戻ってきたノルディック夫妻の日常 エディウス
走らせた馬上で、横座りしたヴィアを左腕の中にしっかりと抱き込みながら、俺は彼女に恨めしげに告げる。
「いつだって君は、俺を置いて行こうとする……」
前回も、今回も。君を失うかと、どうしようもなく心が乱された。血液と体温を失っていくヴィアの身体の感触は、しばらく忘れられそうにない。
「ごめんなさい。軽率だったわ。思わず身体が動いてしまって。まさか魔力切れで結界が発動しないなんて、思わなくて」
俺の身体に腕を回し力を入れて抱き締めたヴィアが、俺を見上げてその蒼い瞳を揺らした。
あの時、油断していたとはいえ、俺に向けられた魔法をそのまま受けたとしても、致命傷にはならなかった筈。武装していないヴィアの華奢な身体だから、あんな深手を負ったのだ。
「頼むから、俺の盾になろうとなんてしないでくれ。俺はそんなに弱くない」
だから、もうあんなことは二度としないでくれ。
「知ってる……ごめんなさい」
嘘だ、君は何もわかってない。
「いや……違うんだ。君がいなければ、どう生きていったらいいのかわからなくなる程には、弱い」
そう。ヴィアを失ったら、多分俺は、まともには生きていけない。どうなるかなんて、自分でもわからない。考えるだけで、こんなにも手が震えてる。
そう、俺は彼女を失うことが怖くてたまらない。
「……ん。ごめんなさい」
ヴィアが俺の背の服を握りしめた。
きっとこの震えが伝わっている。それにヴィアも気が付いてくれた。だから、俺の気持ちもちゃんと伝わったのだと思う。
「……もういい。無事でよかった、ヴィア。やっと戻ってきた」
「ええ。ただいま戻りました、エディ。愛してる」
俺の胸に顔を埋めた彼女の声が、胸元から俺の心を温めてくれた。
基地に戻り、待っていたルイスに簡単に報告をすると、「今晩はもう良いから」と、俺たち夫婦とトードーはさっさと寝室に通された。といっても、基地の個室だが。
その日俺は、久しぶりに腕の中に妻を抱きしめて、ゆっくりと眠りに落ちた。
翌日の午前中、防音結界が張られた作戦室に集まったのは、アルディオ殿下とルイス、トードーと、俺とヴィアの5人だった。
トードーとヴィアから、ガンクルドと彼らについての詳細が語られていく。
そのあまりにも信じ難い内容に、話が終わった後もしばらくの間、俺達は口を開くことが出来なかった。
やがて、長いため息をついたルイスが、頭を軽く横に振ると、顔を上げた。
「……成程。シルヴィーの前世であるアリサの死を受け入れられず、彼女にもう一度会いたいという強い願いが、ガンクルド法皇の召喚に応える形になった、と。シルヴィーの転生自体も、法皇が引き起こした可能性があるというんだな?」
「おそらくは。あの男なら可能だと思う。もっとも異世界からの召喚とか、人を転生させるなんてことは、相当な準備が必要だし、リスクも高いから、そうそう出来ることではないらしいが」
ルイスの言葉を肯定したトードーに、アルディオ様が尋ねる。
「何者なんだ? 法皇って」
答えたのは、ヴィアだった。
「時空を歪めて繋げる魔法を使うのかもしれません。対象は個人に限られるんでしょうけど。理論的には不可能とは言えないんですよね……ザルディアのアドルフ国王の魂の憑依も、もしかしたら法皇の魔法だったかもしれません」
「時空って、時間と空間ってことだよな? シルヴィア、理論的に可能って、何か根拠があるのか?」
アルディオ様が難しい顔で、更に続ける。時間と空間を歪める魔法なんて、通常では考えられない概念だ。それにそんなことが可能ならば、ヴィアに対する危機は全く去っていないことになる。いざとなれば、法皇を消すことも考えなければならない。
ヴィアは、人差し指を顎に当て、少し首を傾けて考えている。時々彼女が見せる可愛らしい仕草だ。
「昨日私に発動した絶対治癒の魔法。あれは、個人の肉体を対象にした時間遡行です。死に瀕した肉体を、元の健康な状態まで巻き戻すっていう」
訪れたのは一瞬の沈黙。全員が、彼女の言ったことを頭の中でもう一度噛み砕く。
「はあっ? なんだって?」
ガタッと立ち上がったのはルイスだった。
「なるほど。道理であり得ない治癒過程だったわけだ」
トードーがしみじみと頷いている。
「ヴィア、君は一体なんてものを俺に身に着けさせてたんだ」
脱力した俺は思わず、彼女の肩に頭を乗せた。そんな俺の胸元に手を伸ばしたヴィアが、苦笑して続けた。
「そのブルーダイヤ、質も大きさも良かったので、私の魔力を1ヶ月分くらい消費して付与しましたよ。1人分の肉体の時間巻き戻しですら、それだけの魔力を消費します。
すっかり空っぽになっちゃったので、また仕込んでおきますね」
国随一の魔力量を誇るヴィアの魔力を1ヶ月分。治癒のための時間遡行に費やす魔力は途方もない。確かに今、この石からヴィアの魔力を感じることは出来ない。
「…………話が逸れたようだけど、つまり、時間を遡行させたり、世界を越えたりする魔法は不可能じゃないわけだ」
しばらく目を伏せて考え込んでいたアルディオ様が、やがて気を取り直すように言った。
ヴィアがそれに答えていく。
「ええ、理論上は……隣り合って並んでいる二本の線をそれぞれの世界に例えると、強引に捻じ曲げて接点を作ることは可能です。接点の位置をずらすことも。そして、そこから求めるものを引き出す魔法です。かなりの魔力ときちんと定義された魔法式が必要になるとは思いますが。
ただ、私とアドルフ王がその魔法に巻き込まれたと考えると、気になるのは蓮くんのことなんです。私達のように魂とか精神体ではなく、肉体を持ち実体を召喚することに成功したということですよね?」
ヴィアが確認するようにトードーを見る。トードーが小さく頷いた。
「精神体だけだと存在出来ないから、生まれる前の胎児か、魂が死にかけている肉体に憑依させるしか無いってことか。それだとどこに転生するかわからないから、異世界の人間そのものを自分の所に呼んだわけだ」
トードーは、腕を組んで半ば独り言のように呟いている。
「トードー、法皇はこの召喚魔法をまた行使するつもりか?」
アルディオ様が続けて尋ねた。そう、俺達はその召喚魔法とやらで、ヴィアを連れ去れるのかを気にしている。
「無理だと思うが、どうだろうな? でも、完全に成功しているのなら、シルヴィアを自分のところに転移させればいいだけの話だ。こんな面倒な誘拐作戦や、世界を越える必要もない」
「だよな」
ルイスの同意に、ヴィアが首を横に振る。
「同一世界の同時間において、転移を理論的に定義づけて魔法として発動するのは、今の技術では出来ないと思います。というか、うーん……紙をイメージしてください。隙間を空けて何枚か並んでるとします。隣同士の紙はちょっと曲げればくっつきますけど、例えば1枚の同じ紙をくっつけようと思うと、二つ折りにして合わせないといけないじゃないですか? それを人が魔法でやろうと思っても、絶対的に魔力が足りないんですよ。そもそも、そういう概念を法皇はちゃんと理解して魔法を行使していたのかも、わかりませんけど。
……あら、でも、どうしよう。ちょっと思いついちゃったかも?」
話が再び脱線しそうな予感に、ルイスが口を出す。
「シルヴィー、話がそれそうだぞ? で、法皇がお前を転移させるのは可能なわけ?」
「いえ、今思いついたことを実行したとしても、彼には不可能です。
異世界からの召喚の方は精神体なら相手の意志に関係なく喚べたのでしょうけど、実体の召喚は、相手の強い希望が、術者のそれと一致することが必要なのかもしれません」
ヴィアの答えに、息を詰めていた俺は、ほっとして肩を降ろす。トードーがヴィアの答えに納得したように続けた。
「そっか。有紗にもう一度会って伝えたいという俺の強い願いが、法皇の聖女を神殿に呼びたいという願いとリンクしたってことだな? 本来法皇が召喚を試みたのは、シルヴィアだったってわけだ」
前世のヴィアに会いたいと、想いを伝えたいと願ったトードーの、その重い願いに俺の心がざわつくのは多分どうしようもない。アリサはヴィアではないけれど、姿の変わった彼女に気がついたトードーは、きっとまだ未練を残している。そして、ヴィアもそれを察している。彼女が俺を愛しているのは知ってはいても、どうにも落ち着かない。
俺は思わずヴィアの手を握り込んだ。その俺を見上げた彼女が小さく笑って、その手を握り返してくれる。
だがすぐにヴィアの視線は前を向き、その顔を真剣な表情へと変えた。
「……そうなりますね。ただ、説明がつかないのは、蓮くんは異世界から来たのに、かなり大きな魔力があることと、万能な言語能力です」
「確かに。もとは無かった魔力溜まりを感じたし、感覚で魔法も使えた。言語能力に至っては、もう無意識だ。これは魔法の影響じゃない感じなんだよな」
トードーの言葉に頷いたヴィアが、神妙な顔で続ける。
「ええ、ここからは推測ですけど、おそらく神に近い何か……世界の管理者のようなモノがいるのかも知れません。それが、法皇の差し出した何らかの対価に応えて蓮くんを召喚するときに、この世界に受け入れられるよう改変したのかもしれません」
「2年前の俺の召喚で法皇はずいぶんと消耗したらしい。俺の制約魔法は法皇の側近の聖魔導師がやったくらいだ。聖女を喚ぶということが、あいつの悲願であり執念だったのかもしれないな」
この世界外の理が、もしかしたら動いているのかもしれない、とヴィアは言う。
ガンクルドの法皇がそこに干渉したのかも知れないという推測は、あながち間違いでもないのだろう。ヴィアやアドルフ王、トードーの存在は、明らかに異質だ。
だが、消耗した法皇がこれ以上の無理を重ねることも不可能だろう。ヴィアの推測が正しいのなら、彼がヴィアを魔法で攫うことは不可能だし、今後の対応は、国同士の話し合いになるはずだ。
俺の考えを裏付けるように、アルディオ様が結論を出す。
「なるほど。…………じゃあ、あとは父上と兄上達に任せておけば良い。ガンクルドにうまく責任を取らせるさ。ただ、トードー、君を元の世界に戻すことは、今の俺たちには難しいな」
気になるのは、彼をどうするか、だ。
「……ああ。もう2年経ってる。召喚した法皇自身でもそれは無理だろう。それに、俺はもう元の世界の人間とは違う。魔法が使えてしまうしな」
苦笑を浮かべてそう言ったトードーに、ヴィアが再び俺を見上げて口を開く。
「エディ」
「ヴィア」
彼女が言いたいことを正確に理解した俺は、頷き、彼女の名を呼ぶことで、それを肯定した。面白くはないが、そうしなければならないことは、わかっている。ヴィアも頷いて、トードーに向き合った。
「蓮くん、うちの、ノルディックの研究棟で働かない?」
「え?」
そう提案したヴィアに、目を見開いたトードーが固まっている。
「いろいろと、生活に便利なモノや魔法を開発しているの。蓮くんに助けて欲しいな?」
可愛らしく小首を傾げて願うヴィアに、それ必要か?と思いながらも、俺はトードーの反応を窺う。
彼は、今度は俺を見て尋ねた。
「いいのか?」
「ああ、ヴィアの願いなら、我が領は、歓迎する」
心から、とは言いたくないが、頷いた俺にトードーはホッとしたように笑った。
そして、次に零れたヴィアの台詞に、小さく棘のように刺さっていた俺の不安は消えていく。
「私も、ほら、そろそろ子供のことを考えないといけないし……」
頬を染めて俺に寄り添ったヴィアに、トードーはほんの一瞬、泣き笑いのような表情を浮かべたが、すぐに穏やかに笑って言った。
「そうか……ありがとう。お言葉に甘えます。エディウス殿」
「ああ、よろしく頼む」
俺達は互いに手を握って、これからの約束を交わした。
その日の午後、俺達夫婦とアルディオ様は、ルイス達が住むサザランド邸に招かれた。
ルイスの妻であるメイベル夫人には、今回の誘拐騒動で随分と心配をかけたが、ヴィアの無事を心から喜んでくれ、晩餐が済むまで、二人は話に花を咲かせていた。その間に、俺たちは各所への報告やら今後の手配を手際よく済ませていく。
そして夜、俺たち夫婦に与えられた客間の寝台で、ヴィアと俺は、二人手を繋いで横になっていた。
豪華で、趣味の良い内装の寝室で、淡く光る魔道具の常夜灯が、互いの顔をぼんやりと見せてくれる。そのヴィアの横顔の儚さに、俺は彼女と出会えた偶然に感謝したくなった。
「ヴィア、ガンクルドの法皇が、本当に君をこの世界に喚んだと言うなら、俺は彼に感謝しなければならないな。もちろん、ヴィアを誰にも渡しはしないが」
ヴィアが、身体を横にして、俺の方を向いた。
「……でも、蓮くんの運命を捻じ曲げてしまったことは、許せません」
ヴィアの瞳が、俺を真剣な表情でまっすぐ見る。
この場でトードーのことを考える彼女に、俺はずっと気になっていたことを、彼女に尋ねていた。
「トードーは、君にとってどういう存在だったんだ?」
逡巡するように軽く目を伏せた彼女は、言葉を選びながらゆっくりと答える。
「私ではなく、有紗にとってなら……そうですね、家族に近い一番親しい男性でした」
「アリサに恋人はいた?」
「いいえ。蓮くんいわく、ずいぶんと妨害していたようですから」
やっぱりな、と納得する。彼はきっと、アリサが思う以上に近くにいた。
だから、一番聞きたかったことをはっきりさせておきたいと思う。それが、俺にとって胸が痛むコトだとしても、聞いておきたかった。もう、ヴィアにとっては20年以上も前の過去のことだったとしても、今、そしてこれからも彼は、ヴィアの傍にいることになる。
俺も彼女に向き合うようように体を横に向ける。
「彼をどう思ってる?」
ヴィアが瞳を上げて、再び俺をまっすぐと見る。じっと見つめられて、視線を逸らせない。
「エディ、貴方を愛していますよ? 藤堂蓮太郎くんは、前世の想い出の中の弟分です。貴方に代わる男性なんて、どこにも存在しません。貴方は私の唯一です。有紗であったときから、シルヴィアとして存在する今生も、夫となったのはエディだけで、私が男性として愛しているのも貴方だけですよ? 信じられませんか?」
ジワジワとした喜びが、俺の胸の中に広がっていく。思わず目の端に涙が滲んで、俺は慌てて目をつぶった。
「いや。俺は情けないな……前世から今生までも、ヴィアにとって俺だけだってことに、ひどく安心した」
ヴィアが俺にピタリと寄って、両腕を俺の首に回す。目を開けた俺に、彼女はいたずらっぽく微笑んだ。
「私も、たまに貴方にやきもちを妬いて、独り占めしたくなるから、一緒ですね」
「え? 俺に? 俺は……」
ヴィアや家族以外の女性を、女性として認識したことなんてない。ましてや、その心を一欠片でも他の女性に移したことだって、一度もない。
「知っていますよ。でも、シーズン中、夜会や舞踏会で美しい女性達に声をかけられたり、触れられたり、してたじゃないですか。エディは私の夫だから触らないで!っていつも思っていました」
ああ、あの不愉快に媚を売り、一晩の関係を匂わせてくる不快な女性たちのことか? 全く相手にしているつもりは無かったが、振り払うわけにもいかずやんわりと避けていただけなのだが、ヴィアには要らない心配をかけたらしい。
だが、そんな彼女が思いの外、可愛らしくて愛おしい。
俺は思わず彼女の顎を掬い、その愛らしい唇を啄んだ。
「可愛い、ヴィア。ありがとう……で、今晩から、してもいいのかな? 子作り」
俺は、彼女を誘うべく、声に欲を乗せてヴィアの耳元で懇願する。そう、昼間ヴィアは、子供のことを考えると言っていた。彼女がこれから無茶をしないためにも、俺たちの間に愛おしい存在を作るのは、悪くない。
「……う。はい、あの、お手柔らかに、お願いします」
薄暗い中でも、赤くなった首元が、扇情的に俺を誘う。
「どうかな? あまり手加減できる気がしないけど……愛してる、ヴィア」
俺は彼女を組み敷くと、今度は深い口付けを彼女に贈った。
それから……俺達は王都にもう一度戻り、1週間ほど滞在した。ヴィアの実家のタウンハウスに無事な姿を見せに行き、義両親と共に過ごした後、シャーウッド公爵家にも訪れて長男に引導を渡した。王家ではガンクルドへの制裁を話し合い、トードーをノルディックの研究棟へ迎えることを正式に報告する。
そして、アルディオ殿下やリリア姫と共に、今度はロッドフィールド侯爵領へと移動した。
「ヴィア!」
「キャシー!」
到着するなり、ヴィアに涙ながらに抱きついたキャサリンは、相変わらずだ。いくつになっても変わらないその様子に苦笑する。
「クロード先輩、いつまでも落ち着きのない妹ですみません」
「いや、二人共可愛いらしいからいいじゃないか? エディ、久しぶりだな、よく来てくれた。シルヴィーを連れてきてくれて嬉しいよ」
サラリと惚気ながら、俺の手を握ったクロード先輩は、二人を微笑ましそうに眺めている。この人も相変わらずだ。愛妻家で妹バカなところは、いくつになっても変わらない。
「お陰様で、無事に取り戻しました。あっと、失礼しました、アルディオ様、リリア姫」
俺は後ろに立ったアルディオ様に、その場を譲る。
「いや、相変わらず仲がいいですね、奥方とシルヴィアは。久しぶりです。クロード殿」
セドリック王太子の元側近だったクロード先輩と、アルディオ様は王宮で会うことも多かったらしい。親戚でもある二人は、結構気安い間柄だ。
「ええ、ようこそロッドフィールドへ、アルディオ様、リリア姫」
クロード先輩もにこやかに2人を歓迎する。
「リリア姫!キャシーの赤ちゃんを一緒に見に行きましょう」
再会を喜んでいた二人が、リリア姫を振り返り、ヴィアが彼女を呼ぶ。
「はい!行きます!」
子供らしく目を輝かしたリリア姫が、ヴィアと手をつなぎ女性同士連れ立って歩いていく。
そんなヴィアの後ろ姿を眺めながら、戻ってきた平穏に、俺は胸を撫で下ろした。




