3打席勝負
室内練習場に、乾いた音が響く。
キャッチャーは津田さんでピッチャーは俺。
津田さんの後ろでスピードガンを握っていた佐多が、142です、と大きな声で言う。
興叡大からニッサク重機を経てプロに入り、4年で引退した津田さんだが、野球エリートと行っていい経歴だけあってキャッチングが上手い。
佐多と対戦前のウォームアップ。彼の実力を信じるからこそ、俺は潰しに行く勢いで投げなければならないと、そう思っている。それ故か、ストレートの走りが休み明けすぐにしてはかなりいい。
「ガッツリリードするけどええんやな?」
「はい。野手転向するほどの才能ある選手なら、僕程度簡単に打ってくれないと困りますしね。我々の目が疑われます」
「…たまにジブン怖いねんな俺。変なとこドライっちゅーか」
「そうですか?」
そんな話をする俺たちをよそに、スピードガンをバットに持ち替えた佐多は、素振りしながらスイングの軌道を確認している。
そして、蜷川監督1人だけだったはずのギャラリーは背広を着た人間が2人ほど増えていた。
…よくよく見るとあれGMじゃね?え?佐多の野手転向の話ってGM案件?
はは、まさか。
「で、ガッツリリードはええけど持ち球は?」
「アナリストでも、そこは本人にちゃんと聞くんですね」
「そらそうやがな。俺らが持っとるデータなんて超極論カタカナと数字の集まりでしかないんやで。もっと言うと1週間間あけた1軍半の選手を受けるなんてお前もうなんもわかれへんもん。あと、データ使う上で大事なのは実証や。回転数2300あるストレートがどう凄いかは、やっぱ実際打つなり捕るなりせな分からんわ。もちろん今回もそれは変わらん。だからこそ、俺は投手の自己申告は捨ておけん事項やと思っとる。要は、認識の齟齬も飲み込んで、よりよい投球をする・させるのがデータを使う、っちゅうこっちゃ。持論やけどな」
「…なるほど。よくわかりました。持ち球ですけど、スラ、シンカー、チェンジ、カーブ、ツーシームは投げられます」
「ほーん。基軸はスラシンカーな訳かいな。スラスプリット構成の亜種みたいなもんやね。シンカーを落ち球扱いするなら、チェンジはそんなに落ちるタイプちゃうな?オーケーオーケー。ちなみにカットは?」
「カットはないです」
「さよか。俺的にはカットあるピーが操縦しやすいんやけどなぁ。構成的にも欲しない?」
「スラ以外はそこまで変化量ないんで実質ツーピッチみたいなもんです」
澱みない会話だったが、ここで初めて津田さんの口が止まり、苦笑いが浮かんだ。
そのあと津田さんが口にした言葉は、聞き様によってはあまり心地のいいものではなかったが、不思議と褒められてるように感じた。
なので俺も卑屈な言葉を照れたように返す。
「ようお前一軍で投げられてたなぁ」
「人の食べ残したイニング食うくらいしか能がないもんで」
目慣らしのため変化球を一通り投げた後、佐多を左バッターボックスに迎え入れる。
ルーティンなのか、2、3ほどバットを回してそのまま佐多は構えを作った。
足はやや開き気味で、スタンス自体は少し狭く見える。トップの位置は高くもなく低くもなく。バットが立つように構え、少しだけゆらゆらと、魚でも誘うかのように揺らしながらタイミングをとっている。
個人的な経験則だが嫌な構えだと感じた。
バットを担ぐように持つバッターは、横から引っ叩くような軌道になるためか、弾道が低くなりやすい。それでも持ってく人はスタンドまで持ってくが。
リスクがつくのはどちらかというと高めで、ボールの高さがそのまま飛距離に乗っかるようなイメージだ。
では、バットを立てて傘のように持つバッターはどうなのかというと、低かろうが高かろうがバットの上っ面にボールの下っ面が乗っかったら終わりだ。よほど良くてフェン直長打で許してもらえるかも?というくらい。
体の回転軌道やら重心やら色々あるのだろうが、10本以上打つ選手は大抵バットが立っている。
そして今相対する後輩もそう構えている。
「(長打あり、当て感よし、イン低めツボあり。イヤすぎるね)」
3打席勝負とは言ってこうなっているが、特に条件を定めて勝ち負けを決めるとは話してない。
勝ち負けに意味があるというよりは勝負そのものに意義があるという感じだ。
ほぼ打撃練習をしていなかった選手が、繰り上げ当選的とはいえ1軍の試合で投げるようなピッチャーを相手に何をやれるのか。
佐多が自分自身に希望を見出せるか。
ゆっくりと、いつもの試合のマウンドのように足元を平す。
地面からスパイクの金を通して反撃が来る。
大したことのない刺激だが、なんとなく、これがないとキャッチャーのサインを見る気になれない。
ピッチングのスイッチを入れて、サインを待つ。
サインはシンカー。コース、イン低め。
思わず目尻が下がる。挑発的だと思った。
佐多のツボがあるコースを掠めてボールにしろということだろう。
好きなコースに通してやるよ、打てるもんなら打ってみなと言わんばかりだ。
ただ、まぁ確かに、好きなコースでしかも俺程度のピッチャー投げる球なら打ってもらわなきゃ話にならんというのもそうであろう。
俺はサインに首肯し、振りかぶる。
1週間ぶりにきちんと投げるが、体は思いの外軽く、デリバリーも想像以上にスムーズだ。
好調時と言って差し支えないだろう。
リリースの具合もいい。狙ったとこには行きそうだ、行った。
強いて言うなら、津田さんの意図としては横に外れて欲しかっただろうが、今回は下に外れた。
佐多のバットからはストライクゾーンからボール一つ分低い程度では逃げきれないらしい。
綺麗にカチ上げられた。
「おーおー、これ外ならスタンドインしてんじゃねぇの」
「横から見る感じボールっぽかったですけどねぇ」
「吉永くんが言ってた通り、フレームが最低限あるからパワーツールの不安はそこまでなさげですか」
蜷川監督と背広組の2人が口々に話すのが聞こえる。
ついでに、佐多と津田さんのやり取りも聞こえる。
「初めて打つんでデータないと思いますけど、僕今ンとこ得意スよ」
「ガッ…キャ〜コノ…。オトナを舐めよってからに…」
ぶっちゃけ先に煽ったのはこっちサイドなので、ちゃんとやられて煽り返されてるだけ。
遊びでもあるとはいえ我々あまりにもダサすぎる。
ただ、遊びでもある故に、2打席目のとっかかりから津田さんは冷静だった。
外目にストレートを要求されカウントを取り、次はカーブで目先とタイミングを変える。
ワンエンドワン。津田さんがサインを出そうとして一瞬止まる。
多分使いたい球種があってそれを俺が持ってないんだろうな〜などと思わず苦笑いしてしまった。話の流れ的におそらくカットボールだろうが。
一つ首を捻り、津田さんが送ってきたサインはツーシームだった。
前の打席で初球を気持ちよくかっ飛ばしただけに、打ち気が強いと見ているらしい。軌道はカーブと反対で、かつ球速はストレート寄り。振ってくるならタイミングは合わなさそうだと思い頷く。
少し外目に外れてボール。際どくないとはいえ、佐多は悠然とこれを見逃した。タイミングを計るのみで、バットはトップの位置からピクリとも動かなかった。
気味が悪い見逃し方だと思いながら次のサインを待つ。同じところにツーシームを要求される。
今度も外れる。佐多の見逃し方には今回も余裕があった。
バッティングカウントであっても狙い球や好きなコースで無ければ見逃すという事だろうか。
カウントは3-1。フォアボールはノーカンでカウントをリセットすることになっている。
津田さんはサッと要求を決め、構えるのも早かった。
外低めチェンジアップ。俺を操縦するキャッチャーは皆、三振を取る時に投げさせるコースと球種だ。裏かき合戦してるのかとも思ったが、というよりは球速帯のみをバラけさせておきたいという意図かもしれない。
とりあえず、津田さんの考えに全賭けし、腕を振る。
チェンジアップ、とりわけ俺が投げるような球速差を武器にするタイプのそれは、腕を振るほど効果が期待できる。
のだが、佐多は明らかにタイミングを外されつつも、ステップ幅を狭くする事で無理やり間合いを合わせ、逆方向へ弾き返した。
仮に守備がついていても三遊間を突破するであろう低い打球を見て、津田さんはマスクを取ったままあんぐりと口を開ける。
「おお、打ち返しますかあれを」
「…素晴らしい。自分が見込んだ選手ではありますが…。目も勘もいい。外にもう一球来る前提で、カーブあたりと速球の両面待ちを頭に入れてなければ対応は無理ですよ」
「いや普通無理じゃねぇか?頭にあったとしてもさぁ。俺ァちょっとこえーよ」
1打席目とは打って変わって、プレイヤーたちは努めて静かに3回目のアクトバットを迎える。
状況は全く違うが、今年先発で篠原さん相手に投げた時のことを少し思い出していた。
左の強打者である駿河相手に外低めを突きまくって最後はインハイのストレート。
過程はともかく、打たれた布石は近しいものがある。津田さんもそこでの決着を狙っているだろう。
いくらなんでもやられっぱなしすぎるので、多少は目に物見せてやりたいところだ。
そう意気込み腕を軽く回して、俺はまた振りかぶる。
3打席目初球は、バックドアでのシンカー。やや甘めに入ってしまったが、ファールで済んだ。
2球目はこれもまた外低めにスライダー。ここまでのアウトロー攻めで慣れてきたのか、佐多はここも積極的に振ってきた。今度は厳しいところに決まっていたのもあり、当てるので精一杯だったようだ。再びファールとなり、3打席で初めてピッチャー有利のカウントを展開できた。
「(さてどうするか)」
追い込んだ。ここからは俺と津田さんがどう打ち取りたいかで配球が決まるが、それ自体は明確になっているので、あと何球布石に使うかが考え所だ。
幸い、決め球になるストレートはそんなに投げてないし、球速帯が近いツーシームは前の打席で使ったっきりだ。
いきなりズドンで行くのもアリだし、チェンジアップやカーブで体感速度を上げるのもアリだろう。
そう考えていると、サインが来る。
チェンジアップだった。俺は頷いた。
前駿河を打ち取った時はスラストレートを外に投げ、そして内に投げ込んで三振を取った。
今回は連続で打っている分、打者の目の慣れもあるだろう。より、外を意識させておいた方がいい。
チェンジアップはしっかりと外側に外れて1-2となった。
津田さんは一度だけ頷き、ボールを投げ返して構えた後、すぐサインを出す。
やはりストレートだった。構えたのもインハイ。
お互いに最上と思える答えが出ている。これで打たれるなら佐多がすごい、本当にすごいと割り切るしかないだろう。
負け犬のような思考だと自嘲し、戒めて投球動作に入る。
あの時駿河を打ち取った時のように。
腕は縦振り。手首は立てる意識で、打者に向かうようにステップ。睨み殺す、そんな勢いで狙いを定める。
そして、その場で体を回転させる感覚で、叩くように思い切りリリースする。
行った。あの時に近い感覚で、ボールは行った。
それでも、ある意味俺の目は正しく、佐多は凄まじい選手だった。
駿河すら打ち取れたストレートに対し、いわゆる被せるような軌道を持って佐多のバットは振り抜かれた。
どんな打球だったかは俺の口からいうまでもないだろう。
「あー、あ。また入ってたろ多分これ」
蜷川監督がさっき聞いたようなことをいう。
多分145km/hは下らない、マックスに近い球速が出たとは思うが、それでも2000本安打が約束されている才能に、今の俺はしっかりと打ち砕かれたのだった。