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37話 さやかのジェラシー・ダイアリー

第37話 さやかのジェラシー・ダイアリー


「お嬢様学校の生徒が、ヤクザにラブレター…ですか?」

 昼下がりのカフェ『異邦人』で、さやかは驚いたように相手を見返した。

 向かいに座る美少女――汐見マキが、優雅な仕草でティーカップを置いた。

「結構多いのよ、極道に憧れちゃう娘って。裏社会で闘う男が、カッコよく見えるんでしょうね」

「でも、皆さん、いいところのお嬢さんたちですよね?ガラの悪いおじさんたちが良く見えるなんて…」

「むしろ、そのせいよ。普段、家のしきたりや親の命令なんかにがんじがらめに縛られて生きてるから、自分たちとは真逆のヤクザに夢見ちゃうのよね。ほら、淑恵さまのこともあるし」

 聖天高校屈指のお嬢様だった灘淑恵は、在学中に白虎組のヤクザ・榊原忍と恋に落ち、結婚した。議員の娘という出自や、女神のような美貌ともあいまって、淑恵のラブロマンスは今でも女学生たちの胸をときめかせている。

「ラブレターだけじゃなくて、手作りのクッキーや花束まであげる娘もいるわ」

「そんな…危険じゃありませんか?」

「危険ね。この間のハーレムおじさんみたいな輩だっているんだし、生徒会でも注意喚起してるんだけど…恋に恋するお年頃の娘たちに言ったって、効き目はありませんわ」

 お嬢様学校である聖天高校の生徒会長と、不良少女という両極端な顔を併せ持つマキだが、いつだって女学生たちの平和のために行動していた。

「さやかはどうなの?」

「えっ?」

「東京の学校のほうが、こういうのも多かったんじゃない?」

「ああ…」

 さやかが葵山学院で生徒会長を務めていたのは、まだ去年の話だ。順調にいっていれば、さやかは今頃、東京で女子大生になっていたはずだった。

 ――それが今は、ここでヤクザの代打ちになっちゃった。

 さやか自身は代打ちに誇りを持っているが、世間に胸を張れる身の上ではないことも理解している。ましてや、プライドの高い葵山学院の卒業生たちは、田舎で浪人している元生徒会長のことをさぞかし皮肉っているだろう。

 高校時代のことなんて、今では遥か遠くに思える。さやかは、紺色のブレザーを着て、毎日学校に通っていた日々に想いを馳せた。

「…そうですね。うちは男女共学でしたから、トラブルは日常茶飯事でした」

 高い偏差値を誇る進学校ではあったものの、自由な校風もあいまって、放課後の生徒たちはかなり奔放だった。カツアゲや万引き、酒、タバコ、ギャンブル、売春。教師たちは勉強以外は知らぬふりだし、家庭に問題のある生徒も多かった。

「生徒会長は大忙しだった、ってわけね」

 マキに苦笑され、さやかは「ええ」と頷いた。

 さやか率いる生徒会が職員室、または警察に連行した生徒は、1年で50人以上に及ぶ。さやかによって助けられた生徒も多いが、非行を親や教師にバラされ、さやかのことを恨んでいる生徒もいるだろう。

「僕も雀荘に通っていたので、偉そうに人に言える立場じゃないんですけど…それでも、自分自身や他の誰かを傷付けるようなことだけは、させたくなかったんです」

「あたしも同じよ。みんなの意志は尊重したいし、それぞれに価値観が違うのも分かってる。でも、後悔するようなことはしてほしくないの」

 さやかもマキもただ、生徒たちに楽しい学園生活を送って欲しいだけだ。大人と子供の狭間には、自由と危険が同時に潜んでいることを、2人はよく知っていた。

 しんみりと頷き合う少女たちの間に、タバコの煙が一筋、のほほんと漂った。

「そういや、兄貴もよくラブレターもらってたなぁ。女学生から」

「バカ、土井。今そんな話をするんじゃない」

 うららかな秋のアフタヌーンティーには、黒いスーツの男2人も同席していた。冬枝が『こまち』で用を済ませてくるとかで、ひとときの休憩時間をもらった土井と高根である。

 土井の発言に、さやかの眉がぴくりと持ち上がった。

「『もらってた』って…それ、いつの話ですか?」

「さやかさん、生徒会長してた頃もそんな詰問調だったんですか?」

「情報は正確に把握したいだけです。冬枝さんはいつ、どこのどなたからラブレターをもらったんでしょうか」

「え~っと……」

 サングラスで隠れてはいるが、土井の目が泳いでいるのはその場の誰にも明らかだった。

「ほら、うちの兄貴は二枚目ですから。街なんか歩いてりゃ、自然とその辺の女の子の目に留まっちゃうというか」

「質問の答えになっていませんね。はぐらかすということは、僕に知られては都合が悪いことでもあるんでしょうか?」

「いや、そんなことは全然。兄貴だって中学生や高校生に手を出したりなんかしませんよ!ちょっと一緒にお茶するぐらいで」

「土井!」

 高根がバシンと背中を叩いたため、土井がブフッと口にしかけたコーヒーを吹いた。

 さやかの目がすーっと冷たくなった。

「…そうですか。中学生とまでデートしてたんだ…」

 さやかがぼそっと「汚いな…」と吐き捨てたので、高根が慌ててフォローした。

「ち、違うんですよ、さやかさん!兄貴はほら、優しい人ですから、自分を慕ってくれる女の子をつっぱねることなんてできないんです。ホントに一緒にお茶飲んで、ちょっとお喋りしただけなんですよ!勿論、昼間に!」

「冬枝さんにとっては、僕はもう年増なのかもしれませんね」

 さやかは今年で19歳になる。実は誕生日が間近に迫っているのだが、冬枝には何となく教えていなかった。

 ――代打ちがお誕生日プレゼントをせがむなんて、子供っぽいと思われそうだし。

 しかし、冬枝の守備範囲が中学生にまで及ぶなら、子供っぽいと思われるほうがちょうどいいのかもしれない。今度、セーラー服でも着てあげればいいだろうか、とさやかは考えた。

「兄貴はそんなロリコンじゃありません!信じてくださいよ、さやかさ~ん!」

 必死の高根に同情したわけではないだろうが、マキもさやかを宥めた。

「そうよ、さやか。ハーレムおじさんみたいな例って、そんなに多くないわ」

「そういうものですか?」

「おじさんの相手としては、世間知らずの女学生じゃ物足りないのよ。話も合わないし、お酒も飲めないんじゃ、大人の男にとっては退屈でしょ?最初は若い女子に鼻の下を伸ばしていても、やっぱり大人の女のほうがいい、ってなって自然消滅するパターンのほうが圧倒的に多いわ」

「……なるほど」

 東京では自分の身体を売り物にする女子高生ばかり見てきたし、雀荘でも若い女を買いあさることに何の抵抗もないおじさんばかり見てきたさやかには、マキの話はすぐには実感が湧かない。

 ――でも、ここと東京じゃ事情が違うか。

 ここは街の中心地でさえ高層ビルがほとんどなく、行き交う人の歩く速度も東京よりずっとスローな地方都市だ。おじさんと女学生の異性不純交流も、東京のそれよりは牧歌的なのかもしれない。

 ――冬枝さんって絶対、自分がモテるの分かってるよな。

 冬枝自身、来るもの拒まずというか、女好きである。冬枝が若い女子とお茶を交わしているのを想像すればむかつくが、過剰反応するのも冬枝に失礼かもしれない、とさやかは思い直した。

 ――そう。冬枝さんは優しいだけなんだ。多分…。

 さやかのことだって代打ちに誘ってすぐ自宅に泊めたが、いやらしいことは何もしなかった。ラブレターの件だって、無邪気な女学生を泣かせるのは忍びないから、紳士的に会っていただけなのだろう。とりあえず、さやかはそう信じることにした。

「ん?あれ、兄貴じゃないっスか?」

 しれっとデザートのケーキをぱくついていた土井が、フォークで店の隅の席を指した。

「冬枝さん…?」

 衝立の影に隠れていたが、確かに冬枝の枯れ葉色のスーツの背中が見える。その正面にいるのは、10代と思しき若い女性だった。

「わお、美人。高校生かな」

「バカ土井、覗くなよ。あっ、さやかさんもケーキでも頼みませんか。パフェとか」

 高根が冬枝を隠すようにメニュー表を広げようとしたが、さやかの視線を察したマキによって無言で取り上げられた。

「………」

 席が離れているため、話の内容までは聞こえないが、割と冬枝のほうから熱心に話しかけている。相手の少女もキャッキャと笑いながら話し、盛り上がっているようだ。

 さやかの胸に、黒雲のようなモヤモヤが一気に立ち込めた。

 ――冬枝さん……。

 相手の少女は制服こそ着ていないが、それこそまだ高校生ぐらいの若さで、夜の商売という風ではない。華やかで目を引く顔立ちと、ハキハキとした話し方は、冬枝の昔の恋人だったエミコや美輪子と共通している。つまり、冬枝の好みのタイプだ。

 血縁者とは疎遠な冬枝に、『親戚の女の子』などはいない。最悪の解を叩き出したさやかは、ズズーッとコーヒーを飲み干した。

「ふう、美味しかった。マキさん、他のお店に行きましょうか」

「いいの?さやか」

「ええ。冬枝さんのプライベートをお邪魔しちゃ悪いですから」

 さっさと席を立ちあがるさやかに、弟分2人がちょっと慌てた。

「あの、さやかさん。これは何かの間違いですよ。兄貴にはその、さやかさんしかいませんから」

「そうっスよ。確かにあっちの娘のほうが美人だしスタイルもいいけど、さやかさんには麻雀があるじゃないっスか!」

「バカ、土井!それじゃフォローになってないだろ!」

 ビシッ!

 言い合う高根と土井の間に、さやかはオーダー票を叩きつけた。

「…お勘定。お願いしますね、高根さん」

「………はい」

 呆気に取られる男たちをよそに、さやかとマキは颯爽と『異邦人』を後にしたのだった。



 麻雀も勉強も先手必勝だ。そう言い訳して、さやかは夜、高根たちが帰って冬枝と2人きりになったタイミングで切り出した。

「可愛い娘でしたね」

「ん?」

「『異邦人』で会ってたでしょう?若い女の子と」

 ソファの隣から、さやかは窺うように冬枝の横顔を盗み見た。

 冬枝はつまみのカシューナッツに目を落としたまま、さらっとこう答えた。

「お前のほうが美人だ」

「えっ!?」

 思わぬ返事に、さやかの心臓がドクンと跳ね上がった。

「じゃ、おやすみ」

 その隙に、冬枝は晩酌セットを小脇に抱えると、そそくさと自室へと去っていった。

「………」

 呆気に取られていたさやかは、冬枝の部屋の扉が閉まる音でハッと我に返った。

「はぐらかされた…!」

 こんなに簡単に手玉に取られてしまう自分が悔しい。熱くなった頬を押さえ、さやかは冬枝が残していったカシューナッツをぼりぼりと食べた。

 ――冬枝さんのプライベートを邪魔するつもりはない。

 冬枝がよその女性と逢うのは、今に始まったことではない。詮索するほうがおかしいと分かってはいても、冬枝が逢っていた少女の顔がさやかの頭から離れなかった。

 ――何か、違和感があるっていうか…。

 遠目から見ても、冬枝好みの大人っぽい美少女だった。私服だったせいもあって、見た目だけでは学生とも社会人ともわからない。というか、学生にも社会人にも見えなかった。

 ――そうだ。マキさんから聞いた『ヤクザにラブレターを送る女学生』のイメージとは、微妙に外れてるんだ。

 とはいえ、冬枝が付き合う女が、夜の商売か女学生しかいないわけではあるまい。『異邦人』で逢っていた少女の正体は謎だが、さやかから見ても文句のない美少女だったのだから、冬枝のデート相手として疑問を抱く余地はないだろう。

 ――結局、また僕が邪推してるだけか。

 エミコの時といい、冬枝が親しくしている女性のことはつい色眼鏡で見てしまう。我ながら性格悪いな、とさやかは暗い窓の向こうを眺めた。



 翌日の昼下がり、さやかは喫茶店『異邦人』で、一人そわそわしていた。

 さやかのいる席は、店の一番奥。ここからなら、入口からの人の出入りを確認できる。

 もしかしたら、また冬枝がここであの少女と会っているかもしれない。そこで、さやかは思い切って待ち伏せすることにしたのだった。

 ――頭の中で考えてるだけじゃ、解は出せない。この目で真実を確かめる!

 念のために、簡単な変装もして来た。目深にかぶった帽子にサングラス、長めのウィッグもつけた。遠目なら、さやかだとは分かるまい。

 ――ま、僕の思い過ごしで済めばいいけど。

 昨日の今日で、冬枝がまたあの少女とデートする可能性は低い。そうは思っていても、この目で2人の関係を見極めたい欲望には逆らえなかった。

 ――冬枝さんがはっきり答えてくれないのが悪い!

 そう責任転嫁して、さやかは苦いコーヒーを啜った。

「…!あっ…」

 ドアベルが鳴る度に顔を上げていたさやかは、何度目かのチャイムでついに冬枝その人の姿を目撃した。勿論、あの少女も一緒だ。

 腕時計を見たが、さやかが『異邦人』に来てから1時間も経っていない。あっさり予想が的中したことに、さやかは鳥肌が立った。

 ――これが、『女の勘』ってやつ?

「席、こっちでいいか」

「はい」

 2人が近くの席に来たため、さやかは慌てて新聞を広げて顔を隠した。

 冬枝はコーヒー、少女はレモンスカッシュを注文した。

 オーダーを持った店員が去るのを待ちきれずに、少女のほうから口を開いた。

「冬枝さん、またお会いできて嬉しいです」

「ああ。俺もだ」

 冬枝がさらっと応じたので、さやかは思わず新聞紙をグシャッと握り締めてしまった。

 ――お、『俺もだ』だと……!?

 少女が、はにかむように頬に手を添えた。

「本当ですか?なんか、顔赤くなっちゃいそう」

「心配だったからよ。東京から来たばっかだって言うし」

 少女が東京から来たと聞いて、さやかはハッとした。

 ――そうか。だから、何となく違和感があったんだ。

 冬枝が逢う女性はいずれも、地元の人間だった。だから、どうしても言葉に訛りが出るし、服装もどことなく時代から外れている。

 それに引き換え、少女のイントネーションは紛れもない標準語で、服装も垢抜けている。すっかり彩北に染まったさやかは、同郷の少女によそ者の違和感を抱いたわけだ。

 冬枝が、おもむろにタバコに火をつけた。

「タマミ、こんな田舎で退屈してねえか?何か欲しいもんがありゃ、用意してやるよ」

 冬枝に言われ、少女――タマミが、「そんな」と照れ臭そうに謙遜した。

「田舎だなんて、とんでもないです。彩北は面白いものばっかりですよ」

「そうか?東京者には珍しくねえものばっかりだろ」

 ――冬枝さん、僕としたのとおんなじ話してる……。

 出会った頃にこれと同じ話をしたことを思い出し、さやかはちょっと沈んだ。

「そんなことありません。私、彩北でどんなワクワクすることができるか……今から、楽しみで仕方ないんです」

 タマミはそう言って、肩にかかった髪をさらりと払った。

 その大人びた仕草を見て、さやかは改めてタマミを観察した。

 ――よく見ると、綺麗だけど不思議な娘だな……。

 睫毛の長い切れ長の瞳は、いかにも男受けしそうなキラキラした光を宿してはいるものの、どこか遠くを見ているような気もする。顎の尖ったシャープな輪郭は、子供の潔癖さと大人の怜悧さを同時に感じさせる。色香を放つ薄い唇は、誰のことも突き放しているようにも見える。男にモテそうな容姿をしているのに、肉付きの薄い身体は中性的だ。

 さやかは、いつの間にかタマミに見入っていた自分に気付いて、ハッと我に返った。

 ――いけない!こんなにジロジロ見てたら、流石にバレちゃう。

 改めて新聞紙で顔を隠しながら、さやかはこっそり冬枝とタマミの会話を盗み聞いた。

「あんまり悪いことはするなよ。田舎に見えても、彩北にはヤクザや不良がうようよいるからな」

「そうなんですか?ちょっと怖いな」

 タマミは上目遣いに「冬枝さんも、悪い人なんでしょう?」と聞いた。挑発するような響きは、いかにも男を誘っているかのようだ。

「………」

 さやかは、ドキドキしながら冬枝の返事に耳をそばだてた。

 冬枝は、コーヒーを啜りながらあっさり答えた。

「ああ。そうだよ」

「ふふっ。やっぱり」

 タマミは「冬枝さん、いけないこといっぱいしてそうだもの」と笑った。

 やはり男を誘惑するかのような発言に、盗み聞きしていたさやかは顔が引きつった。

 ――まさか、真っ昼間からホテルに行ったりしないよね……?

「なんだよ。いけないことされたそうな口ぶりだな」

「好きですから。そういうの」

「じゃ、また会った時にでも」

 思わせぶりに言うと、冬枝とタマミはしばし、じっと見つめ合った。

 ぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃっ。

 さやかはもはや、新聞紙を握る手が上下にガクガクと震えるのを押さえることができなかった。

 ――こんなの、聞きたくなかった……!

 以前から、冬枝が他の女性と付き合っていることはさやかも知っていた。

 これまでの相手は、さやかよりも年上の女性ばかりだったから、何となく、さやかには手の届かない世界の話のような気がしていた。

 だが、さやかと同世代の――しかも、東京から来たというところも同じタマミを口説いている冬枝の姿は、直視に耐えないものがあった。

 ――冬枝さんのバカ!変態!女たらし!

「……っ!」

 さやかは手の中の新聞をぐしゃぐしゃと丸めると、こちらに背を向けている冬枝めがけて投げようとして――上げかけた手を降ろした。

 ――こんなことしたって、何にもならない。

 見なくていいものを、わざわざ待ち伏せまでして覗いたのは自分だ。さやかは、がっくりとうなだれた。

「タマミ、ここのトーストうまいんだぜ」

「本当ですか?じゃ、一緒に食べましょう」

 落ち込むさやかとは対照的に、冬枝とタマミは盛り上がっている。これ以上、2人を見ているのが辛くて、さやかは席を立った。



 その次の日の夕方、さやかは近所のスーパーに買い物に来ていた。

 ――家にいてもむしゃくしゃするし、やけ食いしてやる。

 昨日の『異邦人』での冬枝とタマミのデートは、さやかには強烈すぎた。お陰で今日は『こまち』にも行かず、家でぼーっとしていることしかできなかったが、結局、考えるのは冬枝たちのことだった。

 お菓子コーナーを物色し、チョコレートパイやアーモンドチョコを次々にカートに入れた。ついでに冬枝が飲んでいるものより高いインスタントコーヒーも買って、これで憂さ晴らしの準備は万端だ。

 ――家に帰ったら、晃司さんのLPでも聞きながら、お菓子食べよう。

「………」

 レジに向かおうとしたさやかは、酒のコーナーの辺りでぴたりと足を止めた。

 ――なんか今、冬枝さんの声が聴こえたような……。

 さやかが2、3歩後戻りすると、ウィスキーやブランデーが並んだ洋酒コーナーの前に、本当に冬枝がいた。しかも、タマミも一緒だ。

 ――嘘でしょ!?

 まさか、2人がスーパーでデートしているなんて。いくら何でも色気がなさすぎるんじゃないかとさやかは訝ったが、或いはこれから家で飲むための買い物だろうか。

 ――冬枝さんがあの娘と家で飲み会なんて、最悪すぎる。

 もしくはタマミの家で飲むのかもしれないが、とにかく店ではなく自宅で会うなんて、深い仲になったも同然ではないか。酒を囲んでいちゃつく冬枝とタマミの図、が脳内で勝手に再生され、さやかはえずいた。

 さやかの気も知らず、タマミと冬枝は酒瓶が並ぶ棚の前でにこやかに話している。

「冬枝さんはお酒、何がお好きですか?」

「普段はもっぱらウィスキーだな。タマミはやっぱりビールか?」

「冬枝さん、若者イコールビール、って思ってません?私、結構日本酒好きですよ」

「おっ。いける口だな」

「彩北って、日本酒が美味しいんですよね。ちなみに私は『大平山』がお気に入りです」

「なんだ、気が合うな。俺もだよ」

 酒の話で盛り上がる2人を見ているうちに、カートを握っていたさやかの手がどんどん冷たくなっていった。

 ――いいな、お酒が飲める人って。

 雀荘通い以外は公私ともに優等生の人生を歩んできたさやかには、二十歳を迎える前にわざわざ飲酒しようという発想はなかった。冬枝の代打ちになってからも、酒を口にしたのは数える程度しかない。

 ――好きなお酒があると、断然大人って感じがするな。

 そこで、さやかの脳裏にマキの言葉が蘇った。

「おじさんの相手としては、世間知らずの女学生じゃ物足りないのよ。話も合わないし、お酒も飲めないんじゃ、大人の男にとっては退屈でしょ?」

 あの時は他人事のように聞いていたが、今のさやかには『世間知らずの女学生』が自分のことのように思えてならなかった。

 ――もしかして、僕もガキ過ぎて冬枝さんに飽きられちゃった…!?

 確かに、さやかは冬枝の晩酌で酒のお相伴はせず、冬枝のつまみを一方的にもらっているだけだ。冬枝が優しくつまみを分けてくれるから、つい甘えていたが、それが女扱いされない原因になっているのかもしれない。

 ――やっぱり、僕もお酒が飲めるようにならなきゃダメなんだ…!

 早速、酒コーナーに行ってビールをカートに入れようとしたが、優等生歴19年のさやかには、それをレジまで持っていく勇気はなかった。未成年でも合法のコーヒーとお菓子だけを買って、さやかはとぼとぼとスーパーを後にしたのだった。



 次の日、さやかは住宅街にある整骨院を訪れた。

 ――徹夜で晃司さんのLP聞いてたら肩凝っちゃったし、整体にでも行こうっと!

 気の抜けない代打ち業と浪人生の二足のわらじを履いているさやかは、肩凝りになりやすい。以前、鈴子にその話をしたところ、鈴子はさやかの肩を優しく揉みながらこう言ってくれた。

「あら。じゃあ、うちのお隣にある整体に行ったら?」

「整体…ですか?」

 そういえば、春野家の隣に『あけぼの整骨院』と看板の下りた家があった。春野家を訪れる度に目に入ってはいたのだが、整骨院なんて、若いさやかには縁がないような気がしていた。

「あそこ、院長さんが息子さんと2人でやってるのよ。私も行ったことあるけど、通ってるうちに腰の調子が良くなったわ」

「へえ。鈴子さんが行ったなら、僕も行ってみようかな」

 それで早速、鈴子と一緒に『あけぼの整骨院』に行ったところ、院長父子は気さくだし、マッサージも気持ち良かったので、さやかも通うことに決めたのだった。

 さやかが『あけぼの整骨院』の扉を開けると、息子のほうが顔を出した。

「さやかちゃん、こんにちは。今日も首と肩?」

「うーん…今日は、全身マッサージしてもらおうかな」

 最近、冬枝とタマミのことに頭を悩ませてばかりで、身体も心も固くなってしまっている。この機に、疲れた心身をリフレッシュさせよう。

 ――ここなら、あの2人のことを考えなくてもいいな。

 ブラウスを脱いで診療台にうつ伏せになると、カーテンの向こうの隣のスペースにも客が入った気配がした。

「こんな住宅街に整骨院があるんですね。知らなかった」

「俺も初めてだ。タマミもこれから使うことがあるかもしれねえし、見学してろ」

「はい」

 カーテンの向こうから聞こえてきた会話に、さやかは愕然とした。

 ――整骨院にカップルで来るって、アリなの!?

 どうやら整体を受けるのは冬枝だけのようだが、それをタマミに『見学』させる、というのはどういうデートなのだろうか。さやかは、頭がくらくらした。

 思わずオットセイのような体勢になって隣の会話に耳を澄ませるさやかに、整体師の息子が「さやかちゃん?」と声をかけた。

「どうかした?」

「あ、いえ…なんでもないです」

「じゃ、マッサージ始めようか。あ、ブラジャー外してもらってもいい?」

「分かりました」

 確かに、ブラジャーを着けたままだと背中を揉むのに邪魔だろう。さやかは、おもむろにブラジャーのホックに手をかけた。

 ガンッ!!!

 次の瞬間、隣のスペースから凄まじい音が響いた。

「!?えっ…」

 続いて、ガチャン、と何かがカーテンの下に落ちてきた。

 さやかが恐る恐る目をやると、真ん中が細かくひび割れてへこんだ機械が転がっている。

 ――これってまさか、電話……?

 受話器がついてなければ、それが電話機(元)だったとは分からなかっただろう。さやかは、潰れた電話機を初めて見た。

 ――何か、物凄く重いものでも上に落ちたとか…?

 それこそ、鉄球でも落ちない限りはこんな壊れ方はしないだろう。この整骨院に鉄球なんかあっただろうか、とさやかが思いを巡らせたところで、カーテンの向こうからわざとらしい声が聴こえてきた。

「あー、悪ぃ悪ぃ。手が滑った」

 ――どう手が滑ったら、電話機がぺちゃんこになっちゃうんだ…!?

 冬枝の怪力は知らないわけではないが、まさかここまでとは。さやかは、開いた口がふさがらなかった。

「お客さん、困りますよ」

 カーテンの向こうで院長の途方に暮れたような声が聴こえてきたが、冬枝が睨み付けて黙らせたのは、その後の沈黙からも明らかだった。

 ――冬枝さん、何考えてるんだろう……。

 新しい彼女であるタマミに、力自慢がしたかったのだろうか。死骸のように転がる電話機を見下ろしながら、さやかは上の空でマッサージを受けたのだった。



 その夜、晩酌している冬枝に、さやかは単刀直入に切り出した。

「冬枝さん。今日『あけぼの整骨院』に来てましたよね」

「………」

 冬枝はグラスにウィスキーを足しながら、トントンとタバコの灰を灰皿に落とした。

「行っちゃ悪ぃか」

「デート先に整骨院は、ミスマッチだと思いまして」

 さやかが核心に踏み込むと、冬枝は深々とタバコの煙を吐いた。

「……お前よ、前からあの整骨院に通ってるのか?」

「そうですけど」

「お前、整体なんか受ける年じゃねぇだろ。毎日寝てばっかいるくせに、そんなに身体凝ってるのか」

「なっ…!」

 朝の弱さと昼間はリビングのソファで寝こけていることを指摘され、さやかは赤面した。

「な、長い時間打ってると、首とか肩が凝りやすいんです」

「ふーん」

 冬枝はソファから立ち上がると、おもむろにさやかの背後に回った。

 訝しむさやかに、冬枝は無理矢理前を向かせ、思いっきり肩を掴んだ。

「!いっ…!」

 冬枝からいきなり肩を、それも全力で揉まれ、さやかはうめいた。

「痛いです、冬枝さん」

「何だよ。肩凝ってんじゃねえのか」

「きょ、今日、マッサージしてもらったから大丈夫です!いたっ、いたたっ!」

 冬枝の親指がぐりぐりとさやかの肩にめり込み、さやかは悲鳴を上げた。

 ――このままじゃ、僕も電話の二の舞になっちゃう!

 冬枝が恐らく素手で破壊したであろう『あけぼの整骨院』の電話機の惨状が頭をよぎり、さやかは冬枝の手を振り払った。

「やっ、やめてくださいっ!」

「なんだ、肩じゃなくて背中がいいか」

「違いますっ!もう、なに怒ってるんですか」

 冬枝はそっぽを向いて「べっつに」と言った。

 ――冬枝さん、整体でおかしくなっちゃったのかな…。

 冬枝がどうしてぶすっとしているのか、さっぱり分からない。タマミについては相変わらず口を割る気がなさそうだし、さやかはお手上げだった。



 さらに次の日、さやかは図書館でノートを広げていた。

 ――浪人生は、学業が本分だもん。勉強しなくっちゃ!

 というのは建前で、冬枝とタマミのことを考えるのが嫌で、勉強に逃げることにしただけである。

 ――現実逃避しながら成績が上がるなら、一石二鳥じゃないか。

 そう心に言い訳して、さやかはノートにシャーペンを走らせた。

 大きな窓から差し込む陽光が、心地いい。本と静寂に包まれた空間は、さやかをリフレッシュさせてくれた。

 ――よし。この間の模試でぶつかったところ、うまい解き方が分かりそう。

 さやかの調子が出てきたところで、外からワイワイと賑やかな集団が入ってきた。

 ――近所の大学生たちか……。

 この図書館の近くには、県立大学のキャンパスと寮がある。そのため、図書館の利用者にも大学生が多い。

 大学生たちはちょうどさやかの近くの席までやって来ると、アハハハと大きな声で談笑し始めた。

「………」

 ――せっかく、ノッてきたところなのに。

 こうも近くで騒がれたのでは、集中できない。さやかは勉強道具をまとめると、他の席へと移動することにした。

「空いてる席、ないかな…」

 席を探して移動するうちに、さやかはふと、ずらりと並ぶ本棚に目を引かれた。

 ――そうだ。休憩がてら、本を読むのもいいかも。

 いそいそと小説コーナーを物色していると、棚の向こうから聞き慣れた声がした。

「星新一の短編小説。これ、面白いですよ」

「へえ。タマミは本も読むのか」

 その会話を聞いて、さやかの背筋に鳥肌が立った。

 ――冬枝さんとあの娘っ!?

 スーパー、整骨院に続いて、今度は図書館である。いくらデート先に乏しい田舎町とはいえ、学生じゃあるまいし、何もこんな健全な場所で会わなくてもいいではないか。

 さやかが立ち尽くしている間にも、棚の向こうでは密やかな囁きが交わされていた。

「図書館で会うと、いつもよりドキドキしませんか?外で会ってるのに、誰にも見られてない気がして」

「悪い奴だな。何考えてんだ?」

「ふふっ。きっと、冬枝さんの想像通りのことですよ」

 日中の図書館にはおよそ似つかわしくない、不健全なやり取りだ。もはや勉強する気も読書する気も削がれて、さやかはそのまま図書館を出た。

 街路樹からは木漏れ日が差していたが、さやかの胸中は暗かった。

 ――デートするなら、僕がいない場所にしてよ!

 何も悪いことをしていないのに逃げ出す自分が惨めで、さやかの目に涙が滲んだ。



「冬枝さん。今日、図書館にいませんでしたか」

 しつこい女だと思われたくはなかったが、さやかはどうしても我慢できなかった。

 ――図書館でイチャイチャするなんて、非常識だしっ!

 いつもの晩酌の時間、テーブルの上には冬枝のウィスキーと、つまみの柿の種が並んでいた。

「いたな」

 冬枝は特に動じる素振りもなく、淡々と答えた。

 さやかは、ずいっと冬枝の横顔に迫った。

「お一人じゃありませんでしたよね?」

「そうだな」

「図書館で会っていたところを見ると……お相手の方は、学生さんですか?」

 さやかが一歩踏み込んだ質問をしても、冬枝の横顔は揺らがなかった。

「さあな」

「さあなって……ちょっと、冬枝さん。少しは真面目に…」

「さやか」

 冬枝が不意にこちらを向いたので、さやかはどきりとした。

 灰色の瞳に、心ごと射すくめられる。

 冬枝の視線に胸をときめかせながらも、さやかの中には、別の感情も芽生えていた。

 ――冬枝さんの瞳って……ちょっとだけ、怖い。

 冬枝は、いつでも瞳の奥に冷たい吹雪を飼っている気がする。心を吹き荒ぶ雪で隠しながら、魂をも凍らせてしまうような銀の荒野。

 20年以上、極道をやってきたが故の凄味なのだろうか。さやかは冬枝の目を見る度に、いつか冬枝に殺されるような気がしてしまうのだった。

 冬枝はその瞳でじっとさやかを見つめた後、意外なことを言った。

「腹、減らねえか」

「えっ?」

「これじゃ足りねえだろ。トースト焼いてやるから、食え」

 思わぬ成り行きに、さやかは「で、でも」と躊躇った。

 ――なんで、今トースト?

 戸惑うさやかに、冬枝がダメ押しの一言を放った。

「ツナマヨ乗っけてやるよ。お前、好きだろ」

「うん!」

 さやかが思わず満面の笑みで頷くと、冬枝も微かに笑ってくれた。

 ほどなくして、チン、とトースターから小気味いい音が響いた。

 トーストから、湯気と共にツナマヨの匂いが立ち上る。「いただきます」と言って、さやかはトーストにかぶりついた。

「おいひいれす」

「そうか」

 うふふと笑み混じりにトーストを頬張るさやかに、冬枝も少しだけ口元を緩めた。

 ――冬枝さんって、なんで僕の好きなものが分かるんだろう。

 少し肌寒い秋の夜に、トーストの温もりが指先に染み渡る。さやか好みのツナマヨも、夜に食べると背徳感もあいまって、美味さが倍づけだ。

 冬枝自身は、黙々とウィスキーを飲んでいる。ツナマヨトーストは、さやかのためだけに作ったようだ。

「………」

 ツナマヨトーストは、単なる誤魔化しだけではないだろう。優しさにも似たものを感じて、さやかはこれ以上、タマミのことを追及する気にはなれなかった。

 ――でも、少しぐらい話してくれたっていいのに。

 タマミとはいつになく楽しそうにお喋りしている癖に、さやかの前では普段以上に口数が少ない。何事かを押し隠そうとするかのような沈黙が、さやかはもどかしかった。



 ――流石に『こまち』には来ないよね。

 また次の日、さやかは午前中から雀荘『こまち』で打っていた。

 冬枝とタマミのことを考えれば心は乱れるが、だからこそ、普段通りに過ごすのが一番だ。麻雀を打っている時だけは、平常心でいられる。

 さやかがトップで和了ったところで、ポンと肩を叩かれた。

「よっ、さやか。今日は早いな」

「嵐さん。おはようございます」

 おなじみのピンクの革ジャンを見上げ、さやかは意を決した。

「…嵐さん。僕と打ってくれませんか」

「おっ。さやかのほうから誘ってくるなんて、珍しいこともあるもんだ。なんか嫌なことでもあったか?」

「別に。何となくですよ」

 流石に嵐は鋭い。顔に出ているのだろうか、とさやかは自分の頬を触った。

 嵐は常連客に断りを入れ、さやかの対面に座った。

「じゃ、俺が勝ったらさやかは代打ち引退ね」

「嵐さんとの約束を守ってたら、僕はもう100回ぐらい引退してますよ」

 今現在に至るまで、さやかは嵐に勝ったことがない。それだけに、嵐との勝負は、冬枝とタマミに対するジェラシーなどを超えた闘争心を掻き立ててくれる。

 嵐は「じゃ、別の約束にすっかな」と言い出した。

「俺が勝ったら、さやかは鈴子のおっぱいモミモミするの禁止!ってのはどうだ?」

「えっ…それは困ります」

 鈴子の胸にダイブするのは、もはやさやかの日課と言っていい。鈴子の柔らかい胸に包まれている時だけは、ハードな代打ち業から解放されるのだ。

 さやかは、牌の上にくるくると指で渦巻きを描いた。

「勝負するの、やめようかな…」

「おいおい。麻雀小町の名が泣くぞ。なんなら、ダンディ冬枝が泣くぞ」

「冬枝さんは泣きませんよ」

 と答えたところで、さやかの背中に悪寒が走った。

 ――なんか、嫌な予感がする。

 女の勘か、或いはデジャブか。最近、恒例になってしまっているせいで、予見する力がついてしまったのか。

 とにもかくにも、『こまち』の扉を開けて入ってきたのは、見慣れた枯れ葉色のスーツと美少女の2人連れだった。

「ここ、俺がやってる店なんだよ」

「へえ。あっ、喫茶スペースもあるんですね」

「ああ。コーヒーでも飲んで行こうぜ」

 冬枝とタマミは喫茶スペースに行くと、さやかに背を向けてカウンターに座った。

「中尾、コーヒーとサンドイッチ」

「はい」

 冬枝はクールに注文しているが、さやかの姿が視界に入っていないはずがない。

 ここまでくると、さやかはジェラシーを通り越して、純粋に不思議になってきた。

 ――なんで、いちいち僕に見せつけるみたいにデートするわけ?

 また2人が逢っているかもしれない、と思ってさやかが『異邦人』で待ち伏せすれば、2人は本当に『異邦人』に現れた。それはいいとしても、スーパー、整骨院、図書館、そして『こまち』と、さやかの行く先々で冬枝とタマミがデートしているのは、いくら何でもおかしい。

 ――偶然にしちゃ、出来過ぎてる。

「このコーヒー、美味しい」

「だろ?一応、コーヒーにはこだわってんだ。うちはブルマンのシティロースト一筋なんだぜ」

 得意げに言っているが、冬枝が家ではインスタントコーヒーしか飲まないことをさやかは知っている。『こまち』のコーヒーが美味しいのは、先代のオーナーだった源のこだわりだということも。

 タマミ相手に自慢する冬枝に、牌を握るさやかの指先がわなわなと震えた。

 ――どういうつもりなんだ、冬枝さんは…!

 さやかが聞いても誤魔化す癖に、冬枝はどうしてわざわざさやかに見える場所でタマミと逢うのだろうか。ギリギリと音を立てる手の中の牌を握り潰してしまう前に、さやかはツモ切った。

「ロン!」

 続いてパタパタと牌を倒す音がして、さやかはようやく我に返った。

「なした?麻雀小町。上の空みてえだな」

 タバコをくわえた嵐にニヤニヤとほくそ笑まれ、さやかは憮然とした。

「別に…。何でもありません」

「やさがねなぁ。こんな至近距離で他の女と逢い引きされちゃ、集中できっこないよなぁ」

「………」

 嵐にズバリ図星を差され、さやかは眉間を寄せた。

 嵐はよっと身を乗り出して、喫茶スペースで語らう冬枝とタマミをじろじろと眺めまわした。

「ダンディ冬枝のお相手、今度はずいぶん若い女の子だなや。お前と同じぐらいじゃねえか」

「…そうですね」

「この辺の娘じゃないっぽいな。ひょっとして、さやかの同級生だったりして」

「えっ」

 嵐の思わぬ指摘に、さやかは虚を衝かれた。

 ――確かに、東京から来た同世代の女の子なら、僕の知り合いでもおかしくない。

 今までその可能性を全く考えていなかったが、春先に再会したクラスメイト・小池の例もある。女子は髪型や化粧でがらりと印象が変わるため、顔見知りでも気付いていないだけかもしれない。

 さやかは、改めてタマミの姿を観察した。

 すっと通った鼻筋に細い顎、流れるような話し方は、頭の良さを感じさせる。冬枝を喜ばせるような受け答えをしながらも、目の奥が媚びてはいない。

 タマミのどこか冷たい微笑みに、さやかは既視感を覚えた。

「…まさかな」

「さやか?」

「いえ、何でもないです」

 知り合いかどうかも含めて、全ては憶測に過ぎない。何を聞いても冬枝がしらばっくれるため、さやかはまだタマミのことを何も知らないのが現状だ。

 ――もしかして僕、からかわれてるのかな。

 この時間にさやかが『こまち』で打っていることぐらい、冬枝が知らないわけがない。さやかに見せつけるようにタマミに逢い、問いただしても肩すかしのような返事ばかり。さやかは、冬枝にいいようにあしらわれているような気がしてきた。

「嵐さん」

「ん?」

 さやかはふと、マキから聞いた「ヤクザにラブレターを送る女学生の話」を嵐に教えてみた。何となく、嵐の反応が見たくなったのだ。

 案の定、嵐は渋い表情になった。

「なっして、若い女は悪い男が好きだかなー。しかも、その辺のぺんぺん草ならともかく、聖天のお嬢様がそんなんじゃ、世も末だぜ」

「ぺんぺん草って…」

「大体、女学生からラブレターなんか貰うヤクザもヤクザだろ。ロリコンもいいとこじゃねえか」

「おじさんは皆、若い女の子が好きなんでしょう」

「ダンディ冬枝みたいに?」

 喫茶スペースを指さす嵐に、さやかは溜息を吐いた。

「僕って、もうおばさんなんですかね」

「さやかがおばさんなら、鈴子は大年増になっちまうな」

「鈴子さんは若いです。年齢を超越してるっていうか…」

 そこでさやかは、年齢よりも振る舞いが問題なのではないか、と気付いた。

 ――僕、変に背伸びしちゃうところがあるし…。

 自分がプライドが高く、可愛げがないのは自覚している。だが男、それもおじさんが若い女子に期待するのは、賢さよりも愛嬌だろう。

 ――恋愛においては、子供っぽく見られたほうが有利なのか…。

 これまでは、美輪子のように大人の女性が冬枝のストライクゾーンだと思っていたため、さやかも大人っぽくしたほうがいいと考えてきたが、見直したほうがいいのかもしれない。

 ――よし。勝負に出よう!

 一人拳を握り締めるさやかを、嵐が頬杖をついて眺めていた。



 その夜。

 晩酌を終えて自室に退こうとした冬枝に、さやかは思い切って声をかけた。

「あのっ、冬枝さん」

「ん?」

「い、一緒に寝ませんか」

 枕をぎゅっと抱えて小首をかしげるさやかに、冬枝がぱちぱちと目を瞬かせた。

「きょ、今日はちょっと寒いし、一人で寝るのは寂しいなー、なーんて……」

 しどろもどろになりながらも、さやかはちらちらと冬枝の顔をうかがった。

 ――ちょっと大胆かもしれないけど、このぐらい無邪気に見せたほうがいけるはず…!

 子猫のようにじゃれつく女子に、おじさんは庇護欲をくすぐられ、メロメロになるはず。書店であれこれ男性向け雑誌を読み漁り、研究したさやかが出した解がこれだった。

 題して、甘えん坊作戦。

 正直、後のことは考えていない。まさか冬枝が本当に一緒に寝るとは思えないが、可愛い女子から甘えられれば満更でもないだろう。

 ――僕だって、若い女の子だもん!

 なんだよ、とか、ガキみてえな奴だなー、とか、さやかはそういう半笑いのリアクションを期待していたのだが、現実は残酷だった。

 冬枝は顔をしかめると、スパっと切り捨てた。

「バカか、てめえは」

 おやすみ、と短く言って、冬枝はバタンと自室の扉を閉めた。

「………」

 冷たく閉ざされた扉の前で、さやかは凍り付いた。

 ――バカかてめえは、はないんじゃない……!?

 タマミの前ではにこにこと目尻を垂れ下げていたくせに、何もあんな迷惑そうな顔をしなくてもいいではないか。

 さやかは、悔しさのあまりソファをポコポコと殴った。

 ――僕だって若い女なのに…!僕だって、冬枝さんのことが好きなのに…!

 唐突だったのは認めるが、こうも邪険にされては、気持ちの行き場がない。

 恨みがましく冬枝の部屋の扉を見ていたさやかの視線は、壁にかかったカレンダーで止まった。

 ――この分じゃ、僕の誕生日なんて祝ってもらえそうにないな。

 誕生日を祝って欲しいなんて、子供じみたことを言うつもりはない。しかし、誕生日が近いのにこんな思いをしなければならないなんて、と思ってしまう自分もいる。

 ――誕生日だからって、いいことがあるわけじゃないけど。

 さやかはのろのろと自分の部屋に行き、机の引き出しからあるものを取り出した。

 カラフルな六面体のパズル。東京から持ってきた、ルービックキューブだ。

「………」

 ――あの人はきっと、僕にこれをくれたことなんか、とっくに忘れちゃっただろうな。

 カシャカシャとパズルをいじってみたが、いつもはあっさり揃えられる六面が、今夜はちっとも揃わない。

 てんでバラバラになったまだら模様の六面体に、さやかは出会ったばかりの冬枝のことを思い出した。

 ――冬枝さんがいじった後が、ちょうどこんな感じだったっけ。

 さやかの所持品をこっそりチェックしていた冬枝は、ルービックキューブに手を出したものの、元に戻せなくなった。バラバラになったルービックキューブは、冬枝がさやかの荷物を漁った何よりの証拠になった。

 あの頃は、こんなに長く冬枝と付き合うことになるなんて思ってもいなかった。パズルが下手なおじさんに、ここまで自分の心を乱されてしまうことも。

「冬枝さん…」

 さやかは、しばらく出来損ないのルービックキューブを見つめていた。



 ――女扱いしてもらえないのは、ファッションが一因かもしれない。

 バラバラになったルービックキューブにも、勝てない麻雀にも、さやかは諦めたりはしない。同様に、タマミに対する嫉妬にも、論理的な解で対抗することにした。

 さやかは、駅前デパートにあるブティック『H/S』に来ていた。白虎組の代打ちの一人である広瀬が経営している店で、若者向けの洋服が揃っている。

 流行りのマリンルックや清楚なオフホワイトのジャケットなど、あれこれ手に取ってはみたものの、今のさやかにはどれも物足りなく映る。

 ――広瀬さんには悪いけど、やっぱり、東京とは品揃えが違う。

 どれを試着してみても、あのお洒落で洗練されたタマミに敵うコーディネートが見つからない。悪いのは服ではなくモデルなのかもしれないが、さやかはめげなかった。

 さやかが試着室でああでもない、こうでもないと着替えていると、カーテンの向こうからまたもや聞き慣れた声がしてきた。

「へえ。お洒落なお店ですね」

「いいだろ。俺の知り合いがやってるんだ」

 タマミと冬枝だ。さやかは着替えが途中のまま、試着室でうなだれた。

 ――もう、いい加減にしてよ……。

 ここまで偶然が続くと、笑いたくなってくる。僕は呪われてでもいるのかな、とさやかは半ば本気で疑った。

「あっ、このワンピース、素敵」

「いいな。タマミはスタイルが良いから、何着ても似合う」

「フフッ。冬枝さんったら」

 売り場ではしゃぐ冬枝とタマミに対し、試着室で一人膝を抱えるしかないさやか。

 さやかは、自分が舞台袖から主役2人を恨めしく見つめる脇役のように思えてきた。

 ――冬枝さんにとっても、僕って脇役でしかなかったのかな。

 とっととここから去ってしまいたいが、試着室から出たら、2人にここにいることがバレてしまう。お陰で、嫌でも冬枝たちの会話が耳に入ってきた。

「おっ、これなんかいいな。どうだ?」

「冬枝さんは、こういう大人っぽいのが好きなんですか?」

「まあな」

「じゃあ、買います」

「俺が買ってやるよ。これに似合う靴と、アクセサリーも買わなくっちゃな」

 冬枝とタマミの会話は、完全にカップルのそれだ。たまりかねて、さやかは両手で耳を塞いだ。

 ――もういい!もう何も聞きたくない…!

 さやかの足元で皺くちゃになった服のどれもが、ただの布切れでしかない。さやかはひたすら、2人がさっさと店を出てくれることを願った。

 そこで、冬枝がさやかにトドメを刺す一言を放った。

「タマミ。それ着て、今夜逢おう」

「本当ですか?嬉しい」

「じゃ、キャンドルホテルのロビーに22時。待ってるぜ」

 ――冬枝さんとあの娘が……ホテルで待ち合わせ……!?

 それから、どれくらいの時間が経ったのか。さやかが我に返った時には、もう冬枝もタマミも店にはいなかった。

「………」

 カーテンの向こうから届くBGMも若者たちのさざめきも、今のさやかには茶番のように聞こえる。もしもこれが舞台なら、幕の引き方を教えて欲しかった。



「…さやか。おい、さやか!」

 冬枝から鋭い声で呼ばれ、さやかはハッとした。

「あっ…」

「お前の番だぞ。早くしろ」

「あ…はい」

 場所は『H/S』から変わり、真夜中の雀荘『こまち』である。

 今夜は、土地の利権を賭けた麻雀勝負だ。さやかは、代打ちとして卓に着いていた。

 ――この僕が、対局中にボーっとしてたなんて……。

 それ自体、麻雀を愛してやまないさやかにとってはショックだ。代打ちとしてあってはならない失態であることは、いうまでもない。

 慌ててさやかがツモ切ると、相手から「カン」と鳴かれた。

 ――カン?

 場を見れば、これで相手は三槓子だ。相手にそこまで手牌作りを許してしまったことに、さやかは焦った。

 ――まずい。いつの間にこんなことに……。

 さやかの手牌はメチャクチャ、どうやら冬枝も手が悪いようだ。完全に、相手の優勢だった。

 ――というより、全部僕のせいだ。

 ぼんやりとした記憶を辿れば、さやかはことごとく相手の欲しい牌を垂れ流していた。これではまるで、自ら破滅を望んでいるかのようだ。

「………」

 さやかの対面に座る冬枝の表情は険しい。さやかがまるで使い物にならないので、当然だろう。タバコに煙る冬枝の顔を、さやかは直視できなかった。

 ――せめて、放銃だけは避けなきゃ!

 最悪の状況でも、一番マシな解を選ぶ。牌を見れば最適解が分かるはずだ。

 そう思って、さやかは場を見回すが、今日は一向に解が出てこない。蛍光灯を照り返す白い牌の輝きが、チカチカと目につくばかりだ。

 ――こ、これなら安全なはず……。

 さやかがそろりと出した牌で、相手から「ロン」の声がかかった。

「イッツー、ホンイチ。ドラ1」

「うっ……」

 これで、相手に1万点以上の差をつけられてしまった。屈辱なのは、相手が専門の代打ちでもなんでもない、ただの会社員だということだった。

 ――素人相手に、この僕が……!

 その後も、さやかは挽回しようとあがいたが、焦れば焦るほどドツボにハマっていった。普段はさやかのサポートに徹する冬枝も、さやかがことごとく冬枝の援護を無駄にするため、諦めて自分の手に集中し始めた。

 ――冬枝さんに迷惑かけちゃってる……。

 さやかも必死で手牌をこねくり回すが、ちっともまとまらない。さやかはまるで、霧の中で麻雀をしている気分だった。

 ――こんなに牌の流れが読めなくなるなんて、初めて……。

 そして、またしてもさやかの切った牌で、相手が「ロン!」と言った。

 ――まずい!

 万事休すか、とさやかが両目をつぶった直後、冬枝から「ロン」という静かな声が響いた。

「頭ハネ。文句ねえな」

 さやかの点が削られることに変わりはないが、今回はさやかと冬枝の合計点で勝負する。さやかは、首の皮一枚で繋がった形になった。

 結局、さやかは終始、冬枝に庇われっぱなしで終わった。南場ではほぼ冬枝がメインで、さやかは冬枝の足を引っ張らないよう、影を潜めていた。

「……すみません」

 負けた会社側がうなだれながら去った後、彼ら以上にさやかは落ち込んでいた。

 ――僕のせいで、危うく負けてしまうところだった。

 さやかの敗北は、すなわち冬枝の敗北である。白虎組の看板を背負って打っている以上、冬枝もさやかも負ければタダでは済まない。

 チッとライターに火をつけて、冬枝はタバコを吸った。

「……最後に勝ちゃ、それでいい。ただな」

 ――今夜のお前の麻雀は、クソつまんなかったぞ。

 白い煙と共に冬枝が吐き出した言葉は、グサリとさやかの胸に刺さった。

「……油断しました。次からは気をつけます」

「おう」

 それだけ言うと、冬枝はさっさと『こまち』から出て行った。

「………」

 壁時計を見上げたさやかは、もうすぐ22時になろうとしていることに気付いてハッとした。

 ――冬枝さん、あの娘に会いに行くんだ。

 カローラの扉が閉まる音が、駐車場から聞こえる。さやかは、すぐに『こまち』を飛び出した。

 階段を駆け下り、暗い路地裏を回って、駐車場へと急ぐ。

「待って!」

 だが、さやかの叫びは、発進したカローラのエンジン音にかき消された。

 テールランプが、夜の街に吸い込まれていく。思わず伸ばしたさやかの手の先で、カローラは小さくなり、やがて見えなくなった。

「………」

 後にはただ、空っぽの駐車場だけが広がっている。さやかは、ゆっくりと伸ばした手を降ろした。

 ――僕ってホント、いいとこなしだ。

 冬枝の寵愛をタマミに奪われ、添い寝も断られ、麻雀でも空回りした。そして今夜、冬枝はタマミとホテルで逢うのだ。

 ここまでくると、惨めを通り越して、さやかはおかしくなってしまった。

「ふふ…、ふふふ、はははっ、あははははははっ!」

 自分の乾いた笑い声が、完全にさやかを開き直らせた。さやかは一人、暗闇の中で目を見開いた。

 ――大人はこういう時、やけ酒飲みに行くんだよな。

 スーパーや自動販売機で買える、チャチな缶ビールでは足りない。大人が酔い痴れる夜の街へと、さやかは足を向けた。



 さやかが向かった先はバー『せせらぎ』――冬枝の兄貴分だった源が経営する店である。

「どうせ、僕は女じゃなくて、ただの麻雀マシーンなんですよ。代打ちなんて、替えのきくオモチャなんれす」

 気付いた時には、さやかはすっかり出来上がっていた。

 確か、世間話でさやかが9月が誕生日なのだと言ったら、源が真っ青な美しいカクテルを作ってくれて、それをがぶ飲みしているうちに、どんどん本音が零れだしていって……。

 詳細は思い出せないが、とにかくさやかは感情のままに飲んだくれていた。

「源しゃん!」

「おう」

「ど~したら、冬枝さんから好きって言ってもらえましゅかね」

 カウンターで前のめりになるさやかに、源はフッと微笑みかけた。

「さやかを欲しがる男なんて、星の数ほどいるさ。俺はさやかを愛してる」

「源さん。もう」

 と、横からたしなめたのは淑恵である。いたずらっ子を咎める母親のように「めっ」と指を指され、源は苦笑した。

「僕、もう東京に帰りたいれす。おかあしゃーん」

 さやかが抱き付くと、淑恵は優しく頭を撫でてくれた。

「大丈夫よ、夏目さん。私たちがついていますからね」

「おかあしゃん…」

「ふふっ。夏目さんがとっても頑張ってるのは、私も源さんも知ってるわ。いい子ね」

「おかあしゃ~ん」

 淑恵の腕の中は柔らかくて、温かくて、ミュゲのいい香りがする。さやかのささくれた気持ちも、淑恵の手で慰められていくようだった。

「さやか。気晴らしに、歌でも歌うか」

 源からマイクを渡され、さやかはすっくと立ち上がった。

「夏目さやか、歌いまーしゅ!モニカー!」

「イエーイ!」

 源は、真顔のままで合いの手を入れてくれた。淑恵は終始、微笑みながらさやかを見守っていた。



 翌朝、さやかを待ち受けていたのは、二日酔いの頭痛と冬枝の説教だった。

「さやか。お前、ゆうべは随分、派手に飲んだそうじゃねえか」

「………はい」

 カクテルはアルコール度数が高い、というのを忘れていた。それでなくても飲み慣れていないさやかが、ジュース感覚でガブガブ飲んだのが間違いだったのだ。

 リビングのフローリングに正座させられたさやかの頭上に、冬枝の怒声が降って来た。

「こん、ばかけ!酒代が源さんのおごりなのはまあいいとして、酔っ払ってバク宙した挙句、グラス引っ繰り返して割るなんて、何考えてんだ」

「…記憶にありません」

「その上、テーブルに頭打って目ぇ回して、源さんに車で送ってもらったんだぞ!ホントに覚えてねえのか、お前!」

「……すみません。後で、源さんに謝りに行きます」

 どうやら、この頭痛はアルコールのせいだけではないらしい。さやかは、情けなさで気が遠くなりそうだった。

 冬枝は、苦り切った様子でタバコを取り出した。

「源さんには、俺から言っておくからいい。それより、さやか」

「…はい」

 冬枝の瞳が、キッとさやかを睨んだ。

「代打ち風情が、仮にも俺の兄貴分だった源さんの所でハメ外していいと思ってんのか。罰として、嵐に勝つまで帰って来るな!」

「えっ…嵐さんに、ですか」

 さやかは、これまでに一度も春野嵐に勝ったことがない。勿論、それを知らない冬枝ではないはずだ。

 ――これって、事実上のクビ宣告ってこと……?

 青ざめるさやかに対し、冬枝からはもう厳しい眼差ししか返ってこなかった。

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