8/8 ミニキャンプ①
俺は登録抹消されたあと、完全オフを3日もらい、今日は朝からこうして2軍のグラウンドに出てきている。
俺と佐多の代わりには、十川さんと岸和田が上がることになったようで、休みの間に2人ともロッカーを綺麗に片付けて行ったらしい。
一軍にいたし、なんて驕れる立場ではさらさらないので、集合時間より1時間早く来たのだが、それよりも先に来て道具の手入れや個人で出来る練習をやっている選手がちらほらいる。
俺より年下の選手が多く、皆朝からしっかりと汗を流しているようだ。
やってるなぁ、と思いつつ俺は軽めのストレッチと荷物整理、そして道具のメンテナンスに時間を使うことにした。
ガッツリとしたアーリーワークは、地力がつくだろう反面、その分自分の課題や実力について詳しくなければリスクになる。
間違った自己認識を持って行う練習は長所を消し、短所を増やす。
威張っていうことじゃないが、俺は自分の事を理解出来ていないという自覚がある。だからこそ、早出したとしても軽い運動や作業にとどめ、負荷を掛けるのはコーチや監督などの客観的な視点が入る本練習からにするべきだと考えて、頭と体を起こすのを優先することにした。
スパイクの細かい汚れを落としたり、グラブを磨いたりするような細かい作業はそんなに頭を使わなくていいのがありがたい、などと考えていると声を掛けられた。
「おはようございますヒサさん」
「おう佐多か。おはよう」
気さくに挨拶してきた佐多が俺のグラブを見にしゃがみ込む。
「手入れスか」
「そそ。最近あんまやってねぇな〜って思って。頭起きてねぇから軽めの作業で刺激してんだ」
「体動かしたりとかはしないんです?」
「そうだな。今日暑いし。一軍で何が良くなかったのかを改善をしたいのはあるけど、仮にそれやるなら、コーチとかから指摘してもらって頭まとめてからの方がいいかな〜と思ってる」
役に立つかは分からないが、自分が何を考え、何をしているかを佐多に話す。
あくまで俺のルーティンみたいなもの、ただそう呼ぶにはあまりにも試行回数が足りてない思いつきの産物だから、取り入れないのはそれはそれで構わないとは思う。
そう考えながら言葉を切った。そういえば少し賑やかしくなってきたような気がする。集合時間が近づいて人が増えて来たのだろうか。
「なんか盛り上がってんな」
「高校野球じゃないスか?昨日はじまったとかじゃなかったですっけ」
「そうだっけか。自分が出た事ねぇからあんま興味というか見る気があんま…。そういや佐多は結構いいとこまで行ってたよな」
「ベスト4まで行ったっス。三振いっぱい取れたしホームラン打てたしで楽しかったっスねぇ。まぁ準決勝は6回6失点して負けましたけど」
佐多はそんな風に言って笑う。
実績的には結構すごいのだが、本人はどこか淡白だ。
「ホームラン打ったのか。すげぇな」
「インコース低めをクルンでカツーンってしたら行きました。ちなみにヒサさんは甲子園は?」
「出てねぇ出てねぇ。愛媛大会の2回戦で弾き返されたよ」
俺は彼と比べるべくもない実績を笑いながら話す。
130そこらしかでないヒョロヒョロの左腕がのされる程度には地方大会も甘くない。
佐多はまぁそんな事もありますよね、と流し、近くのモニターを指差した。
「福井英林と戸塚がやってんですね。福井英林は強豪ですけど、戸塚は公立なのかな」
「公立っぽいな。神奈川って相州学院のイメージあったから意外だわ」
そんな話をしていると、福井英林の打者が右打席に立つ。
二死満塁、4回裏、両チーム得点なし。
戸塚のピッチャーが大きなスライダーを初球に放る。
バッターはそれをつまらなそうに見送り、マウンドの上を一瞥した。
「こいつ、打ちそうだな…」
「雰囲気ありますよね」
次に投じられたのはストレート。145km/hを掲示したそのボールを見て、今度は少々興が乗ったような顔をした。
その後、スライダーで3球勝負に来たが、バッターはそれをこともなげにカットしてみせる。
そして4球目。酷暑の中、消耗を避けるという意図もあってだろうが、アウトロー、ややボール気味ではあるものの、厳しいコースに投げ込んできたストレートを最も簡単にライト線へ叩き返した。
「マジかよ…。今見ましたかヒサさん」
「見たよ。やべぇなこいつ。反応も当て勘もすげぇいいじゃん。誰だれこれ。名前と守備位置は?」
「堀江秀くん、ショートらしいっすね。当て勘もそうですけど被せ気味の軌道から乗せてますねバットに。読み勝った上でカチ上げずにツーベースにしたんじゃないです?」
「暑さとランナー塁上に置く負担での疲労考慮でか?ありうるけどそこまでやる必要がない気もするが」
「高校野球は折れた方が負けですし、やっぱ折れるのもボロ出るのもプロに比べたらめっちゃ早いですよ」
そう言った途端だった。
二塁上にいた堀江があっさりと三盗。
キャッチャーは投げられず、振りかぶったところで悔しそうに動作をやめた。
「えげつねぇ〜」
「これドラ1あるんじゃね?個人的に打撃ツールは大学生とか社会人に混ぜても遜色なさそうだ」
その後、すんなりと追加点。どうも、佐多の見立ては正しかったようで、後続が更に2、3続いた。そんなところで、俺は名残惜しさを抱えつつもテレビから離れる。
「いや〜やっぱ久々見るとこう、思い出すもんがありますね」
「そうか?あぁ、まぁそうか。俺はあんまりそういうのはわからんなぁ。惰性でやって来たから」
「ウッソーと思いましたけどヒサさん確かにあんま楽しそうじゃないっすもんね野球してて」
「デケェ大会出られるほどじゃなかったからな。大学の時くらいかな全国規模の大会出たの。あれほんとよう出れたわ。あれ出られてなかったら俺今頃留年してたかもしれん」
「野球と留年なんか関係あるんですか?大学ってそういうスポーツ系の実績ないと進級出来なかったり?」
「いやないよ。俺、就活失敗しててな。公務員系目指して県庁とか市役所とか色々受けたんだけど全部落ちてさ。最悪5年生やって就活もう一年するかとか思ってたんだけど、なんかスカウトから声かけられた事あったし、ダメ元で出しとくかでプロ志望届け出したらまさかの指名アンド支配下よ。ありがたかったけど、まぁ…。プロはプロでしんどいよなぁって感じ」
思わず乾いた笑いが出る。
プロ4年目まで生き残ることは出来ているが、トータルの稼ぎは良いわけではない。
なんだかんだ、ここで踏ん張れなければ人生まだまだ安定してるとは言えないのが苦しいところで、そんな風に考えると先が思いやられる。
「いやぁでも、それでプロになってるんだからすごいっすよ。しかも一軍で投げてますし」
後輩に気を使わせてしまったようで、少々情けない。
ただまぁ、佐多がこれまでよりも、なんというか無邪気に接してくれているようで、なんとなく打ち解けられた感じがするのは良いことだろう。
などと考えていると、佐多は屈託のない声で続ける。
「なんか、初心に帰れたっす。高校で野球やってる時はなんとなく楽しかったし余裕もあったなぁって思い出しました。今はこう…、自分を追い込んでしまって、悪い意味で考えすぎてた気がします。それに、ヒサさんに話し振った時なんとなく思いました。プロクビになったら終わりとか思ってたんですけど、それで死ぬわけじゃないし、変なハナシ、大学はいつでも行けるんだからクビになってから次を考えればよくねぇかって。そういう風に考えると、追い詰められるように野球しなくてもいいよなと」
お。なんかよくわからんけど良い傾向だ。
正直、俺の情けない失敗談なのだが、それで元気を取り戻してもらえるならまぁ安いだろう。
「開き直ったか」
「そう、そうですね。どうでもいいっていう訳では全然ないですけど、もっと気楽にやっていいんじゃね?みたいな気持ちです」
「いい事じゃん。野球を楽しむ、って事に関しては色々やり方あるだろうけど、どんな選手になりたいかとかも一緒に考えてみるといいかもな。野球のどの部分が好きか、とかそういうのも含めて」
「ですね。でも後半のアドバイスヒサさんがいいます?このチームで1番野球楽しくなさそうですよ」
「やかましい」
少し明るくなった後輩に痛いところを突っ込まれて形無しの俺は、軽く彼の頭を小突いた後、無聊を慰めるため磨きたてのグラブをぱんぱんと叩いた。