10/12 対南州レッドウルス グランプリシリーズ1st⑤
4回裏も凌いだ俺は、ひとまずベンチ裏に下がり、チームトレーナーである三波さんの手に足を任せる。
軽い指圧のはずだが、少しきつく感じる刺激に、思わず声が漏れる。
「おっ。これ痛いですか?」
「そう、ですね。堪えられない程ではないですけど。多分これでもいつもより弱めに押してますよね?」
「ですねぇ。腿裏もしんどそうですけど、大腿四頭筋、前の腿がかなり張ってるように思います。うん、ここまででやめとかないと早晩怪我するから、代えてもらいましょう」
三波トレーナーからのリタイア勧告。
個人的な感覚としては、3〜4回の出力を維持したとしてもあと1イニングくらいは持つように思う。
となれば、今後の立場を諦めるかケガによるリスクを受容するかの2択だ。
どっちかなら、俺なんていつ壊れても通用しなくなってもおかしくないのだから、リスクは織り込んででも投げたい。ここで俺が出来る事を示しておきたい。どうせ、1イニングだけだし。
「あと1イニングなら行けます。レッドウルスにはやられっぱなしですし、先発ですから5回までは…」
「ダメダメ。ヒサ、言い出しっぺの俺がいうのもアレやけどやめとこう」
掛かった俺の手綱を引いたのは篠原さんだった。宥めるように両肩に手を置き、こう続ける。
「長持ちするためにこうやって投げとんのやから、今壊れるまで行ったら本末転倒や。次は絶対あるし、俺が何やってでも用意するから、今回はもう休め」
俯きながら篠原さんの言った事を咀嚼していると、一つ影が落ちてきた。
「久松、よくやってくれた。4回1失点。苦手な南州相手にいつもより長いイニングを投げて失点はソロホームランの1点だけ。上々だよ」
いつのまにか ベンチ裏まで様子を見に来ていた監督がそう声をかけて来る。
「いえ…。それより監督、あと1イニングだけ投げさせて下さい。そこまでは持つと思います。自分に任されたところはやりきりたいんです。お願いします」
「篠原コーチも言っていたがね。それでケガじゃあ意味がない。短期決戦だし、ゲームメイクとしてはこれ以上ない仕事をしてくれた。ゆっくり…、ゆっくり休みなさい」
休んでいいのだろうか。そのまま言われた通りでいると何か切れてしまいそうだと思った俺は、とっさに口を開いて、気になっている事を聞く。
「残りのイニングは、どう、どうなるんですか」
それを聞いたところで、この試合マウンドに戻れる訳はなかったが、それでも、俺の食べ残しはどうなるのか。
俺の問いに、吉永監督は笑って答えた。
「我々には百戦錬磨のモップアッパーがいるからね。大丈夫だよ。それに試したいこともあって、この展開ならやりやすい。劣勢だけど、やれる事をやれるだけやるだけだ。そして、君の出番は、これから先たくさんある。安心して、今は休んでおくように」
監督を追う気力も湧かず、悄然としながら考える。
アレが良くなかった、コレが良くなかった、色々出て来るもので、不甲斐なさに押し潰されそうになって来たところで、選手交代のアナウンスが聞こえて来た。
そういやモップアッパーって誰だろう。ビハインドロング担当の大西や渡辺は経験的にも信頼度的にもそこまで言われるほどではないように見えていたが。
「京央ネイビークロウズ、選手の交代をお知らせいたします。ピッチャー、久松に代わりまして、古沢。ピッチャー、古沢。背番号34」
あぁ、そっか。そうだったな。俺を後ろに回すなら、短期決戦でそんなに先発も要らないって話になるし、そういう運用ができるよな。
接続先としても合う方だろうし、試合が大きく向こうに傾く事はしばらくないだろう。
安心して少し力を抜くと、体がずん、とより重く感じる。
俺の脱力を見計らってか、ずっと近くにいてくれた三波さんが、声をかけて来た。
「やっと緊張が解けたかな。落ち着いたようだし、アイシングしようか。あ、今は体力的に動くのしんどそうだからそのままでいいよ」
そう言ってそそくさと三波さんはその場から離れる。
通用しなかった、というよりは体が持たなかった。その認識が正しいし精神衛生的にも良いのかなと余裕ぶって考える。いずれにしろ、悔いは残る降板だった。
古沢さんの出番が終わる頃には、ベンチに戻れるくらいまで体力が回復したので、そこから試合の趨勢を見届けた。
ちなみに、古沢さんはストレートを軸に2回を完全に抑えて戻って来ている。
その後を受けたのはこれも今季先発で回っていた飯田で、2イニングを投げ無失点の好投。短いイニングだと出力を上げられるのか153キロまで飛び出すなど、先発の時とは別人のような球威だった。
打線は反撃が上手くいかず零封されてしまい、敗戦。最後の登板だったが、俺の今季初敗北がここで記録として付くことになる。
翌日は荒木が登板したものの、戦力差と体力差を押し返すまでは至らなかった。2位の持つアドバンテージもあり、2連敗で今季終了。
選手として飛躍を遂げられたはずなのに、悔いの残るシーズンになってしまった。
来季は笑って終われるように、そうでなくてもせめて悔いなく終われるように。そう思いながら、九州から東京への飛行機に乗り込んだ。