9/20 対帝東ブレイブス 第24回戦
ホームランこそなかったものの、岡部さんに打たれた後も2人に最後のヒットを打たれてしまった。
篠原さんと十川さんの見立て通りシンカーも見切られがちで、落ち方だけでなく配球のバランスなども全体的に見直す必要があるだろう。
ただ、疲労抜きが功を奏したのか真っ直ぐの球威と速度が良化し、通用しているのはいい事だろう。岡部さんにしっかり叩き込まれてしまったのはまぁ置いておこう。
3試合6回1失点被本塁打1、四死球が3と内容の割には点を取られていないのが救いか。
課題があるのは明確なのに、上がってきてからの防御率が良いのは相当複雑だが。
実情と乖離がある成績に渋い顔をしながらロッカーに向かっていると、三渕監督代行と今日一軍に戻ってきた篠原さんが目に入った。
二人はこちらに気付き手をあげてくれる。
そのうち、三渕代行が手招きをした。
「おう、久松。お疲れ。今篠原とちょうど話しててな。今日の試合なんだけどな」
「お疲れ様です三渕さん、篠原さん。もしかしてオフになりますか?」
「何いってんだよ。9月の防御率1点代様がー。今日はいいとこで使うつもりでいるからな。勝ってたらだけど」
な、何を言ってるんだこの人は。しかもニコニコと。俺はあっぷあっぷしながら投げてて、運よく点になってないだけだぞ。
なんとか言ってやってくださいよと、篠原さんの方を向くと、篠原さんは篠原さんでマジかこいつという視線を三渕代行に向けていた。
俺が見ているのに気付きその視線がこちらに向くと、わずかに首を横に振った。
「あ、あと篠原。今日明日はお前をスタメンで使うから。最後悔いないようにな」
そう言って三渕代行は篠原さんの肩を叩くとすぐに去っていき、遠くなる三渕代行の背を、篠原さんが険しい、どうかすると失望したような目で追っていた。
篠原さんは一つため息をつくと、俺に話を振ってくる。
「まぁ、チャンスとか予行演習とかくらいの軽い気持ちでええよ。投げるとしても、な。いやしかし、何を見たらそういう起用になるんかね」
「はは…。いや情けない限りで…。僕自身、今の状態で勝ちパとかやらされてもというのはありますが」
「久松にはほんとに申し訳ないけど、太鼓判を押せる程の出来ではないからな。…うん、まぁでも。ツイてはいるやろ今んとこ。上振れてどこまでやれるか確認すんのも重要やし、プラスに捉えよう。一軍相手にどんなタマ投げるか、ちゃんと見とくで」
そう言って篠原さんはブルペンへと消えていった。
さっきの表情の理由が気にはなったが聞きおおせずに、俺は俺でロッカーに戻った。
そのまま篠原さんと話す機会はなく、ゲームが始まり、8回の表まできた。
珍しく、と言ってはなんだがネイビークロウズは2桁安打に7得点と打線が火を吹いた形となっている。
守っては先発の荒木が7回無失点の好投。しかもリーグ屈指の破壊力を誇る帝東ブレイブス打線を相手にだ。ドラフト5位で当時唯一ネイビークロウズが指名した大卒選手だったが、2年目にして飛躍の兆しが見える。
そんな後輩の後を受けて、俺はリリーフカーに乗り込む。
浅く乗っけていた帽子を深く被り直すと、スタンドのライトに晒されながらブルペンからリリーフカーがゆっくりとグラウンドへ飛び出す。
「ピッチャー、荒木に変わりまして久松。ピッチャーは久松。背番号、43」
コールがかかり、登場曲が流れる。ボールを受け取ろうとホームベースの方を見ると、篠原さんがこちらに駆け寄ってきていた。
「はい、頑張るよ。向こうさん荒木にようやく合ってきた所やったから変わりどきとしてはかなり良い。打順も567で落ちてくるし状況は上振れとる。ここで大人しゅうさせるで。三振しっかり取るよ」
篠原さんの言に俺は深く首肯する。
荒木は先発としては珍しい、サイド気味のスリークォーターからストレートやカッターをばしばし投げ込む速球派だ。
最速152km/hをマークする右サイドハンドから140そこそこの左である俺に変わるのは、相手からすると面倒だろう。球速帯やボールの軌道がまるっきり違う訳である。
俺の役目は、当然ながらしっかりと抑え込み、相手の意気を挫く事だ。内容も求められる場面となるので、いつも以上に気を張って投げなければならない。
「5番レフト山上。背番号、8」
左打席に山上さんが入る。今年37歳になる大ベテランで、かつては30本塁打を記録した事もあるパワーヒッターだ。
現在は衰えもあってか控えに回る事も多い。今日は右かつアームアングルの低い荒木が先発だという事を考慮してのスタメン起用だったのだろうが、セカンドゴロとファーストフライを喫しており当たりは出ていない。元々プルヒッター傾向のある打者で、荒木との対戦ではストレートに合わせていて、カッターを引っかけたりという形での凡退だったようだ。
篠原さんが一瞥の後サインを出す。初球は外目にストレート。
「トライーッ」
やや真ん中に入ったが、これを空振り。遅い球に合わせていたのか、全くタイミングが合ってないように見えた。いわゆる、着払いのような形。
篠原さんはこれに眉を顰め、返球してくる。
もう一度ストレートの要求。今度は明確に外せと先ほどよりも遠くに構えている。
合ってないようだしゾーン内で勝負して良いんじゃないかと思ったが、同じ球を2球続けるリスクもない訳でなし、カウントもまだまだ浅いので素直に従う事にした。
若干抑えが効いておらず高めにブレたが、外には行ってくれた。判定はボール。さっきと変わらない速さのストレートに、山上さんはピクリと反応したが、バットは出てこなかった。
初球は全く合っていないようだったが、今の様子だとボールはしっかり見えている。
…初球のスイングは撒き餌か。内の方のポイントに速いボールを投げれば差し込める、と思わせたかったという事だろう。そうすれば、プルヒッターである山上さんの得意なコースにボールが来やすくなり、自然、ヒットの確率は上がる。それだけでなく、スラッガーとして生きてきた山上さんの事だから、インにツボでも持っているのだろう。長打あるいはホームランの可能性すら上がってくるという仕掛けだ。そして篠原さんは、それを看破ないしは怪しんで出方を伺った。
俺と池田、もしくは一色で対戦していたら山上さんの仕掛けにまんまと引っかかっていたかもしれない。篠原さん様様である。ここまで考えて肝を冷やした俺は思わず額を拭う。
一方山上さんは策を見破られているというのに表情一つ変えない。この辺り、経験というのは自分を大きく見せ、力を発揮する為にも大事なのだなと感心する。
しかし結局、山上さんにそれ以上の手札はなかったようで、かつ衰えの為かアウトコースへの対応がほぼ出来ておらず、落ち球としてシンカーを見せた後に、外に逃げるようにスライダーを続けた所三振に打ち取れた。
三振自体はいいのだが、コントロールがいつもに比べて良くない。押して押してができる球威でもなし、勢い任せをしないよう自戒しつつ、ワンナウトを示すよう指を振る。
「6番ライト、ロドリゲス。背番号、42」
下位ながらパワーのあるバッターが続いて嫌になる。2割4分台ながら今季22本もホームランを打っているこのロドリゲス。彼もまた左打者だ。足もそれなりにあり塁に出すと厄介この上ない。ただ、打率が示す通りあまり器用さや確実性はなく、6番という打順に座っているあたり、フリースインガーの気質が強そうだ。山上さんのように初球ストレートなどの速い球を使って甘いところに行けば、力があってもガツンとやられてしまうかもしれない。積極的に振ってくる分脆さもあるので、変化球で打ち気を逸らしたりあるいはミスショットさせたりするのは有効だろう。
そういう意味でも、荒木対策で左を並べているところに、左腕かつ、球がそう速くなく球種がそれなりにある俺がぶっ込まれたのは、ブレイブスからしたら相当嫌な手に見える。俺の対左に関しては数字が良くないので張子の虎でしかないのだが。
などと考えていると、篠原さんがサインを送ってくる。ツーシームだった。
俺がサインに頷くと、篠原さんはミットをゾーンに横断させた後、叩くように下へ向けた。低めに、という事だろう。真ん中低め、地面スレスレのあたりに構えてくれており、とにかく高さを間違えないようにというのが伝わってくる。
最悪ボールになってもいいから低く。そう意識して投じたボールにロドリゲスが動く。かつ、というやや軽い音がして、ボールが俺の目の前に転がってきた。少し高く跳ねはしていたものの、なんという事はないゴロを捕球し、俺は一塁へ送球する。
これでツーアウトだ。
「7番セカンド遠山。背番号、31」
次の打者は若手の遠山。確か2〜3年目くらいで、不慣れなのか打席に立ってもどこか気忙しい。こういう手合いは総じて余裕がなく、こちらからすれば御しやすい相手だ。つられて慌てず、揺さぶれば何のことはないだろう。
その辺りは当然篠原さんも分かっていたようで、考えるふりをして俯いたまま暫くサインを出さずにいた。そうしていると、みるみるうちに遠山の表情が不安げなものに変わる。
などと考えていると、篠原さんは頃合いと見たのかカーブのサインを送ってきた。
投げ込んだカーブに対し、遠山はスイングを仕掛けてきたが、空振り。大振りだし真ん中低めに落ちたカーブに接点はないしで、投げているこちらが心配になる程だ。
ただ、油断は禁物である。バットを持っている以上、当たればヒットになるかもしれないのだから。
今のスイングの形を見るに、ライトへ運ぼうというような感じで、目付けが外にあるのは間違いない。初球外目意識でマン振りなんて決め打ちじゃなきゃ出来ないだろう。となると、外目がよほど好きかあるいは、そこしか打てるポイントが無いか。
この大振りを見て篠原さんはどう出るのだろうと思っていると、すぐにサインが出た。
インコースへストレート。高さは問わないようだ。
「トライーッ」
おお、結構良い感じ。自分でも驚くくらいには走ったストレートだ。計時は146km/h。高さはともかく内いっぱいにぴしゃりと決まり、ツーナッシングが出来上がった。こうなるともう内にさえ投げ込められれば正直何投げても打ち取れそうだが、篠原さんが要求したのはストレートだった。構えたのも同じ所。そう、同じ事をもう一度やるだけだ。
再現性という言葉がある。野球においては、同じところに同じ球をどれほどの精度で投げ込めるかだとか、同じ動作をどれほど正確に繰り返せるかだとか、そういった事に言い及ぶ際使われる。ニュアンス的には100回のテストで100点満点を何回取れるか聞かれているようなものだろうか。
今この瞬間俺に問われているのはそういう能力だ。
振りかぶる。体重移動する。さっきと何ら変わらない動作。駿河と佐多の時には出来た。ここで出来ないはずはない。まして、その二人に比べれば今目の前にいる打者など何のことやあらん。
そう考えながら腕を振った。ボールは篠原さんの構えたところに吸い込まれるように進んでいき、そうしてミットに収まった。
遠山はピクリとも動かずボールを見送り、球審が一塁ベンチへ向け拳を突き出した。
「トライッスリーッ!」
1回無安打無失点無四球、2三振のおまけつき。
最後は自己最速147km/hを相手の懐に突き刺した。勢いそのままベンチへ速やかに下がると、篠原さんがプロテクターをつけたまま隣に来てくれた。
「はい、お疲れ。今季初ホールド?やんな。ええボールやったよ」
そう言って差し出された手を握ると、篠原さんがぐっと握り返してきた。
「ストレートは球威あって良いとこ決まってた。気持ちいいクロスファイアやったね。シンカーも今日の落ち加減は悪くない。スライダーのいいアクセントにもなってたし、単体運用にも堪えそうや。今日の指の感触は覚えとくこと。うん、三振もようとれとるし、今回は言うことないな。あとは続けられるかや」
そこまで言って、最後に篠原さんはこう付け加えた。
「お前はまだまだ伸びるよ。だから頑張れ。投げる球も頭もしっかり鍛えていけ。今日お前をリード出来て楽しかった。明日以降また出番があったらリードしたいくらいや」
名残惜しそうな篠原さんの顔が、なんというか、少しだけ彩度が落ちて見える。
明日は、篠原さんの引退試合だ。彼の頭の上には、まだ1が立ったまんまだった。
久松の成績(9/20終了時点)
登板数:23 投球回数:42.2 1勝4敗1ホールド 防御率:4.22