幼馴染との邂逅
ガンクルド宗主国の法皇の命令で、教会の聖騎士達や聖魔導師達と共に、「ルーベンス王国に誤って生まれ落ちた聖女様に我が国の教会にお戻りいただく」という作戦に、俺が駆り出されたのは約1年ほど前だ。
法皇の命令に逆らえない俺は、渋々ながらこの作戦を遂行することになる。実質、婦女子の誘拐となんら変わりのないこの作戦とやらに嫌悪感を覚えながらも、俺は自分の生命可愛さと目的のために、これを引き受けることにしたのだ。
そして、ルーベンスに潜入して、約10ヶ月。先日、やっと聖女様と呼ばれる、シルヴィア・ノルディック夫人の身柄を確保したところだ。
「夫人って言ってもねえ、随分と若いな。下手すりゃ10代じゃないか?」
眼の前で眠る少女にも見える女性を見て、32歳になった俺の良心がガリガリと削られる音がする。
ゆるくウエーブした艶のあるプラチナブロンド、白い陶器のような小さな顔に完璧なバランスで配置されたパーツ。まるで精巧に作られた人形のように美しい、少女にも見える女性。今は閉じている大きな瞳の色は、確か蒼い空色だった。
そういえば、前世持ちだったな。何本か読んだ論文は魔法学の知識と科学的な視点を持った、興味深い内容だった。なんとなく俺がかつていた場所で使われていた技術を思い起こさせる内容に、好奇心が非常に刺激されて、ゆっくり話してみたいとも思っていた。こんな形で出会うことになってしまったが。
今俺達がいるのは、ルーベンス王都から離れたアーダイン王国への国境に近い、そこそこ大きな街の高級宿だ。「旅の途中に妻が体調を崩して……」と部屋に運び込んでそろそろ半日。
麻酔薬が効いてよく眠っている彼女だが、そろそろ目が覚める頃だ。この2日間、麻酔と回復魔法をかけながら移動してきて、健康状態には問題なさそうだが、目が覚めて大騒ぎされても厄介なので、防音や魔法遮断の結界魔法で部屋を覆い、出来るだけ落ち着いて話が出来るよう一応一番良い部屋のベッドに寝かせてある。
これまで、この作戦の為に、ガンクルドの熱心な教徒の兵士達が何人も犠牲になっている。ノルディック家の戦力や警戒度合いを測り、確実にこの聖女を国に連れ帰る為に、彼らは正義を疑わず作戦の捨て駒になった。こういう洗脳とか宗教的自己犠牲なんてものは、知っていても自分には縁のないものだったから、かなり不気味に思う。
そんな俺がこの作戦に参加し、しかも重要な聖女の確保と身柄の移送を任されたのは、俺が絶対にあの国を裏切ることが出来ないよう強力な制約魔法で縛られていることと、見た目がガンクルド国民からかけ離れていることでルーベンスの目を欺きやすくなること、どの国の言葉も流暢に話す事ができる言語能力、そして魔力が豊富で得意な魔法が少々変わっているせいだ。
現にガンクルドの聖騎士や聖魔導師は、同行していない。ルーベンスの警戒を逸らす目的もある。
とはいえ、この先警戒が厳しい国境をどうやって越えるかは、彼女の態度次第で難易度が変わる為、出来るだけ穏便にガンクルドにお越しいただけるよう、説得を試みたいところだが……無理なら強硬手段を取らざるを得ない。
ベッド脇の椅子に腰掛けて、ボンヤリと考えを巡らせながら、彼女の顔を眺めていると、長い上向きのまつげが震えてゆっくりと瞼が上がる。
パチパチと数度瞬きを繰り返すと、その視線がゆっくりと天井から周囲を確認するように動き、やがて俺の顔へと固定された。
ボンヤリとした視線が、やがて驚きを持って俺を凝視する。あれ?と俺は首を傾げた。彼女の視線は、俺の顔を知っているようだ。
そして次の瞬間、俺の心臓は、驚きのあまり一瞬拍動を止めた。
「蓮くん? だよね?」
彼女の口から紡がれたのは、日本語。そして、俺をそう呼ぶのは……彼女以外、他にはいない。
「……まさか……有紗……なのか?」
心臓が今度はバクバクと鼓動を再開する。震える唇が恐る恐る言葉を紬ぐ。
見た目も年齢も、俺の知っている彼女とは全く違っているのに、その口調と眼差しや表情は、俺の知る有紗を彷彿とさせた。
「そんな……どうして? 蓮くんが、ここにいるの? 私まさか、日本に戻って?」
動揺して瞳を揺らす彼女が、ベッドから慌てて起き上がったが、急に起き上がったためふらついてしまう。慌てて彼女を支えると、俺は視線を合わせて、彼女に告げた。
「いや。ここはルーベンス王国の国境に近い街だよ、有紗。体調は大丈夫? いろいろと話をさせて欲しいんだけど」
有紗と呼びかけながら、俺は彼女の反応を窺う。本当に有紗なのか? 間違いないか、恐る恐る確認する。
そして素直に頷いた彼女を、俺は万感の思いを込めて抱き締めた。
ああ、本当に、有紗、お前に会いたかった。
「有紗を探していた……俺の話を聞いて欲しい」
彼女が俺の腕の中でもう一度小さく頷くのを確認して、俺は彼女を解放する。それから目覚めたばかりの彼女に、ベッドを出て部屋のソファーセットに腰掛けるように促すと、長くなるから、と軽食と飲み物を準備して、この2年間のことを話しだした。
「あの日、有紗が事故にあった日の事覚えてるか?
俺にとっては2年前のことだけど……え?20年以上前?
そっか。時間の流れとか関係ないんだな。
あの日はさ、有紗の研究が認められたお祝いと俺の誕生日の祝いを兼ねて、二人で一緒に食事に行く約束していただろ?
あの日、俺、有紗に結婚を申し込むつもりだった。
うん、付き合っていたわけじゃないけど、俺ずっと……それこそ10歳頃からずっと有紗のこと好きだった。確かに大学生の頃は、その時はもう研修医として働いていた有紗に振り向いてもらうのは無理かもしれないって、他の女の子達と付き合ってもみたけれど、やっぱり俺は有紗じゃないと駄目で。有紗とずっと一緒にいられる権利が欲しくて。
就職してからは、ずっとお前の側でアプローチし続けてたんだけど、有紗は俺の事、年下の幼馴染の男の子だってずっと思っていて、俺の気持ちに気づいていなかっただろ?
あの日俺、30になったんだよ。だから、誕生日プレゼントに、俺と結婚を前提に付き合って欲しいって言うつもりだった。
でも、仕事が終わって病院を出る時に交通事故で搬送されてきた患者は、瀕死の重傷のお前だった。皆で手を尽くしたけど、お前はそのまま戻らなかった。
俺は年甲斐もなく、お前の亡き骸に縋って、神に祈ったよ。もう一度有紗に会わせて欲しいって。
そしたら、ガンクルドの特級教会とやらに召喚されたんだ。
なんの冗談かと思ったよ。ラノベやアニメじゃないんだからさ、自分の身の上に何が起こったか理解できなかった。
その時、そこの法皇が言ったんだ。
俺と法皇の強い願いが、神に聞き遂げられたから、俺はこの国に召喚されたんだ、と。その証拠に俺には願いを叶えるための能力が備わってるはずだ、ってさ。
実際、未知の言葉が自由に理解できて使える言語能力と、結構な魔力があって、あいつ等が言う事を信じるしかなかった。
俺の願いは、有紗にもう一度会えること。
法皇の願いは、聖女がガンクルドの教会に戻ること。互いの目的のために協力することと裏切らないようにと制約魔法で互いを縛ることになった。今思えば、法皇が俺の能力を都合よく使うための制約だったんだと理解したんだけどさ。
このクソみたいな作戦に巻き込まれて、制約魔法のせいでノルディック夫人の誘拐をする羽目になったんだけど、まさかその女性が有紗だったなんて。
ごめん、有紗。
いや、例えお前じゃなかったとしても、理不尽に連れ去られてさ、悪いと思ってる。だから、せめてこうやってちゃんと話しをするつもりだったんだけど……俺がやっていることは、自分の保身の為に聖女に犠牲になってもらうことだって、わかってもいたんだ」
俺の話をじっと聞いていた有紗は、その大きな蒼色の瞳を潤ませて、辛そうに顔を歪ませた。
「蓮くん、ごめんなさい。貴方を巻き込んでしまったのね」
「いいや。巻き込まれたのは有紗の方だろ?」
有紗はおかしなことを言う。だって、俺がお前を無理やり攫ってきたんだ。
「私、貴方の気持ちに気が付いていなくて、きっとたくさん傷付けた。もっと、貴方とたくさん話をすればよかった。お互いに向き合って、言葉を交わして、気持ちを確認して……そしたら、貴方はここにはいなかったかも知れないのに」
ああ…………そっちか。だって、俺だってお前に断られて完全に振られるのが怖くて、伝えられなかった。だから、俺の気持ちに気付かなかったことを、お前が気にすることはないんだ。
6歳も歳上で、すごく優秀で、でもいつでも俺といるときは、昔から変わらず優しくて、一番リラックスして笑いあえた。どんな形でも傍にいられることが嬉しかった。だから俺は、突然お前が亡くなってしまったことが受け入れられなかったんだ。
有紗のせいじゃない。俺が有紗の傍にいたくて、どうしようもなく神に願ってしまったんだ。お前にもう一度会って、今度こそ傍にいたいって。
「うん。でも俺はお前と会えて良かったよ。ねえ、有紗……いや今は、シルヴィアだっけ? シルヴィアは今幾つ?」
そう。でも、今俺の眼の前にいるのは、有紗じゃない。有紗の記憶を持つ、シルヴィアという別の女性だ。
シルヴィア・ノルディック夫人。その美しく整った顔に彼女の面影を探しても、似ているところは1つもない。
俺は目を閉じて、有紗の顔を思い浮かべる。サラサラの流れるような真っ直ぐな黒髪、黒目がちの大き目の瞳。綺麗というより可愛らしく少し童顔で、あんまり歳上だという感じがしなかった面差し。笑うとエクボが出来て、俺は彼女の笑顔が大好きだった。2年たった今でも鮮明に思い出せる。
性格が変わったわけでもない。声は違っても、その話し方は有紗そのものだ。
でも、有紗じゃない。
その事実を、俺は受け入れなくてはいけない。
「この間20歳になったところ」
目を開ければ、俺を気遣うように見上げるシルヴィアがいる。
「そっか。…………結婚してるんだろ? 幸せ?」
「うん。とっても」
シルヴィアが、花がほころぶように幸せそうに笑う。夫であるエディウス・ノルディックを思い浮かべたのだろう。その笑顔だけが、似ているはずのない有紗の笑顔に重なった。
そして、突然に理解する。
有紗は、もうどこにもいない。今ここにいるのは、彼女の残滓だ。
「なんだか複雑な気分だな……この国に来てから、シルヴィアの研究成果の論文を読んだよ。なんとなくさ、元の世界の人間だとは思っていたんだ。まさか有紗だとは思わなかったけど」
今考えれば、彼女が開発した理論や技術は、俺達のいた地球で確立されたものを基にして、魔法を使って形にしてきたのだとはっきりと理解できる。まさに優秀な研究者だった彼女だから成し得たことで、聖女の奇跡でもなんでもない。
これ以上、シルヴィアをガンクルドや俺の事情に巻き込むわけには、いかない。俺は穏やかな気持ちで覚悟を決める。
「だから、ゆっくりとこうして話してもみたかった。でも、それが有紗で、こうしてちゃんと向き合って話もできた。俺、もう良いかな。お前の幸せは壊したくない」
これは、ガンクルド法皇と交わした制約魔法に違反する裏切り行為だ。そのことに反応した呪いが、俺の心臓を締め上げていく。血の気が引き、冷や汗を流し、胸を押さえて蹲った俺に、シルヴィアが慌てて立ち上がり、俺の体を支えようと手を伸ばす。
「え? 蓮くん!どうしたの?」
「強力な制約魔法なんだ。俺が裏切ったときの代償は俺自身の命……有紗、いやシルヴィア、お前に会えて良かった」
無理やり浮かべた笑顔は、不格好だったけれど、彼女には俺の笑顔を覚えていて欲しかった。
クソッ、苦痛に意識が遠くなりそうだ。彼女をここから逃がして、ルーベンス王国の者に託さなければいけないのに。
「そんな⁉ させない! 生命を縛り付ける制約魔法なんて、認めない」
シルヴィアの白い手が俺の胸に当てられる。すると、そこから注がれた温かい癒やしの魔法に、少しずつ苦痛が緩和されていくようだった。




