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グッドバイ・ピッチ  作者: タンバ
1年目(久松プロ4年目)
31/110

9/1 来年度の選手契約を

9月1日の事だった。

年に数度着るかといったスーツに身を包み、篠原京介は球団事務所を訪れていた。

デーゲームが終わった後すぐ汗を流しはしたが、夏の衰えない暑さにうんざりとするばかりである。

幸いにも、通された応接室はそれなりに空調が効いていて、これ以上汗をかく事はなさそうだが。


「いや、いや、お待たせしました。お疲れのところすみませんね」


そう言ってドタバタと、ネイビークロウズGMの扇とその補佐職についている吉永が部屋に入ってきた。


「扇GM。…お疲れ様です。大体予想はついとりますけど、今日はどんなご用事ですか」


篠原はつとめていつも通りの口調で、扇に問いかけた。

銀髪を乱し、汗まみれながらも笑顔を見せていた扇は、その言葉にスッと表情を変える。


「えぇ、えぇ。そうですよね。では、早速本題に入らさせていただきましょう」


腰掛けた扇はふぅ、と一息ついてすぐ切り出した。


「篠原京介選手。あなたは来季の戦力構想から外れるところとなりました。従いまして、私ども京央ネイビークロウズは、あなたとの来季選手契約を結ばない旨を通達いたします」

「…そうですか。わかりました」

「…現役続行の意思についてお伺いしたい。もし来季も現役を続けたいのであれば球団施設を…」

「あー、ありません。今季限りで引退します。なので球団からの支援等は結構ですよ」


分かっていてもショックは受けるものだな、と、呆然とした頭のどこかで篠原は思った。

大学を出て、プロに入り15年。寿命が長くなりがちなキャッチャーとはいえ、考えていたよりも長くキャリアを続けられた。

ケガ、チーム事情、その他諸々。種々の理由で毎年多くの選手がその道を閉ざされる。その順番が巡り巡って自分にもやって来ただけの事、そう思ってはいたが、現実として突きつけられると、瞬間的に割り切れるものではないとはっきりわかった。

だからと言って続けられるだけの力がもう残ってないのは篠原自身も認めているところだし、ゆうべ、スーツで球団事務所へ来るよう電話があった時点で、戦力外なら引退と決めていたところではあったので、そのように返事をした。


「しかし戦力外通告でGMが出てくるんですね。あぁ、普段の契約更改からそうだったからそりゃそうか」

「他の球団がどうかは存じ上げないですが、基本私の口からお伝えしてますよ。特に今年は監督がシーズン途中で休養になってますからね。戦力構造が大幅に変わる関係で、本来構想外にならなかったかもしれない選手もいるでしょうし。そういった方々に誠意を見せるという意味でも、球団の決断に責任を持つという意味でも、ね」


暑さなりで乱れていた髪や息がようやく整ったところで、扇は言葉を継いだ。


「でね、篠原選手。引退試合しませんか?日程は…この辺り。どうです?」

「やっていただけるなら…まぁ、ありがたく」

「良かった」


半ば上の空のように返事をした篠原の言に、扇は機嫌を良くし、扇子をはためかせた。

それを見やって、今度は吉永が口を開いた。


「えー…。篠原選手、この度はお疲れ様でした。私からはお願いがあって、お話させてもらいます」


そういえばいたもう一人の背広組を訝しげな目で見ながら、篠原はどうぞ、と返事をした。


「来週くらいにはブンヤに漏れると思いますが、来季から私が監督になります。それで、篠原選手にはコーチとして支えていただきたいと思っているところなんです」

「コーチ」

「はい、コーチで」

「大変、その、ありがたい事で。あー…。職分はどこになりますか」

「1軍バッテリーコーチか、新設を検討している守備戦略担当コーチですね。嫌でなければヘッドも空いてますよ」


処理すべき情報量が多い。と篠原は思わず、苦虫を噛み潰したような顔を浮かべる。


「情けない話ですが、私はそう特筆されるような選手ではありませんでした。誇れるような実績は…、ある事にはありますが、タイトル取ったとかではありません。その辺りはどうお考えでしょう」

「関係ないでしょうに。それをいうなら私もそうですよ。1000本打つのがやっとやっとの選手でしたし。それにね、打てる選手投げられる選手ってのはやっぱすごいですけど、戦略や戦術に興味のある選手はあんまりいないんですよ。JCBLの監督連中見ても、大抵の人が9回ビハインドの攻撃で、無死一塁からバントしてますよ。そんなもんなんです。だから、実績を問う気はありません。大切なのは、合理性ある思考が出来るかという点です。考えているフリが出来る人は必要ありません。その点、篠原くん。君なら問題ないと考えています。味方を気遣える視野の広さ、守備意識の高さや戦略眼。大局観など、ベンチから聞き及ぶ限り、君のそれは高く評価できるものです。だから、どうかな」


吉永はこの日初めて笑みを浮かべた。

吉永の言葉を耳に入れ笑みを見て、篠原は、やられた、と、そう思った。


「わかりました。そこまで仰っていただけるならお手伝いしましょう。バッテリーコーチでお願いします」

「うん、良い返事をありがとう。それで、選手としての残りの時間、大変悪いんだけど頼まれて欲しいことがある」

「なんでしょう」

「久松くんを見てやってくれないか。来季は彼を良いところで使いたいんだが、殻を破り切れていないようでね。あのままでも私は良いと思うんだけど、本人のメンタル的にもレベルアップするに越した事はないだろうし、どうかな」

「キャッチャー目線からのアドバイスを、という事でよければ」


そうして、三者は誰となしに腰を上げそれぞれ握手する。

一人の選手がその生命を終えるというのに、その握手は力強くそして、充足感のあるものだった。

JCBL=日本中央野球リーグ

用語集にそのうち入れておきます

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