラーッ!お前たち、落ちてきた金に手をつけるなど、浅ましいとは思わないのですかーッ!!」
メガホンで叫んだのは、白虎組若頭補佐・霜田だ。
キーンと耳をつんざくような霜田の金切り声に、白虎組のみならず、秋津一家の組員たちも首をすくめる。
「白虎組総員に告げますッ!今の金を拾った者は即没収の上、若頭の射撃練習の的にします!命が惜しかったら、一人でも多くの秋津一家を殺しなさーいッ!」
霜田のハチャメチャな号令に、白虎組の組員たちはひいっと悲鳴を上げた。
「補佐、カンカンだな。当たり前だけど」
「組員の士気が下がるようなこと言わないで欲しいよね。バイバイ、オレのお金チャン」
土井はポケットから紙幣を取り出すと、ハンカチを振りながら床に捨てた。
霜田は、なおもメガホンで檄を飛ばした。
「我々の目的は、代打ちの奪還です!卑劣な秋津一家から、白虎組の千両箱を取り戻しなさーいッ!」
その言葉に、高根と土井も「そうだった!」と我に返った。
「さやかさん、もしかしたらここにいるかもしれないもんね」
「そうだな。ケンカは先輩たちに任せて、自分たちはさやかさんを探そう」
高根と土井は秋津一家の組員を何とかやり過ごし、赤陽館の廊下へと躍り出た。
辺りは、隅々まで磨き込まれた床が輝くばかりで人気がない。外からは、のんびりと鳥の声など聴こえてきた。
「意外と、そんなに人いないんだね」
「ああ。広間にいたのが全員なのかな」
きょろきょろと1階を見回った高根と土井は、トイレの前にうずくまる少女の後ろ姿を発見した。
肩までの髪に、茶色いワンピース。高根と土井は、顔を見合わせた。
「さやかさん!?」
しかし、くるっと振り返ったのは――空手の構えの秋津一家だった。
「白虎組、覚悟!」
「ひえーっ!」
「なんだよ、こいつ!」
女装姿で追いかけてくる秋津一家から逃げていると、今度はブルゾンにミニスカートの少女が、納戸の前に佇んでいた。
「今度こそ、さやかさん!?」
だが、カツラを振り捨てて襲い掛かってきたのは、やはり秋津一家の若者だった。
「くたばれ、白虎組!」
「イヤーッ!」
「おいおい、一体ここには『さやかさん』が何人いるんだよ!?」
縁側、渡り廊下、階段、行く先々に女装した秋津一家が待ち構えており、高根と土井は全速力で逃げ出した。
「誰だよ、こんな陰険なこと考える奴!」
「ひょっとして、秋津の『魔法使い』じゃないか!?さやかさんをさらった男!」
「秋津一家って、女物の服をこんなにいっぱい持ってるの!?実は、ホントにハーレム御殿だったりして」
嵐の偽ニュースのことを口にした土井に、耳ざとい秋津一家の組員が「てめえら、ぶっ殺してやる!」と叫んだ。
「ひい~っ、地獄耳っ!いくら無敵のオレでも、この人数は無理!」
「バカなこと言ってる場合じゃないだろ、土井!広間に戻るぞ!」
さやかの影武者軍団を引き連れ、高根と土井はほうほうの体で広間へと帰還した。
「誰かー、助けてくださーいっ!」
しかし、こちらは相変わらずの戦場だ。2階からはまだ札束も降り注いでおり、白虎組には高根と土井にかまけている余裕のある者などいなかった。
「観念しろ、白虎組!」
「秋津一家の怖さ、思い知らせてやるよ!」
スカートをはいた男たちが、高根と土井をぐるっと取り囲む。
「くそっ…」
「変態、チカン、露出狂っ!あっち行って!」
じりじりと間合いを詰められて、絶体絶命になったその時だった。
高根と土井の前に、さあっと一陣の風が吹いた。
頼もしい枯れ葉色の背中――高根と土井の顔色が、一瞬で明るくなった。
「兄貴…!」
札束のばら撒き、夏目さやかの影武者たち――いずれも、秋津の『魔法使い』こと、最高顧問である秋津ミノルの考えた作戦だ。
これらの作戦により、徐々に白虎組の足並みが乱れ始めた。補佐の霜田がメガホンで喚き散らしているものの、安全地帯から叫んでいる霜田の指示など、誰も聞く耳を持ちはしない。
「急場凌ぎの作戦だが、効果てきめんだな。我が弟ながら、悪知恵だけは天下一品だ」
ススムはミノルの作戦を褒めたが、隣の米倉は憮然としている。
「俺は、気に入りません」
「なんだよ米倉、まだ文句があるのか」
秋津一家の相談役と元若頭という立場ではあるが、言ってしまえばススムと米倉は、近所の兄貴と、弟の遊び友達という間柄だ。お互い、それなりにものを言い合える空気ではあった。
米倉は、札束と女装姿の組員が行き交う広間を睨み付けた。
「こんな子供騙しが秋津一家の本領だと思われるのは、不本意です。もっと、正々堂々やり合うべきじゃないでしょうか」
「米倉。お前の気持ちも分かるが、もうそういう時代じゃないんだ。俺たちの敵は白虎組じゃない。そうだろ?」
ススムは、慰めるように米倉の肩をポンポンと叩いてやった。
東京で現代のヤクザたちと渡り合うススムと違い、米倉はほとんどこの大羽の地を出たことがない。そのせいか、米倉のほうが年下なのに、妙にアナクロなところがあった。
――まあ、そういうの、俺は嫌いじゃないけどな。
特に、こまっしゃくれた末弟を見ていると、昔気質の米倉が可愛らしくすら思えてくる。ススムはふと、青龍会の船で出会った冬枝誠二のことを思い出した。
――そういや、冬枝も昔気質っぽい目をしてたな。不器用で、頑固そうで…。
と、そんなことを考えていたところに、その枯れ葉色の背広姿が目に入った。
「おっ。あそこにいるの、冬枝じゃないか?」
「何ですって」
ススムが指差す先には、確かに枯れ葉色の背広を着た男が、木刀を振り回して組員たちとやり合っている背中が見えた。
「タケルにあれだけやられたっていうのに、もう出張ってきたのか。ゾンビみたいな男だな」
口笛を吹くススムとは対照的に、米倉の顔つきは険しくなった。
「あの男、俺がやります」
「おう。無茶すんなよ」
ススムは軽く言ったが、米倉は低い声で遮った。
「このケンカの責任は、俺にあります。冬枝の首を総長への土産にします!」
「おい、そこまでしなくていいって、米倉!」
しかし米倉は聞かず、手すりを乗り越え、そのまま冬枝の元へと飛び降りてしまった。
ダンッ!
米倉が着地した音が響き、互いの袖を掴んでもみ合っていた男たちが一斉にハッとした。
「冬枝!」
「………」
米倉の怒声に、その場がシン、と静まり返る。
隅で秋津一家の組員をポカポカと叩き回していた高根と土井も、思わず手が止まった。
「誰、あの怖いオッサン。まさか、うちの兄貴をボコボコにした秋津の総長?」
土井が小声で言うと、ポカポカと叩き回されていた秋津一家組員――穂積が「いや」と不敵な笑みを浮かべた。
「あれは、泣く子も黙る俺たちの頭。米倉薫だ!」
秋津一家元若頭――米倉の鋭い眼光が、冬枝の背中を射抜くように見つめた。
「俺と勝負しろ、冬枝。一対一の一騎打ちだ!」
「………」
秋津一家と白虎組、双方の組員たちが固唾を呑んで見守る中――枯れ葉色の背広姿が、ゆっくりと振り返った。
「いや~ん、米倉っち、いじめないでぇ。嵐クン、怖いオジサンきら~い」
わざとらしく腰をくねらせる『冬枝』の姿に、米倉は泡を食った。
「なっ……てめえ、春野嵐か!」
「いかにもタコにも、ワイルド嵐クンでーす。きゃぴっ!」
嵐は顔の両脇にピースを添えて、茶目っ気たっぷりにウインクした。
「なんで、てめえがこんな所にいるんだ。本物の冬枝はどこに……」
言いかけた米倉は、「まさか!」と顔色を変えた。
「うーむ…」
その頭上で、米倉と嵐のやり取りを見下ろしていたススムは一人、顎をさすった。
「やっぱり、こうなったか。面白いぐらい、ミノルの読み通りだな」
一台のカローラが車体をガタガタ揺らしながら、真っ直ぐに大羽の街を駆け抜けていく。
運転席にいるのは、ピンクの革ジャンを着た男――冬枝だった。
――ったく、みみっちい作戦だぜ。
赤陽館に乗り込む前、旅館『姑獲鳥屋』で、冬枝は嵐からこんな提案を受けた。
「ダンディ冬枝。俺と服、交換しませんか?」
「ああ?やだよ」
また嵐の悪ふざけかと思ったが、嵐は真剣だった。
「ダンディ冬枝はジェントル秋津の家に乗り込んだうえ、ゴリラ総長とやり合った」
「それがどうした」
「秋津一家じゃ今頃、ダンディ冬枝を指名手配してますよ。あのチラシ見たでしょ?」
「嫌なモン思い出させるんじゃねえ」
ロリコンの本家ご本尊、などと顔写真つきで書かれたチラシを思い出し、冬枝は顔をしかめた。
「つまり、ダンディ冬枝は秋津一家から徹底的にマークされてます。さやかを取り返そうったって、向こうは真っ先にダンディ冬枝を妨害しにかかってきますよ」
嵐の言うことはもっともだが、冬枝とてそれを考えなかったわけではない。
「んなこた、お前に言われなくたって分かってる。だからコレがあるんじゃねえか」
冬枝は、弟分たちが持って来た日本刀を軽く持ち上げてみせた。組長からもらったオンボロ刀と違い、こちらは冬枝の手に馴染んだ愛刀だ。
「こいつでパーッと横薙ぎにすりゃ、7人ぐらいはいっぺんに殺せる。何人かかってきたって、目じゃねぇよ」
しれっと言ってのけた冬枝に、傍らにいた高根と土井が真っ青になって顔を見合わせた。
嵐は、呆れたように額に手を当てた。
「ダンディ冬枝改め、マーダー冬枝。それじゃ、さやかを取り戻す前にブタ箱行きっスよ」
嵐は表情を引き締めると、ビシッと冬枝の鼻先に指を突き付けた。
「ソレを使うのは、マジでピンチの時だけ!正当防衛ですぅー、って言い張れるような状況になるまで、その刀は封印!」
「んだよ。ヤクザのケンカに、正当防衛もクソもあるかよ」
「めっ!ダンディ冬枝、めっ!」
嵐は唾を飛ばして「めっ!」を連呼した。
「だ・か・ら、俺と服を取り替えっこしようって言ってんじゃないスか。俺がダンディ冬枝のふりして秋津一家とドンパチするから、そのスキにダンディ冬枝はさやかを取り戻しに行ってください」
「お前、囮になるって言うのか?」
驚く冬枝に、嵐は得意げに白い歯を見せた。
「これでも、元警官ッスから。今一番大事なのは、さやかの無事でしょ?」
「嵐……」
確かに、冬枝の目的は秋津一家を血祭りに上げることではない。さやかさえ取り戻せば、こんな田舎に用はないのだ。
「…分かった。頼んだぞ、嵐」
「そりゃ、こっちのセリフですよ。今度こそ愛しのハニーを連れ戻してくださいよ、ダーリン」
「ダーリンって呼ぶんじゃねえ。気色悪い」
そういう次第で、冬枝は嵐と着ていた服を交換した。今頃、秋津一家は嵐が扮する偽物の冬枝とケンカしているだろう。
――さやかはきっと、赤陽館にはいねえ。あの陰険野郎なら、しったげずる賢いことを考えるはずだ。
陰険野郎こと秋津の『魔法使い』秋津ミノルは、この抗争でも裏で糸を引いているに違いない。一度手に入れたさやかを、ミノルが簡単に見つかるような場所に置いておくとは思えなかった。
――赤陽館でのドンパチは、目くらましだ。女子供を匿うって言ったら、昔から寺って相場が決まってる。
大羽にはいくつかの寺社があるが、その中で秋津一家と縁が深く、さやかを隠せるような本殿を構えているところはそう多くない。冬枝は、既に目星をつけていた。
「……ん?」
その寺まであとわずか、という距離まで近付いたところで、カローラの背後から不穏な音がした。
ブオンブオンブオン!
荒ぶる獣のような、エンジンの唸り。それを聞いただけで、冬枝の皮膚に冷たい雨の感触と、身体中に残る痣の痛みが蘇った。
――ちっ、おいでなすったか!
アクセルを踏み込もうとしたが、遅かった。行く手を遮るハーレーの巨体は、オンボロカローラなど通してくれそうにない。
冬枝はブレーキを踏むと、刀を持って車から降りた。
「出たな。ゴリラ野郎」
「………」
漆黒のヘルメットを外し、秋津一家総長・秋津タケルは真っ直ぐに冬枝を見返した。
「冬枝。夏目さやかから手を引けと言ったはずだ」
「てめえ、こんなところにいていいのか。今頃、てめえのアジトじゃ大喧嘩の真っ最中のはずだろ。強面の総長が、白虎組が怖くてシッポ巻いて逃げ出したってのか?」
冬枝の挑発にも、タケルは眉一つ動かさない。
「何故、そこまで夏目さやかにこだわる。夏目さやかは貴様の何だ」
「んなこと、てめえに答える義理はねえ。とっととそこをどけ」
さもないと、と言って、冬枝は刀に手をかけた。
「………」
タケルは考えていた。
単身、ミノルの家に乗り込み、失神するまでタケルに挑みかかってきた冬枝誠二。倒れた冬枝を、身を挺して庇った夏目さやか。
責は、法度を破って夏目さやかを拉致したミノルにある。それは承知の上だが、タケルはまだ目の前の男を信用する気になれなかった。
――刀を手にした途端、目つきが変わった。やはり、この男の中には鬼が棲んでいる。
冬枝を、アズサたちとさやかのいる寺に行かせるわけにはいかない。タケルは、冬枝に強烈な拳をお見舞いした。
「同じ手を二度食らうかっつーの!」
と口こそ威勢はいいものの、冬枝はギリギリで避けた。勿論、今のは挨拶代わりのジャブでしかないことも、瞬時に察した。
――この野郎、やっぱり通す気はねえか……俺じゃなくて、こいつらのほうがロリコンって呼ばれるべきだろうが…!
さやかをさらったミノルも、いちいち冬枝の前に立ちはだかるタケルも、気に食わない。兄弟ともに刀の錆にしてやる、と冬枝は意気込んだ。
「これは正当防衛だからなッ!」
刀を振り下ろす冬枝と、回し蹴りを決めたタケルが、正面から激突した。
ガタガタッ!
お堂の引き戸が不安定に揺れ、さやかとアズサは何事かと顔を上げた。
出てきたのは、血だらけの若い男――秋津一家の組員だった。
「姐さん、逃げてください!青龍会が…」
言い終わらないうちに、組員の身体がお堂の奥まで蹴り飛ばされた。
「……っ!」
思わず立ち上がったさやかとアズサの前に、長身の男が姿を現した。
「源さん…!」
「さやか。また会ったな」
挨拶こそ口にしているが、源の蒼い眼差しには温もりの欠片もない。
――殺気!
さやかは、呆然と立ち尽くすアズサを振り返った。
「アズサさん!モミジさんとカエデさんのところへ!」
「でも、さやかさんは?」
「これは僕のケンカです!いいから早く!」
さやかは怒鳴りつけたが、アズサはなおも躊躇した。
「ダメよ!逃げるなら、さやかさんも一緒に!」
「この男は青龍会……桃華組の刺客です!アズサさんはご家族を優先してください!」
アズサは一瞬、「桃華組!?」と小さく叫んだ。
――桃華組……じゃあ、きっと……。
アズサは逡巡しながらも、モミジとカエデのいる寺の奥へと駆けていった。
「………」
アズサの姿が見えなくなったところで、源がコートの懐に手を差し入れた。
「そうか、あれが秋津タケルの女房か。噂通りのいい女だ」
「美人ですけど、アズサさんにはお孫さんがいますよ」
「女は年齢じゃない。年上も年下も、俺の守備範囲内だ」
そう言って、源は拳銃を取り出した。
「さやか。俺とデートしようぜ」
「お断りします」
さやかはきっぱりはねつけたが、次の瞬間、銃声と共に床板が砕け散った。
「……!」
「前にも言っただろ、次は本気で撃つって」
まだ硝煙の伸びる銃口を、源はさやかの頭に向けた。
「こんなところで死にたくねえだろ。大人しく来るんだ、さやか」
「源さん……」
源が本気であることは、揺るぎない眼差しからも明らかだった。
――ここで抵抗したら、僕は殺される……。
さやかの瞳が大きく見開かれ、やがて、瞼を閉じた。
さやかのいる寺へと向かう路上では、冬枝とタケルの格闘が続いていた。
「はあ、はあ、はあ……」
何とか刀を折られずに済んでいるものの、今回も冬枝は防戦一方だ。さやかのためにと意気込んだところで、圧倒的な実力差は変わらない。
――畜生。あっちのオッサンは、息一つ乱れてねえっていうのに…!
冬枝が向けた数々の攻撃をものともせず、タケルは落ち着き払った横顔のままだ。こちらは日本刀、あちらは丸腰と、冬枝が有利な状態にも関わらず、だ。
「っ!」
ほんの一瞬、気を抜いたスキに、タケルの拳が冬枝の顔面にクリーンヒットした。
「がっ…!」
意識が飛ばないのは、タケルが手加減したせいか。その分、殴られた痛みがたっぷりと冬枝の頭を揺らす。
「こんにゃろう、顔の形変わったらどうしてくれんだ……」
こんな痛みでいちいち心が折れていたら、ヤクザなどやっていられない。冬枝はただ、刀を持つ手に力を込め続けた。
「………」
冬枝、と静かな声でタケルが言った。
「ここで、貴様を倒すのは本意ではない。夏目さやかから手を引け」
「おんなじことしか言えねえのか、てめえは。何度言われたって、俺の返事は変わらねえぜ」
「………」
タケルの目の前にいる柄の悪いチンピラと、アズサや孫たちと共に笑顔で食卓を囲んでいた少女とは、住む世界があまりにもかけ離れているように見える。
「もう一度聞く。夏目さやかは、貴様の何だ。あの娘が、貴様に何をした」
タケルの問いに、冬枝はハッ、と口角を吊り上げた。
「こっちも質問していいか。てめえの死んだ兄貴は、俺の女に何をした」
「……!」
亡くなった長兄・秋津イサオのことを出され、タケルは返答に詰まった。
1月に、東京の雀荘で殺された兄。共に巻き込まれ、髪が白くなった弟。そして、事件に関わったとみられる夏目さやか――。
日本中の極道を震撼させた事件に、目の前にいる男だけは異議を唱えていた。
「さやかが心の底から笑えねえのは、てめえの死んだ兄貴のせいだ。あいつは今でも、秋津イサオが死んだことに責任を感じてる」
「………」
「何があったかは知らねえ。んなこと、どうでもいい。俺はただ、さやかを下らねえ揉め事から自由にしてやりたいだけだ」
冬枝の灰色の瞳は澄み渡り、ただ一人の少女だけを映していた。
――そうか、この男……。
夏目さやかのことを語る時、冬枝の心の奥底に吹き荒れる悪風が止む。
夏目さやかは、救いようのないゴロツキが真人間に生まれ変われる、唯一の好機なのかもしれなかった。
「………」
タケルの脳裏に、妻・アズサの声が蘇った。
「迷わないで、タケル。私は、あなたの正義を信じてる」
――俺は……。
「総長!」
睨み合っていたタケルと冬枝の間に割って入ったのは、バイクに乗った若い青年だった。
街境の防備に配した組員の登場で、タケルは異変を察した。
「本家が動いたか」
「はい。5代目がこちらに…」
組員に頷き、タケルは「分かった。お前は配置に戻れ」と命じた。
「………」
組員のバイクが走り去ると、タケルは冬枝に向き直った。
「冬枝」
「何だよ。俺は退く気はないぜ」
総身から殺気を発して刀を構える冬枝に、タケルは真顔のまま告げた。
「夏目さやかの元に案内する。ついて来い」
「ああ……えっ?」
思わず耳を疑う冬枝を置いて、タケルはさっさとハーレーに乗り込んだ。
「おい、どういう風の吹き回しだ。俺をハメる気じゃねえだろうな」
まだ疑う冬枝を遮るように、タケルはヘルメットを被った。
「状況が変わった。後ろに乗れ」
ハーレーのごつい尻を手で示され、冬枝はちょっと躊躇った。
――オッサンと2人乗りなんて、冗談だろ……。
だが、このままタケルとやり合ったところで、冬枝に勝ち目がないのも事実だ。
「来ないなら置いて行く」
「っ!ま、待てよ、オッサン!」
タケルがエンジンをふかし始めたので、冬枝は慌ててハーレーに跨った。
「さやか。青龍会に来る気になったか」
源に聞かれ、さやかは静かに瞼を開けた。
今までとは別人のような――ぞっとするほど冷たい双眸が、源を見据える。
「気安く呼ぶなよ、オッサン」
低い声で吐き捨てると、さやかは自ら、源の元へと近寄った。
「覚悟はできたか」
「そんなわけないだろ。どこまで自惚れてるんだ、あんた」
さやかはずんずん源に近寄り、やがて、銃口が直に身体に触れる距離まで迫った。
敢えて身体に銃口を押し当てながら、さやかは長身の源を見上げた。
「撃ちたきゃ撃てよ。ただし、僕は死ぬ」
「俺に、殺されようってのか」
「そうだ」
法衣の裾から手を伸ばし、さやかは冷たい銃身を掴んだ。
「あんたがどんな撃ち方をしようと、僕は必ず急所に当たるように動く。僕の体格なら、どんなに急いだところで、東京に着く頃には死人になってる」
「………」
「青龍会に届くのは、僕の亡骸だけだ。あんたのボスはそれを望むのか?」
違うね、とさやかは言った。
「僕を殺すのが任務なら、あんたは最初っからそうしてるだろう。『人斬り部隊』の隊長だった男なら、僕ぐらい簡単に殺せたはずだ」
「……」
源は何も答えない。
さやかは銃身を握り締めたまま、源を睨み付けた。
「帰れ、青龍会の犬。僕は青龍会には絶対に行かない」
さやかの眼差しをしばし受け止めた後、源はふ、と視線を緩めた。
「冬枝の前じゃ、随分と猫を被ってたんだな」
「僕だって、男は選ぶ」
さやかは素っ気なく告げたが、源は「じゃあ」と別のことを口にした。
「死んだ朱雀組の4代目は、さやかがそこまで身体を張る値打ちのある男だったのか」
「……!」
――イサオさん…!
さやかはどんと源の身体を突き飛ばすと、再び、源から距離を取った。
「僕は…」
言おうとしたさやかを遮るように、銃口が火を噴いた。
「っ…!」
耳を聾する銃声から一拍置いて、白頭巾がはらりと床に落ちた。
風でふわりと舞い上がる髪に、硝煙の匂いがまとわりつく。
「次は当てる。さやかより、俺のほうがダンスは上手いぜ」
源のピストルは、正確無比だ。さやかが『ダンス』を踊ったところで、死なない程度に身動きを封じられるのがオチだろう。
――でも、退きたくない。
源は、冬枝を騙していた。冬枝が誰よりも信じていたのに、源はその信頼を裏切った。
冬枝に嘘をついているという点ではさやかも人のことは言えないが、とにかくさやかは、冬枝に影響を与えたこの男に負けたくなかった。
――撃たれたっていい。冬枝さんを騙した男に、白旗なんて上げるものか…!
さやかが不退転の覚悟なのを見て、源は一瞬、瞑目した。
「分かった」
一発で済ませよう、と言って、源は引き金を引いた。
目の前で火花が散る、ほんの刹那の光景が、さやかにはスローモーションのように見えた。
パン!
ドドッと音がして、さやかは仰向けに倒れ込んだ。
自身の上に覆い被さる重さを感じて、さやかはハッと目を見開いた。
思い出すのは、あの暑かった真夏の事件。廃工場に閉じ込められ、火事で倒れた大きなキャビネットから、さやかを庇ってくれた麻の背広姿……。
「熊さん!」
「やれやれ。マジで撃たれてどうするの、さやかちゃん」
白虎組組長・熊谷雷蔵はそう言って、サングラスの奥の瞳を細めた。
「熊谷……」
顔を引きつらせる源に、組長はこれ見よがしに腕を指さした。
「あーあ、撃たれちまったよ。ほら見て、さやかちゃん。俺の腕」
「あ……血が出てますね」
「でしょ?大怪我だよ。榊原が見たら何て言うかな」
「かすっただけだろ」
源が渋い声でそう言ったが、組長はちっちっちと指を横に振った。
「青龍会の人間が、秋津一家のシマのど真ん中で俺を撃ったんだ。お陰で、いい口実ができた」
「…てめえ、最初からそのつもりか」
呻くように言う源に、組長が満面の笑みを浮かべた。
「それだよ、その顔。てめえのそういう面が見たかったんだ、二枚目野郎」
「………」
「生憎だけど、さやかちゃんはてめえとデートする気はねえってさ。出直しな」
足音荒く駆けつけた組長付きの親衛隊が、刀を手に源の周囲を固める。
「ちっ」
長身を翻し、源はすぐに退散した。すかさず、バタバタと組員たちが源を追って行く。
「…熊さん。お怪我は…」
さやかが呆然と聞くと、組長は手をひらひらと振った。
「源も言っただろ、かすっただけだって。赤陽館でドンパチしてる連中に比べりゃ、ずっと楽な仕事だよ」
「そうですか…」
目の前で何発も発砲されたせいか、さやかはまだ頭の奥がキーンとしていた。
組長が、さやかの顔を不思議そうに覗き込んだ。
「ねえ。さやかちゃんはさ、これからどうすんの?」
「えっ?」
「秋津の『魔法使い』には、さやかちゃんが自分の意志でついてったんだろ?このまま、秋津一家にいるつもりかい」
組長の質問の意を、さやかは測りかねた。
「……熊さんは、僕を白虎組に連れ戻すつもりですか」
「うんにゃ。冬枝はその気だろうけど、俺は違うよ。さやかちゃんのイシをソンチョーする」
組長の言う「さやかちゃんの意思を尊重」は、まるで片言の呪文のようだ。サングラスの奥の酷薄な瞳は、笑っていなかった。
少し考えたさやかは、解を出した。
「…熊さんの邪魔はしません」
「お?」
「僕は、朱雀組の4代目が殺された事件のケリをつけたいだけです。熊さんの…榊原さんの邪魔にはならないようにします」
さやかの出した解に、組長は相好を崩した。
「お利口さんだねえ、さやかちゃんは。じゃ、そのケリがついたら、またうちの組に戻っておいで」
「…はい」
組長の言葉は、どこまでいっても掴みどころがない。ポンポンとさやかの頭を撫でる手は、温かいようにも冷たいようにも思えた。
白虎組の組員たちに護衛された組長が去ると、寺は再び静寂に包まれた。
「………」
呆気に取られていたさやかはふと、足元に白頭巾を落としたままなのに気付いて、拾い上げた。
「さやかさん」
ぱたぱたとスカートをはためかせて駆け寄ってきたのは、アズサだった。
「アズサさん。カエデさんとモミジさんは?」
奥の部屋にいる孫娘たちの様子を見てきたアズサは「あの子たちは無事よ」と答えた。
「銃声が聞こえたから、驚いてはいたけれど…。それより、さやかさんは?」
「僕は大丈夫です。お騒がせしてすみません」
さやかが簡潔に事の顛末を説明すると、アズサは小さく溜息を吐いた。
「そう…。白虎組の組長まで来ていたのね」
アズサは、ポンとさやかの両肩に手を置いた。
「ひとまず、さやかさんは奥の部屋へ。ここじゃ敵が来た時に真っ先に鉢合わせしてしまうし、身を隠す場所もないわ」
「はい…」
カエデとモミジを巻き込みたくないさやかとしては、むしろ自分が的になれるこのお堂で十分なのだが、アズサはさやかの手を強く握って部屋へと引っ張って行った。
さやかが案内されたのは、窓のある六畳ほどの小さな部屋だった。
「さやかさんも、少し休んだほうがいいわ。今、お茶を入れてくるわね」
「ありがとうございます。アズサさんも休憩してくださいね」
孫たちのいる寺に青龍会や白虎組が乗り込んできたのだから、アズサだって気が気ではなかっただろう。
しかし、アズサは切れ長の瞳を細めて笑った。
「平気よ。これでも、総長の奥さんですもの」
パタン、と障子が閉まると、さやかは一人、畳の上に座った。
「………」
源に撃たれた白頭巾には、生々しい風穴が開いている。さやかは、ぎゅっと裾を握り締めた。
――これ以上、僕がここにいたら、アズサさんたちまで危険に晒してしまう……。
組長の登場という珍事があったとはいえ、源が諦めるとは思えない。だが、白虎組と秋津一家が抗争中の今、さやかが下手に動けば、それが新しい火種になる恐れがある。
――僕はどうすれば……。
考え込んでいたせいで、足音に気付かなかったのか。障子がカラリと開いた時、さやかは来訪者がアズサだと疑わなかった。
「あ……」
「こんにちは。さやかさん」
そこにいたのは、ボルドーレッドのダブルのスーツに代紋バッジを光らせ、同色の中折れ帽から長い銀髪を覗かせた眼鏡の男――秋津ミノルだった。
凍り付くさやかとは対照的に、ミノルは「ふふっ」と口元を綻ばせた。
「これは、予想外のお召し物ですね。代打ちから、尼さんに転職ですか?」
「…いえ。まだ、俗世を捨てる気はありません」
「でしょうね。さやかさんなら、麻雀寺の尼住職というのもお似合いだとは思いますが」
確かに、それもありだな…と考えかけたさやかは、邪念を追い払うように首をぶんぶん振った。
ミノルはスーツの懐からシガレットケースを出すと、タバコに火をつけた。
「我々秋津一家と白虎組の抗争は、そろそろケリがつきそうですよ」
「…そうですか」
「結果は、僕らの圧勝。何故だか分かりますか?」
得意げに笑って、ミノルはタバコの煙を吐いた。
「5代目が、こちらに向かっています」
「…柘植さんが?」
青龍会に比肩する大組織・朱雀組を率いる柘植は、そうそう東京から出張ってこられる立場ではない。イサオの死を巡って青龍会と火花を散らしている今、こんな田舎町にかまけている暇など柘植にはないはずだ。
「秋津一家は、亡くなった4代目……イサオお兄さんの故郷ですから。5代目がどれだけイサオお兄さんに心酔しているか、君もよくご存知でしょう?」
「………」
「その秋津一家が今、白虎組に数で押し負けそうになっている。となれば、5代目が応援に駆けつけるのは当然です。勿論、都会で鍛え抜かれた精鋭たちを引き連れて、ね」
「……ミノルさんが、柘植さんを呼んだんですか?」
さやかの問いに、ミノルは「さあ、どうでしょう」と虚空を見上げた。
「ただ、僕はこれでも、朱雀組の最高顧問でもありますからね。その僕が、田舎の中年ヤクザに自宅を襲われた。朱雀組の舎弟頭である、総長が自ら出張る事態にまでなった」
ミノルは、赤みがかった瞳をにっこりと細めた。
「冬枝誠二は、朱雀組に喧嘩を売ったのも同然だということです」
「………!」
――冬枝さん……!
戦慄するさやかに、ミノルはとても優しい声で言った。
「安心してください。もうこれで、君が冬枝君に迷惑をかけられることもないでしょう。5代目はとてもスマートなやり方を好まれる方です。冬枝君は、骨も残さずこの世から消えることでしょう」
「………」
ミノルは「これ、お借りしますね」と言って、卓上にあったガラスの灰皿にタバコの灰を落としていった。
そのまま背中を向けようとしたミノルを、さやかは呼び止めた。
「ミノルさん!」
「はい。何でしょう」
ミノルの乾いた笑みを、さやかは真剣な目つきで見上げた。
「敵は…『百搭』は、東京にいます」
「……」
イサオを殺した犯人――『百搭』の名を出され、ミノルの顔から笑みが消えた。
ミノルのスーツのポケットにある――そして、さやかも持っているであろう『百搭』の牌が、熱を持ったかのように指先で痺れる。
さやかは言った。
「僕は…たとえ刺し違えてでも、イサオさんの仇を討つつもりです。必ず」
「ほう?」
唐突なさやかの決意表明に、ミノルはちょっと目を丸くする。
さやかの眼差しが、ほんの少しだけ笑みの形になった。
「だから…ミノルさんは、死なないでください。イサオさんの分まで、生きていてくださいね」
さやかの笑みを見た瞬間、ミノルの胸に色々な感情がこみ上げて――。
ミノルは、何と言ったらいいのか分からなくなった。
「……君の仇討ちを、楽しみにしていますよ。では、失礼します」
この後、さやかがどんな行動に出るか、ミノルにはもう分かっている。ミノル自身が、そういう方向にさやかを誘導したからだ。
――もしかしたら、これでさやかさんとは永遠の別れになるかもしれない……。
廊下を進む足取りが、やけに重い。吸ったばかりのタバコの味も、口の中から消え失せていた。
冬枝とタケルの乗ったハーレーは、雑木林に囲まれた寺の境内に停められた。
――ここにさやかがいる!
「さやか!」
タケルの許しも得ず、冬枝は本殿へと一直線にダッシュした。
「………」
タケルはヘルメットを置き、ゆっくりと石畳の上を歩み始めた。
「さやか!」
勢い良く障子を開けた冬枝だったが、目の前にはがらんとしたお堂が広がるばかり。靴を脱ぐのももどかしく、冬枝は土足のまま中に入った。
「さやか!どこだ」
ギシギシと床を軋ませながら進んだ冬枝は、ふと、廊下の奥から耳慣れた音がすることに気付いた。
ジャラジャラジャラ……。
――麻雀牌の音!
さやかといえば麻雀、麻雀といえば麻雀小町である。冬枝は、飛ぶようにして音のする部屋へと駆けつけた。
「さやか!」
パン!
と、障子がはね返るほどの勢いで戸を開けたものの――冬枝を迎えたのは、雀卓を囲む3人の男女だった。
「……」
「……」
きょとんとした顔でこちらを見上げる、瓜二つの顔の少女が2人。
それから、冬枝に背を向ける形で座る、銀色の髪の男――。
「秋津ミノル!てめえっ…」
「遅かったですね。冬枝君」
ミノルは、冬枝に目線を合わせるかのように、ゆっくりと立ち上がった。
「ミノル君。この人誰?」
「もしかして、さやかちゃんのボーイフレンド?」
双子の少女たちは、いきなり乱入してきた冬枝に怯むでもなく、興味津々といった顔つきだ。
ミノルは、少女たちににっこりと微笑みかけた。
「ご名答。カエデは名探偵ですね」
「やった!当たっちゃった」
「さやかちゃん、やっぱり男の趣味が渋~い」
「それに、ピンクの革ジャンってのはちょっと…」
きゃいきゃいと語らう少女たちに呆気に取られていた冬枝だったが、すぐに我に返った。
「おい。てめえ、さやかをどこにやった」
「これはこれは、人聞きの悪い。僕は何もしていませんよ」
ミノルはわざとらしく両手を上げ、降参のポーズを取った。
一方、タケルは別の部屋で、アズサから報告を受けた。
「ごめんなさい、タケル。先ほど、5代目がお見えになって……」
タケルが頷いたのと同時に、ガシャーンと雀卓が吹っ飛ぶ音が奥から響いた。
「ふざけんじゃねえ!てめえがさやかを連れ去ったんだろうが!」
「ちょっと、タケル。誰なの、あれ」
孫たちの部屋から聞こえた罵声に、アズサが腰を浮かせた。
タケルは、首を横に振った。
「……悪いのは、最高顧問だ。放っておけ」
「じゃあ、あれが冬枝さん…なのね」
アズサとタケルの視線の先では、冬枝がミノルの胸倉を掴んでいた。
「きゃーっ、修羅場になっちゃった!」
「がんばってー、ミノル君!」
さっぱり物怖じする様子のないモミジとカエデに騒がれながら、雀卓の上で2人の男が睨み合う。
波打つ銀髪を手で軽く耳にかけながら、ミノルは眼鏡の奥の瞳を煌めかせた。
「5代目にこの場所を教えたのは、さやかさんご自身です。君はふられたってことですよ」
しれっと言ってのけたミノルに、冬枝の拳がぶるぶると震えた。
「おい、オッサン!てめえの弟、ぶん殴っていいか!?」
冬枝が怒鳴ると、タケルは「好きにしろ」と答えた。
「やれやれ、冷たい兄ですね。ここで冬枝君如きにぶん殴られてしまったら、秋津の『魔法使い』の名が廃るじゃないですか」
ぼやきながら、ミノルは瞬時に冬枝の拳を片手で受け止める。
狭い部屋でおっ始まった中年2人の喧嘩に、アズサが慌てて孫たちを避難させた。




