救出 シルヴィア
飛行船の不時着後、襲撃を受けて連れ去られた私が目を覚ましたのは、まあまあ広い部屋のベッドの上だった。快適に整えられた環境に、一瞬何が起こったか思い出せずに、私はボンヤリと部屋を見回す。
するとやがて目が合ったのは、懐しい顔。
綺麗な切れ長の目に黒い瞳、短く揃えた黒髪を持つ端正な顔の青年。実家が隣同士で、小さい頃はよく面倒を見ていた6歳下の藤堂蓮太郎くん。
共働きの藤堂家の一人息子だった蓮くんを、うちで面倒見ることも多くて、姉弟のように育って、お互いに家族のように思っていた男の子。大人になって同じ医師となった彼はバリバリの救急医になって、研究職になった私とは道を違えたけど、時々食事に行ったり、実家を訪ねたりする、気安い関係の幼馴染の男の子だった。
あ、男の子は失礼だったか……立派な男性だ。
一瞬夢を見ているのかと思った。
「蓮くん? だよね?」
思わずこぼれた言葉に、彼も驚愕の表情を浮かべる。
「……まさか……有紗……なのか?」
その言葉に、聞こえた日本語に、一瞬、前世に戻ってしまったのかとパニックになる。
「そんな……どうして? 蓮くんが、ここにいるの? 私まさか、日本に戻って?」
有紗に戻ってしまったのか?と、動揺して取り乱す私の身体を支えて、蓮くんが落ち着かせるように言う。
「いや。ここはルーベンス王国の国境に近い街だよ、有紗。体調は大丈夫? いろいろと話をさせて欲しいんだけど」
蓮くんには有紗と呼びかけられたけれど、サラリと顔の横に落ちた私の髪は、プラチナブロンドだった。それに、彼はルーベンス王国だと言った。
私はシルヴィアのままだ。でも、今私の目に映る蓮くんは20年以上も前のあの時のまま、そして、私を有紗と呼ぶ。
よくわからないけど、彼が説明してくれるようなのを察して、私は頷いた。
「有紗を探していた……俺の話を聞いて欲しい」
彼は私を強く抱く締めて、小さく震えながらそう願った。
語られたのは、衝撃的な事実だった。
私が前世で彼とちゃんと向き合わなかった為に、とんでもない出来事に彼を引きずり込んでしまった。
神の存在なんて信じていなかったけれど、確かにこの世界は前世と違って、理論や法則で説明できない現象がたくさんある。
だから、まるっきりお伽噺の出来事とも言えなかった。神は、確かにいるのかも知れない。私には感じることは出来ないけれど。
でも、だとしたら、この世界に転生した有紗を追って、蓮くんはこの世界に来てしまったのだろうか?
「蓮くん、ごめんなさい。貴方を巻き込んでしまったのね」
そうであって欲しくはないと思いながら、それでも目の前の彼はホンモノで。私の死をきっかけに、蓮くんは時間と世界を飛び越えることになった。それが、ガンクルドの法皇が発動した召喚魔法なのか、神が起こした偶然なのかはわからないけれど、私はきっと無関係ではない。
2年前にガンクルドにやってきっという蓮くん。全く知らない場所にいきなり飛ばされて、ガンクルドの法皇に制約魔法まで掛けられて、不本意ながらも私の誘拐に関わることになって……だからこそこうして蓮くんに会う事ができたのだけれど。
でも、私では彼をもとの世界の時間軸に戻してあげることは不可能だし、ましてや彼の好意を受け取ることも出来ない。私はもう有紗ではないのだから。
「いいや。巻き込まれたのは有紗の方だろ?」
襲撃や誘拐のことじゃないんだよ、蓮くん。
「私、貴方の気持ちに気が付いていなくて、きっとたくさん傷付けた。もっと、貴方とたくさん話をすればよかった。お互いに向き合って、言葉を交わして、気持ちを確認して……そしたら、貴方はここにはいなかったかも知れないのに」
貴方は私にとっては、大切な幼馴染だった。でも、貴方が大人になっても、自然に私の傍にいてくれることを当たり前に思って、貴方の気持ちに気付けなかった。もっとちゃんとお互いに気持ちを伝えあって、蓮くんの想いを知っていたのなら、もしかしたら……有紗だった私と貴方の関係は変わっていたのかもしれないけれど。
有紗は、貴方の気持ちを何も知らずに、あの日死んでしまった。
「うん。でも俺はお前と会えて良かったよ。ねえ、有紗……いや今は、シルヴィアだっけ? シルヴィアは今幾つ?」
ごめんなさい、蓮くん。貴方にとっては、まだたったの2年前の出来事で、貴方が会いたかった有紗は、もういないけど。
「この間20歳になったところ」
私はシルヴィアとして、ここで20年を生きてきたの。
「そっか。…………結婚してるんだろ? 幸せ?」
だから……私は有紗ではなく、シルヴィアとして、今の人生が幸せだと、貴方に伝えたい。
「うん。とっても」
私は愛するエディと家族を思い浮かべて、蓮くんに答える。
蓮くんの表情が泣き笑いのように歪む。だけど、それは一瞬で。
「なんだか複雑な気分だな……この国に来てから、シルヴィアの研究成果の論文を読んだよ。なんとなくさ、元の世界の人間だとは思っていたんだ。まさか有紗だとは思わなかったけど」
目を伏せた彼は、多分今、心のなかで懸命に折り合いをつけているのだろう。蓮くんの気持ちを思うと、涙が込み上げてくるけれど、私は一生懸命泣かないように笑顔をを浮かべる。私はシルヴィアだから。
そして、やがて穏やかな表情で、蓮くんは何かを決意したようだった。
「だから、ゆっくりとこうして話してもみたかった。でも、それが有紗で、こうしてちゃんと向き合って話もできた。俺、もう良いかな。お前の幸せは壊したくない」
そう彼が告げた瞬間、闇属性だと思われる魔法が発動する。まるで黒い靄が彼の胸のあたりから湧き出てくるようだった。
そして蓮くんは、喉元を抑えて、蹲る。
「え? 蓮くん!どうしたの? 駄目!」
一体何が起こったの?
私は慌てて立ち上がって、彼の傍に行き膝をついて様子を探る。苦しげに顔を上げた蓮くんが、それでも無理をして笑顔を作る。
「強力な制約魔法なんだ。俺が裏切ったときの代償は俺自身の命……有紗、いやシルヴィア、お前に会えて良かった」
そんな!私を助けるために、貴方がその生命を代償にすると言うの? そんなこと絶対に許さない!
「させない! 生命を縛り付ける制約魔法なんて、認めない」
私は、蓮くんの胸に手を当てて、制約魔法の痕跡を探る。すると彼の心臓を締め上げるように巻きつく魔法式を見つけた。闇属性魔法で強力に練り上げられた魔法式。こんなの呪いみたいだ。苦しみ冷や汗を流す蓮くんの状態に焦りながら、私は力任せに魔力を注ぎ込んで、光属性魔法で強引に魔法式を書き換えていく。彼の心と生命を守る為の守護魔法へと。
強力な制約魔法を書き換えるという無理矢理な魔法に、ゴッソリと魔力が持っていかれる感覚がして、私の息も粗くなる。
でも、全てを書き換えたとき、蓮くんの表情に生気が戻ってきた。
「シルヴィア……ありがとう」
よかった……蓮くんを死なせずにすんだ。ほっと安堵したのも束の間、魔力を一気に使いすぎた私の意識は、再び落ちて行った。
次に目が覚めたとき、そこは別の場所だった。
先程とは一転して、廃墟に近い造りのその部屋で、私は蓮くんの膝に抱えられて眠っていたらしい。
「目、覚ましたか?」
ほっとしたように掛けられた言葉は、私を気遣う声だった。
「うん。状況説明してもらっていい?」
だけど、蓮くんの周囲を警戒する様子に、只事ではないことを理解する。脳が一気に覚醒し、現状分析を始める。
「ああ。早い話、ガンクルド側に追われているけど、ルーベンス側に引き渡すにも、どうしたら良いかわからない状態。下手なところに連れてっても、お前がまた攫われてしまうからな」
なるほど。ガンクルドに裏切りが発覚し、ルーベンス側には適切な場所に意識のない私を連れて行くことも出来ず、ガンクルドの追手から、取り敢えず逃げていると。
「うん、把握した。じゃあ、過保護な夫に伝達魔法を送ってもいい? きっと彼のことだから近くまで来ていると思うの」
まずは、きっとものすごく心配しているエディに無事を知らせなければ。
「ああ、お前のことはちゃんとルーベンス側の希望の場所に送り届けてやる。だがルーベンスの捜索隊とガンクルド追手とじゃ、ガンクルドの奴らの方が近い。おそらく向こうにもお前の魔力を探知されているかも」
蓮くんの説明を聞きながら、エディへと伝達魔法を送る。ちゃんと無事で、意識を取り戻したこと。今、協力者と一緒にガンクルドの追手から逃亡していること。
あ、そういえば蓮くんの魔法って?
「蓮くんはどのくらい魔法が使えるの?」
魔力量が多いのはそれとなく感じるんだけど、共闘するなら、得意属性は知っておきたい。
「実はこっちで言うところの属性とかはわからない。感覚で使ってるから、他人からは変わった使い方だって言われてる。魔力は多いけど、攻撃魔法は殆ど使えない。結界とか身体強化、回復や感知魔法ならかなり使える。魔力や気配を隠すのも得意だ。シルヴィアを抱き上げて結構な距離を走る事は可能だよ」
魔法理論や魔法式を学んで使っているわけではなくて、感覚で使うって、ある意味天才だけど。まあ、違う世界から来た蓮くんに、突っ込んで聞いてもわからないか。魔力や気配を隠すのが得意って……エディ達や私が彼の接近を許したのも、そのせいか。感知魔法もかなり使えるって、まるで偵察用ステルス戦闘機みたいだわ。
「確かに不思議な使い方ね。了解。じゃあ、追手からの防御と攻撃、夫への連絡は任せて……あ、ちなみに飛行船が不時着してからどの位経っているのかしら? あとここはどこ?」
「ここは、イビサの北の街外れ。あれから、3日目の夜だな」
エディには、追加で情報を送る。返事はすぐに来た。
「夫に伝達魔法が届いて、返事が来たわ。急いでこちらに向かうって……近づいてくる魔力持ちの気配が、20超え。これはガンクルド?」
不時着後の戦闘の時に感じた魔力だ。確認のために、蓮くんに尋ねる。彼は厳しい顔で頷いた。
「法王直下の聖騎士と聖魔道士の精鋭部隊だ。俺の制約魔法が解除されたから、裏切りが発覚して追われてる。それまでは、奴らはバラけてルーベンスの追手の目眩ましをしていたんだが、お前を取り戻しに追ってきているんだ。手強いぞ」
私の魔力量は半分程度まで戻っている。だけど、私ではあの集団相手に戦うことは不可能だ。其の辺のゴロツキ程度ならともかく、こちらの情報を知り尽くしているプロの戦闘部隊、しかも精鋭達を相手に魔法を使うなら、手加減出来ずに何人かは殺してしまうかもしれないし、取りこぼした者達に制圧されることは目に見えている。そして何より、蓮くんの生命も危険にさらしてしまう。
辺りにエディの魔力はないか探すけれど、感知できない。感知魔法が得意だという蓮くんに聞いてみる。
「夫の魔力はわかる?」
「この間対戦した男だろ?知ってる。ここからそうだな、10Kmほど先か?馬でこっちに向かってるっぽいな」
「すごい。ずいぶん遠くまで感知できるのね? 敵は400m程度ね」
「ああ」
「じゃあ、戦わずに逃亡ね。夫と合流出来るように、私を連れて行って。ガンクルドの追手が放つ魔法は気にしなくていいわ。攻撃魔法は私の方で防ぐから。とにかく全力で逃げて、夫達に合流しましょう。貴方のことは、協力者だと説明してあるから」
「了解、任せろ。行くぞ」
そう言うなり、蓮くんは私をまるで荷物のように抱えて走り出す。
え? 一体どれだけ早いの? 人間が走る速度じゃないよね? 身体強化ってすごい!




