3話 オレとオマエのRevolution
第3話 オレとオマエのRevolution
冬枝は昼休みのついでに、弟分2人を連れて自宅マンションに寄った。
「兄貴、忘れ物っすか」
「いや、さやかのことが気になってな」
東京から来た夏目さやかは、まだ住まいを見つけていない。そのため、なし崩し的に冬枝のマンションに泊めているのだが、今朝は部屋から出てこなかったのだ。
声をかけても返事がなかったため、寝ているのだろうと思って放っておいたが――組の代打ちに決まったばかりだし、一応、さやかの様子を確認しておきたかった。
中に入ると、玄関に靴があった。さやかは出掛けてはいないらしい。
「さやか?」
しかし、リビングにさやかの姿はない。ということは、部屋にいるのか。
「さやかさん、まだ寝てるんじゃないっスか?」
弟分の一人、土井が思い出しているのは、車の中で寝入っていたさやかの姿だった。
「バカ土井、そんなわけないだろ。もう昼間だぞ」
高根が突っ込むのを聞きながら、冬枝はさやかの部屋へと向かった。
「おーい、さやか」
冬枝は、どんどんと部屋のドアをノックした。
「………」
もそもそと物音がして、さやかがガチャッとドアを開けた。
「おはようございましゅ」
「おはよう。もう『こんにちは』の時間だぞ」
さやかは水玉模様のパジャマ姿のままだった。髪に寝癖のおまけつき。
「しゅみません」
「その様子だと、メシもまだだな」
「めし……」
さやかは、ぼんやりと復唱した。まだ夢の中に片足を突っ込んでいるようだ。
冬枝は溜息を吐くと、さやかの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「まず、顔洗って来い。着替えたら、メシ連れてってやるから」
「ひゃい」
さやかは頷くと、のろのろと洗面所へと向かっていった。
それを見ていた弟分2人が、まじまじと顔を見合わせた。
「今の、さやかさんですか?」
「他に誰がいるんだよ」
「なんか、夜とは別人みたいでしたね。あんなに麻雀強いのに、今は赤ちゃんみたいな…」
「バカ、土井。さやかさんはきっと、疲れてるんだよ。ゆうべは親分と若頭の前で、代打ちのお歴々との勝負だったんだから」
高根はそう言ったが、さやかはこのマンションに来た当初からああだった、とは冬枝は言わないでおいた。
「うぇ~」
洗面所から、さやかのうめき声が聞こえてきた。
冬枝が向かうと、さやかが歯ブラシ片手に口をゆすいでいるところだった。
その傍らにシェービングクリームが転がっているのを見て、冬枝はすべてを察した。
「お前、それで歯磨こうとしたのか?」
「まちがえました。うえぇ」
さやかはまだ寝ぼけ眼で、「はみがきこ…」と言って、今度は冬枝の整髪剤を手に取っている。冬枝はすかさず横から取り上げた。
「これは俺のワックス。歯磨き粉はこっちだ」
「はひ…」
さやかはようやくしゃかしゃかと歯を磨き始めたが、冬枝は心配になってきた。
――こいつ、俺の家を出て一人でやっていけんのか?
さやかは部屋を探していると言っていたので、冬枝はそのうち不動産屋を紹介するつもりだった。この調子では、危なっかしくて一人暮らしなどさせられたものではない。
冬枝が横にいるにも関わらず、さやかがおもむろにパジャマのボタンを外し始めたので、冬枝はぎょっとした。
「おい。ここで着替えるなよ」
朝シャンでもするのか、と思ったが、さやかは「あ、まちがえた」と言って、パジャマを中途半端に脱いだ状態で出て行こうとした。
「こら!んな格好で出て行くんじゃねえ、高根たちがいるんだぞ」
「んにゅ…」
さやかはぼーっと視線をさまよわせると、「おはようございましゅ」と頭を下げた。
「はい、おはよう。さっきも言ったけどな」
「うー…」
「あーもう、仕方ねえな」
冬枝は、手早くさやかのパジャマのボタンを留めてやった。胸元でちらつく水色のブラジャーは、なるべく見ないようにした。
冬枝は「部屋で着替えて来い」と言って、さやかの背中を押してやった。
「ったく…」
冬枝が呆れ気味に部屋のドアを閉めてやると、弟分2人が声を潜めた。
「さやかさん、もしかして朝は弱いタイプ?」
「あの感じだと、低血圧かもな」
「兄貴、ホントにあの娘に代打ちお願いして大丈夫なんですか?」
土井から不安そうに言われ、冬枝もちょっと答えに詰まった。
「…男に、二言はねえ。麻雀の腕は確かなんだ。あれでも」
「そりゃ、そうっスけど」
そうこうしているうちに、さやかがいつもの紺のセットアップ姿で部屋から出てきた。
「おはようございます、冬枝さん」
「おはよう。3回目だけどな」
冬枝に指摘され、さやかが恥ずかしそうに「すみません」と俯いた。
「ゆうべは、何だか目が冴えちゃって…。朝まで反省会をしてました」
「反省会?」
さやかが取り出したのは、冬枝も見たことがある、A5サイズのノートだった。
開いたページには、昨夜の対局について事細かに振り返られていた。相手の捨て牌から自身の切った牌まで、ページいっぱいに分析されている。
「さやかさん、すごいですね。何巡目に誰が何を切ったとか、全部覚えてるんですか」
「ええ。…別に、普通じゃないですか?」
「ていうか、やり過ぎですよ。普通、ここまでしませんって」
「バカ土井、余計なことを」
高根が土井の口を塞いだ。
冬枝は、ポンとさやかの肩を叩いた。
「さやか、腹減っただろ。メシ食いに行くぞ」
「はい」
先程までの寝ぼけた様子はどこへやら、さやかはすっかりいつもの澄まし顔で頷いた。
冬枝たちは、街にある『天麩羅しみず』にやって来た。
高根がさやかに説明する。
「ここは兄貴のシマでして、みかじめ料をもらう代わりに、時々こうして食事をして、お金を落としてあげてるんですよ」
「へえ」
「兄貴、律義っスよねえ。他の兄貴たちなんて、みかじめ先でタダで飲み食いしてるってのに」
土井は「オレもそういうご身分になりてえなあ」とぼやいた。
「さやか、好きなもん頼んでいいぞ。俺が払うからな」
「え…いいんですか」
「やったー!今日は兄貴のおごりだー!」
土井が万歳すると、冬枝は顔をしかめた。
「バカ野郎、お前らは自分で払え」
「えーっ、兄貴のケチ」
「バカ土井、兄貴に3人前も奢る余裕なんてあるわけないだろ!」
「高根、お前もうるせえんだよ!」
高根が「すみません」と肩を縮こまらせた。
一連のやり取りを見ていたさやかが、上目遣いに冬枝をうかがった。
「あの…僕、自分で払えますけど」
「ほら見ろ。高根のせいで、さやかに気使わせちまったじゃねえか」
「すみません。さやかさん、遠慮しなくていいんですよ」
さやかは「じゃあ、お言葉に甘えて」と言って、卵雑炊を注文した。
やがて、各々が注文したものが届き、昼食となった。
「さやか。今日は予定はないから、自由に過ごしていいぞ」
「分かりました。じゃあ、部屋を探しに行こうかな」
「そうか。なら、この不動産屋に行くといい。俺の名刺を出せば、すぐに分かる」
冬枝はジャケットから名刺を出すと、裏にボールペンで地図と店の名前を書いた。
「ありがとうございます、冬枝さん。何から何までお世話になっちゃって…」
「さやかさん、いい部屋見つかんなかったら、このまま兄貴のところでお世話になったらどうです?兄貴、けっこーさやかさんの面倒見るの好きみたいですよ」
「えっ?」
「土井!」
高根が土井の耳を引っ張り、土井が「いてて」とうめいた。
冬枝は眉間に皺を寄せた。
「俺は別に、さやかがいつまでうちにいたっていいけどよ。そういう訳にもいかねえだろ」
年頃の女が、ヤクザと同居生活などしたいはずがない。まして、人に知られれば悪い噂になるだろう。
――実際、ヤクザの代打ちやってるんだから、悪い『噂』ではないけどな。
そこで、さやかが冬枝の皿を覗き込んだ。
「天ぷら、美味しそうですね」
「ん?ああ。何が食いたいんだ」
冬枝は、この店の名物である盛り合わせを注文していた。さやかは天ぷらを凝視した。
「エビが欲しいです」
「よりによってエビをもらおうとするかよ。お前、卵雑炊食ってるじゃねえか」
「すみません」
「いいよ、いっぱいあるから。他には?」
「うーん…かぼちゃ」
「お前、さっきからいいものもらいすぎだろ。ちったぁ遠慮しろ」
「ダメですか?」
さやかの瞳には何の邪気もない。冬枝は仕方なく、小皿にかぼちゃ天を乗せてやった。
「やるよ、こっちもいっぱいあるから。ほれ、大葉とタマネギもつけてやる」
「わーい」
さやかは「ありがとうございます」と言って小皿を受け取った。
その様子を見ていた弟分2人が、こっそりと囁き合った。
「兄貴、やっぱさやかさんの面倒見るのが好きだよな」
「いや、何事も初めが肝心っていうだろ。これは今後、さやかさんを兄貴の支配下に置いてコントロールするための第一歩なんだよ。多分」
「聞こえてるぞ、てめえら」
冬枝が声をかけると、弟分2人が露骨に首をすくめた。
――別に、ガキみてえな奴だから、ほっとけないだけだっつの。
はむはむと無心にエビ天を食べている姿を見るにつけ、さやかが凄腕の雀士だなんて信じられなくなる。冬枝は、子猫でも拾ったみたいな気分だった。
冬枝たちが『天麩羅しみず』から出ようとしたところに、通りからスーツ姿の若い男たちが慌てた様子でやって来た。
冬枝は、男たちに見覚えがあった。
――榊原さんのところの若い衆だ。
「冬枝さん、若頭がお呼びです。夏目さんも連れて来るように、とのことで」
すぐに来て欲しい、と言われ、これはただごとじゃない、と冬枝は察知した。
――まさか、今になってさやかを代打ちにすることにケチつけるってのか?
だが、榊原はさやかのことを気に入ってくれた様子だった。それなら、大口の賭け麻雀の話でも入ったのだろうか。
しかも、呼び出された先は組事務所ではなく、駅前のデパートビルだった。冬枝は、ますます訳が分からなくなった。
「冬枝。わざわざ出向いてもらって悪かったな」
「榊原さん…。今日は一体、どういう用件ですか」
榊原はちらりとさやかを見てから、「広瀬さんがな…」と切り出した。
そこで、冬枝はここに呼び出された理由を悟った。
「もしかして、広瀬さんが文句を言ってきたんですか。さやかを代打ちにすることに」
広瀬は、白虎組が抱える古参の代打ちの一人だ。若い頃から博徒として名を馳せ、博打で稼いだ金で起業した。現在は、白虎組の代打ちと実業家を兼任している。
このデパートには、広瀬が経営するブティックが入っている。榊原はうなずいた。
「その通りだ。広瀬は、さやかのような若い娘を代打ちにするなら、自分は辞めると言ってる」
榊原の説明に、さやかの顔が曇った。
冬枝は首を傾げた。
「なんでまた、広瀬さんが?広瀬さんは、さやかと会ったこともないじゃないですか」
昨日の勝負では、広瀬は不在だった。本業の都合で、県外に出張していたのだ。
「詳しいことは、本人から聞いてくれ。とにかく自分は認めない、の一点張りなんだ」
広瀬のブティックの売り上げは、白虎組にも流れている。そのため、若頭である榊原でさえ、広瀬の言い分は無視できないのだ。
「分かりました。広瀬さんのことは、何とかして俺が説得します」
「頼むぞ、冬枝」
榊原は「面倒なことになって悪いな、嬢ちゃん」とさやかに謝ると、若い衆を連れて去って行った。
「………」
さやかの面持ちが、心なしか暗い。組の代打ちたちを破ったというのに因縁をつけられたのだから、気分がいいわけがないよな、と冬枝も察した。
「心配するな、さやか」
「はい」
「広瀬さんは、話せば分かる人だ。ひとまず、本人に会ってみるか」
冬枝はさやかを連れて、3階にある広瀬のブティックへと向かった。
ブティック『H/S』は、若者向けのカジュアルファッションを扱っている。店内は、さやかと同世代ぐらいの若い女子で賑わっていた。
冬枝が店員に声をかけると、すぐに奥の応接室に通された。
「冬枝さん。ご無沙汰してます、広瀬です」
モノトーンのシャツを着た垢抜けた風貌の広瀬は、極道との付き合いがあるようには見えない。今や代打ちとしてよりも、経営者としての資金と人脈で組に貢献している男だ。
広瀬に勧められ、冬枝とさやかは革張りのソファに座った。
「話は、榊原さんから聞きました。俺の代打ちに不満があるそうで」
早速、冬枝が切り出すと、広瀬が表情を険しくした。
「不満も何も、冬枝さんは我々代打ちの顔に泥を塗るつもりですか。麻雀が強いか何か知りませんが、年端も行かない若い娘に組の代打ちを任せるなんて、認められません」
これは代打ちたちの総意です、と広瀬は念を押した。
さやかは黙っているが、その顔つきはやはり硬い。冬枝は口を開いた。
「古参の皆さんをないがしろにするつもりはありませんよ。俺はあくまで腕のある代打ちを見つけたから、組に推薦したまでです。広瀬さんにも、実際にさやかの腕を見てもらえば、分かってもらえると思うんですが」
「だったら、その娘を連れて来てくださいよ」
「ここにいますよ」
「えっ?」
「こいつが、夏目さやか。俺が見つけた代打ちです」
冬枝が紹介すると、さやかがぺこりと頭を下げた。
すると、途端に広瀬の目尻が垂れ下がった。
「いや~ん、かわいい!」
「えっ?」
「やだ、冬枝ちゃんったら早く言ってよー!てっきり助手でも連れて来たのかなって勘違いしちゃったじゃなーい!もうー!」
広瀬が急に豹変したので、冬枝もさやかも呆気に取られた。
――そういや広瀬さんって、元々こういう人だったっけ……。
デザイナーとしてモデルたちと長く接してきたせいか、広瀬はすっかり女言葉がうつってしまったらしい。広瀬はテーブルから身を乗り出した。
「あなたが夏目さやかちゃん?」
「は…はい」
「代打ち連中が言ってたより全然可愛いじゃなーい!あいつら、女狐だのアバズレだの、自分たちが負けたからってあることないこと吹き込んでいったわね。そんなことだろうと思ってたけど」
広瀬はさやかの手を握ると「ねえねえ、うちの服着てみない?春の新作、売り出し中なのよ~」と相好を崩した。
冬枝は少々面喰いながら「あの、広瀬さん」と口を挟んだ。
「さやかが代打ちをすることに、反対なんですよね?」
「ん~?やだわ冬枝ちゃん、そんなの代打ち連中のひがみよ、ひ・が・み。あいつら、仕事を若い女の子に取られるのがイヤで、寝言言ってんのよ。それでわざわざ僕んトコに泣き付いてきたんだけど、商談で忙しいところに連日電話かけられて、もーうんざりしたわ」
広瀬は呆れたように肩をすくめた。
「毎日毎日『夏目さやかを辞めさせろ!』『夏目さやかを辞めさせろ!』よ?仕方ないから、あいつらを黙らせるためにこうしてモノ申したってワケなの。噂の夏目さやかちゃんってのを見てみたかったしね」
広瀬はさやかと目を合わせると、ニッコリと笑った。
「そしたら、めちゃくちゃカワイイ娘じゃない。冬枝ちゃんったら、自分のタイプの娘を代打ちに取り立てたってワケ?」
「ち、違いますよ」
冬枝は純粋にさやかの腕前を評価したのであって、下心はない。
「ま、いいわ。さやかちゃん、ちょっと待っててね。いくつか着て欲しい服を持ってくるから」
「はあ」
広瀬はさっさと言うと、売り場のほうへと出て行ってしまった。
残された冬枝とさやかは、まるで、つむじ風に振り回された後のような気分だった。
「…よくわからねえが、広瀬さん自身に敵意はないみたいだな。良かった」
冬枝はホッとしたが、さやかの表情は晴れない。
「冬枝さん」
「ん?」
「やっぱり、僕は代打ちを辞めたほうがいいんじゃないでしょうか」
「何言ってんだ。広瀬さんならほれ、あの通り。上機嫌じゃねえか」
だが、さやかは硬い横顔のままだ。
「広瀬さんはともかく、他の人たちが反対しているなら、僕は不適任だと思います。僕のせいで和が乱れるなんて、申し訳ないですし」
「気にすんなって。どうせ代打ちなんてな、協調だの協力なんて言葉とは無縁の勝手な奴ばっかりなんだ。さやかがいようがいまいが、奴らは変わんねえよ」
「でも…。冬枝さんの立場が悪くなるんじゃありませんか」
冬枝がそれに答えようとしたとき、ガチャッと元気良くドアが開いた。
「さやかちゃーん!見てこのお洋服、素敵でしょ?ちょっと着てみて頂戴!」
「えっ、あの」
「さやか、広瀬さんに付き合ってやってくれねえか。代打ちの先輩だと思って」
冬枝が言うと、さやかは控えめに「…わかりました」と頷いた。
さやかが試着室に引っ込むと、広瀬が再び冬枝の元に近付いた。
「あの娘、東京から来たって聞いたけどホント?ファッションがダサ過ぎるじゃない。まさか、あのジミな格好は冬枝ちゃんのシュミ?」
「違いますって。それより、広瀬さんは、さやかが代打ちすることについてどう思ってるんですか」
冬枝が核心に踏み込むと、広瀬はうーんと考えるように腕を組んだ。
「難しいわねー。僕自身はあの娘、嫌いじゃないけど、代打ちたちの気持ちもわかるのよ。いきなり、あんな若い女の子が代打ちだって言われても、ねえ」
「そりゃ、お察ししますが」
「でも、冬枝ちゃんが見込んだ娘だもの。榊原さんも認めてるみたいだし、間違いないわよね。うるさい連中のことは、結果上げて黙らせるしかないわ」
「ありがとうございます」
流石に、広瀬は度量が大きい。裏賭博の狭い世界で、日銭を稼ぐことしか考えていない他の代打ち連中とは違う、と冬枝も感服した。
「あのう…着替えましたけど」
さやかがおずおずとカーテンを開けると、広瀬が歓声を上げた。
「きゃーっ。どう、冬枝ちゃん。見違えたじゃない?」
さやかは、白いハイネックにモノトーンの千鳥模様のスカートを穿いていた。いつもの服から着替えただけなのに、髪型も顔立ちも颯爽として見える。
「さっきまで田舎の女教師って感じだったけど、これで都会のクールビューティーよ。どう?どう?」
「どうって言われても…」
冬枝は困惑したが、着せ替え人形にされたさやかに何も言わないのも気の毒だ。「似合ってるんじゃないですか」とだけ言った。
「ちょっと、もっと気の利いたこと言えないの?君に夢中とか、惚れ直したとか」
「言いませんよ、そんなこと!さやかと俺は、本当に何でもないですから」
ついでに「その服、冬枝ちゃんが買ってあげなさいね」と言われ、冬枝は肩を落とした。
広瀬に泣き付いてきたという代打ちたちの名前が、冬枝の手帳にずらりと並んだ。
「なんてこった。組のほとんどの代打ちがさやかに反対してるじゃねえか」
さやかと代打ちたちが、組長と若頭の前で対決したのが災いした。新参者の小娘に恥をかかされて、古参の代打ちたちはすっかりさやか憎しで固まったようだ。
ブティック『H/S』からの帰り道、冬枝は溜息を吐いた。
いつもの紺のセットアップに着替えたさやかが、物憂げに目を伏せた。
「当然でしょう。僕みたいな年下に負ければ、誰だって面白くないですよ」
「大人げねえ奴らだ」
さやかは「冬枝さん」と言って足を止めた。
「霜田さんも言ってたように、代打ちの世界は、僕のような人間が踏み荒らすべきじゃないんでしょう。僕は身を引きます」
「さやか」
よりによって、さやかを愚弄した霜田の言葉を引き合いに出されてはたまらない。ここでさやかを辞めさせては、冬枝の男が廃る。
「お前は勝ったんだぞ。弱気にならなくたっていい」
「でも…」
「代打ちの世界がなんだ。俺とお前で、革命を起こしてやろうじゃねえか」
さやかは気のない声音で「革命…」と呟いた。
「ひとまず、俺はこいつらと直接、話をつけてくる。お前は好きに過ごしてていいぞ。あ、部屋、探しに行くんだったか」
「そうですね…」
さやかは少し考えてから、「麻雀、打ちに行ってもいいですか」と聞いた。
「ああ、いいぞ。土井、お前ついてってやれ」
「へーい」
土井は敬礼の形に手を上げると、「さやかさん、よろしくお願いします」と頭を下げた。
冬枝は高根に運転させて、代打ちたちの元に向かうことにした。話をつける、というか恫喝して黙らせるつもりだ。
――博打しか能がねえくせに、この俺に逆らうたぁ、いい度胸してるじゃねえか。
後部座席で指を鳴らす冬枝に、高根が苦笑した。
「兄貴、あんまり手荒なことはしないでくださいよ」
「先にケンカ売ってきたのは、あいつらだ。誰にモノ申してんのか、思い知らせてやらねえとな」
冬枝がふんと胸を張ると、高根が笑み混じりに言った。
「兄貴、さやかさんのことがよっぽど気に入ったんですね」
「あぁ?高根、お前まで土井みたいなこと言うなよ」
「すみません。だって、博打なら今いるオッサンたちにさせれば十分じゃないですか。何も、あんな若い女の子を使わなくたって」
確かに、高根の言う通りだ。古株の代打ちたちと揉めてまで、東京から来た女子に代打ちをさせる必要はない。
ただ、実力のあるさやかが、何の非もないのに身を引くというのが、冬枝は我慢できないのだ。
「悪いことをしたわけじゃないのに、好きなことを諦めるなんて出来ません」
かつて、公園で聞いたさやかの言葉が蘇る。
「麻雀は、解けないパズルみたいなものなんです。その時々で解が変わる、無限に答えの出せる問いなんです。麻雀のことを考えているだけで、わくわくする」
そう言っていたさやかの横顔は、記憶の中でも眩しかった。あの輝きを取り戻してやりたい、と冬枝は思った。
「起こすぞ、革命」
冬枝が一人拳を握ると、高根が「兄貴、物騒なこと言わないでくださいよ」と冷や汗をかいた。
さやかと土井は、雀荘『こまち』に来ていた。
土井は「ようよう、賑わってるかい?」とマスターの中尾に馴れ馴れしく聞くと、さやかの露払いをするかのように先を行って店に入った。
「ささ、さやかさん。どうぞ」
「…どうも」
さやかを卓に座らせると、土井は「やあやあ、そこな雀狂ども」と声を張り上げた。
「ここにおわしまするは我らが兄貴、当店のオーナーでもある冬枝誠二が自ら選り出した珠玉の宝石、ダイヤモンド、東京から来た最強の雀士、麻雀小町であらせ奉る」
「ちょっと、やめてください!」
さやかは慌てて土井のスーツの袖を引いた。
「せっかくだから、宣伝宣伝。さやかさんに、『こまち』のPRをしてもらおうと思って」
サングラスをかけた土井の表情は、冗談とも本気ともつかなかった。
「PRって言われても…」
店内のそこかしこから向けられた奇異の視線が、さやかに刺さる。客たちの間から「麻雀小町…」という呟きが洩れ聞こえて、さやかは赤面した。
――冬枝さんといい、何なんだ、『麻雀小町』って!
とはいえ、土井の口上を面白がったのか、客たちがさやかの卓に集まった。
「聞いたよ。こないだ、3人組からずいぶん巻き上げたんだって?」
「あいつら、グルになってイカサマするし、ガラ悪いし、困ってたんだよ。冬枝さんが追い出してくれたって聞いたけど、お嬢ちゃんが一役買ってたんだね」
常連客たちから笑顔で囲まれ、さやかは面映ゆかった。
「僕は別に…普通に打っただけですから」
「めんけえなあ。お嬢ちゃん、俺と打ってってくれよ」
「俺も俺も。ご祝儀、弾むからさ」
常連客たちの反応は、思いのほか温かい。
土井も嬉しそうに「良かったですね、さやかさん」と耳打ちした。
さやかも、好意的に迎えてもらって嬉しい。こんな風に、和やかな雰囲気で卓を囲むのも悪くない。
だからこそ、冬枝に無理をさせてまで、代打ちにならなくてもいいのではないか、とも思ってしまう。
――僕が身を引いて解決するんだったら、それでいいのに。
冬枝は相当、義理堅いのか。はたまた、意地になっているだけなのか。
――どっちにしろ、いい人だな、冬枝さんって。
天ぷらも分けてくれたし、冬枝が親切なのは間違いない。そんな冬枝に迷惑をかけるのは、さやかの本意ではない。
さやかの心情など知る由もない土井は「麻雀小町は冬枝の兄貴のお気に入りですからね。『麻雀小町と打てた』って、よその雀荘で自慢していいですよ」と勝手なことを吹聴していた。
その夜、冬枝は自宅マンションで焼酎を飲んでいた。
「はー、沁みる」
今夜の酒は、いつも以上に染み渡る。裏社会の汚い垢にまみれた男たちを相手にした後だと、余計に旨い。
――本当に恫喝しねえと黙らないんだからな、あいつら。
冬枝だって、穏便に話ができればそれに越したことはなかった。だが、古参の代打ちたちの傲慢さは、冬枝の予想を超えていた。
「俺たちが何年、白虎組のために働いてきたと思ってるんだ」
「あんたは組の伝統をバカにしてるのか」
「裏賭博を勝ち抜くには、経験がものを言う」
などと御託を並べ立ててはいたが、要するに代打ちたちは、博打をするだけでヤクザから金をもらえる、今の生活を手放したくないのだ。ましてや、自分たちの唯一の取り得である麻雀で若い女に後れを取ったなど、人生の全てを否定されるも同然なのだろう。
広瀬が辟易するのも頷ける。ぐうたら者たちの屁理屈は、聞くに堪えなかった。
おかげで、今日の冬枝は代打ちたちを説教して回ったようなものだった。どこへ行っても怒鳴りつける、の繰り返しだったため、帰る頃には身も心もくたびれていた。
もう1杯飲もうかな、と冬枝が氷の入ったグラスを傾けていると、さやかが部屋からぺたぺたとやって来た。
「さやか。まだ起きてたのか」
「はい。今日の麻雀結果をまとめてました」
「また、反省会か」
見た冬枝が頭痛を催すほど、びっしりと埋められていたA5サイズのノートを思い出す。あれが苦ではないというのだから、さやかは本物の麻雀バカである。
「結局、今日は部屋探しには行かなかったんだな」
「すみません。『こまち』で打ってたら、日が暮れちゃって」
「別にいい。急ぐこたねえからな」
さやかは、テーブルの上にあるつまみに目を向けた。
「冬枝さん、何食べてるんですか」
「ん?いぶりがっこ」
これまた、弟分の高根が近所の八百屋からもらってきたとかで、冷蔵庫に置いていったものだ。つまみにはちょうどいいが、一人で食うには少し多いと思っていたところだった。
「お前も食うか」
「いただきます」
即答すると、さやかは冬枝の隣に座った。
こちらに顔を向けて待っているさやかに、冬枝は箸でいぶりがっこを取ってやった。
「ほれ、あーん」
「あむ。うん、美味しいです」
躊躇なく冬枝の箸からいぶりがっこを食べ、もぐもぐ頬張るさやか。あまりにも無邪気で、冬枝は雛鳥にエサを与えている気分だった。
「もうひとくちください」
「お前な、自分の箸取って来いよ」
「洗い物が増えたら、高根さんが可哀想じゃないですか」
料理と洗い物は、高根の担当である。
「高根には気を遣うのに、俺には遠慮しねえのかよ」
「一人でこんな塩分の濃いものを全部食べたら、身体に悪いでしょ。だから、僕が手伝ってあげてるんです」
「へいへい」
若い女と晩酌を共にしているというのに、全く色気がない。娘がいたらこんな感じなのかね、と43歳独身の冬枝は思った。
さやかは「もうひとくち」どころか、半分ぐらい冬枝のいぶりがっこを平らげた。
「冬枝さん」
「なんだよ。まだ食うのか」
「冬枝さんは、僕が代打ちになっていいと本気で思ってるんですか?」
さやかの眼差しは、真剣だった。
冬枝は箸を置いた。
「お前はどうしたいんだ」
「僕は…、古参の皆さんが反対するなら、代打ちを辞めてもいいと思ってます。生意気だって言われるの、慣れてますから」
そう言うさやかの声音は、冬枝にはどこか寂しげに聞こえた。
――東京で、何かあったのかもしれねえな。
麻雀では態度も打ち回しも強気なくせに、今のさやかは脆そうに見えた。すれた育ちには見えないし、けっこう繊細なところもあるのかもしれない。
「そうか。お前の好きにしろ」
冬枝は、素っ気なく答えた。
さやかの麻雀に対する情熱は、本物だ。冬枝はそう確信している。
だからこそ、「古参が反対するなら」とか「辞めてもいい」とか、曖昧な言葉で自分の気持ちを誤魔化して欲しくなかった。
――ここでくじけるなら、それまでの奴だったってことだ。
もっとも、正直に言えば、冬枝はさやかに代打ちを辞められては困る。
さやかは麻雀の腕もさることながら、真面目で従順で、素行も悪くない。それがいかに得難い長所か、今日、古参の代打ちたちに会ってつくづく痛感したのだ。
「…分かりました」
さやかはまだ、考え込んでいる様子だった。
翌日、冬枝は組事務所にいた。
冬枝を呼び出したのは、組の代打ちたちの中でも広瀬に次いで発言力のある男、岩淵だ。
「冬枝さん、あんた、自分の女を代打ちにねじ込むために古参を脅して回るたぁ、いくらなんでも横暴じゃないんですか」
岩淵はとにかく我が強く、組員相手にもずけずけと物を言う。その態度のでかさは、もはやヤクザ同然だ。
「何が横暴だ。親分の決めたものを、てめえらがとやかく言うから黙らせに行ったんだろうが」
「冬枝さんは、女を使って親分に取り入ろうとしてるだけでしょう。見下げ果てたぜ」
「なんだと?」
「ちょっと、2人とも落ち着いて」
事務所には、広瀬も来ていた。冬枝と岩淵の間に立つと、まあまあと宥めた。
「岩淵ちゃんも、さやかちゃんと打って腕前はわかってるんでしょ?そんなに目くじら立てることないじゃない」
「あんなのはただのまぐれだ。女が麻雀で男に勝てるわけねえだろ」
冬枝は、散々代打ちたちの口から出たのと同じ罵詈雑言に、胸焼けがした。
結局、代打ちたちは何の根拠もなく、自分たちがさやかより劣っているわけがない、と妄信しているのだ。これでは、いくら説得してもきりがない。
「朽木さんだって、女の代打ちなんて前代未聞だって言ってたぞ。白虎組の看板を汚さないためにも、女を代打ちにするのは断固反対だ、って」
岩淵の言葉に、冬枝はハッとした。
――あいつが黒幕か!
代打ちたちの態度が妙に頑なだとは思ったが、朽木が裏で代打ちたちを煽っていたのだ。朽木は、雀荘『こまち』を賭けた勝負でさやかに負けたことを恨みに思っているのだろう。
――あの性悪野郎、どこまで俺の邪魔すりゃ気が済むんだ。
朽木のいやらしい笑みが、目に浮かぶ。しかし、朽木が裏で糸を引いていると分かった以上、なおさら後には引けない。
――こうなったら、手段は選ばねえ!
「だったら、岩淵さん。もう一度、さやかと勝負しませんか」
冬枝が切り出すと、岩淵が鼻白んだ。
「何回打ったところで、俺の気持ちは変わらねえぞ。腕がどうであれ、女の代打ちなんか認めねえ」
「岩淵さんが勝ったら、さやかを代打ちにするのは諦めます。ついでに、お騒がせしたお詫びとして100万つけて差し上げますよ」
岩淵の目が一瞬、キラッと輝いたのを冬枝は見逃さなかった。代打ちたちは、金に対する嗅覚は並外れている。
岩淵は、大儀そうにソファにふんぞり返った。
「いいでしょう。冬枝さんがそこまで言うんだったら、その勝負、受けてやりますよ」
「その代わり、さやかが勝ったら、今後一切、さやかが代打ちをすることに口を挟まないでいただきたい。いいですね」
「ふん」
話し合いの結果、今夜、岩淵が根城にする雀荘『大七星』で勝負することになった。
「僕も、仕事が終わったら応援しに行くわ。頑張ってね、冬枝ちゃん」
「広瀬さん…。ありがとうございます」
ウィンクする広瀬に、冬枝は頭を下げた。
岩淵にはタンカを切ったものの、100万出すのも、さやかを手放すのも、正直きつい。万が一にもさやかが負けてしまったら、目も当てられない。
――畜生、今回もさやかと心中だ。
ただ、昨夜のさやかの沈んだ様子が気がかりではあった。さやかは今朝も部屋から出てこず、さやかの心情が今どうなっているのか、冬枝には分からない。
案の定、冬枝の不安は的中した。
「すみません、兄貴。ちょっと目を離したスキに、さやかさんがどっかいっちゃいました」
サングラスの弟分がもたらした報せに、冬枝は昼食の味がしなくなった。
冬枝は朝から岩淵のせいで組事務所に呼び出されていたため、さやかのことは弟分の土井に任せていた。
土井によると、さやかは昼前には起きたらしい。その時は例の『赤ちゃん』状態ではなく、きちんと目が覚めていたという。
それから、さやかが『こまち』で打ちたいと言うので、土井も同行した。昨日と同様、さやかは常連客と和やかに打っていたため、土井は近くの喫茶店に休憩に行った。
土井がコーヒーを1杯飲んでから『こまち』に戻ると、雀卓からさやかの姿が消えていたのだった。
「見張り中に休むなよ」
話を聞いていた高根が突っ込むと、土井は「さやかさんから言われたんだよ。『土井さん、一服してきたらどうですか?』って」と答えた。
明らかに、さやかはわざと土井に休憩を勧めたのだ。冬枝は天を仰いだ。
「どうします?兄貴」
「どうするもこうするも、探すしかねえだろ。今夜は大事な勝負がある」
高根には車で、土井には徒歩で近所の雀荘を回るように命じると、冬枝もさやかを探しに街へと繰り出した。
――あのバカ、よりによってこのタイミングでいなくなりやがって。
岩淵は態度こそ尊大だが、代打ちとしての実力は確かだ。雀荘『こまち』を賭けて対決した溝口ほどではないにせよ、冬枝が太刀打ちできる相手ではない。
つまり、このままだと冬枝は、さやかに振られたうえに、100万円もみすみす失う。何としても、夜までにさやかを見つけなければいけなかった。
「よう、兄弟」
さやかは見つからないというのに、会いたくない男とは鉢合わせする。冬枝は己の不運を呪った。
公園に面したアーケード街で、ピカピカのロレックスを巻いた腕を振っているのは、冬枝と同じ組員の朽木だった。
「なんだよ、朽木。今忙しいんだよ」
「貧乏人は大変だな、みみっちく走り回って」
朽木は「女なんか代打ちにしようとするから、泣きを見るんだぜ」と嘲笑った。
「やっぱり、てめえが黒幕か」
「何のことだ」
「とぼけるんじゃねえ。岩淵を焚き付けたのはてめえだろ、朽木」
朽木は「さて」とわざとらしく首を傾げた。
「俺はただ、組の将来を案じただけだ。女なんか代打ちにして、白虎組の看板に傷がつくんじゃねえか、ってな」
「てめえ、こないだ負けたことをまだ根に持ってんのか。裏でこすい真似してるんじゃねえ」
朽木は一瞬、眉を吊り上げたが、すぐにフッと冷ややかな笑みを浮かべた。
「冬枝、何イライラしてんだ。もしかして、意中の『麻雀小町』に逃げられたか?」
「てめえ、なんでそれを…」
言ってから、冬枝は失言を悟った。カマをかけられたのだ。
朽木はこれみよがしに高笑いした。
「ハハハ、それ見たことか。いくら麻雀が強くたって、所詮ただの小娘よ」
「言ってろ。さやかは必ず連れ戻す」
「無理矢理連れ戻して、力ずくで代打ちにするつもりか?それで、あの『麻雀小町』がまともに打てるのかねえ。男怖さに、ビビッて牌も持てないんじゃねえか?」
確かに、さやかが自分の意志で姿をくらました以上、冬枝が連れ戻したところで意味はないのかもしれない。だが、冬枝は諦めるつもりはなかった。
「『麻雀小町』を舐めるな。あの女は絶対、勝負から退いたりしねえ」
自分より年嵩のスケベ親父3人を相手にしても、5万点差がついた絶望的な状況でも、さやかは怯まず立ち向かった。冬枝は、今でもさやかを信じている。
「お前が思ってるほど、女ってのは強くないぜ。冬枝」
捨て台詞を残して、朽木はアルマーニに包まれた背中を向けた。
代打ちを辞めてもいい、と言ったさやかの弱気な横顔が、冬枝の脳裏をよぎる。
――それでも、今の俺にはあいつが必要なんだ。
冬枝の頬を、4月の冷たい風が撫でた。
花冷えか、と冬枝は向かいの公園をふと見やった。
「…さやか!」
松の木の下で、噴水を眺めているさやかの姿がそこにあった。
冬枝が近寄ると、さやかは噴水から目を上げた。
「お前、こんなところにいたのか」
「冬枝さん…」
さやかは苦笑いして「僕を探してたんですか?」と聞いた。
「当たり前だろ。土井をハメるとは、うまいことやったな」
「すみません。ちょっと、一人になりたかったものですから」
冬枝は、さやかと並んで欄干の前に立った。
お堀に浮かぶ蓮の葉に、さやかは遠い眼差しを向けた。
「ダメなんですよ、僕じゃ」
「何がだよ」
「麻雀。打てば打つほど、周りから浮いちゃうんです。僕はちょっとおかしいって、みんなから言われます」
確かに、出会ったばかりの冬枝から見ても、さやかの麻雀好きは常軌を逸している。麻雀となると、後先考えないようなところもある。
「だから何だよ」
「僕は、一人で打ってたほうがいいってことです。これ以上、冬枝さんに迷惑をかけたくありませんから」
さやかの寂しげな笑みには、孤独が透けて見えた。
先日、この場所で話した時も、さやかは自分自身のあり方に迷っているようだった。
雀士として思いのままに生きたい気持ちと、周りに合わせて無難に生きたいという気持ち。その2つが、さやかの中で足を引っ張り合っている。知り合いのいないこの彩北に来たのも、その辺りに理由があるのかもしれない。
冬枝は、ぽつりと言った。
「諦めるのか」
「………」
「代打ちになりたいっていうお前の気持ちは、そんなもんか。本気の麻雀、打ちたくねえのかよ」
「それは…」
冬枝は、さやかの肩を掴んで正面を向かせた。
「俺とお前で革命起こす、って言っただろ」
さやかの瞳が、小さく揺れている。
冬枝は「さやか」と言って、真っ直ぐにその瞳を見つめた。
「お前一人で戦うんじゃない。俺たち、2人で戦うんだ」
「…2人で?」
「そうだ。お前がどんな変人だろうが、俺はお前を置き去りにしない。だから、お前も一人で諦めるな」
「……!」
さやかの目が見開かれた。
冬枝は、さやかの肩をぽんと叩いた。
「今夜、代打ちの岩淵と勝負することになった。お前がまだ代打ちをやる気があるなら、来い」
「……」
さやかは、返事をしなかった。だが、その表情からはもう弱気は消えていた。
冬枝は、さやかに軽く笑いかけてから背を向けた。さやかを信じる、という気持ちに変わりはなかった。
しかし、さやかは来ない。
雀荘『大七星』では、すでに岩淵との勝負が始められていた。
さやかが来ないため、冬枝が代わりに卓に着いた。事実上、冬枝と岩淵のサシ馬勝負だ。
「大丈夫なの?冬枝ちゃん」
広瀬も、仕事の合間を縫って雀荘『大七星』に駆けつけてくれた。
冬枝は雀卓を見下ろしながら「大丈夫ですよ」と答えた。
「さやかは必ず来ます。ちょっと遅れてるだけですよ」
冬枝はタバコをくわえて笑みすら浮かべてみせたが、内心、汗だくだった。
――なんで来ねえんだよ、さやか!
公園で話した時、さやかはまだ逡巡している様子ではあった。それでも、麻雀勝負となればさやかが引くはずがない。そう冬枝は見込んでいるのだが、さやか抜きのまま東四局が終わろうとしている。
やはり、岩淵は強い。役を作るスピードが速く、他の追随を許さない。おかげで、冬枝はあっという間に点を引き離されてしまった。
さやかが来るまでに、時間稼ぎをしたほうがいい。そう考えたのは冬枝だけではないらしく、広瀬が口を開いた。
「ねえねえ、岩淵ちゃん。娘さんは元気?」
「ああ?元気だよ。最近じゃ、仕事帰りに女友達と飲み歩いてばっかだ」
「いいじゃない。そうだ、今度、うちの店にも遊びに来てよ。せっかくだから、父娘2人で」
「よしてくれ、あんたの店は若い奴ばっかりじゃねえか」
若い奴、で思い出したのか、岩淵の目線が冬枝に向いた。
「冬枝さん。夏目さやかはいつ来るんだ」
「あー…あと10分とか、5分とか」
勿論、冬枝の苦し紛れの言い訳など通用しない。
「どうせ、ビビッて逃げ出したんだろ。当たり前だ。若い娘が来るような場所じゃねえ」
「岩淵さん。あいつはそんな奴じゃ…」
「その程度の信頼関係しかないってことだ、あんたらは。そんなんで、組の代打ちが務められると思ってんのか」
「それは…」
さやかが「自分は一人でいた方がいい」とまで言うのは、きっと、東京で何かあったのだろう。
冬枝はさやかの過去など知らないし、詮索するつもりもない。信頼関係がないと言われてしまえばそれまでだが、過去など知らなくたって、冬枝はさやかを信じられる。
――俺のために打ってくれたさやかを、俺が信じなくてどうすんだ。
雀荘『こまち』を賭けた勝負でも、組長たちへのお披露目でも、さやかは懸命に打ってくれた。
自分は浮いている、とさやかは卑下したが、麻雀に全てを注ぎ込むさやかの一心さは、さやかの強さでもあるのだ。少なくとも、冬枝はそう思う。
――だから、神様、さやか様、麻雀小町様、早く来てくれ!
このままだと、冬枝は100万円を失ったうえ、さやかを代打ちにすることを断念しなければならなくなる。そうなれば、朽木という貧乏神に取り憑かれている以上、冬枝が銀行強盗に繰り出すのは時間の問題だ。
冬枝が苛立ち紛れに牌を切ろうとしたところで、店の扉が勢い良く開け放たれた。
「はあ、はあ、はあ……」
肩を大きく上下させ、荒い息を吐くさやかがそこにいた。
「さやか!来てくれたのか」
冬枝が立って出迎えると、さやかが「冬枝さん」と低い声で唸った。
「ん?」
「どうして、勝負の場所を教えてくれなかったんですか。てっきり『こまち』でやるんだと思って待ってたのに、誰も来ないじゃないですか」
「あっ…」
冬枝は、しまったと己の額を叩いた。今夜の勝負は『大七星』でやる、とさやかに伝えていなかったのだ。
「すまん。言い忘れてた」
「…もういいです。勝負は、どうなってるんですか」
走って来たのだろう、さやかはぜえはあ言いながら、ふらふらと雀卓に近付いた。
広瀬が「はい」と言ってさやかに点数表を渡すと、さやかの顔が歪んだ。
「…また、5万点差ですか」
「いや、これでもな、最初はリードしてたんだぞ?七対子で和了ってな、それはもう痛快な打ち回しで…」
「だまれ。その後は全部、ウマじゃないですか。どう打ったらこうなるんだ…」
「面目ない」
さやかは汗で張り付いた前髪を上げると、「ふう」と息を吐いて席に着いた。
「頼む、さやか。この勝負、勝たなきゃ100万取られるんだ。あと、お前が代打ちを辞めなきゃいけなくなる」
「は?なんで、僕のことを僕がいないところで決めるんですか」
さやかは「信じられない」と言って頭を抱えた。
「しょうがねえだろ、岩淵さんを納得させるにはこうするしかなかったんだよ」
「100万なんて金、払えるんですか、冬枝さん」
「払えるよ。払いますとも。何とかして」
「呆れてものも言えない…」
岩淵が「嬢ちゃん」と声をかけた。
「見ての通り、今のところ冬枝さんが最下位だ。あんたに代わっても点数はこのまま持ち越すが、それでいいな」
「ええ。構いません」
さやかの瞳に、キラッと闘志が閃く。
「さやか、勝ったら何でも買ってやるぞ。そうだ、広瀬さんの店で服買ってやろうか」
冬枝が隣で猫撫で声を出すと、さやかから「うるさい」と一蹴された。
「解はもう出ています。冬枝さんは、そこで黙って見ててください」
生意気なことこの上ないが、さやかは吹っ切れたようだ。冬枝は安心した。
――今のさやかに、怖いものなんてねえ。
その後、さやかは見事に逆転を果たし、岩淵に勝利した。
直接対決、それも己に有利な状況からの敗北に、流石の岩淵も肩を落としていた。
「岩淵さん。これで、さやかの代打ちを認めてもらえますね」
冬枝が確認すると、岩淵は無言でボリボリと頭を掻いた。
「俺んとこの娘も、嬢ちゃんと同じぐらいの年頃でよ。娘と似たような女の子にヤクザの代打ちなんて、させたくなかったんだよ」
「岩淵さん…」
女に代打ちなんてさせられない、という岩淵の主張は、さやかを守るためだったのだ。さやかに向けられた岩淵の眼差しは、温かいものだった。
――これじゃ、俺のほうが悪者みたいだな。
冬枝は何となくバツが悪くなったが、さやかはニッコリと笑った。
「大丈夫ですよ、岩淵さん。僕には、冬枝さんがついていますから」
代打ちを続けるか否か――これがさやかの答えなのだと、冬枝には伝わった。
頑張れよ、という岩淵の言葉に送られて、冬枝とさやかは『大七星』をあとにした。
雀荘『大七星』を出ると、外は冷たい夜風が吹いていた。
運転手である高根は既に帰らせていたので、帰り道は徒歩である。後ろを歩くさやかの足取りが重いのを見て、冬枝は「どうした?」と振り返った。
さやかは片足立ちになって、ローファーのかかとを押さえていた。
「靴擦れしちゃったんです。誰かさんのせいで、街中の雀荘を駆けずり回ったので」
さやかに恨みがましく睨み付けられ、冬枝は「悪かったって」と謝った。
さやかが来ない、と冬枝が待ちわびていた頃、さやかは必死で街を走り回っていたのだ。改めて、冬枝はさやかの真心に打たれた。
「ほれ、さやか」
「なんですか」
「その足じゃ、歩きにくいだろ。おんぶしてやる」
冬枝が背中を向けてしゃがみ込むと、さやかが慌てた声を上げた。
「いいですよ、そこまでしなくて。このぐらい平気です」
「遠慮すんな。今日は、お前のおかげで命拾いしたんだ。このぐらいさせてくれ」
さやかが「でも…」と躊躇っているので、冬枝は半ば無理矢理さやかを担ぎあげた。
「わっ。ふ、冬枝さん」
「軽いなー、お前。ちゃんと食ってるか?」
女をおぶるなんて何年ぶりだか、と冬枝はちょっと新鮮になった。
「うう……」
さやかはしばらく身を固くしていたが、やがて諦めたのか、そっと冬枝の背に寄り添った。
「…あったかいですね、冬枝さん」
「ん?なんだ、寒いか」
「夢中で走ってたから気がつかなかったけど、外は冷えますね。もう4月なのに」
「こっちの春はこんなもんだ」
春といっても、東北にある彩北市は、まだまだ冷たい風が吹く。東京と比べたら、余計に寒いだろう。
人気のない夜道は、しんとして静かだった。冬枝はぽつりと尋ねた。
「さやか」
「はい」
「今日の麻雀、楽しかったか?」
さやかが微笑む気配が、冬枝の首の後ろから届いた。
「はい。楽しかったです」
そりゃ良かった、と冬枝も笑みを浮かべた。
翌日、冬枝はさやかを連れて、ブティック『H/S』を訪れた。
「きゃーっ。さやかちゃん、とてもよく似合ってるわ」
歓声を上げる広瀬の前には、水色のコートを着たさやかが立っていた。冬枝が、春用のコートをさやかに買ってやったのだ。
さやかは「いいんですか?」と遠慮がちに尋ねた。
「いいって。大事な代打ちに、風邪ひかれちゃいけねえからな」
麻雀賭博は、深夜まで行われることがほとんどだ。さやかの荷物に、コートの類はなかったことを冬枝は覚えていた。
「そんなこと言って冬枝ちゃん、自分がさやかちゃんにプレゼントしたいだけなんじゃないの?」
「広瀬さん。これは、さやかが代打ちに決まったお祝いみたいなもんですよ」
さやかも水色のコートが気に入ったらしく、鏡の前で右を向いたり左を向いたりしている。その様子が微笑ましくて、冬枝もつい笑み混じりになってしまう。
広瀬が、こつんと冬枝の肘を小突いた。
「ごちそうさま。やっぱり冬枝ちゃん、自分の彼女を代打ちにしたかったのね」
「だから、違いますって。あいつが、そんな色気のある女に見えますか」
実際、さやかに色気はない。今朝もなかなか起きてこず、やっと起きてきたと思ったら、洗面所から「うぇ~」の声である。
俺のシェービングクリームで歯を磨くな、と冬枝が仕方なく、赤ちゃんさやかの面倒を見てやった次第である。
――ホント、世話の焼ける女だぜ。
そして、今の冬枝にとって、一番心強い相棒でもある。
「ありがとうございます、冬枝さん」
そう言って笑うさやかは、キラキラ輝いていた。