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グッドバイ・ピッチ  作者: タンバ
1年目(久松プロ4年目)
23/110

8/8 ミニキャンプ③


「ゲェーッ蜷川監督」

「ゲェーッ、ってなんだよ津田お前ェよ。俺のこと嫌いか?」

「い、いえそんな事は」


思わず、というに相応しい津田さんの声に、蜷川監督は冗談めかしてそう言った。

津田さんに取っては間が悪く、佐多にとってはある意味間の良い事かもしれない。

恐縮し切った引き攣り笑いを浮かべつつ汗を垂れ流している津田さんと、いつも通り豪快に笑いながら彼と肩を組もうとする蜷川監督をぼっと眺めながらそう思った。

それはそれとして俺も言い訳なんか考えとかないとかなぁ。


「嫌いじゃねんだろ?じゃあそんなツラしなくてもいいじゃねーかよ。興叡大学OB同士仲良くしようや〜」

「い、いやその、僕は興叡出いうても蜷川さんほどの成績やあらへんので…恐れ多いっちゅーか」

「あー?何つまんねー事言ってんだ?OBってのは兄弟みてぇなもんだよ!成績とか関係なし!」

「そうはいうても30は離れてまっせ…」

「え?ほんと?津田いくつ?あ、俺63ね」

「知ってますよ…。僕は今年34ですね」

「そーなの?見た目結構行ってるように見えるけどなぁ。つうかよぉ、お前その歳でその髪色とヒゲはやめた方がいいんじゃねぇか?」


蜷川監督がとめどない口撃で津田さんをボコる。

しかしまぁ、出身校というのは繋がりであったりコミュニケーションのとっかかりとして結構大きいのかなぁなどと呑気に考えた。津田さんが死んだ目をしているのは見なかった事とする。

かたや60代の育成現場責任者で、かたや30代の裏方兼データ処理担当者。

ジェネレーションギャップ、実践と理論などで対立する要素はいくつか思い浮かぶのだが、少なくとも今シーズン中、2人からはそれを感じる事がない。本人たちの人格による所も大きいのだろうけど、それでも溝が発生していないのは、共通点があり先輩後輩の関係が構築されているというのも一因といえるかもしれない。

今目の前で発生しているやりとりはまぁその、ちょっとパワハラぽいが、おじさんとおじさんがじゃれているだけだし。それはそれでキツいか。キツいな。


「で、これは何?遊び?」

「遊びです。僕がやらせました」

「え、久松お前何いうとん」


蜷川監督の問いに、俺はいち早く答える。

津田さんの発言権は、佐多が本当に野手転向を望んだ段で初めて意味を持つだろう。その才能に太鼓判を押せる球団構成員は今のところ彼1人。

ただでさえハードルが高いだろう野手転向について、本人の意思も定まらず、現場人員への興味を惹く必要もまだない状況で、このカードを切るのは早いと考えた。


だからこそ、先輩である俺の強要(という事にする)であり、あくまで遊びという形にして強調しておく必要があるはずだ。

佐多が投手を諦めたいと思った時に初めて通す意義のある札として、津田さんには立ち回ってもらわなければならない。

もっとも、津田さん本人が動揺しすぎてボロが出ているのだが。

どだい無理があるのは承知の上だ。アナリストの口から突飛なテストを行ってましたなんていうより、しっちゃかめっちゃかな話だとしてと俺が色々被った方が後腐れなんかもないだろうし。


「なーにいってんだか。お前みたいな、全部自分のせいですって辛気臭ぇツラして投げるタイプのピッチャーが、後輩に何かを強要するわきゃねぇだろ〜?だぁれ庇ってんだよ。つうかこんな遊びで怒らんさ俺ァ」


そんな俺の目論見を鼻で笑いながら蜷川監督はそう言った。


「すんません!僕が打ちたくなったので打たせてもらいました!色々測ってたのは遊びが高じてお願いしただけです!」

「だからい〜んだよ別に。よう振れてたじゃねぇか、なぁ」

「あざます!」

「おー、佐多お前エラい元気いいな。投げてる時もそんな感じで出来たらいいんじゃねぇか?」


そんな風に水を向けられると、佐多はばつが悪そうに苦笑いした。


「おいおいンな顔しちゃうか…。うーん、しゃーあんめぇ。な、3人ともちょっと監督室で話そうや。どっちにしても佐多と久松にゃあ話してぇこともあったんだ。津田は…まぁ、とりあえず知ってて損はねぇだろうし佐多の扱いについて相談できるやつが欲しかったから、道連れになってもらおう」

「勘弁してくださいよ〜!ごっつめんどいやつやないすかそんなん!よう聞かんで~!」

「うるせぇな〜!お前勝手に測ってたんだろがよぉ!フロントに喋ってやろうかこれ!」


そう言われて大人しくなった津田さんと佐多と俺は、監督の後について行く。

監督室は選手寮の一部屋(8畳一間)よりも少し大きかったが、机や資料棚が並ぶ中、4人座るには少し手狭に思えた。


「古来密談は茶室に限るってな。昔の人ぁ、狭ぇ部屋で色々話をしたんだと。それにならって内緒話といこうじゃねぇか。まぁ出るのは茶じゃなくてコーヒーだけどよ」


人数分のコーヒーを淹れ、卓に着いた監督がそう言って豪快に笑う。

密談には似つかわしくねぇなあとか思ったのは内緒だ。


「内緒話はええんですけど佐多の野手転向云々って事ですよね?久松はいるんですか?あぁいや、出ていけとかそういうんじゃなく」

「かまやしねぇよ。久松にだって話はあるしな。つうかな?お前が1番蚊帳の外のはずなんだぞ津田よぉ」

「ほな帰らしてくださいよ〜」

「ダメ。もう逃げらんねぇから。あ、それでな?早速話入るけどな?佐多の野手転向がどうのって言ってるけどよぉ〜。佐多的にはどうなんだ?ドラ1ピッチャーな訳で、歴も浅かぁねぇだろ?拘りとか…あるんじゃねぇかなと思ってな。ピッチャーとしてやってく上で不安とか悩みがあるなら話してくれんか」


蜷川監督の問いに、佐多は少し間をおいて答えた。


「まず、野手転向とかは頭になかったです。今回のはほんとに純粋に遊びで打ちたかっただけです。…ただ、ピッチャーとしてやってく、って話になった時に不安や悩みは正直すごくたくさんあります」

「…話してみ?」


促されるまま、佐多は以前古沢さんと話した事を蜷川監督にも伝える。

その間、蜷川監督はじっと佐多の目や仕草を見ながら、時折相槌を打ち聴いていた。

一通り佐多が話すと、今度は蜷川監督もにわかに間を置いて口を開いた。


「佐多についてはな、こないだ古沢から連絡があったんだよ。見たところフィジカルは強いけどメンタルがかなり来てる、ってな」


蜷川監督は自前のスマホを取り出し、手首を振ると、そのまま続ける。


「遊佐については去年処分があった通り。まぁ、処分ったって表向きは契約満了による退団だけどな。…俺が言えた事じゃねぇんだが、遊佐がいなくなったからっつって話が終わったわけじゃなかった。ファームスタッフのケアが行き届いてなかったって事だ。佐多、申し訳なかった」

「いえ、そんな。蜷川監督やコーチには良くしてもらってましたし…。単に、僕が自分の能力をもう認められなくなったってだけですから」

「…俺なんかが野球やってた時代はよ。150出せるやつなんてほっとんどいねぇ、球速が才能だった時代なんだ。価値観をアップデート出来てねぇオヤジだと笑われるかもしれんけどな。そんな俺からすりゃ、佐多。お前は才能の塊だ。体が出来りゃあ155は余裕で出るだろう。先発ないし中継ぎで1軍定着は充分にありうると思う。俺の見立てでは、あと2年あればモノになる。ケアが至らなかったこっちが言うのは筋違いだが、諦めるのはまだ早いぞ」


監督室に沈黙が流れる。

蜷川監督の見立ては間違ってはないのだろう。

体の完成に半年、フォームなどの定着に半年、球種の拡張に一年と見れば筋は通る。

問題は、2年待ってでも佐多が投手を続けたいと思っているかだ。

当事者でもないのに浮き出る汗を拭っていると、佐多が津田さんに声をかけた。


「津田さん。アナリスト的に僕というピッチャーはどんな選手なんですか?」


これまでの経験故なのかはわからないが、この場でアナリストにこんな質問を出来るということに凄まじさを覚えた。

自らの評価を済ませている人間が、なおも他者の目と知見を以って整合を取ろうというのか。

そしてそれを上長にぶつけて論を交わす覚悟があるというのか。

自らが何者かわからない俺には、佐多の言が恐ろしく勇ましいものに思えた。


「…あー、まぁ、その。あくまで現状は、って事やけど。球速のポテンシャルはある。それ以外はあんまりって感じやな。2軍戦ベースで空振率は年々微悪化してて、奪三振も多くはない。直球も変化球も、数値は年々悪くなってるしな。完成形も、安定感のない荒れ玉ピッチャーになれるかどうかってところで、アナリスト的にはあんまり芽のある選手ではないと評価せざるを得んちゅーとこやね…」

「ありがとうございます。…監督、津田さんが仰ったことは僕の肌感覚とも一致します。野球が嫌いになった訳ではないですが、正直、プロのピッチャーとして生きていくのは、息苦しさを感じているのも事実です」


佐多がはっきりとそういうと、蜷川監督は苦い顔をして後ろ頭を掻いた。

そのまま何か言おうと口を開けたが、それを遮って佐多は続けた。


「とはいえ、さっきからちょくちょく出てくる打者転向の話も、唐突というか…。津田さんが言ってくれた評価で僕も諦めが着いたところではあります」


俺は思わず目を剥いて佐多を見やる。

すると蜷川監督が手のひらを前に出し、まぁ待てよ、と言った。


「そう慌てんなや。佐多、お前の気持ちはわかった。ピッチャーは厳しいと、通用しないなら諦めると、そういう事だな?それはそれでいい。だけどよ内緒話がまだじゃねぇか」

「せや、結局それなんなんすか」

「1人いるんだよ。佐多を来年からショートに回したいっていう奴が」

「…ショートにですか?」

「そーなんだよ。そいつぁノック見てショート出来るって思ったらしい。打撃はよ?って聞いたら、甲子園のバッティング見るに行けるでしょう、だって。まぁ俺もさっきのアレみたらあながち、とも思うけどな」


切り替えたのか、重苦しい口ぶりからいつもの感じに戻った蜷川監督がそういうが、佐多の顔は固い。

話についていけず困惑しているのもあるだろう。


「あれは、遊びですよ。評価してもらえるのは驚きましたし嬉しくはありますけど…。久松さんのボールだって100キロ出てるかどうかって感じですし、通用するとは…」


未練があるのか、それとも与太話を急に振られたと思っているのか、迷うように佐多が答える。

その姿がとても苦しそうに見え、俺は思わずこう言った。


「通用するよ。佐多は打てると思う。わからないなら試せばいい」

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