フランチャイズプレイヤーの最期
京央ネイビークロウズを率いる藤木将輝は、かつて名投手だった。
現役の20年間を全て先発として生き抜き、通算勝利数は204を数える。
8年前に引退し、間をあけたりしながら解説者1年、2軍監督1年、1軍投手コーチ1年を経てネイビークロウズの1軍監督に就任した。
球団一筋20年あまり、生え抜きでしかも超一流格の選手が監督になるのを、ファンが歓迎しないはずがなかった。
球団側からの期待も当然大きく、就任直後に大型補強を敢行するなど全面的なバックアップを行い、久方ぶりの優勝を見据える。
1年目は3位とゲーム差なしの4位。
ファンもフロントも就任初年度故に仕方ない事だと考えた。実際、藤木の能力以前に頭抜けたチームがいたのも事実だ。
2年目、シーズン通して最下位争いが関の山で、終盤には出ずっぱりだったレギュラー陣が軒並み調子を落とし、最終的には上と離されてのブービー。
このあたりで藤木の手腕に疑問符をつけるもの達もちらほら出ていた。更にその空気に拍車をかけるフロント刷新。真綿で首を絞められるが如く、藤木の球団に対する影響力は小さくなっていった。
そして、現在3年目。ネイビークロウズは優勝するどころか現在最下位をひた走るほどに低迷している。
球団の象徴とまで言われたかつてのフランチャイズプレイヤーは時を経て、チームを崩壊させる最低のマネージャーと呼ばれるようになった。
原因は過度な固定起用と負けず嫌いにある。
どの試合にも全力全開、勝ちを取りこぼす事を極端に嫌がり、結果、信頼を寄せる選手ばかりに出番が偏って、その出ずっぱりの選手達は疲労が溜まってパフォーマンスが落ちるという悪循環に陥っていた。
更に、今シーズンはコーチやスコアラーの進言にも耳を貸さなくなって来ている。
もはや軌道修正をかけられるものは現場に居なくなっていた。
「休養しろと?たかだか借金13で?」
不機嫌さを隠さず、藤木は横柄に言う。
扇はそんな藤木の態度を気にも留めずにこやかに言った。
「たかだかと仰いますけど今に自力優勝なくなりますよ?それに借金13で、なんて軽く言われますけどね?一昨年6、去年は18もあるんです。3年通算37ですよ、借金。で、この様子だとまだまだ増えるでしょ?負けすぎ負けすぎ」
暑いのか、扇は顔を手で仰ぎながら笑う。
整えられていたであろう銀髪がにわかに崩れていたが、これをかき上げて再度整えた。
「休養はしない。何の懸念があって負け星を数えてるのか知らんが投打ともに上がり目はある。明日先発で佐多を投げさせて、野手は伊丹を下げてルイスを上げる。佐多が持たなかったとしても久松を接続して投げさせれば8イニングはいけるだろう。ルイスにセカンドをやらせる事で守備力は多少落ちるかもしれんが、これで打ち合えるだけの攻撃力は確保できる」
「ハッハッハ…。本気で仰ってます?佐多君は伸び悩んでて、とてもじゃないですが1軍で投げるのは厳しいですし、バックアップさせるつもりでいる久松君は今日106球投げてますよ。明日も投げるなんて彼を壊す気で?ルイスに至っては一昨日骨折しました。明日の便で帰国する予定ですよ。ファームレポート読んでないんですか?」
扇の言葉に藤木は目を丸くする。初耳だったらしい。なんにせよチームを運用する立場でありながら知らなかったは通用しないのだが。
「まぁもういいんですよ、ファームレポート読んでないってのは。でね、藤木さん。これ見てくださいよこれ」
扇が差し出したのは2通の封筒だった。
辞任願と書かれており、2軍監督蜷川周雄、1軍投手コーチ木造正児の名前が記されている。
「これは」
「お辞めになりたいそうです。困ってるんですよほんとに。まだ戦力整理のリストが出て来てない中で育成現場のトップと運用担当がいっぺんにいなくなるなんてたまったもんじゃありません」
「何故蜷川さんと木造が?理由は」
「お読みになったらよろしいじゃありませんか」
扇から封筒を受け取った藤木は、蜷川の辞任届から手をつける。
そこには、育成の現場責任者として成果が出せていないこととファームに落とされた選手達の再戦力化がうまく出来なかったことを理由に責任を感じ辞任したい旨が書かれていた。
藤木は一度扇を見やって、すぐ木造の辞任届を読み始めた。
木造の辞任届には、選手の離脱数が多いこと、復帰した選手を復調させられていないこと、シーズン通しての運用にあたり上記の状況から選手に負担をかけてしまっているのではないかと考えたことを理由に職を辞したいと綴られていた。
2通読み終えた藤木は、片眉を上げながら扇に問いかけた。
「後任は?2人の意思が固くて決まっていないのなら、アテはあるが」
「決まっていませんよ。あぁ、推挙は結構です。引き留めが基本線ですし、何より我々が辞めさせたいのはお二人ではなくあなたですから」
「何?この2人の辞任と俺の進退は何も関係がないだろう」
「大アリですよ。選手起用の偏重、昇降格の通達方法、高負担の運用が問題とそれぞれからヒアリングさせてもらいました。多少好みが出るというのは理解できますが、度がすぎていますね。
どちらにしても、球団として大事な選手達を消耗品のように扱われては困りますから」
キャリアや年齢が上の藤木を相手に、扇はGMとして一歩も引かず言葉を叩きつける。
偉大な野球人に対する畏怖はあれど、この惨状を咎めるのに何も関係はない。チームの未来のため、球団史に名を刻んだ英傑の野球人生をここで必ず終わらせる。
その為にOBどもへの根回しもしたし、昨年末の組織改変にも乗っかった。
指先には痺れが走り、震えそうな体を強張らせなお、扇は言葉を続ける。
「藤木さん、もうこちらもお支えできませんよ。一年目にあれだけ補強しても二年連続でしっかりコケて…。今年どうにか手綱を握って折り合いつけようと思ってアナリストの権限強化までしたのに言う事聞いてくれなかったんですから。酷使で選手壊すし。現場にも球団にもあなたの味方を出来る人はもういません。せめて若手を戦力化するなり出来ていれば引き継ぎが楽でしたのに」
扇の言に、藤木は元々隠していなかった苛立ちを強めて返す。
「確かに補強についてはそうかもしれんが、戦力化ならしてるだろう。今日出したやつなら池田とか久松だってそうだッ」
「あのねぇ、池田君なんて育てたうちに入らないんですよ。ドラ1クラスの即戦力かつ伸び代ある打撃型捕手だったのが、たまたま守備評価が低くてうちの2位に残ってただけなんです。ほっといても勝手に打つようになってましたよアレは。久松君に関しては敗戦処理ばっかりさせてるじゃありませんか。ごくたまーに左へ当ててる時もあるみたいですけど。実力が足りてないのを無理に使ってるだけでしょう。というかその久松君こそ池田君を大学野球選手権の本戦で抑え込んでたんですよ。それが今じゃ、伸びるどころか劣化すらしてるじゃありませんか」
「そういう選手を死蔵させないよう戦力として試合に出してるんじゃないか」
「それは戦力化なんて言いませんよ。競争のラインにすら立たせていない選手をどうして成長させられるんですか。ただの使い捨てにしてるだけですよ、あなたのいう戦力化ってのは」
「だとしてもだ!ピッチングにしろバッティングにしろ出来ないやつが多すぎる!ストライクを取る!フォアボールを出さない!打てないならバントを決める!進塁打を打つ!そんな奴をどうやって使えと言うんだ!」
扇は今ありありと、藤木の資質のなさを感じている。
ここまで言っても分かってくれないのか、と、かつて憧れた存在に改めて失望しながら、次を最後のやりとりにすると決めた。
「もうよろしいでしょう、藤木監督。あなたに無期限の休養を言い渡します。今シーズン終了まで1、2軍および育成選手との接触を禁止し、その他、指示があるまで球団施設への入構を固く禁じます。詳細についてはのちほど書面で」
「待て!借金20…いや15とかならまだわかるが!こんな中途半端な…」
「借金の数だけで人事の目玉を動かすわけがないでしょう。総合的判断です。ご理解下さい。では」
背を向けた扇を引き留めることは叶わず、藤木は立ち尽くす。
腕一本でかつて球団を支えた名投手は、その腕を持って球団を半壊に導いた後、ついぞユニフォームに袖を通す事はなかった。