3/28 対ゆら川レイダース 第1回戦
「…荒木の代打、長岡がヒットで出て、佐多がタイムリーを放ちました。5-0とホームチームゆら川、開幕戦劣勢。これから7回裏に入ります。実況は引き続き、私、岡島丈成でお送り致します。さて、レイダースは攻勢に出たい所ですが…。荒木に代わるピッチャーが…あーっと!?中継をご覧の皆様、場内アナウンスとこの背番号がご確認いただけますでしょうかッ。新任吉永慶次郎監督!なんとローテーション候補と目されていた5年目左腕久松をこの7回のマウンドに送り込んできました!練習試合、オープン戦と3から4イニング投げていた久松をここで!ここで使って来ました!さぁ、なんばドームの観衆!いや!クロウズベンチすらも顔を見合わせる中でどんなボールを投げるのか久松!」
いつもの登場曲の代わりに、ゆら川の球団歌を背に浴びながら俺はマウンドを均す。
ビジター、とりわけ熱狂的な関西のファンは早くもここまでもってこいコールを打席に送っている。
「お待たせいたしました。ただいまの回に代打いたしました長岡、そのまま入りセンター。センターの香川がレフト。レフトの一宮に変わりまして、ピッチャー、久松。背番号43」
コールにレフトスタンドが困惑はありながらも拍手を送る。
調子、ボールはまずまず。さてどこまでやれるかな。
「3番ライト、小鳥遊。背番号、31」
最初の相手は左打者の小鳥遊さん。クリーンナップとしてはやや膂力に欠けるものの、持ち前の俊足で無理やり長打に押し込んでくる、ある意味でのパワープレイヤーだ。ただ、パワーレスだからといって打てないわけではないのは打順が示している。コンタクト能力はリーグでも屈指だし、やらしい事にストレートにも打ち負けない。
実際今日は、荒木のアウトローに来たストレートや力あるカットを、あっさりしばいてマルチヒットにしている。アームアングルや球種構成上、荒木にとって小鳥遊さんはかなりキツい相手だろう。それでも後続を断ち無失点にしているあたり、能力の高さとメンタルの強靭さが伺える。
後輩が奮戦し6回無失点。俺が簡単に打たれるわけにはいかない。池田のサインに、俺は頷く。
「ファースト!」
打球にいち早く反応した佐多が、アダメスを指差す。ドームに風が吹くはずもなく、力なく飛んだポップフライを、助っ人が難なく抑えた。
バットの軌道上、弾道が低い小鳥遊さんにとって、俺というピッチャーはやりづらかったろう。高めのボールを嫌がらずに使ってくるフライボールピッチャーは、俊足巧打のグラウンダーの長所を殺す。
まぁ、初球に選択したカーブを、外目に張っていたバットが窮屈に回った結果打ち取れただけ、と言われればそうであるのだが。
「4番サード、後藤。背番号2」
左の巧打者に続くのは右の大砲だった。
スタンスはオープンに取り、バットは首元あたりの高さ。もみあげと同化した顎鬚が豪放磊落なスイングをイメージさせる。
だが臆する事はない。こちらの攻撃はあと2回残っているのだ。強気は崩さないし、投げ切れるだけの余力は残すのを意識する。
「ボォッ!」
ボールを宣言した審判が一塁を指差す。3-2としたところで足元に抉り込むスライダーを見切られてフォアボールとなった。流石に4番打者。そう簡単に、しかも色気が出た中で打ち取らせてはくれないか。
ただ、続く伴野を6-4-3のダブルプレーに仕留め、ひとまず1イニングを消化した。
「ナイスピーッ」
池田がベンチに戻るやそう声をかけてくる。
俺は小春めいた故に少し汗ばんだアンダーシャツを摘み、風を送りながら手を挙げる。すると、レガースだけつけたままこちらに近寄って来た。
「お前結局リリーフなの?セットアッパー?」
池田に聞かれる最中、吉永監督と目が合う。すると、監督は目を細めてにこりと笑った。
それを勝手にネタバラシのサインだと解釈し、俺は一息ついて答えた。
「ビビんなよ。あと2イニング投げる」
8回はお互いにいいところなし。9回には俺に打席が回って来たが、当然吉永監督は一切動かず。
遠くに立って三振して戻ってくると、そのままマウンドに蜻蛉返りだ。
砂を被って見えなくなったプレートを軽く掘り出し、腕を回す。
打席に立った時のざわめきがまだやまず、スタンドのあちこちで燻っている。火がゆらめく時そうなるように、ぱちぱち、とレフトの方から規則的な音が聞こえた。
「9回の裏、ゆら川レイダースの攻撃は、9番丸井に変わりまして、木村。背番号00」
「もってこいもってこいきっむっら!もってこいもってこいきっむっら!かっ飛ばせー!きっむっら!」
流石にビジター開幕戦、多少の点差があろうと敵地のファンは諦める事なく声援を送る。
ただ余裕はまだまだある。省エネピッチングで打たせて取ろう。なんて風に考えていた。
だが。
「っしゃー!」
三遊間のゴロ、佐多が追いついたものの一塁には間に合わなかった。
ヘッドスライディングをした木村が大きく拳を突き上げる。24歳ガッツマンのプレーは、河内和泉の益荒男達を一層燃え上がらせた。
大きな歓声が上がった後、短調のトランペットソロが、ライトスタンドの声援を堰き止める。サビに近づくにつれ、ファンの声はほとんどないのに、圧の水嵩はじわりじわりと増しているのを背に感じる。
「森田ーッ!森田ーッ!かましたれーッ!」
「バッターは、1番セカンド森田。背番号1」
総毛立つほどの大きな声援を受け、レイダースの人気No. 1選手、キャプテンの森田さんが左打席に立つ。
普段ならなんて事ないはずだが、開幕戦というお祭り要素もあってなのか、じりじりとスタンドの熱に身を焼かれているかのような重圧があった。
それから逃れるようにサインを確認し、小刻みに2度頷く。後から思い返せば、投げ急いでいたのだろう。
点差を考えればありえないはずの、盗塁やバントを警戒したストレート。それでも走っている分差し込めたが、却って良くなかった。
「いいぞいいぞ森田!いいぞいいぞ森田!いいぞいいぞ森田!」
左バッターに相対し、かつランナーもいるという事でショートの佐多は予めセカンドベースに寄っていた。そこに詰まり気味の打球が三遊間へ転がる。またもコースヒットだった。
こんなヒット2つで無死1、2塁か?マジで言ってんのか?
「2番センター、曽我部。背番号57」
アウトあと3つ?3連ホームランで同点?いやいやまさか?ありうるありうる?違う違う違う?荒木の勝ち?試合壊しちゃう?裏切り?期待を?去年と何が変わった?
ぐるぐると、頭の中でそれらが跳ね回る。
泳ぐ目線、垂れる脂汗。俺が悪い俺が。本当に?なるほど、武田さんが言ってたのってこれかぁ。…武田さん?
「ふぅっ。いやいやこっからだわ」
瞬間、不安も懸念も追い出す為に息を吐く。
こう言ってはなんだが、あの変態クローザーおじさんだからこそ、こういう時でもインターセプトしてくれたのかもしれない。
減点1つ。後手に回った事。更に減点1つ。後のことばかり考えて出し惜しみした事。
多少カッカしている自覚はありながら、ではここから巻き返すにはどうしたらいいかを考える。
武田さん曰く、敵を増やさない事が大事と。言い換えればウチのファンをこれ以上がっかりさせないにしつつ、盛り上がるようなピッチングをするべきだろう。加えて、1点もやってはならない。例え勝てるとしても、その1点がこれからずっと付きまとういくらかの減点になる。それには何がいる?ゲッツーか三振だ。
それを得るには何を捨てるべきか?
篠原さん曰く、先発をやる中継ぎは、後のことを考えてしくじる。多少は違えど、まさに今の俺の事だ。捨てるべきは次をどうするかなどという余計な思考である。次の事を考えるあまり、何もかもを裏切りかけていた。ファンこそ最も大きく力のある味方だが、一点くれてやってしまった時点で、久松にやれる応援はもうない。つまり、ここで日和れば次などない。よし、腹は括った。
池田がランナーを気にしながら出したサインに、俺は初めて首を振る。
一瞬驚いてサインを幾つか出してくるが、次々に変えさせる。ストレートになるまで。
真っ直ぐ要求にようやくとばかりに頷き、構えたところなど無視しておもっくそ腕を振る。
力一杯のはずなのに、不思議と腕に力感はなかった。
「…ットライッ!」
自己最速148km/hが曽我部の前を通過する。
ギアなんて大層なものは俺にはない。あったのはまだ次がある、点差があるなどというクローザーにあるまじき甘えだった。
それを捨て去るが如く145、148とそれぞれストレートを放り込み、3球で曽我部を三振に打ち取る。いつもなら息をついたり、喜んだりするのだろうが、そういう気にはならなかった。あるのはただ次のバッターに対する殺意のようなそればかり。
「トーライッ」
先ほど初球で打ち取った小鳥遊さんを三振で切ってとる頃には、ライトスタンドは水を打ったように大人しくなっていた。
そして、試合も大詰めを迎える。先ほどは四球だった後藤さん。レイダースの最強打者を相手に迎えようとやる事も考える事も変わらない。
普段の慎重さや恐れなどは、事ここに至って持ち合わせなかった。
1球目、他の2人と同じように直球勝負。真後ろへのファール。タイミングは合っているが、まだ球に力があって押せている。
2球目、池田がシンカーのサインを出す。構えは内低め。ややヤケクソ気味にも見えるが、俺は内心それでいいと思いつつ、そこ目掛けて投げた。これに後藤さんのバットは僅かに動いたものの止まる。1-1のカウントになった。
3球目、同じところに今度はスライダー。これもバットは出てこない。変化球を切っているのか。これで2-1のバッティングカウント。
4球目、今度は手出し期待で待たれている真っ直ぐ。池田は投げさせたがらなかったが、俺が最後まで首を振った。これに関しては池田の懸念が正しい。実際手は出して来たし、さっきと同じような、真後ろに飛んでいくファールだった。球速は144km/h。去年の平均球速よりは早い。いずれにしろ追い込んだ。
5・6球目、もう変化球に手を出さざるを得ないだろうとカーブ、続いてチェンジアップを投げ込むもこれをカットされる。ストレートに張っていながらこの球速帯の球をカットされるのには正直驚いたが、追い込んでいる上、相手はストライクとみなすラインを広く取っている。こちらにまだ分がある。
7球目、見せていなかったツーシームを投げる。外にやや逃げるこのボールを、なんと後藤さんは見送った。ストライクゾーンからはわずかに外れているが、手を出してもおかしくはないだろうに。
ぱちぱち、と手を叩く音がする。両の耳には、それぞれテンポの違う拍子。
「(投げる球ね〜!何投げるか!)」
そうは言っても半分くらいは確定している。
今俺が帰れるボールは真っ直ぐしかない。
駿河を打ち取り、佐多に打ち砕かれたストレートしかない。
ダメなら意味がない、と言われればそうだが、それはそれとしてこれでダメならしょうがないという感情もある。
サインが出る。首を振る。池田が首を振ったので、奴の目をじっと見る。そうすると、心底嫌そうに真っ直ぐのサインを出した。
右打者から遠く、高い球。147km/hで18.44mを走り抜けたボールは、池田のミットに収まる。後藤さんがベンチへ帰っていく。
今季セーブ1番乗りを、俺は三者連続三振で勝ち取った。
岡島アナの空振り三しィィィン!という叫び声が微かに聞こえた気がしたが、おそらく気のせいだろう。