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グッドバイ・ピッチ  作者: タンバ
1年目(久松プロ4年目)
33/110

9/12 対浜名タイダルウェーブ 第23回戦


「ピッチャー、岡に変わりまして、久松。背番号43」


本拠地より少し高く硬さのあるマウンドを俺は踏みならす。

手首をグラブごとくるりと回し、スライダーのジェスチャーを送る。受けるのは一色だ。

池田はまだ打ててないらしく、現在12打席連続の無安打となっている。それでも打率は.270を切っていないあたり大概おかしいが。

なんて考えている間にも、一色は、勝手知ったるとばかりにワンバウンドしたスライダーをミットで掬い上げる。流石に期待の若手捕手。頼もしい限りである。


しかし投球練習をしていながらでも感じるこの圧。

敵地のラッキーセブンとあっては仕方ないものではあるが、それだけではない。

7、8、9と巡る打順の最後には、今日の先発である平岩さんの名前が入っているが、彼はここで降板だろう。

その代わりに出てくる打者を見に、このレイクサイドスタジアムはまなに3万を越す観衆が集まっているのだ。

岡部信吾、40歳。浜名の名プレイヤーである彼の引退試合と銘打たれたこの試合は、ようやく本番を迎えると言って良いだろう。

やだなぁ。相手するのが嫌とかではなく状況があんまり好ましくない。

5-1で負けている7回裏。打順的には力が下がっていく方ではあるが、この雰囲気と、引退するにしてはえらく覇気のある御仁が目つき鋭く控えていることを考えると、どうにも楽にはいかなさそうだ。

とはいえ、投げないことに始まらない。

最後の投球練習を終え、再度足場をならす。

ほぼ同時にタイダルウェーブの球団歌が鳴り響き、そのあとを追うように三三七拍子が走り出した。


「…イッ」


歓声によってほぼかき消えているアンパイアのコールの後、一色がサインを出す。特段の文句もなく、俺はサイン通り構え通り投げ込む。

感じていた懸念などなんてことはなく、1つ2つとアウトを並べた。周りの空気は、潮が引くようにいつのまにか凪いでいた。だが。


今日の主役が、バットに滑り止めを吹きかけ終わったあと、ゆっくりとネクストバッターズサークルから打席へ、最後の舞台へと向かう。バッティンググローブをつけることなく、衆目に晒されている節くれ立ったその手は、長いプロ野球人生をどのように送ってきたを想像させた。いやあるいは、それすら絶する努力と挫折があったのかもしれない。


「選手の交代をお知らせいたします。バッター、平岩に変わりまして、岡部。バッターは、岡部。背番号5」


岡部さんの登場曲、B'zの『兵、走る』のサビが流れ始め、球場の静謐が弾けた。

拍手がスタンド四方から渦巻くように聞こえ、太鼓の音と歓声が地鳴りのように轟く。

お!か!べ!お!か!べ!と響く声の中、ホイッスルがそれらを劈く。ドンドンドンドンと無軌道だった太鼓が拍子を取り始める。

まずは浜名タイダルウェーブ代打のテーマを大合唱。そして、岡部さんの個人応援歌が流れ出す。


「力の限り振り抜いて!勝利に導く一撃を!浜名の黒い鬼岡部!不屈の男!」


黒地に赤のピンストライプが入ったタイダルウェーブのユニフォームに合わせた、強打者への声援が背中から俺を押しつぶさんとする。

さぞ苦い顔をしてしまってるだろうなぁと自嘲しつつ、俺はサインと岡部さんの頭の数字を見る。

残り1。なるほど、どうあっても俺はここで打たれてしまうようだ。

まぁもうそれはそれでいい。偉大な打者が打つ最期のヒットくらい甘んじてくれてやる。簡単にくれてやるかは別の話というだけだ。


「おっ!かっ!べっ!おっ!かっ!べっ!」


3万観衆の声を背に感じながら、俺はサインに頷く。

初球要求されたのはスライダーだった。

無意識に気圧されたのか、するりと真ん中に行ったが、岡部さんはこれを見逃した。そして一瞬、スタンドの方を向き、またこちらの方に向き直る。ルーティン通りこちらに向けたバットからは、ビビってねぇでかかってこい若僧、とでも言われているような気がした。

それは、なんというか嫌味や挑発などではなく、こちらを励ましてすらいるように思えた。


「(粋というか、絵になるな)」


バットの穂先から目を離し、ふぅと息を吐く。サインはストレート。一色は一色で意図があったのだろうが、今回ばかりは考えるのをやめた。何を投げても結果は一緒だしという考えもあったが、純粋にこの打者と力で押し合って見たくなった。当然、度胸だめしですらなく有体に言えば蛮勇なのだが、それでいいと思った。


いつも通り振りかぶり、いつも通り踏み出す。力みはない。デリバリーも悪くない。しっかりとした強い球が行くはずだ。そう感じた。

インハイに飛んで行った球に反応した岡部さんのバットは空を切る。電光掲示板には、147km/hが表示されている。これでツーストライクだ。


追い込んだ。カウント上はそうなっているはずだが、岡部コールと応援歌は鳴り止まない。

なんならチャンステーマが流れ始めてすらいる。

それを横目に見ながら一色が最後のサインを送る。ストレートだった。

今のボールに振り遅れていると見たようだ。俺の方も、たとえいつも通りの状況だとしてもその見立ては妥当に思っていただろう。

一つ間を置く。ロジンを手慰みにまぶした後、放り投げて振りかぶる。

アウトコースベルト高。高さのみ見れば失投かもしれない。それでも、俺にしては速いボールだった。


良いボール、速いボールが行ったからといって、結果が出るとは当然限らない。決着がつくよう対戦している以上、勝った方と負けた方に分かれるのは当たり前のことで、今回は俺が負けた側だったというだけだ。

岡部さんはアウトコースのボールにしっかり反応し、全盛期と変わらないヘッドの返しでこれを弾き返した。

角度が良くなかった。風も良くなかった。俺視点からすれば、だ。

ボールは、タイダルウェーブファンが待ち望んだ、あるいは夢見た通りライトスタンドへと着弾しボールの跳ねる音が一瞬にして大歓声へと変わる。


今年久しぶりにプレーオフ進出を決めたチームへ、岡部さんからの置き土産のようなソロホームラン。

大沸きに沸くスタンドから、得点テーマが流れ始めた。

決まっていた事だったろうとはいえ、俺は目のやり場を無くしバツを悪くして頭を掻いた。

2回2安打1失点1三振。残り1という数字を見て自分が何を考えたか改めて振り返ると、驕りを捨てきれていないような気と、結局勝負に徹し切れていなかったような気がして、プロには程遠いなと苦笑いを浮かべる事しかできなかった。

久松の成績(9/12終了時点)

登板数:20 投球回数:37.2 1勝4敗 防御率:4.78

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