2/1〜 春季キャンプ④
手持ちのボールの中で頼れるのはストレートだが、それと相性がいいボールは何か、と問われた際にはチェンジアップと答えるだろう。俺の投げるチェンジアップはブレーキの効く、いわゆるパラシュートチェンジと呼ばれるもので、腕の振りに対して速度が遅く、沈み込むような軌道を描く。
打者のタイミングをずらして打ち取る球と思ってもらえればいい。
フォームを変えずに済み、かつ球速差や軌道など、真っ直ぐの質が良ければ良いほどその効力は大きくなる。ストレートを光に例えれば、チェンジアップはまさに影と言える存在だ。
実際昨シーズンは大いに頼ったし、落ち球代わりに投げて三振を取った場面も多く、物足りないというボールではないように思う。
何故武田さんは、新球種、しかもスプリットチェンジを俺に教えようとしているのだろうか。
「新球がいるのか、だと?」
話があった翌日、俺は率直に疑問を武田さんへぶつけた。その大きな目をいからかして、まるで一塁ランナーを牽制するかのように俺を見る。
なるほど、ランナーの気持ちが少しわかったような気がする。
「はい。落ち球カテゴリならシンカーが、半速球ならツーシームやそれこそカットボールがありますし、単純に比較するべきものではないとしても、スプリットチェンジを習得する理由に欠けるような気がします。あぁ、いえ。文句ではなく」
俺がそういうと、武田さんは一球ストレートを投げた後、こちらに向き直る。そうすると、その向こうで投げていた妻木が俺たちの方に控えめながら寄ってきた。聞き耳を立てるとかではなく、ガッツリ聞きにきている。無口な割にどうも貪欲な向上心を持っているようで末恐ろしい。
それに構わず、武田さんは俺の問いに返事をした。
「古今クローザーというのは、良質なストレートを携えた上で、早く鋭く落ちる球か早く大きく曲がる球を使う者が大成するポジションだからなァ。要は決め球がなければならん。そこへ行くとお前のスライダーとシンカーは、持ち球全体の質を考慮した上でデザインされた変化量に見える」
確かに、十川さんに鍛えてもらった際、"ちょうどいい"という考え方を示してもらった。
その考えの元、今のシンカーが形作られているし、去年はそれで結果を出せたのでそこは良いところなのではないかと思う。三振も取れてはいたし有効な気がするが…。
そう考えていた矢先、武田さんが句を継ぐ。
「それ自体は、悪いことではない。寧ろその練り上げは称賛に値するものだ。だがッ。9回裏を投げるピッチャーとしては少々お行儀が良すぎる!欲しいのは手数や総合力ではなく制圧力ッ。圧倒的なまでのなァ」
「…つまるところ、球威ある落ち球がいると?具体的にいうならば、僕の決め球にはパワーが足りてないという事でしょうか」
「足りない、というよりは出せない、だろうな。いずれも、お前の場合、力と変化量がトレードオフの関係にある。加えていうならば、手元で曲がるボールにならない。故にこそ、速度の出るスプリット質の球が要る。正直、カットを覚えたと聞いた時は安心したぞ。縦横それぞれ同系変化で、裏表を出せるようになるからな」
球威に足りない部分があるなら、そもそも速さと芯外しで誤魔化せばいいって事か。手元で落ちるスプリット系ならそこをクリア出来る上、落ち幅次第ではシンカー以上に三振を見込める。
決定力・制圧力の高さを考えると確かにうってつけだろう。そこまでは納得した上で、俺はもう一つ分からないことを武田さんにぶつける。
「…なるほど。あと一つだけ伺いますが、何故スプリット"チェンジ"なんでしょう」
スプリットは、フォークを浅く握ることで落ち幅の代わりに球速を担保したボールだ。定義については回転数など諸説あるが、系列や投球意図としてはフォークの仲間になるだろう。
スプリットチェンジは、冠する名前から分かる通りチェンジアップ系列に属する。
チェンジアップの握りである鷲掴みから握り方が派生し、その中でも速さと落ち幅を両立させる事ができたものがそれと扱われるわけだが、では、スプリットでも良いのでは?という話になる。
もちろん、武田さんはその辺りのツッコミを想定済みだった。
「シンプルな話だ。持ち球の派生系故に習得が比較的容易であろう点、習得・実用にかかる身体への負担が少ない点。自主トレ期間を想定しての話であったからなァ。変化量や変化方向含め、キャンプでなら当初の想定より仕上がるだろう」
一つ目の理由、これは実にわかりやすく納得できる。
二つ目の理由は、チェンジアップというボールを投げるための握りにあるだろう。
フォークやシンカーなどの握りを作った時、肘付近の筋肉は他の球種に比べて強めに張る。当然ながら、それはそのまま肘への負担となるわけだが、チェンジアップの場合はそれほどにならず、派生系であるスプリットチェンジもフォークなどに比べればそのあたりの折り合いをつけやすいという理屈だ。
「とはいえ、時間はそう多くない。どれだけ早くそこをまとめられるかで今シーズンが決まると言っても過言ではなかろうな」
武田さんのその一言に、心臓が、どっ、と大きく鳴った。
昨年から始まったこの奇妙な関係だが、節々貰った言葉は俺の脳裏にしっかりと刻まれている。
準備とは機先を制するためにすること。キャンプはその為の時間である。
出来ない事を出来るように、出来る事をより強く運用出来るように。そして、様子がおかしいのを補ってあまりある偉大な師に、俺は下剋上を以て報いなければならない。
立ち遅れていた気持ちに喝をいれる為、俺は武田さんを背に力一杯真っ直ぐを放った。