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グッドバイ・ピッチ  作者: タンバ
3年目(久松プロ6年目)
100/108

2/1〜 春季キャンプ⑥

クールが進むと実戦的な練習というのは当然増えてくるが、それはB組でも変わらない。

開幕を見据えてエンジンをかける者もいれば、いつ戦力になれば良いかを見極めた上でスロー調整をするこなれた者もいる。


立場が変われば意見や行動が変わるのは自然なことで、俺自身は後者だ。

無論、危機感を捨て去った気はなく、正直気が気でないのだが、とはいえ無茶をできる時期や状態でないのもまた事実。大人しくしていることにした。

それにもし、十川さんの怪我に伴う離脱が発生するのならば十中八九今シーズンだろうし、その大波は間違いなく投手序列と構造を大きく変えるうねりになる。こう見えて、1番後ろを任せる候補の一人に入る程度には信頼を得ているので、なおさら離脱リスクは回避する必要がある。


そんな中での、今日のシートバッティング。

大卒育成3年目の捕手佐久間、2年目大卒ドラ2の土谷と同高卒社会人ドラ6の片野という並びを相手にする事になっている。

雁首揃えてB組にいる場合じゃない奴らだ。勿論怪我やチーム事情などの巡り合わせもあるが、それを差っ引いても己の価値を示せずたじろいだところに、足の踏み場はない。

無論それは俺にも言えることで、立場という綱は握りしめていても、滑ったり手離したりで無くなるものだ。新球と真っ直ぐのみで構成してどのくらいならやれるのか、この3人で試す。頭の数字は、佐久間から順に0、54、2。

誰であろうと、バットを持っている以上打つ可能性があり、俺が目に捉える数字は可能性の全てではない。こうした機会では尚更だ。


「っしゃー元気出していこーッ」


外野から野太い声が聞こえて来たのをコール代わりに、俺はモーションへと入る。

まずはストレート。右打席に入った佐久間のちょうど腰前くらいのゾーン内を通り抜けた。球速は134とまだまだ仕上がりには程遠い。とはいえ、まずは1ストライクだ。

次はカッター。ボールはインコースベルト高で甘めには行ったが、さっきのストレートの残像があったのか、食い込んでくる球をバッターは迎えに行かずグリップを出しかけて止めた。しかし、そこもストライク。速い球に手出ししてこないという事は、スライダーカーブあたりを狙っているのだろうか。

コースが甘めに行っている事を逆手に取りつつ、今日のテーマも遂行できるスプリットチェンジをゾーンに残せばおそらく三振が取れるな。


「オッケーピッチャーいいよォーッ」

「いいボールだーッ」


右がから左から活気づいた声が飛ぶ。

ゾーンやや外目に行ったスプリットチェンジは鋭く落ち、佐久間のバットは空を斬る。

右打者の外のコースに投げ込んだという事で、インステップになっていなかったかを足跡で確認。うん、問題なさそうだ。


「おら土谷打てよーッ」


次の土谷は左打者。二遊を守れる大卒即戦力として期待されたが、昨年は一軍登録なしと適応には至ってない。

左の土谷にとって、1番遠いところに真っ直ぐを投げ込める俺は、おそらく打ちにくいピッチャーになるだろう。打席に入る前の素振りを見ても、自分に近いところを振るばかりで、遠いところを弾き返すという意識があまりないようだった。

となれば、やる事は一つだ。徹底的に外角を突き、最後はカットボールを追いかけて追いつかずのスイングアウト。


「おぉいヒサぁ!そんないいボールばっか放ったら練習にならんぞぉ!」


新しく2軍監督に就任した三渕さんが、笑い混じりにそういう。

そうは言うが、こっちは調整途上なのだからこのくらいはむしろ打ててもらわなきゃ困る。

そもそも俺の出来る範囲で真剣勝負をして、勝っているだけだ。打てない奴が悪いとは言わんが、気持ちよく打たせる為に投げるのは御免被る。


手についたロジンをズボンで叩き落とし、打者の方を見る。右打席に入った片野はつま先を二、三打ちつけて、バットをこちらに向けてくる。その目には、上へ上がる、という野心が見え隠れしており、威勢がいい事だと思う。

ただまぁ、そういう打者にはそういう対応をいつも通りするだけの話だ。


「おっ」


打ち気を御せず、前につんのめりながらスプリットチェンジを追いかけた片野はそう声を上げる。真っ直ぐ狙いが分かっていればそりゃこうなるだろ。あとはもう一球スプリットチェンジを外目のゾーンに残して低めやアウトコースのケアを考えさせるだけだ。

トドメはクロスファイア。137キロと時期ゆえに速さはまだ出てこないが、片野はくの字に体を折り、これを見送ることしかできなかった。うーむ、思惑通りに事を運べたのを喜ぶべきか。


3人には悪いが、あまりにあっさりとした勝負に物足りなさを感じつつ、同時に彼らの残り安打数を思うと、少し悪い事をしたような気持ちになってしまう。

この世界は打撃が全てというわけではないし、たとい1安打であっても、それが華々しいものであれば、誰かの記憶に残り続ける。

ピッチャーであれば、安打数が残りわずかとて、投手としての死が確定するわけではない。俺や武田さんのように、リリーフとして生きる道もあるにはあるのだ。

もちろん、そういう道を選ぶかはその人次第。

いずれにしろ、俺にどうにか出来る事ではない。己の無力とこの忌まわしい異能を苦々しく思いつつ、俺はマウンドを降りる。


やめだ。こんな事考えてたってどうにもならない。今日の結果をこれからどうするか組み立てる方向で切り替えよう。

以降のクールでは人員の入れ替えもあるだろうから、上から降りて来た打者を相手に投げつつこのままマイペース調整出来ればいいか。

それで、俺の能力が一軍で投げるに耐えうるか、いまだにそう考えつつ、額の埃を払った。


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