7/28 移動日前日③
色々あり少し投稿が遅れています。
2000本安打。
プロ野球において打力と選手自身の稼働率の高さを示す大記録の一つだ。
早くても10年はかかるそれに手が届くのは、超一流選手の、そのまた上澄みのみ。
現代野球においては、ツープラトンの採用と投手能力の向上、若手選手の起用方針の変化などによって、より洗練されたプレイヤーのみが到達できる高みといえよう。
そんな大器が、今俺の前にいる。
ピッチャーは花形だ。
こと本邦においては投手、特に右利きは身体能力が高いものを置く傾向にある。
積んでいるエンジンの強さやスタミナ、柔軟性、体の大きさからくる拡張性などなど。
真っ直ぐイコール速いボールというのが基本となる以上、その速いボールを投げられる選手が追い求められるのは自然な事だろう。
そう考えると、佐多も高い身体能力を有している可能性がある。
別におかしな事では…、いやそうじゃない。
2000本打つ予定のやつならもう1人いる。
池田公正。
大卒捕手でありながら並外れた打力を有する同期の同僚だ。
いやいや、同時期に同チームで2000本打てる奴が2人も存在するものか?
臥竜鳳雛ではないが、そんな強打者が2人もいれば優勝してしまう。
優勝、そんな言葉に篠原さんや古沢さんの顔が頭をよぎる。
2人とも選手として残された時間は長くない。
点の取り合いで負けているネイビークロウズにとっては、優勝を考えた際の最高のピースが、不世出の大打者であるのは間違いないだろう。
と、ここまでは佐多が転向してくれる前提での話になる。
繰り返しになるがピッチャーは花形だ。
これが好きだから野球をやっているなんて選手はごまんといる。
そもそも、佐多が野球をする上で何が好きでどんな選手になりたいかを俺は知らない。
それに、彼がピッチャーの才能がないとも言い切れない。佐多の体が出来上がれば成績が上がる可能性だってあるだろうし、先発に向いてないだけかもしれない。というか、150出せる時点で馬力があるのははっきりしているわけで。
つまるところ、本当に俺は佐多のことを理解出来ていない。
そんな人間に、お前打者の才能あるから転向した方がいいよ、などと言われて素直に頷けるだろうか。
俺の妙な能力に関しても正直懸念がある。
田坂の時、一本打ったら数字が減ったように、カウントダウン方式であるのは間違いないが、それがあくまで現時点での可能性を示しているだけなのではないかと考えているのだ。
極端な例を言えば、俺が今この場で野手転向を進めなかった場合、佐多の数字がいきなり0になるかもしれない。いやしかし。
などといくら考えても、結局俺が放つ言葉には、佐多の都合が入らない。
何か声かけするならば、もっとこう、当たり障りのないというか、迂遠に迂遠を重ねるようなことを言わなければならないだろう。
「久松はどう思う?」
最悪のタイミングで古沢さんが水を向けてきた。
何もまとまっていない中、俺はあー、とか、うーんで時間を稼ぎ、声を絞り出した。
「いや、その、なんか…。野球、楽しいか?今」
本当に最悪だ。
タイミングも問いかけの内容も何もかも良くない。
上手くいってないのに楽しいわけないだろバカか俺は。
というか自分自身大差ない状態じゃねぇか。
言ってしまった言葉を飲み込む事はできないので、とにかく俺目線で佐多に寄り添える事はないか考えつつ話を続けてみる。
「いや、楽しくないんじゃないかと思うよ、実際。佐多は今年切られるんじゃね?って思ってるみたいだけどさ、俺自身もそうなんだよな。切られそうだなって思いながら今シーズンずっとやってきてる。地方大卒のドラ7で、一軍で投げさせてはもらってるけどそこまで稼働も成績も良くない。成績も伸びないし、プロの世界に入ってから楽しいと思って野球やった事ねぇし。多分佐多もおんなじような感じで、プロ入ってからずっと苦しい苦しいで来てるんじゃないかなぁと思う」
ありがたい事に、佐多は黙って俺の話を聞いてくれている。
中身のある話にできるかはわからないが、こういう姿を見ると、少しでも楽にしてやりたいところだ。
「ここひと月くらいは、古沢さんに色々教えてもらったり篠原さんと組ませてもらったりして、色々見えてくるものがあったんだけど、それまでは自分の長所ってなんだろうな、ってずっと見つけきれずにいたんだよな。そう、そういう意味では先発して視野が広がったというか。苦しい苦しいでずっと同じ事やったり同じ立場にいるよりは、一旦別の事してみるのもいいんじゃないかとは思う。野球からちょっと離れてみるのだってアリだ。あ、アレな。辞める辞めないとかじゃなく、な。先発じゃなくて中継ぎやらせてもらったりとか、ミニキャンプで試合から離れたりとか」
いかんまぁまぁふわっとしたことしか言えん。
偽らざる言葉ではあるのだが、いかんせん独力で現状まで持って来れたという自覚が持てないので、あんまり具体的に何しろというのが言えなかった。
心の中でヤッベーという顔をしていると古沢さんがなるほど、とか言い出した。
「直裁にいえば、頭の整理をする時間を取ったらいいんじゃないかって事だな」
やっぱ余裕がある人は違うなと思った。
スマートかつわかりやすくしてくれて本当に助かる。
佐多の心に寄り添った言い方の方がいいと考えて具体例を色々言おうとしたが、分かりやすい方がいいのは、そうだ。
「時間がない、後がない、って考えるのは分かる。でもだから何かしなきゃって焦り続けても何したらいいかわからなくなるだけだ。これ以上とっ散らかる前に自分のこと、周りのこと、整理できる事は整理して取り組んだ方がいい」
とりあえず古沢さんのフォローに乗っかり、俺の意見として結んでしまう。
佐多は少しだけすっきりとした顔で、はい、と頷いた。
こんな話でよかったのだろうか。
翌日、佐多の2軍落ちが公示され、それはそれとして、俺も次の先発登板後2軍に落ちる事が三渕さんから伝えられた。
人のことを気にできる立場ではないが、相談に乗ったりした手前、佐多を放っておく事にはならずに少し安心した。