2/1〜 春季キャンプ①
「えー、改めて。今回監督に就任しました吉永です。昨年まで編成部で仕事をしていました。獲得に携わった選手もいます。そういう人たちと一緒に仕事をするという重みを感じていますし、だからこそ、皆の力を、潜在能力を、信じています。一緒に頑張っていきましょう。よろしくお願いします」
吉永監督が訓示し、ここ宮崎でのキャンプが始まった。
自主トレではストレートを磨きあげるのに主眼を置いて取り組んだが、キャンプからはイニング数の事も視野に入れていかなくてはならない。
余談だが、古沢さんはあっさりとナックルカーブを習得し、十川さんは俺がチェンジアップの投げ方を教えるとすぐに俺より上手く投げるようになった。曰く、
「スプリットもいいけどいわゆるパラシュートチェンジみたいなのも投げたかったんだよな〜。意外と速度に幅が出て良いかもこれ。カーブ投げたくねぇし目先はこれで変えれるな」
らしい。ちゃっと習得してしまうあたり俺の不器用さが際立つ。
まぁそれはそれとして、だ。一応A組、いわゆる一軍練習グループに残れている事もあってひとまずは全体のアップから体と心を練り上げていく。なお、自主トレでご一緒した2人はB組だ。マイペース調整を許される程度には信頼されているのに加え、抜けた実力を持っているという事である。しているつもりはないが、俺も油断出来ない立場なので気を引き締めてかかる事にした。
室内練習場でのアップが終わった後、早速ブルペンに入ろう…と思ったところで監督に呼び止められる。
「久松くん、体調はどうかな」
「監督。そうですね、まずまずという感じでしょうか」
「いいことだ。…うん、誰もいないね」
吉永監督は周りを見回すと、一回り小さな声でこう言った。
「今日は80球くらい投げといてくれ。先発やらせると周りに思わせたいんだ」
出そうになる返事を堪え、俺は首を縦に振る。その瞬間思った。まだ緊張感が足りていない、と。
もう勝負は始まっているのだからそれくらいの仕掛けはして然るべきであるし、それをおくびに出す様では勝てないという意識でなくてはならない。今のだって、80球投げとけで済む話のところを、吉永監督は意図まで話した。つまり手札の一つである俺こそ、当事者意識が求められるのだ。
ブラフなりを通したから勝てるわけでは勿論ないのだが、出来ることを出来る限りやる、というのが恐らくは吉永監督のカラーであり、あらゆることをないまぜにして本命を通すのがスタイルなのだろう。
そういう泥臭さや周到さを少なからず好ましいと思っていて、だから、この監督のもとで結果を残したいと今考えている。
手をヒラヒラと振ってグラウンドにいく吉永監督を見送り、俺はブルペンへと足を向けた。
まだ誰も投げていない真っさらなマウンドをガリガリとスパイクで撫でた後、ブルペンキャッチャーの福屋さんには立ってもらったまま10球ほど慣らしに投げる。
そのうち、新たに投手コーチに就任した宇多さんが声をかけてきた。ウインドブレーカーにサングラスをかけ、正直誰か一瞬わからなかった。
「…飛ばしてる?」
「いえ、そんなことは」
「あ、そう。ならいい。…手首ね、今はいいけどもう少し楽にするといいよ。立てようとしすぎてる。ストレートを走らせたいんだろうけど、それだと却って力みになる」
指摘通りに投げてみると、力感は軽いのにボールの質は変わらない。
コーチの方を見ると、2度ほど首を縦に下げて次を促してきた。
振りかぶる。さっき言われた通り少し楽にしてボールを放る。ミットのポケットから空気が強く押し出され、高い音がブルペンの屋根を叩く。
「ナイッボー!」
福屋さんの声と返球を受け地面を均していると、宇多さんがまた一言かけてきた。
「…吉永さんから話は聞いてる。大変だけど、練習強度はしっかり見とくから出来ることをやろう。…それで、あと1人多分くるから、そいつの投げるボールと、立ち振る舞いを観察しておくといいと思う」
あと1人って誰が。ほぼ初対面のコーチにそんな事聞くに聞けず、俺はとりあえずと一球福屋さんめがけ放り込む。
傍目に見えた巨体に少しだけ嫌な予感を感じつつ、とりあえず向こうが何かアクションしてくるまでは挨拶に留めておこうと心に誓った。