7/27 対瀬戸急フライヤーズ 第11回戦①
本拠地のまっさらなマウンドに立つというのは初めてのことだったが、だからといって気持ちが晴れるわけではなかった。
不満、というよりは自分の力のなさと意識の低さへの嘆きが強いだろうか。
先発転向の話があったあと、結局何かを伸ばしたり鍛えたり、というのはついぞできず1軍に戻ってきてしまった。
本当なら、シンカーにもっと落差をつけられるようになってから投げたかった所だ。
まぁ、などと考えても詮無いことなのだが。
「ブルペンで受けた感じ、ボールの強度はまずまずだけども、力加減どうかね。何割くらいのもんかな」
プレートを踏みしめながら、試合前の打ち合わせを思い出す。
今日受けてくれるのは2番手捕手でベテランの篠原さんだ。
37歳にして今なお高い盗塁阻止率とピッチャーの良さを引き出すリードに定評がある、粛清劇から生き残った生き字引。
投球練習をして軽く打ち合わせと言ったところで、力感を聞いてきた。おそらく、イニングを稼ぐ為にスタミナを逆算したいのだろう。
「ひとまず今は7割出るか出ないかくらいのつもりで投げました。ずっとこの感じで行くのであれば80球はまず行けると思います」
「そうかね。うん、とりあえず5回投げれるよう頑張る方向でいこうか。君ん球の質加味すると100球は投げんとならんやろけど、そこはどうにかペース作って投げよか」
監督の意向のもと、篠原さんと決めた方針を思い出し、深く呼吸をする。
初級のサインはストレート。低めにというジェスチャーが送られてくる。
目標は5回を100球以内に投げ切ること。力感は8割、ノーワインドアップからいつもと同じ歩幅で踏み出す。
投じたボールはしっかり低めへ行った。
が、力が足りてないボールを瀬戸急フライヤーズの1番、増田さんが見逃すはずがなかった。
「…っか〜ッ!!」
思わずそんな声が出る。
プレイボールホームランを許してしまった。
1球で1点。監督の渋い顔が目に入ってしまう。
ま、まずい。このまま動揺を引きずってはどんどん呑まれていってしまう。
精神の萎縮はまんま、動作の萎縮に繋がる。
動作が萎縮すれば、当然ボールに伝わる力も弱々しくなっていく。
なんとか切り替えなければ。
そう思って投じたボールは、2番の口羽さんにあっけなく弾き返される。
「まっずいなこれ…」
そう呟いて、俺はとりあえず体のあちこちから噴き出る汗を拭った。
「8割じゃ無理かもしれんね」
ベンチに戻った俺に、篠原さんはそう声をかけた。
隣に座って水分補給をした後、グラウンドを見ながら話を続ける。
「初回2失点、球数21球。ソロホームランから、シングル、ツーベースで1点。ここまでで7球。その後、フライゴロフライ。どれも結構強いあたりやったな」
「そうですね。恥ずかしながら完全に力負けしてます」
デーゲームのため、真夏の日差しが照りつける。地面にはゆらゆらと陽炎がゆらめいていた。
それを見ているのか、それとも試合を見ているのか、遠くの方を見つめるように目を細め、篠原さんがまた口を開く。
「1イニングあたり20球前後なのは想定通りよ。ただ今日は暑いからね。消耗考えたら20球で1イニング投げようとしたらまとめきらんかもな」
「受ける感じどうですか、ボールは」
「あんま言いたくないけどカーブは使えんね。強度も変化も足りてない。ストレート、スラ、ツーシームやな使うのは。シンカーは三振欲しい時だけサイン出す。ストレートは10で投げて、ツーシームは8で投げてきてくれんか。スラは曲がるなら力感は問わんから」
それはつまり、スライダー主軸で投げるという事だ。
シンカーを左右問わず落ち球として扱い、2枚目の決め球としてストレートを使うのだろう。
ストレートは、空振りを取りたいので見せる回数を減らし、最悪押し込む形を作るよう力あるボールを放らなければならない。
スラの軌道と対になりつつ速さをある程度担保出来るツーシームは、右打者への回答であり、浅い回であれば速球軸のように見せかけられるだろうと考えての力感8割指示だと理解した。
投球比率としては、スライダーが5、ツーシームが4、シンカー、ストレートで合わせて1といった所だろうか。
「スライダーはどうしますか。曲がり小さくした方がいいですか」
「いや、そんなこたぁ意識しなくていい。いつも通りでかまわんよ。練習してないやろうしね。付け焼き刃でどうこうしてまで消化するべきゲームじゃないから」
それまでと変わらないトーンで篠原さんはそう言ってのけた。
…ように見えたが、よくよく見るとやってしまった、みたいな顔をしている。何か失言したのだろう。
ややあって、篠原さんはダグアウトの奥に行くようジェスチャーをした。
ひとまず誰もいないミーティングルームに2人で入る。
「いや、ごめんな。ほんとは言っちゃいかんって思っとったんやけどな」
打順が8番と遠いところに置かれているためか、防具をつけたまま篠原さんは話を続ける。
「試合の消化云々の話は普通監督がおるとこじゃ話せんのやけどさ、もう言ってしまったし。なら久松にも言うたらないかんと思ってな」
「それは…なんでしょう」
俺がおずおずと聞くと、篠原さんは少しだけ投げやりな口調でそれを話してくれた。
「中継ぎから先発に移った奴で失敗というか勘違いしがちなのは、マックスじゃないボールでも打ち取れると考えることや」
「えっ」
「えっ、て言うてしまうよな。いや、わかるんよ。スタミナ配分考えてより多く投げれるようにってな。でも、普通に考えてみ?」
俺は、というと、などと何もわからないまま聞き返す。まともに考えもしなかったが、特に気にした様子なく篠原さんは続ける。
「多くの場合、中継ぎピッチャーは先発失格で中継ぎに回されるわけやわな。1イニングフルパワーでようやっと抑えていくって構図やね、言い方悪いけど。そう考えた時にな、1イニングをフルパワーでやっとやのに7〜8割で投げて抑えられると思うか?」
「…無理、ですか」
篠原さんの諭しに、俺は情けない返事が出てしまう。
「そうね。やから、次のイニングからペース配分考えずにガンガン投げてきて欲しいんよな。結果その方が球数は減ると思うし。3イニングくらいならまだ持つやろうな。以降はわからんけどその時はこっちもそれなりに操縦するから」
篠原さんが利き手で軽く背中を叩く。
強気とか、やる気とか、そういう前向きな気勢が俺にはあんまりないよな、と思いながら篠原さんの後をついてベンチに戻る。
監督の刺すような視線がにわかに見えて、飄々と座った大ベテランとは対照的に思わず眉間に皺を寄せながら俺は冷蔵庫のペットボトルを取り出しゆっくりと口をつけた。