9/10 ファーム最終登板
この時期に1軍から2軍に降りてきた選手というのは、基本的にあまり試合に出ない。
ファーム自体、上に比べて試合数が少ないし、そもそも休養が主目的なのでさもありなんといったところだ。
俺はというと、一軍昇格に向け仕上げに取り掛かっている。
十川さんがファームに来た分の投手枠が空くし、何より高卒2〜3年目のヒヨッ子どもはそう長く一軍には居られまい。あ、いや嫌味とかでなく、単純に体力的なあれこれもあるし、課題の発掘など用事が終わったのにわざわざボコボコにされ続ける必要もないので。
さて、今日は2軍戦での最終登板、になる予定だ。
9回表、2点リード。クローザーとしての起用になる。受けるのはなんと篠原さん。大ベテランがわざわざ2軍で試合に出るのかと驚きこそしたが、これほど頼もしい事もない。
「じゃあピッチャー、しまっていくよ」
ややしまらない口調で篠原さんが俺に声をかける。
ボックスにしゃがむと、右打席に立つバッターには目もくれず、すぐにサインを送ってきた。いきなりシンカーだった。
元より首を振る気などないが、試されている気がしてなんとなくおっかない。
「ボォッ」
外遠めに外れたボールを、バッターはあっさりと見逃した。
落ち方は想定通りで、構えたとこからは横に逸れている。
ここの抜け感がきちんと修正出来れば、計算できる球になるだろう。
返球を受け、腕を反時計に回す。そうして一息吐いた後、サインを待つ。ストレートをインローに。
「トライィッ」
外に逃げるボールを見たからか、バッターは避けるようくの字に体を曲げながら見送った。
それを見た篠原さんから同じところにツーシーム、スライダーを要求され、俺はこれを三振に切ってとった。
インのストレートを避けながら見送るという事は、見えてない上にあの辺りを打つにあたって反応がよくない自覚でもあるのだろう。
2球でそれを確信する篠原さんも篠原さんだが。
とぼとぼとベンチに帰る打者を一瞥する。
頭の上の数字は0だった。弱点があり、そこが2軍ですぐバレてしまうような仕掛けとなると、確かに上では厳しいか。
その後もするすると投げ込むことが出来、1回パーフェクト、三振3と最高の結果だった。
シンカーはまだまだ調整がいるが、三振を取る球としてもカウント球としても現状時点で悪くなさそうなのがいい。
そんな風に俺はホクホク顔でチームメイトと勝利のハイタッチを交わした。
「落ち過ぎ」
「ウス…」
ベンチ裏でアイシングをしている為、逃げようにも逃げられない説教を始められてさっきの気持ちなど吹き飛んでしまった。
やはり調子に乗ったり勢い任せにするというのは俺に向いていないのだろう。
「オメーいつスラフォークピーになったんだよォ〜。落ち過ぎたら一軍じゃ振ってもらえねぇって分かってんだろォなァー?」
「ウス…」
「三三振はまぁ、たまたまやね。抜けたり指にかかったりがやっぱブレすぎ。まだまだ安定して使える球じゃない」
「2軍で使えるボールじゃダメだ。1軍で使えるボールじゃなきゃ色々見た意味も甲斐もねぇ。抜けが多いっつーこた、体の開きがはえーか握る力が足りてねぇかのどっちかだ。どっちもな気がするけどな」
こんな感じで、十川さんと篠原さんにガン詰めされる。なまじ修正点を指摘されていて一層口を開きづらい。
「シンカーに関してはそんな感じやな。まぁあんまボコボコに言うとやる気ものうなるやろうし、良かったところを言うたろうや」
「良かったところォ〜?シノさん、ありますか?」
「キャッチャー目線で行くと、最初のバッターに対する攻め方は良かった。サインも予想ついてたみたいやったし、打ち取るイメージが出来てて投げ込んで来れてた。特にバックフットスライダーはほんと綺麗に決まってて良い感じやったよ」
「あー、右に対するクロスファイアはかなり良さげだったな。スピンレートは知らんけど走ってるように見えた。あの感じで左のアウトローに投げ込みゃ大概打てねーだろに、何で対左弱いかね」
「球速やない?左が得意打者って実はアングルじゃなくて得意なストレートの球速帯がそこ、みたいな話なかったっけか」
「左得意な左バッターとかはそうかも知んないっすね。先発やっててもこっちが疲れてスピード落ちてきた時だけやたら打つバッターとかいますしね」
俺が口を挟む間もなく、篠原さんと十川さんが論を交わす。
時たま十川さんが、何々しろ!だとか何々も出来ねぇのか!だとか注文をつけてくる。やるならない出来る出来ないに関わらず俺は今まで通り2文字で返す事しか出来なかった。
一通りフィードバックと余談が終わり、気が済んだのか、十川さんはもっと練習しろ、とだけ言って帰って行った。
これ以上続くと冷やしすぎて肘ぶっ壊れるかもしれんなと思ったところだったので、少し安心したのは内緒である。何せ緊張感があったもので、話を遮るのもなぁと思っていたところだった。
…いやまぁ、気にせずアイシングをやめれば済むだけなのだが。
「篠原さんすいません。アイシングのあいだずっとアドバイスもらって」
「ん?あぁええよ。というかヒサもちょっとびっくりしてない?まぁまぁ急に俺からアドバイスとか受けててさ」
「あー…、えぇ、まぁ。あ!もちろん有り難いですよ!確かに急にではあるなと思いますけど」
俺がそう返事をすると、篠原さんはややあって口を開いた。
それまでの間はなんというか、飲み込みづらいものを食べるような、短いが何度も手順を踏むような重苦しさを感じた。
「新監督から、久松を見てやってくれって頼まれたんよ。あ、そう。俺引退するんやわ」
「え…っ」
そういう間か。
物のついでのように語られたが、そうする他に口に出せなかったのだろう。
二の句を継げない俺には、傍目にあっさりそういう篠原さんの声が遠くから聞こえているように感じる。
「まぁチームには残るんやけどな。ポストの手形も貰ったし、選手として最後にやってもらいたい事って言って久松のレベルアップをと。なんやジブンめっちゃ期待されとんやんな。良いとこで使う言うてたよ吉永さん」
それは知っている。良いところというよりはタフなところで使われるという認識だったが、それはあんまり大事な事ではない。
篠原さんの残った時間を俺に?
まだ、まだ俺は喋れない。
「なぁ、久松。あんま気にすんなや。嫌やったら断るぐらいの我はある。ま、最初は何で久松?って思ったのは事実やけどな?でも、古沢の件といい、吉永さんが買っとる事といい、お前にはなんか、なんかがあるんやろう。どっちにしたって、俺は、ここ数日でお前の素材とか頭の使い方とか見てて、光る所があるのは分かった。だからな」
そうだ。安打数。
篠原さんの残り安打数は。
「残りどんだけあるかわからんけど、引退するキャッチャーを最後楽しませてくれや。期待しとるからさ。お前みたいな球種の多いピッチャー、俺操縦するの得意やから」
1。
あと、あと1本。
篠原京介が引退するまでに、あと1本だけヒットが残っている。
引退、その2文字が浮かんだ時に涙を流せるほどの関係ではなかった俺と篠原さん。
それでも目の前の偉大な選手は俺の肩に手を回し、ぽんぽんと叩く。
軽く叩かれただけながら少し熱をもつそこと、アイシングで冷やした肘先だけしか温度がわからなくなるくらい、俺の頭はぐちゃぐちゃになっていた。
篠原のヒミツ→若手のことを理解するために流行りの音楽を聴いたりする
YouTube shortの回転率と打率が高くてしばらくぶん回してた
中でもオドループを気に入って車で流していたら娘にパパ古い曲好きなんやねと言われてビックリした(2014年リリース)