技巧派の訓示
タイトルは変えるかもしれません
9月というのは、Bクラスチーム所属の選手にとってほぼ年末といって差し支えないだろう。
だからこそ、2軍にいる俺でもこういう機会に恵まれる。
「じゃ、十川。とりあえず2〜3球頼むわ」
篠原さんにそう促されると、我がネイビークロウズのエースである十川さんが力強く右腕を振る。
キレよく落ちたボールは、地面、キャッチャーのプロテクターと跳ね回り、ミットを重ねられてようやく大人しくなった。
「こんな感じ。俺はスプリットだと思って投げてっけど、人によっちゃあフォークとも言うだろうな。落差は別にそこまで気にしたことねぇ。あんまり落ちすぎても見られて苦しくなるし、一長一短ってとこだ」
十川さんが、そう言って俺と篠原さんの方を向く。
目測130くらいの速度で放られたスプリットの軌道を脳に貼り付けながら俺は聞く。
「握りはどんな感じですか?」
「こう。スプリッターだから、チョキの形で縫い目に合わせて普通に握る。ツーシームみたいに縫い目同士の狭いとこじゃなくて広い所に指をかけてって感じだな」
十川さんはそう言って握りを見せながらくいくいと手首を動かす。
シーズン終了間際ということもあって、ネイビークロウズでは修学旅行ラッシュとなった。
というのも、投手の大半はタイトル争いに絡んでおらず、また、使い詰めの疲労など考慮されるべき事が多かったので、フロント主導での主力降格が行われたからだ。それ故、俺はこうしてエースの薫陶を受ける事が出来ているのである。
もっとも、篠原さんが仲立ちしてくれなければ実現していないだろうが。
「ヒサお前どう握って投げてんの」
「えーと、中指薬指の間でこれくらい挟んで…」
「お前バカ、こんなお前指もうちょっとさぁ…。ちげーよ!ここ!さっきの俺と同じとこ握んの!んでもって握りが浅ぇ!こう!そう!それで投げてみろ!」
言われるがままに投げる。そして、すっぽ抜けたボールがキャッチャーの頭を越し、ネットに衝突した。
「…よし!オッケィ!」
「いいんすか今ので?」
「良いわけねぇだろタコ!もうちょいちゃんと握れねぇのかよ!握力足りてんのかテメェ!」
そういうと、十川さんは大きくため息をついた。
「…落ち球なんてのはどれも大体理屈は一緒なんだよ。回転数を少なくして、なるだけ低く落としたい。だから指の幅広げたり狭めたりして調節するわけ。もうちょい広げねぇと落ちねぇよ今までの握りじゃ。んでお前、広げたら広げたですっぽ抜けてんだもんよ」
どうにもならんくね?と最後に言って汗を拭う十川さん。
「篠原さん。俺思うんすけど、ヒサに落ちるシンカーいるんすか?落ちるだけならフォークでも良いわけですし、球種もそこそこあるでしょ」
「んー。キャッチャー的にはあったほうが嬉しいね。なんてったってフライピーやからな。ストレートも質は良くなってきたけど軽いし。フォークでも良いっちゃいいけど、左に対して逃げながら落ちてくれてかつ球威が担保されるとなるとやっぱシンカーやんな」
「へー。そこまで考えてサイン出す訳スよね。キャッチャーってタイヘン」
十川さんの問いかけに答えた篠原さんは、昨日より少し落ち着いた色のウェアの埃を叩きながらまた口を開いた。
「久松に関していうなら、そこまでの落差は要らんと思ってる。当たっても良いけど、バットの下っつらに当たるようなイメージ。そうやなぁ、今はボール一個分くらい落ちてるけど、それを2〜3個分にしたいわけやわ。それぐらいが、多分"ちょうどいい"変化量なんよな。全体のバランス的に」
「"ちょうどいい"?」
「あー、ハイハイ!それで俺な訳ね?やっとわかったわ篠原さん。いやずっとなんで俺に見させるワケ?と思ってたわ」
篠原さんの言に、えらく得心したらしい十川さんが篠原さんの後を受けて話を始めた。
「いやおっかしいなと思ったんだわ。左のさぁ中継ぎと俺捕まえてきて落ち球見てやれっていうからさぁ。なんで俺!?って思った訳よ。そういう事そういう事!あぁ、で、本題な?"ちょうどいい"って何だよって話。これは持ち球全体の質と比較した時の表現な」
「持ち球全体…ですか?」
「そう。例えば…そうだな。久松は俺の決め球分かるか?」
十川さんの決め球?そう聞かれるとなんとなくすらのイメージがない。
とはいえ、先輩にわかりませんとはっきりいう度胸もなかったので俺はスライダー?と疑問形で答えた。
「正解は、その時次第。俺ァ投げる時ある程度変化量弄りながら投げてんだ。スライダーに弱い奴相手に三振取りいくなら大きいスライダーを投げれるよう組み立てて行くし、布石も打つ。代わりにつったらなんだけど、めちゃめちゃ良い変化球がある訳じゃない、引き出しでどうにかするタイプのピッチャーなんだわ」
「十川は球種が多くて球速も出る、コマンド力もある、総合力で勝負するピッチャーなんよね。ある意味、久松の完成系と言っても良い。めちゃめちゃ先発向きのタイプ。で、これは言い方アレなんやけどな。こいつもいうてた通り、完成した上で突出した変化球がないんよ。本人も相当悩んで、そこで考え方を一つ持ってきた。引き出し多いなら、ある程度均一な変化量の方がかえって狙い球を絞りづらくないか?と」
要は、無理やり決め球を作るとそれ以外の球を狙われるし見劣りさせてしまうので、ある程度の水準で質を統一しているという事だろうか。
えっ、それで一軍の成績があんな凄いことになってるワケ?この人も随分イカれている。
「そう、だからそういう意味での"ちょうどいい"。相手からしたら絞りづらくなる上、落ちるから振っても当たらない。これが良すぎる、キレすぎる変化球だとハナっから消されるんだよな。打てねぇからって。でも、ストライクゾーンに残りそうな変化量なら振ってくれる。これが俺らのいう"ちょうどいい"」
「久松の持ち球で今1番良さげなのはストレート。軸になるかはともかくな。他の球種については大体ボール一個分くらい変化してる感じだけど、スライダーだけは結構大きめに曲がってる。ボール4つ分くらい?軌道的にも対になるし、シンカーはせめて2つ分くらい落ちるようにしたいところ。そうすると、球質のバランスも取れてくるかなぁ。今度シンカーをスライダーと同じくらいの変化量にすると他のボールが物足りなくみえそうかね」
なるほど、新球習得よりはシンカー強化の方が現状からは考えやすいし考慮する事も少ないか。
「それを踏まえた上でホレ。もっかい投げろ。あと一個分落とすだけだ」
十川さんが、俺に新しいボールを寄越す。
なんだかんだ気さくな人だ。せっかく教えてもらったのだから出来るようにならなければならないな。
俺はそう思いながら振りかぶる。
がしゃん、というさっきも聞いた金属音が再び響いた後、バカタレーッ、と、十川さんの声がブルペンにこだました。
この後俺は鬼ほどしごかれ、シンカーだけを50球ほど投じる事となった。